17.バッドラック <後編>

霧の中。

霧の中から出られなくなって幾星霜…そこまでは経って無いのだろうけれど。

初めてやって来た、何処かの町の海辺。

久しぶりに眺められた海の景色、そこから歩いてやって来た、浜辺近くの駐車場にて、潮風を強く感じ始めた頃。


私達は嘲るような笑みを浮かべて、やって来た車の持ち主を出迎えた。


霧の中に浮かんできたシルエット。

角張った2ドアの古いスポーツカーのシルエット。

昔、再放送でやってるのを見た記憶がある…赤と黒のツートンカラーが独特な車。

忘れもしない、私達の血が滲んだはずのナンバープレート「汐月55 へ 38-54」…。


「レパートリーが豊富過ぎて思い出せなかったけど、こう見てみると鮮明に思い浮かぶものね」


私達の前に止まった車を見て、私は独り言のように言った。

霧の中に見えた人影を求めてこちらに来て、車を止めた…その車の持ち主は、私達の姿を見て目を剥いている。


「記憶の結びつきって凄いよな」


慧がそう言って私の横にやってくる。

鉄仮面のような顔を持つ車の前方、浴衣と甚平姿の2人組が見据えるのは、運転席で言葉を失っている男。

私達の手には、少し前まで無かった得物が握られていた。


「早いところ片付けようか」


私の一言で、私達は足を一歩踏み出す。

重低音のエンジン音が消えてから直ぐだった。

素早く車の横に回り込んだ私達は、中に収まっている男を引きづりだそうと動き出す。


私がドアノブに手をかけて、ロックの掛かっていないドアを開ける。

慧はドアと共に避けた私の横をスッと通り抜けて、男の胸元にナイフを突き立てると、流れるような所作でシートベルトを外して男を車外に引きづりだした。


「復讐は霧の中に限るよなぁ!」


悲鳴を上げる男の言葉を右から左に聞き流し、慧は車の横に倒れ込んだ男を数発殴りつける。


「墓から這い上がって来たんだぜ?」


妙にテンションが吹っ切れた慧が、彼よりも一回り大きな男の首根っこを掴み上げては地面に叩き付けた。

何度も何度も、車の赤よりも赤黒い赤を飛び散らせてきた私達。

目の前の男に、幾度となく"リセット"を余儀なくされた私達だったのだが、覚悟を決めて…決まり事すらも無視して、論理すら、倫理すらをも取っ払ってしまえば、男は随分と弱々しく見えた。


「霧の中に迷い込んで怖いとでも思ったか?」


慧の怒号が霧の世界に響き渡る。

彼が拳を振り下ろすたびに、彼が男を地面に叩き付ける度に、徐々に男の顔の輪郭が崩れた。


「俺等を見つけてどう思った?え?」


恐らく、回数的には彼の方が男に恨みを募らせていたのだろう。

男が車に乗って現れて、その姿を鮮明に映し出せるようになってから、彼の表情は一気に人を失っていた。


「オッサンよぉ」


ひとしきり痛めつけた後。

男が最早喋れなくなった後。

慧は血に染まった拳を一旦下ろして男に声をかける。


「最初の事はよく覚えてる。鉄仮面の鼻っ面に彩希の血を付けたまま逃げたよな」


焦点の定まらぬ目を睨みつけて、慧が言葉を投げかける。

私は何もせずに、嘲る笑みを男に向けたままだった。


「ナンバーもスッカリ覚えて、しょっ引くだけだと思ったんだがな。まさか刑事だとは思わなかった」


彼はそう言うと、血にまみれた男が乗って来た車の中を探し始める。

直ぐにお目当てのモノが見つかったようで、彼はそれを私に寄越してきた。


「知ってたよな」

「ええ。証拠は見たことが無かったけど」

「俺も警察手帳を見たのは"その回"じゃないんだがな。何時だったか、俺が見てない場で轢かれた時さ」


慧はそう言うと、倒れ込んだ男の顔を乱雑に踏みつける。

先程から反応が鈍くなっていた男は、一際大きな悲鳴を上げた。

よく見れば、彼が踏みつけたのは男の急所部分だ。

私は嘲る笑みを、少しひそめて苦笑いの成分を含める。


「何も知らねぇコイツは、スッカリ綺麗に"血を拭った"これで俺の家までやって来たんだぜ。轢き逃げの犯人が見つかりませんって」

「傑作ね。その回は、そこからどうなったの?」

「俺が冗談めかしに"刑事さんが轢いたんじゃないすか?"って突いた」

「……証拠は?」

「俺、この間轢かれた事あるんすよねって。それは冗談だったけど、聞こえたエンジン音がその車と同じだって言ったんだ」


慧はそう言うと、視線を私の方から男の方へ落とす。


「証拠不十分だが、立場を危うくするには十分だったんだろう。それに、彩希が死んだ直後にこの車が修理に入ったって情報も掴んでた。どう始末したかは知らねぇが、修理した場所も何もかもは伏せられたがな」


慧は男を見下したまま告げる。


「気づけなかったのは、コイツがお偉いさんの傀儡だったってだけさ。絵に描いたような越後谷だぜ。それに歯向かった俺がどうなったかは想像に任せるが…」


私は発言を途中で切った彼の横顔を、何も言わずに見つめ続ける。

慧は、薄笑いの混じった、狂気的な笑みをこちらに向けた。


「何時だったか、同じ目に遭わせてから殺すってことやってたよな」


慧はそう言って、男に刺さったナイフを抜き取って、間髪入れずに左胸元付近に深々と突き刺す。

嫌な音と、男の悲鳴がセットになって耳に突き刺さった。


「逆の立場になって、おあいこだもの。まだ、私達の方が損してる」


私はほんの少し顔を顰めながら答える。

慧がそう言ってやって示した行動は、きっと彼がやられた事なのだろう。

私がやられたことを再現するのであれば、横に止まっている車を動かす以外にないが…

オートマでもなさそうな車を動かすのは、私には出来なかった。


「なら、もう少し付き合ってもらおうか七光りさんよ」


私の答えを聞いた慧は、男の首元を掴みあげて、顔を近づけて男にそう吐き捨てると、駐車場の奥の方…

隅の方へと男を引きずっていく。

私は彼を止めることも無く、淡々と男の死にゆく様を見届けようと付いて行った。


どうせ、男がここで死のうとも…

彼は再び暖かい布団の中で目が覚めるのだ。


物心つくまで気づかない私達とは大違い。

何度も繰り返さねば気づけぬ私達とは大違い。


この霧の中の出来事は、きっと嫌な夢で終わる。

起きて少し経てば、自然と頭の片隅に追いやられて、やがて忘れられる。

私達は記憶を延々と繋げられるけれど、呼び出した彼らがそうとは限らない。


私達を惨たらしく殺して、気味の悪い笑みを浮かべたとしても…

私達を追い詰めて、下らぬ勝者の快感に浸ったのだとしても…

1つ廻ればただの他人。

接点は何処にもありはしない、すれ違う事すらも意識しない他人になってしまう。


だから…


「何処までやれば、向こうでも覚えててくれるかな?」


私はそう言って、男の肩口に尖った木の枝を突き刺す。

駐車場の隅までやってきて、慧が男に止めを刺す前に、私は彼に一手を打っておきたかった。


「不公平だと思うのよ」


私はぐりぐりと木の枝を動かしながら男に話しかける。

胸元を突き刺され、血が流れ、息も浅い男に、私は目線を合わせて顔を覗き込んだ。


「叫びたくなるくらい、逃げ出したくなるくらいに知った顔が多いのに。貴方達は私達を知らないの」


目を見開いて言った言葉が、男に伝わったか、自信は無い。

ただ、ピクリと動いた眉が、理解してくれたという事の意思表示だと捉えて私は話し続けた。


「ねぇ。夢から醒めても、私達を覚えていてくれないかしら?」


目を見開いて。

口元は嘲るように緩んで。

男に告げた一言。


「何人も何人も何人も、霧の中に呼び出して、殺して、それでも結局は一夜の夢で終わるだなんて、あんまりだと思わない?」


そう言うと同時に、枝を深く突き刺していく。

男の悲鳴は最早聞こえてこない。

感じるのは肉を断ち切る感覚。

赤とも呼べない色の血が、右手を染めて行った。


「まだ、起こさねぇぞ」


意識を失いかけた男。

それを慧が殴り飛ばして強制的に蘇生させる。

間違いなく死んでいるはずの血の量を流しているにもかかわらず、男はその一発でこちらの世界に、霧の中の世界に戻って来た。


「驚いた。まだ生きたい欲はあるんだな」


慧はそう言って、男の背中を掴みあげて地面に投げ捨てる。

無様に転がった男…木の枝やらナイフが深く突き刺さったかのように見えたが、数秒前よりは随分と活き活きしているように見えた。


ちゃんと息をしている。

悲鳴をあげている。

絶望の表情をこちらに晒している。

私達は顔を見合わせると、ニヤリと笑って男の方へと振り向いた。


「もしかしたら、今までもこうできたのかもな」

「だとしたら、随分と損した気分」

「今からでも遅くないんじゃないか?」

「そうだといいけど」

「プラス思考で行こうぜ。数がこなせなけりゃ、1度を濃密にしてやれ」


慧はそう言って男の腹部に足を振り下ろす。

柔らかい体。

頭上まで振り上げた脚、踵が一気に男の鳩尾に突き刺さった。


「濃密にしてやりたかった奴は…振り返ってみればゴマンと居るわな」

「どうせ"忘れられる"のだし、彼にぶつければ良いのよ」


私は鳩尾を抑えてピクピクと震える男を突きながら言う。


「ねぇ?轢き逃げ犯さん。刑事さん。…起きてもうだつが上がらない暮らしみたいじゃない」

「そうなのか?」

「何となく、出まかせ。この顔と体型と性格で、とてもイイ人がいる様には見えなくて」

「酷い偏見だな。同意できてしまうが」


倒れ込んで、声を震わせながら何かを喚く男の上に私達。

全く男のいう事を聞くことは無く、淡々と言葉を交わしていた。


「でも、慧。ただ痛めつけるだけってのも飽きてくるよね。実際、刺して殺すだけなら直ぐなんだし」

「確かに」

「どうしようか?」

「ちょっと考えさせてくれ」


足元に温い血を感じながら、男をどうしてくれようか…と頭を巡らせる。

だが、それは長く続かなかった。


「……い」


呻き声、潮風に乗って聞こえてきた第3者の声。

それは、私が発する声によく似ていた。


「次だな」

「ええ。そうみたい」


その声を聞いた私達の反応は素早い。


「時間切れか」


慧が男の首元を踏みつけて止めを刺すと、私は彼の手を引いて声がした方とは逆の方へと駆けだした。

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