ACT2 遭遇【佐伯 裕也】

 不覚だった。

 あの場所でハンターに出くわすとは。


 すっかり日の落ちた新宿御苑。ライトアップを逃れた灌木の暗がりで、俺は2人相手の食事を愉しんでいた。

ともに小柄の若い女だ。黒髪のショートは……まずまず。化粧を落とせば人並みと言った、よく見かけるタイプ。茶髪のセミロングは群を抜いた上玉・・。胸元の空いた薄紅色うすくれないのミニスーツ。

 夜の商売かと疑う井出達だがしかし、彼女達からは紙や塗料、インク、黒鉛の匂いがする。香水をつけてはいるが、控えめ過ぎて隠しきれていない。事務系、いや図面屋か、作画系か。男の匂いはしない。身持ちの硬い独身女、悪くない。

 くびれた腰を両側から抱き寄せ、まずは黒髪の――その首筋から頂くこと十数秒。俺の背を掴んでいたか細い手がクタリと落ちる。

 随分と早い。ウェイトを気にし過ぎて、食事を十分に取らないからだ。無論、この量で俺は満たされない。では……いよいよ君か。


 行儀よく自分の番を待つダークブラウンの瞳。だがうっとりと俺を見上げる、その眼はひどく虚ろだ。眼力による魅了チャーム――俺の特殊能力は健在。月が満ちれば二桁同時に落ちることも。

 もし弾捌たまさばきの方を磨いていたら幹部にもなれるところだが……そんな野心はない。下っ端が性に合っている。

 こと切れた片方を抱いたまま、その首筋に唇を寄せる。ピクリと撥ねる体。小刻みに震える小振りの胸。吐息と共に漏れる喘ぎ声。

身体というものは正直だ。これから起こる事態を期待し、求めているのだ。抱いてやるのも情けかも知れないが、生憎その気にはなれない。血の欲求は性の欲求に勝る。


 牙を突き立て、その血の甘味を喉に感じたその瞬間だった。何かが光った。少し離れた茂みの一角が2か所。


 ――狙撃!?


 しかし女どもを突き放したその時には撃たれていた。

 断わっておくが、ヴァンパイアの動体視力、移動速度、ともに弾丸の速度を凌駕する。その俺が……弾丸を喰らう? しかも3発? うまかてに夢中になっていた、というのは言い訳だ!


 跳躍し、高い樹木の枝を掴みつつ大車輪の要領で身を返す。垣間、見えたは茂みから姿を現した男の姿。目深に被るキャップ。両手に構える旧式の拳銃ハンドガン

 眼光。井出達。迎え撃つべき相手じゃないと長年の勘が告げている。


 幹を蹴り跳躍。木から、木へと。ひたすらに走る。御園を出、雑踏に紛れ、人気ひとけのない路地裏へと。


 ……追っ手はない。撒いたか、それとも女の保護を優先したか。

なんてザマだ。これほどの窮地はあの時以来だ。400年前、初めて鉄砲という存在を知ったあの時の。

 一体どこぞのどいつが思いつき、試し、実証したのか。種子島と名付けられたあの武骨な器具に、銀の弾丸を仕込み心の臓を撃ち抜けばヴァンパイアを滅ぼせる、など。

 数多くの同胞なかまが殺された。からくも逃げ生き延びたのはあの村では俺1人。

 しかし俺達も進化した。時代と共に性能を増す、あの武器に対抗するため、視覚聴覚その他の身体能力を鍛えて来たのだ。まともに立ち合えば、銃などヴァンパイアの敵ではないはずなのだ。それを、あのハンターは――


 建築物同士の狭い間隙に滑り込み、路地に背を向け息を付く。血が止まらない。傷が一向に癒えない。弾丸が残っているからか。このままでは通行人に勘づかれ、通報されるかも知れない。

 そう危惧した俺の鼻に、ふと匂った血の匂い。それと微かなアルコール臭? 匂いを辿れば、なるほど。ビルの脇に取り付けられた押戸が開き、地下へと続くうす昏い階段が見えている。


 無我夢中で駆け降りた。次第に濃くなる血の匂い。

 もう少しだ。

 早く……早くこのかつえた喉を潤さなければ──




「気づかなくて御免なさい。そこに横になって?」


 我に返ればそこ・・に辿り着いていた。

 白衣を羽織る女が1人、俺に眼を向け立っている。音を立てている洗濯機。テレビから流れる騒がしい人間どもの笑い声。金属製の器具器材、洗剤と、湯と、アルコールの匂い。濃厚で新鮮な血の匂い・・・・

 病院の処置室? この女は看護師か? 医者か?


「どうしたの? 撃たれたんでしょ? 右肩の付け根に1発、右胸に2発」


 女の声が焦れている。艶っぽい、しかし理知的なトーン

 いや待て。彼女はいま……何と?


「見ただけで解るのか?」


 そう問い返さずには居られなかった。触りもせず、遠目にこれを見ただけでこれが銃創・・であることを言い当てたのだ。しかもその正確な位置まで。

 彼女は凄腕の医師だ。少なくともその見立ては神がかっている。


「とーぜん! ていうか、噂を聞いて来たんじゃないの?」

「いや。たまたま血と薬品の匂いを辿ったらここに」

「あは……嘘でしょ?」 


 小首を傾げる女。俺は眼が離せないで居た。女が美しすぎたからだ。素晴らしい……今迄いままでに出会った女の中でも最高ランク。

 V字に開いた白衣の胸元にはくっきりと刻まれた谷間。白衣越しにも解るしなやかな腰つき。ピタリとしたブラックデニムの足の完璧なライン。サラリと流れる艶やかなロングストレートの黒髪。

 完璧だ。涼し気な目元も、気の強そうなすっきりとした眉も、べにを引かずとも鮮やかなその唇も。

 それがこの穴倉でただ一人? 男の患者は黙っていられるのか?


「とにかく座ってくれる? 名前を聞いても?」


 一歩、歩み寄ろうとし硬直する。切り替わったモニター画面に、映り込んだ白スーツの男。その視線を感じたからだ。


「……」

「どうしたの?」


 稲妻のチラつきと共に画面がアウトする。女が気を利かせて消したらしい。


「悪いわね、気がつかなくて」

「佐伯だ」

「え?」

「佐伯……裕也ゆうやだ」


 勝手にこの舌が動いた。犠牲者に教えたことなどないというのに。

 一歩前に出る。さらに一歩。

 女が眉を顰める。音を立てぬこの歩みを不審に思ったのか。思案気にその眼が動き、そして確実に何かを悟った表情かおをした。

 そうだろう。気付かぬものか。一目でこの傷を見抜いた彼女が、俺の正体に気付かない訳がない。

 眼を合わせる。

 それをしっかりと受け止める女の眼。

 かかった。

 かつてこの眼力がんりきから逃れたものは、ただの1人しか存在しない。


 かぐわしい、そのかんばせに手を伸ばす。ピタリと吸い付く滑らかな肌。指を滑らせ上向かせた喉元に浮かぶ静脈の筋。

 強く抱き寄せその自由を奪う。抵抗せず、じっとこちらを見上げる眼。

 だが……違う? そうだ、この眼は違う。強い意思の光を宿している。通常、女は虚ろな目をしたまま従うだけだと言うのに。

 こんな女が居るのか? いや……この感じ……どこかで……


 心臓が悲鳴を上げている。足りない、早くくれ・・と急かしている。牙がギリリと音を立て、たまらずその首を引き寄せ――しかし。


「待って、まずは貴方の治療、よ?」


 かわされた。まるで霞みか霧、するりとこの腕から逃れた女がニッと笑う。

 まさか、そんな筈はない。ただの人間ヒトが、この眼力をかわせる訳がない。


 身体が竦む。

 絶対的な恐怖でだ。あの日の、あの夜のように。


「……まさか君も……人間ヒトではないのか?」

「何言ってるの? いいから早く座りなさい! じゃないと治らないわよ!?」


 震える口と舌で、やっと絞り出した問いは、いともあっさりといなされた。ついでに怖い顔で怒られた。

 だがそれ以上に驚かされたのは、彼女が自分の名を言った時だ。朝香先生あさかせんせいと、確かに彼女は言ったのだ。

 朝香。

 女医。

 闇の……診療医?


「……朝香? まさか君……佐井朝香?」


 ストンと腰が落ちる。硬い診療台がギシリと軋んだ。

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