正体


 翌日、学校から帰宅した私は、すぐにまた家を飛び出した。紗耶さやが家出したらしいのだ。


 お母さんの話によると、伸びた紗耶の髪を整えようとしてうっかり短く切りすぎてしまったらしい。鏡を見た紗耶は泣き出し、自室に引きこもった。謝ろうとお母さんが部屋を訪れると紗耶の姿は既になく、机の上に『お母さんなんて大嫌い、髪が伸びるまで帰らない』といったことが書かれた置き手紙が残されていたという。ランドセルにいろいろ詰めて持っていったようで、お気に入りのぬいぐるみやおやつのお菓子なども消えていた。


 お母さんは暗くなったら帰ってくるだろうと呑気のんきに構えていたけれど、私は居ても立っても居られず、紗耶を探し回った。


 仲良しの友達のお宅、よく遊んでいる近所の公園、思い付く限りの場所を巡る。しかし紗耶はどこにもいなかった。


 小学校へ行ってみようと考えた時、ふと、嫌な予感がした。紗耶はきっと今、ひどく落ち込んでいる。死にたいとすら思っているかもしれない。だとするともしや。


 思うが早いか、私は駆け出した。




 例の通学路は、時が止まったように昔と変わらぬ姿で私を迎えた。あの日と同じ夕暮れ時、またあの日と同じく周囲には人気がない。一つだけ違うのは、突き当たりのT字路に女の子がいたことだ。


 セミロングだった髪はオカッパにまで短くなっていたけれど、間違いない――紗耶だ!


 紗耶は何も見えていないかのような目で、ぼんやりと佇んでいた。


 彼女がいるのは、交差点の車道だ。それに気付くや、私は全速力で走りながら名を呼んだ。



「紗耶!」



 すると紗耶は、我に返ったようにこちらを見た。



「お姉ちゃん!」



 私が車道に飛び出すと同時に、視界の端に大きな影が映った。いつのまにか、車が迫ってきていたのだ。ついに紗耶に手が届いた――と思った瞬間、私の身は弾き飛ばされた。


 どこがどう痛むかもわからない。アスファルトに叩き付けられたようだけれど、立ち上がることもできない。全身を襲う苦痛を堪えながら、私は首だけを動かして紗耶を探した。


 紗耶、紗耶は? 紗耶は無事なの?


 少し離れた場所に、紗耶はいた。正確には、あの通学路にうつ伏せの状態で横たわっていた。二人で車に撥ねられた後、紗耶だけが向こうに飛ばされたらしい。


 スピードも落とさずにぶつかってきた車は、そのまま逃げたようだ。運転手の顔は、確認できなかった。というより、運転席には誰もいなかったように見えた。気が動転していたせいか、それとも。



 再び私達だけが取り残された空間を、あの日と同じように夕焼けが赤く染めていた。



「お……」



 紗耶が、小さく声を漏らす。生きている、紗耶はまだ生きている!


 しかし喜びに湧いた頭は、急速に冷えた。



「げぇえ、じ……」



 それはあの日、私が聞いた声と全く同じ言葉、全く同じ音声。


 言葉にならない呻きの意味を、私はやっと知った。あれは紗耶が私を呼ぶ声だったのだ――『お姉ちゃん』と。


 血塗れでうつ伏せに倒れた、オカッパの紗耶。『かつらぎ』のネームタグが付いた赤いランドセル。その光景は、私があの日見たものと同じだった。



 ああ、そうか。ようやく私は理解した。


 この通学路では、『自分がどうやって死ぬかが見える』んじゃない。『自分が死ぬ時に最期に見る光景を見せる』んだ。



彩花あやか、行こう』

『彩花ちゃん、おいでよ』



 美紀みき麻里奈まりなの声が聞こえる。小学生の頃と同じ、無邪気で屈託のない声で、私を呼んでいる。


 自らに迫る死と共に、私は噂の本当の正体を悟った。だからこちらを向こうとする紗耶に、出ない声の代わりに心の中で必死に訴えた。



 ダメよ、紗耶。顔を上げてはいけない。振り向いてはいけない。


 お姉ちゃんは、もう死ぬ。あの噂に、死人はカウントされないらしい。だから私が死んだら、あなたも『誰もいない通学路で振り向いて自分の死の間際の光景を見る』ことになる。



 この通学路の噂は、それだけじゃないの。


『見た光景を現実にするために噂を試した者に死を呼ぶ』――ううん、『噂を試した者を見た光景通りに殺す』の。だから絶対に振り向いてはダメ!



 どうかあなたは、あなただけは、この呪いのような噂から逃れて。



 誰より愛しい妹の顔を、最期に見たい。その思いを振り切り、私は目を閉じた。そして、紗耶が振り向かないことを強く願う間もなく――――私の意識は、完全に暗黒に閉ざされた。

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赤い少女 節トキ @10ki-33o

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