27嫁 メイド長 ヒンメル=ユニヴェール(3) お座敷遊び

 広くもなく狭くもない、親しく話をするには絶妙な広さの空間に、ヒンメルたちは誘われる。




 中年男――ドウジマとジャンは差し向かいで座り、ヒンメルはジャンの横に腰かけた。




 接待役らしい顔を白塗りにした女が二人やってきて、一人が中年男の隣につき、もう一人がジャンの隣に腰かけた。




「ははは! なんやあんちゃん! まさか『お茶屋』をほんまに茶葉を商っとる店やと思っとったんか?」




 ドウジマは、白塗りの女から酌を受けながら、愉快そうに笑う。




「恥ずかしながら。日本語とは難しいものですね」




「あんちゃんそんな日本語ぺらぺらやのになあ。まあ、京都っちゅうのはそういうもんや。同じ日本人でも、地元育ち以外はほんまもんの京都を把握するのはむずいもんやし、気にすることないで。ワイかてここに通うてもう結構になるけど、銭もってかれるばかりで一向にいっちょ前の旦那になれた気がせえへんわ」




「そんないけず言わんと。堂島はんは立派な旦那はんどすえ。せやから今度のお茶席当番にも、誘わせてもろとるんやおへんか」




「そないなこと言うて、またワイに何枚切符買わせるつもりやねん。――これですわ」




 ドウジマが肩をすくめて首を振る。




 気兼ねなく軽口をたたき合うその様子には、客と店員という関係を超えて、ある種の家族じみた空気感がある。




「坊ちゃま。ここが目的の茶葉を売る店でない以上、早々においとますべきかと思いますが」




 この場所が金持ち向けの会員制サロンであることは理解した。




 酒と食事を出す程度なら構わないが、ヒンメルが懸念しているのは、ここが売春宿ではないかということだ。




 後宮の管理者として、ジャンにどこの馬の骨かも分からない女を近づける訳にはいかない。




「まあまあ、ねえちゃん。そんな不粋なこと言わんと今を楽しみぃや。ほら一杯どうや?」




「結構です」




 ドウジマの差し出してきたお酌をヒンメルはにべもなく拒絶する。




「きっつい美人さんやなあ。っていうかあんちゃん、坊ちゃんなんて呼ばれとるっちゅうことは相当な金持ちなんか?」




「ええ。というか、実は俺、皇帝なんで」




 ジャンが冗談めかして笑う。




 真実なのだが、厳密な意味での帝政が廃れたこの世界においては冗談にしか聞こえないだろう。




 ジャンも分かっていて敢えて言っているに違いない。




「ははは! 皇帝か。そりゃええわ! ほな皇帝様。ぐいっと一献」




「いただきます」




 ジャンは迷うことなく、ドウジマから透明な酒の入った杯を受け取り、一気に飲み干した。




「坊ちゃま」




「大丈夫だよ。師匠。俺、思い出したんだ。多分、ここは師匠が思っているような店じゃない。昔はそういうこともあったみたいだけどね」




 袖を引くヒンメルの懸念を、ジャンは一蹴する。




 主人がそう言う以上、ヒンメルは従うしかない。




 思考を切り替えて、宴に参加することにする。




「ちょいちょいあんちゃん。坊ちゃまやなのに師匠って、設定むちゃくちゃやん!」




「いえいえ、俺が皇帝なのも本当ですし、彼女が師匠なのも嘘じゃないんですよ。俺と彼女の出会いは少々特殊でしてね。俺たちは元々敵同士だったんですよ。ある時、彼女と手合わせする機会があって、俺が彼女の見事な体術に惚れ込みまして」




「おっ? なんや? ロミオとジュリエットか?」




「敵同士の恋物語やなんて、なんやロマンチックで素敵どすなあ」




 ドウジマと白塗りの女が盛り立てるように言った。




「そんな浮ついた話ではございませんよ」




 ヒンメルはやんわりと俗人の妄想を否定する。




 ヒンメルとジャンの邂逅は、決して甘いものではなく、血の臭いがする陰惨な修羅場だった。




 当時、子どもながらにその卓越した才能であちこちから目をつけられていたジャンを消すために雇われた暗殺者。それがヒンメルだった。




 魔力が内にこもる性質のヒンメルは、魔法結界に感知されにくく、生来暗殺者向きの性質を備えていた。




 もちろん、ヒンメルとしてもすき好んでそのような裏稼業を選んだ訳ではないが、半端者のハーフエルフはどこに行っても鼻つまみ者で、必然的に後ろ暗い職に手を染めざるを得なかったのだ。




「まあな。あの時は初めて死を覚悟したよ。そういう意味では、師匠は俺の初めての女だと言えるかもしれない」




 ジャンはそんな軽口を叩いて、ヒンメルに酒を進めてきた。




 その杯を、ヒンメルはしっとりと口にする。




 研ぎ澄ました刃にも似た、見た目の通りの澄んだ辛口の酒が喉を潤した。




「よくそんなことをおっしゃいますね、坊ちゃま。容赦なく私を血まみれの返り討ちにしておいて」




 結論から言えば、ヒンメルの暗殺はあっけなく失敗した。




 ジャンの天賦の才と、精霊からの寵愛は、小手先の暗殺術など全く寄せ付けなかった。




 ジャンの首筋に突き付けた刃は、彼を守護する炎の精霊により瞬く間に溶け、あらゆる毒は光の精霊によって浄化され、水と大地と風の精霊はあらゆる害意をもってヒンメルを苛む。




 瀕死で床に横たわったヒンメルは、どこかほっとしていた。




 この理不尽な世界から解放されるなら、死も悪くないと。




 しかし、そんなヒンメルを抱きしめ、ジャンはこう言ったのだ。




『死なせないぞ。お前は今日から俺のものだ。俺についてきてもらう。世界の理不尽を覆すその時まで』




 あの時のぬくもりをヒンメルは生涯忘れないだろう。




 自分の半分の年齢にも満たない少年に、ヒンメルは魂を撃ち抜かれた。




 彼は生まれながらの王で、偉大なる英雄であった。




 ヒンメルを縛るあらゆるしがらみを滅した後、ジャンは暗殺の件を公にはせず、ヒンメルを教育係として雇い入れた。




 真綿が水を吸い込むように、ヒンメルの実践的な戦闘術を学んだジャンは更なる高みに登り、今や世界の頂点に君臨している。




 ヒンメルは身の程をわきまえている。




 ジャンに対する敬意はあっても、決して恋心を抱いて良いような相手ではない。




 彼の人生の一部分に関われただけで、ヒンメルは十分に幸福だった。

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