19.「任せて」


 明日からの遠征に備える為、未来は騎士寮に帰って来ていた。


 遠征先は西、神の出現率と天使の繁殖率が極めて高い、圏外区域の中で三つ挙げられる激戦区、その一つに数えられる場所。


 「第三戦区」と称されるあの場所は、ライオス王国とコウラン王国の境に沿うように位置している。

 複数個の核によって形成された大規模な天使の巣が存在し、周辺には天候系の神と獣神が回遊していることで有名だ。


 長きに渡る聖王騎士団と冥王騎士団の合同戦線の末、未だ凶悪がひしめき鎮まらぬ荒野に、未来は単身放り込まれる運びとなった。

 この遠征任務は恐らく、師匠である凱が考えたものでは無い。

 ライオス王が彼を通じて未来に言い渡してきたようなものだ。


「殺されないように、だって」


 見慣れた自室の中、携帯用の食料と、通信用の精霊術式が組み込まれた花霊符カードを鞄の中に放り込んだ未来は、リナリアに言われたことを思い出して呟いた。


『穏やかではないな』

「最近ずっとそうだから、もう慣れたよ」


 黄金色の光を纏ったまま、未来は寝台に腰掛け髪をいじる。

 今日はこのまま寮で眠って早朝には出発だ……起きれると良いけど、なんて気楽に考えながら未来はオクティナに語りかけた。


「やっと通常任務に戻れたと思ったのにな。 

 わたし、我が王に嫌われてるのかな?」

『好かれてはいないだろうな、お前のことを自分の目的の邪魔になると判断して、ライオスから遠ざけるつもりかもしれない』


 ふうん、と未来はオクティナの考えを理解した、まあ理解したところで何も考えることは無いのだが。

 未来は殺せと言われたものを殺す兵器だ、ただ仕事をするだけ。

 ……不在の間、一人にしてしまうライアンと、雄大のことは気掛かりだが。


「どうせならライアン様からの命を受けたかったな、何というか、やる気の問題?」

『お前は本当にアレを気に入っているね』


 それはそうだ、未来が剣を捧げたのはライアンなのだから当たり前だ。

 と、口にするまでもなくオクティナには伝わっている、楽しげに笑う気配を感じて未来は微笑んだ。


「オクティナとしては圏外を走り回る方が退屈じゃなくて良いんじゃない?

 人類圏であなたを自由にさせたら大問題になっちゃうから……いつも窮屈でごめん」

『構わないよ、最近は眠るのも良いなと思い始めたところなんだ。

 だが、今回は久々にお前の体を借りようかな』


 どうぞ遠慮なく、なんて笑いながら言う未来の視線の先でご機嫌な黄金色は揺れる。

 暫くの間、ふたりで喋った後、未来は部屋の灯りを消して寝台に横になった。


 目を閉じると、黄金色が瞼の裏を流れていく。


「明日からもよろしくね、オクティナ」


 柔らかい声と共に告げられた、たった一言の返事を聞いて、未来は眠った。




 ◇ ◇ ◇




 冬の朝、の割には暖かい、だが寒いものは寒い。

 もう年も明ける、早く春が来るといいなと思いながら、夜明け前の空を見上げる。


 聖王騎士団支部の入口で立ち止まっていた未来の背に、穏やかな呼び声が掛かった。


「おはよう未来、ちゃんと起きれてよかったね」

「雄大さん、おはようございます」


 ぱっと振り向けば外套とマフラーが揺れる、暖かい格好をしてもこもことしている妹分の頭に、雄大はぽんと手を置いた。


「未来のことは心配してないけど、今回は独りきりの遠征だ、無理はしないで」

「お任せください、別にこれが初めての遠征というわけでもないですし、単独行動の方が全力を出せます」


 寒さで赤くなった頰、喋る度に白い息を吐く未来のことを、雄大は撫で回す。

 幼馴染の中で忠明の次くらいには未来と一緒にいるのだ、可愛くて仕方がない妹のことを彼は何より案じ、信頼している。


「こっちのことも任せて、色々調べておくからさ、帰ってきたらまた話をしよう」

「はい、お願いします。

 戦争なんて……嫌、だと思うので」


 未来は自分の胸に右手を当てて、そうだよね、と内心確認した。

 たぶん、戦いや争いは嫌いだ。

 騎士も人間も仲良くして暖かい部屋で美味しいご飯を食べれば良いのにと思う。

 そう思うから未来はライアンを主としたのかもしれない。


 ──民と騎士が、共に生きれるように。

 いつか聞いたあの言葉に、未来はきっと夢を見たのだ、眩い光を放つ希望の夢を。


「わたし、もし我が王が戦争をするならどんな理由でも止めると思います。

 騎士が人に対して干渉できることは少ないけど……ライアン様がそう望むだろうから」

「うん、未来はそれで良いよ。

 それが正しい、君にとっての正義だ」


 雄大は未来のことを肯定する、いつも通り温和な笑みを見上げて未来は問うた。


「雄大さんはどうしますか」

「……俺は、何度も言うけど」


 灰色の瞳が揺れる、所在なさげに動いた彼の右手は聖剣の柄に伸びた。

 不安になったり、考え込むと剣に触れる、未来の癖はきっと雄大から移ったものだった。


「真意を見なければ判断出来ないと思う。

 どうあれ俺は、聖王騎士として正しい選択をするよ、一応これもあるしね」


 雄大は握った聖剣を揺らす、抜けないそれは決して頼りになるとは言えないが、確かに彼のことを選んだ正義の象徴だ。


 未来は雄大の、不安を抱えたままに覚悟した瞳を見つめた。


「雄大さんは何の為に戦いますか?

 やっぱり正義や、我が王の為ですか」

「また難しいことを次々に……いや、大事なことだからこの際はっきりさせておこうか」


 翡翠色の瞳はいつだって純粋で、曇ったところを見たことが無い。

 ──思えば出会ったときから泣かないし曇らない子だった、と雄大は思い返す。


 耐え難い喪失を超えて生きてきただろうに、誰かに手を差し伸べて笑いかけて。

 そんな未来に嘘だけはつかないと、雄大は決めていた。


「誰よりも俺は皆の為に、戦っているよ。

 死んでいった皆に託されたものと、今一緒にいる皆に預けられたものを守りたいから」


 告げられた返答を受けて、未来は満足したのか否か。

 そうですかと呟いて、彼女は笑う。


「だから、諦めないんだね」


 未来の瞳が聖剣を見つめた、ほんの少しも応えぬ柄と、それを握った震える右手を。

 雄大は朗らかに笑う、幼い頃から抱え続ける不安を飼い慣らしながら。


「ああ、俺は聖王になるんだ。

 ……絶対に、なるって決めている」


 いつかそう予言されて、願われた、それだけを頼りに生きて来たから。


 未来は優しく微笑んでマフラーに顔を埋めた、朝日が昇る。

 そろそろ、出発の時間だ。

 ふたりはまたねと、笑い合った。




 ◇ ◇ ◇



「舞咲未来は西に向かったか」

「はい、第三戦区へ……死ぬかどうかは分かりませんが、あの怪物も暫くは戻って来れないでしょう」



 ライオス王の私室で部下からの報告を受けながら、カインズはそうかと頷いた。

 傍に立つ部下は人類軍所属の男。

 かつてカインズが軍人だった頃からの付き合いで、今やライオスの私兵と成り果てた存在だ。


「アレは王石柱レムナントからの命令や縛りも跳ね返す可能性があります、少女の姿をしてはいますが……一体が何なのか」

「そのような些事はどうでも良い。

 リナリアとアルメリアの動きはどうなっている?」


 は、と短い返答の後、部下はカインズに収集して来た情報の全てを伝える。

 人類軍とは総統であるリナリア直下で動くもの、本来であれば国が独自に保有する兵力と化してはいけないものだ。


 だが、かつて肩を並べたカインズの部下たちは待っていた。

 彼が妻を亡くし、玉座についた時からずっと、カインズが描く理想の時代が実現される日を。


「リナリア様は鋭いお方ですが、根っからの共生派です、騎士を盾にされては動けません。

 アルメリア王国も他国との連携を密にしているようですが、新王は未熟な娘、我々の動きに対処できたとして後手に回るでしょう」


「侮るな、確信できる情報だけを私の耳に入れろ、貴様の主観は必要ない」


 失礼しました、と頭を下げる部下の動きを右手で制し、カインズは言った。


「こちらには

 聖王騎士団が我が傀儡となる日は近い……いや、この言い方は間違っているか」


「聖王騎士団が、正しい形に戻る日は近い。

 引き続き諸国の動きを警戒しろ、リーテ王が死んだ時、全てを動かす」


 下がれと手で示し、カインズは背もたれに体を預けた。

 部下が立ち去り、自分だけになった王の私室で彼は呟く。


「──リーゼ、君が見たいと願った明日は今、私が描いているものと同じだろうか」


 返答はない、十五年前からずっと、誰も返事をしてくれない。

 だからライオス王は自分で決める、己が信じる正義を。

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