閻魔の酒 誰じゃ、わしの酒を飲んだのは

妻高 あきひと

第1話 閻魔(えんま)の酒 誰じゃ、わしの酒を飲んだのは

 人が死に、亡者となって闇の中を歩くと、やがて閻魔庁にたどり着く。

ここには十人の王がおり、その中心となるのが閻魔大王だ。

閻魔は亡者の生前の行いを審理し、仏界へいかせるか、地獄へ落とすかを決める。


閻魔は四つ目で赤と黒の混じった毛を持つ犬を従えている。

閻魔は犬を”鬼兵 ”と呼んでいる。

他にも数え切れぬほどの鬼や赤鬼、青鬼、黒鬼、獣鬼などが閻魔に仕えている。


 その閻魔の楽しみの一つが人間の暦で毎年七月の一日、つまり朔日(さくじつ)と言われる公休日の夜に一人で静かに飲む夜酒だ。

当日は地獄に落ちた亡者を苛(さいな)む、あらゆる地獄が休みになる。

今日はその一日で、夜が始まったばかりだ。

天上を見上げる大きな穴の向こう端に三日月が顔を出している。


 地獄には朝から静寂が漂っている。

地獄で責められる罪深き人間の亡者たちは口を開けても声は出ず、聞こえてこない。

鬼たちもみな休んでいる。


 すると突然、閻魔の館から大声が響き渡った。

何があったのか、閻魔が怒っている。

鬼兵も一緒に吠えている。

閻魔は、いつもそばに仕えている婆鬼、爺鬼、獣鬼の三匹の鬼を呼んだ。


閻魔は鬼兵をそばに座らせ、目の前に三匹を並べ立てて言った。

「夜に飲むつもりで手に入れておった酒を誰かが飲んでおる。

物置の奥の棚に誰にも分からぬよう一升瓶を木箱に入れて隠しておった。

まだ封も切ってはおらぬかったのに、今見れば封が切られて半分しか残っておらぬ。


なんの楽しみも無い地獄で一年に一度の七月の朔日の夜酒がわしの楽しみじゃったのは、お前たちも承知であったろう。なのに、ああそれなのに、半分しか残っておらん。誰かが飲んだのじゃ。それもお前たち三匹のうちの誰かじゃ。

許さん、許さんぞ、絶対に許さんからの」


それでなくとも日頃からよく怒る閻魔だ。

ましてや一年に一度だけの酒一升が半分無くなっていては怒るのも無理はない。


「物置に酒を隠したのは今日の昼、誰も近づけぬように部屋の扉の前で鬼兵に見張をさせておった。わしが所用から帰ってきた夕刻まであの物置に入ったのはお前たち三匹だけじゃと鬼兵が言うておる。

酒を置いた昼過ぎに婆が、そのすぐ後に爺が、最後に獣が入ったと鬼兵は言うておる。三匹ともそれに間違いはないな」


それでなくとも怖い顔をした閻魔だ。

まさに地獄の主の顔とはこの顔か、というほどの恐ろしき顔で三匹の鬼をにらんでいるが、三匹は震えてるだけで何も言わない。


「わしがこうして大人しく言っているうちに飲んだ者は正直に言え。

言わねば徹底的に調べ、酒を飲んだ者には厳しき罰を与え、人間の極悪人とともに永遠に責め苦を負わせるぞ。

正直に言えば罪一等を減じてやる。


誰じゃ飲んだのは。飲んだ者は手を上げろ。早くしろ、正直になれ。

遅くなれば遅くなるほど罰は大きく厳しくなるぞ。

はよう手を上げろ。上げろ、上げんか、貴様らのうち誰がわしの酒を飲んだのか、

わしを本気で怒らせる気か」


鬼兵は扉の外にいて、入った者は知っているが、飲んだ者は見ていないはずなので、

三匹はシラを切っていれば助かると思っているようだ。

「癪に障るのぉ、貴様たちは」

閻魔は段々と声が恐ろしくなる。


「あの酒は強くて半分も飲めば大抵の者は腰が抜け、歩けのうなる。

お前らちょっと歩いてみよ」

三匹はわずかにふらついているが腰は抜けずなんとか歩いている。


閻魔は、こいつらそれほど酒が強いのか、と思いながら言った。

「どうでも飲んだと言わぬ気か。ならば言うが、飲んだ者は分かっておろうが、あの酒は独特の強い臭いがする。

それは飲むときも分かる。お前たち口を開けてみよ。これが最後じゃ、今のうちに白状すれば責め苦もせずに下働きに落とすだけで許してやる。誰なのか手を上げい」

三匹は黙っている。


「もう我慢ならん、覚悟せよ。わしが匂うから一匹づつ口を開けて息を吐きだせ。

まずは婆からじゃ、口を開けい」


婆が口を開けて息を吐きだした。

「臭いの、貴様か、やはり飲んでおるの、飲んだであろう」

婆は震えながら言った。

「も、申し訳ござりませぬ、お許しください、あまりにうまそうな酒ゆえつい口に。しかしながら婆が飲んだのは盃一杯だけにございます。ましてや半分などとは決して飲んではおりませぬ」


閻魔も言われてみれば確かに臭いはするが、半分も飲めばまともには歩けず臭いもこれくらいではすまぬと分かっている。

「ああ、飲んだことは認めるか、まあよいわ、でも責めは負わすからの、覚悟しておれ。では半分飲んだのは爺か、お前口を開けてみい」


爺は口を開いて息を吐き、開き直ったように言った。

「わたしも確かに飲みはいたしましたが、盃に二杯しか飲んではおりませぬ。臭ってくだされ、ほれ」

爺は口を開けて息を閻魔の顔に向けて吐き出した。


「ああそうじゃの、臭うの、婆と同じじゃな。

それにしてもお前の口は臭いのぉ、ホンマに臭い。

爺も婆もお前たち二人の口臭はホンマに臭い。

二人でよく話しをしておるが、互いに分からんのか。


お前たちは前から臭かったが酒の臭いと混じってより臭くなっておるわ。

いや~たまらん。

じゃが爺も半分飲んでおらんことは分かったが、飲んだことは確かじゃな。

爺にも婆と同じ責めを負わせる。覚悟しておけ。

ならば半分近く飲んだのは貴様、獣鬼か」


獣鬼が言う。

「わ、わたしも盃二杯しか飲んではおりませぬ。ほれ、閻魔様このように」

と言いながら口を開けて息を吐きだした。


「ううん、確かに臭いが、酒はさほど臭わぬな。

それにしても相も変わらず貴様の口も異様な臭いがするのぉ、酒の臭いのみかゴミのような臭いまでするぞ。


三匹とも、たまには口を洗って牙もみがけ。

しかしじゃが、となると半分近くも飲んだのは誰じゃ。

本当の酒泥棒は誰じゃ」


確かに三匹は飲んでいるが、半分になるほどがぶ飲みしたのは誰か。

閻魔は地獄の主なのだが、分からない。

地獄に落ちてきた亡者の行いを映し出して罰を与えることに使う鏡もあるが、あれは閻魔に仕える者には効き目が無い。


「本当の悪は誰か、これでは示しがつかぬ。

まいずれにせよお前ら三匹には罰を与えるが、飲んだものもわずかじゃし、獄に十日つなぐだけで許してやる」

そばに控えていた赤鬼と青鬼に命じた。


「お前たち、三匹を鬼の獄に連れていき、十日ほどつないでこい」

赤鬼と青鬼は

「は、ただちに連れていきます」

と応え、三匹を鎖でつないで獄の入り口の穴に入っていこうとすると閻魔が呼び止めた。


「赤と青よ、ちょっと待て、足がもとらんではないか」

赤鬼と青鬼がびっくりしたように顔を見合わせた。

「こっちへこい。お前ら口を開けて息を吐いてみい」


赤と青は観念したようにそろって息を吐いた。

臭った、かなりの臭いだ。

「貴様らか、大酒を飲んだのは」


赤鬼が言い訳をした。

「も、申し訳ありませぬ。ついつい飲んでしまいまして。ただ半分も飲んではおりませぬ。青鬼と一緒に小さなぐい飲み一つだけにございます。

一升の半分などと大層には飲んではおりませぬ。お許しくだされませ」


クソッ、と言いながら閻魔は

「お前たちも婆どもと同罪じゃ、獄へ十日ほどつないでやるわ」

と言い、他の赤鬼と青鬼数匹を呼んで五匹の鬼を獄に連れていかせた。


だが閻魔はどうも腑に落ちない。

(う~ん、しかしもっと飲んでいるやつが他におるな。そやつが一番の悪じゃな、ええい腹がたつ。一体誰が飲んだのか、閻魔が酒飲み一つ分からぬでは鬼どもに示しがつかぬわい)


 そこへ見回り役の邏卒の鬼がやってきた。

「閻魔様、そろそろ本日最後のお見回りの時刻にございます」

閻魔は休みの日も何度か地獄を見て回ることになっている。

「おお、そうじゃった、余計なことがあって忘れておった。すぐ行こう」


閻魔は椅子から立ち上がると鬼兵に声をかけた。

「鬼兵、ともをせい」

「かしこまりました」

と鬼兵が答えた。


閻魔はうん、と返事しながら首を傾げて鬼兵を見た。

返事した鬼兵の言葉がおかしい。

「お前、もう一度”かしこまりました”と言うてみい」

鬼兵は思いっきり息を吸うと

「か、かしこまり ました」

と言った。


「ちょっとな、四五歩、歩いてみよ」

鬼兵は一瞬たじろいだが、ふらっと立つと三歩ほど歩いた。

ふらっふらっとしていて腰が定まらない。

鬼兵は上目づかいで閻魔の顔をチラッと下から見た。


鬼兵の目が赤いのが閻魔には分かった。

閻魔はしゃがんで鬼兵のあごを持って顔を見た。

四ツ目のうち二目が赤くて様子がおかしい。

「どうした鬼兵よ、目の病か、具合でも悪いか」

鬼兵は首を横に振ったが、口を思いっきり閉めているようだ。


(おかしいな、こいつ、ひょっとしたら)

閻魔が閻魔庁をゆうゆうと出て行く。

鬼兵が従う。

歩きながら閻魔は鬼兵を見下ろした。

ふらふらしながらついてくる。


「おい鬼兵、そこへ止まれ」

閻魔がもう一度しゃがんで鬼兵のあごを持って顔を見ると鬼兵の四ツ目がみな潤んでいる。

閻魔も潤む四ツ目を見るのは初めてだ。

「なんだか怖いの、目が四つも潤んでおると」


鬼兵は焦点も定まらない様子だ。

四つの目がそれぞれ違う方向を見ながらぐるぐる回っている。

「見てたらオレのほうが目が回りそうじゃ」


(さては、こいつか)

「お前、ちょっと息してみい」

鬼兵は口を閉めたまま開けない。

「お前よぉ」


と言いながら閻魔が鬼兵の口を無理やり開けようとすると、鬼兵は必死で抵抗している。

「口を開けんか、開けろ鬼兵」

横の邏卒の鬼に手伝わせて強引に鬼兵の口をこじ開けた。


「うわ、臭い!」

強烈な酒の臭いだ。

「お前も飲んだのか、そ、それもお前が一番酒の臭いが強いではないか」

鬼兵は返事もせずに、目先をごまかすようにバタッと横に倒れた。

倒れ方がわざとらしい。

「なんじゃこやつ、わざとらしい倒れ方しょって」


あげくに鬼兵は倒れるやいびきをかき始めた。

口からはよだれを垂らしている。

グフグフと何やら唸りながら、ごろんと横になり大の字になって大いびきをかいている。


「こいつじゃったか、酒を一番飲んだのは。おのれわしに無断で酒を、それも半分になるほど飲みよって。婆たちを問い詰めておったときも知らぬ顔をしておって、起きんか、おい。大の字になって犬が狸寝入りか。オイ起きろ。

それでも犬か」


邏卒の鬼が言う。

「閻魔様、鬼兵は倒れてそのままホントに寝たのでございましょう。しばらく起きませぬよ、これは。相当飲んでおりまするな。獄へ連れていきましょうか」


閻魔は言った。

「そう言う貴様も臭うではないか」

邏卒は”しまった”というような顔をして、下を向いた。

「貴様も飲んでおるのか、どいつもこいつもみんなで飲みよって、わしの酒じゃぞ」


閻魔は雷も勝てぬほどの大きな声で怒鳴った。

「今日の見回りはやめじゃ。帰る。鬼兵はそこへ転がしておけ」

閻魔の怒りが地獄に響き渡る。

「どうしたものか、こやつら、ええいくそ、腹の立つ」


閻魔が閻魔庁の玄関に戻るとまだ酒が臭う。

「臭いのぉ、しかしなんでここまで臭うんじゃ」

閻魔は何かを感じたのか、酒が置いてある物置に走っていった。

物置の扉をバッと開けた閻魔はおどろいた。


閻魔を守る邏卒の鬼や黒鬼、黄鬼や白鬼たちが六七匹、みなで酒瓶を傾け、皿についでは酒をなめていた。


みな閻魔に気づいた。

みなが固まった。

閻魔も固まった。

地獄も固まって数日の間、亡者は行き先が決まらず大混乱になった。


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注・(地獄、閻魔、十王については様々な解釈があり)

  

 

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