第八章 ルール無用

第八章 ルール無用




 最終的に性指導を受け入れたのは六名中二名だった。


 性指導という直接的な表現は使わなかったし、こうした女装が社会的にまだ深く理解がされていないこと、性転換をしたいという意見に対しては否定的な返答をしたこと。

 たくさんの面談を重ねたうえで、六名中四名が。


「さようなら、すごく楽しかったです」


 というような別れの言葉を述べて、京浜東北線に乗っていった。

 彼らに話した趣旨を直接的に表現をするならば『女装する学生が好きな人たちがいる。その人たちからお金がもらえるかもしれない』というようなことだ。

 これまでメイク指導の延長だった事柄が、急に強烈な悪臭を漂いだしたことは間違いがない。そうして去っていった四名の判断は正解だし、残ってくれた二名については「ありがとう」と言わざるを得ない。

 健次郎をふたりに紹介したのは、それからのことだ。

 久しぶりに健次郎をコーディネートしたのだが、彼は第一線を引退してから風貌が大きく変わってしまったように思われた。世間一般的には、そこまで体系のラインが崩れているとは言えないが、俺は『もう健次郎は女性になり切れない身体になっている』というものだった。

 それは学生たちを相手にしているため、上質な素体に目が肥えてしまったのかもしれない。けれども、健次郎の肉体は俺が思い描いているような『変貌』は遂げられなかった。

 それでも学生たちは健次郎を見るなり、目を瞠目させて「うわぁ……」「すげえ……」と感嘆の息を漏らしていた。遠巻きに健次郎を見ていると、確かに彼は『彼女』であったし、街でだれもが振り返るような美貌の片鱗を残している。

 悲しいことに健次郎は『片鱗を残している』のである。

 目の前で健次郎に瞠目している二人は、健次郎を超える可能性を秘めている。健次郎が獲得することのできなかった魅力を内包しているように思われた。

 健次郎を超える娘に仕立て上げなくてはいけない。


 そう思うと身体の芯が震えた。


 ふたりの未成年は性的な指導にも、あまり否定的な心情を抱いていないようだった。

 どちらかといえば、純粋に楽しんでいる様子さえ見受けられた。

 しばらくは泊まり込みの指導になる、と竜胆から連絡を受けたとき。


「彼らの実家への連絡はどうするのですか」


 そう俺は答えていた。


「学校もあるだろうし、親御さんが心配するのはあまり得策ではないと思います。ちゃんと規定の時間には彼らを帰したほうがいい」


 そう答えた俺に、電話口の竜胆は「構わない」と短く答えてから。


「学校も行かせるな。そのまま、指導を続けろ。来月には最初の客を取らせる。失敗できない客だ」

「ら、来月って……」


 絶句だった。


 それほどまでに短期間で彼らをプロの男娼に仕立て上げなくてはいけないのだ。

 しかも、実家や学校という制約を無視して、監禁に近い環境下でそれを実行する。

 かつて竜胆が言っていたルールのことを思い出した。


 これまではルールがあった。


 けれども、未成年を使った男娼商売に足を踏み入れた瞬間に、多くのルールが消え去ってしまった。たぶん、来月の客を失敗すれば、大きな代償を払うことになるのだろう。


 絶対に失敗できない。


 俺も健次郎も、そうした阿吽の呼吸のなかでふたりの未成年を仕立てていった。

 彼らは若く、肌のハリやツヤも目を見張るようなものがあった。

 触れると吸い付くような肌の質感は、加齢を重ねた人間にはどうしようもない問題だった。我々では決して手に入れることのない要素を彼らは持っている。

 それがうらやましくもあり、心強くもあった。


 一か月という時間はあっという間に過ぎた。


 その間に二人は幾度か学校へ行き、クラスのみんなに「転校すること」を伝えてきた。

 竜胆はご両親と面談し、かくかくしかじかであって、と訳を話したらしい。

 実子との別れは到底受け入れられるものではないと内心では予想していたのに、双方の少年の親は自分の子どもが男娼として働くことに同意した。

 どういう魔法が実行されたのか、俺にはわからない。

 ただ竜胆は電話口で言ったのだ。「親の許可はとれた」と。

 その報告を聞き、俺は怖くなった。

 健次郎は「とんでもない金が動いているのかもしれませんね」とつぶやいたのだ。

 彼の言葉を裏打ちするように、活動資金として週次百万円が振り込まれるようになった。領収書はいらない、自由な金として使えと竜胆は言った。さらに金額が大きなもの(不動産や車両、海外への出張費など)は必要に応じて言ってくれ、と。

 そんなものが必要になるとは到底思えなかったが、それだけの潤沢な資金がどこかから噴出しているのだ。

 未成年を確保して男娼に仕立てると、週に百万円を使えるほどの資金源が湧き出すのだ。

 つながりを持たない事実を頭に思い浮かべるだけで、なんとも底冷えのする恐怖のようなものが足から背に伝ってくるのがわかる。


 俺たちはいったい、どんな世界に足を踏み入れてしまったのだろうか、と。

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