レインシャワー

18.レインシャワー <前編>

部屋の窓から見える景色に、変化が訪れたのは久しぶりだ。

窓の下に落ちていく雨粒を見止めた時、私は思わず声を上げて慧を呼び寄せていた。


「慧!雨だよ雨!」


声にハリが戻る。

変わり映えしない白い霧に包み込まれた光景を映し出していた窓に現れた変化。

ただ、雨が降って来ただけなのに、私の声に活気が戻っていた。


「霧は?」

「ちょっと薄くなったかも」


私の言葉を受けて、慧は部屋の隅からドタドタと小走りで駆け寄って来て窓の外に目を向ける。

久しぶりに慧の驚いた顔が見えた。


「外にでも出てみる?」

「ああ、その辺をブラつく程度…傘はあったっけ?」

「何本か置かれてるはず」

「乗った」


短い間に、私達の次の行動が決まる。

ただ、家の外に出るだけだというのに、妙に私達の気分は明るくなっていた。


「じゃ、ちょっと準備しましょうよ。誰にも会わないけれど…」


雨が降っただけでこの反応。

自分でも、おかしくなったんじゃないかと思えてしまうが、実際その通りなのだろう。


この霧の中に居る限り、私達は時折やってくる"仇"を殺すことしかできない。

ただただ、やって来た者を殺して返すだけ…それを延々と繰り返すだけ。

それだけが今の私達の存在意義…私達は、何度手を汚しても終わる気配のない霧の世界に、少しずつ精神面を削り取られて行っているような感覚に陥っていた。


この霧の中に入る直前の世界…その"世界"が今までと大きく様変わりした。

私達にとっては"今回の"と呼べる現実世界では、私も慧も表面に己を出せない世界だ。

知覚されない場所…私達でも説明できない、彩希と慧の内面の何処かに潜むしかない世界。


「こんなはずじゃなかった」


そう言い現わすのが正解なんだろう。

私は身なりを整えながらポツリと呟く。


慧は別の部屋に居るから、この独り言に反応する者は何処にもいない。


ただ、内面に潜んで…目についた"前の回"の仇を見つけ出しては、その内面に引きづり込んで殺すことでしか自分を生かせなかった。

そんなことを"無意識的に"始めて"意識的に"やるようになってしまったが故の今…それが、私と慧が長々と思考した結論。

ただただ、私達の時間を絶ってきた"彼ら"に復讐することに慣れ切ってしまった、そうするしかしなかったが故の今。

だからこその"こんなはずじゃなかった"という独り言。


私は、ふと目の前の鏡に映る自分の姿を凝視した。

ボサボサ髪が、少し整えられた自分の姿。

"内面に籠る"しかなかった世界では見られなかった、自分の記憶にある姿。


この見た目で、この顔で、違和感は無いはずなのに…自分の姿だって理解できているはずなのに…

何処かで"こんなの自分じゃない!"と言いたくなる気持ちが見え隠れしていた。


鏡の向こうの自分へ、表情を変えて見せてから立ち去る。

笑みを浮かべたはずなのに…去り際に見えたその顔は…


「彩希、終わったか?」


丁度、洗面所を出た所で慧が待っていた。

私は驚いてビクッとした反応を見せると、彼は苦笑いを浮かべて私の肩に手を載せる。


「何時から待ってたの?」


恐る恐る尋ねてみる。

さっきの弱音が彼に聞こえていた所で…今更どうとも感じないが、それでも気恥ずかしさの一つや二つくらいはあるものだ。


「俺も丁度終わったところだよ。待ち構えてなんかないさ」


彼は特に気にする素振りも見せずに答えた。

表には出さないが、私は内心で胸を撫でおろす。


「出よっか」


そう言うと、私は彼の手を引いて階段を降り始める。

少し薄れた霧の世界。

変わったのは、先程から微かに感じる雨粒の音。

1階に降りた私達は、玄関で靴を履いて…傘立てからビニール傘を取って外に出た。


「傘、あったんだな」

「ビニ傘だけどね」


外に出て、傘をさす。

久しぶりに見る"遠くまで見える世界"の景色に、傘に伝わる雨粒の感触…じめッとした雨特有の空気…

何もかもにマンネリ感を感じていた私達には、それが新鮮だった。


「何処行こうか?」

「任せた」

「こういう時のエスコートは慧の役目でしょ」

「思いつかねぇな」

「もう…慧の家にでも寄ろうか?」

「…近すぎるぜ」

「なら、どのあたりまでが良いのさ?」

「……そうだな」


中身の無い会話をしながら、適当な方角に足を進める私達。

自然と、昔の通学路の方へと向かおうとしていたのは、体に染みついた癖なのだろう。


「丁度いい距離って言や、途中に公園があったよな」


慧が思い出したように言う。

私は、彼が言う"公園"の情景を思い浮かべてハッとした。


「ああ、あったね。そう言えば」

「ちょっと遠回り気味になるが」

「学校に行こうとしてたの?」

「このまま適当に歩いてりゃ中学校だろうに」

「まぁ…じゃ、目的地はそこにする?」

「異論は?」

「無い」

「じゃ、そこで」


僅か数十秒の間で目的地が決まる。

私達は曲がり角を余分に幾つか曲がり、目的地の方へと体を向けた。

会話は自然と無くなり、周囲を物珍しそうに見回しながら、雨の中を歩いていく。

薄っすらと靄がかかっている程度の、久しぶりの"マトモな町"。


目指すは噴水がある公園。

そこには長い滑り台が置かれた小さな丘もあり、慧や周囲の友人とよく遊んだ場所だった。

公園、公園と言っていて…何公園だったか、名前が出てこないのが不思議なのだが……


「ねぇ」


私は、横を歩く慧に話しかける。


「公園の名前、何だっけ?」


そう尋ねてみると、慧は呆れたような小さな笑みを浮かべた後で、表情を消した。

口を半開きにして、何かを言い出す一歩手前で止まっている。


「思い出せねぇや。何だっけ」


数秒待った後で返って来た答えは、私と同じ答えだった。


「思い出せないの?」

「彩希も?」

「ええ」

「……長々と家に籠り過ぎて呆けたかな」


慧は冗談っぽい口調でそう言うと、目の前に見えてきた公園を指す。


「ま、行けば分かるだろ」


そう言った彼の顔に、ほんの少しだけ浮かぶ焦りのような表情。

恐らく、私も彼と似たような表情を浮かべているのだろう。

少しだけ早歩きになった私達は、堂々と車道のド真ん中を歩いて公園に近づいていった。


車道から歩道に、歩道から公園に…

区画1つ分を贅沢に使った、広い公園へと足を踏み入れる。

周囲に植えられた木々…その間に出来た道を抜けていくと、広々とした空間が目の前に広がった。

噴水広場が目の前に広がり、その周辺に一面の芝面が見える。


「霧じゃこの光景も真っ白だったんだろうな」

「噴水すらも見えないでしょうね」


私達は、この世界の中でも変わらずに稼働している噴水の方へと歩み寄る。

今いる場所から左奥の方には、長い滑り台を持つ丘が見えた。


「確か、この噴水広場のどっかに名前が…」

「あー、確か隅の方だったような」


私達は一先ず、思い出せそうで思い出せない公園の名前を探し求めて歩き回る。

公園の構造は記憶と変わりなく、ちゃんと思い出せているのだが…名前など気にしたことが無かったから、その部分の記憶は靄の奥にあるかのように思い出せないでいた。


「あれ、違う」

「じゃ、向こうかな」


雨の公園を歩き回る。


「無い」

「なら……ああ、あったあったアレだ」


幾つかのポイントを歩き回るうちに、ようやく目的のモノを見つけた。


「こんなところにあったのかよ」

「普通、入り口付近だよね」

「ああ。"日差し公園"……だってよ」

「うーん…なんかパッとしない」


公園の隅で見つけたそれを見ながら、言葉を交わす私達。

いつの間にか、雨は小雨になっていて、殆ど傘を使わなくても気にならない程度になっていた。


「別の名前だったような気がするんだけどなぁ……」


慧が一言、そう言った直後。


「ぁぐ…」


小さな悲鳴を上げて傘を落とした。

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