自動販売機の逆襲

無月弟(無月蒼)

自動販売機の逆襲


 面白いものを見せてやる。

 サッカー部の練習が終わった夕方。杉澤くんにそう言われてやってきたのは、一軒のガソリンスタンド。いや、正確に言うと、ガソリンスタンドだった場所、か。

 普段中学校までの登下校に使っている道から、少しだけ離れた場所にあるそこは、もう何年も前につぶれてしまった、ガソリンスタンドの跡地だった。


 僕が物心をついた時にはもうつぶれていて、営業している所なんて見た事がない。たぶんだけど、大通りから外れた場所にあったから、お客が来ずにつぶれてしまったのだろう。

 今ではもう、給油機があったであろう場所に、屋根と土台が。それに中が空っぽになった小屋があるくらい。こんな所に連れてきて、いったい何をするつもりだろう?


「何なの、面白いものって。何にもないじゃないか」

「まあそう焦るなって。井上、あれ見てみろよ」

「あれって……」


 杉澤くんが指さした先にあったのは、ジュースの自動販売機。例によって、『だったもの』が付くけれど。

 近づいてみると、本来コンセントに繋がっているはずのプラグは途中でちぎれていて、ジュースのパッケージが並んでいるショーウインドウには、ヒビが入っている。

 長い間放置されていたせいか、塗装なんてとっくに剥げ落ちていて。よく見ると、買うと一定確率でもう一本もらえる、当たり機能がついているタイプの自販機だったけど、中にはもう、ジュースなんて入っていないだろう。もし入っていたとしても、絶対に飲みたくない。

 当たった時に光る、『当たり、もう一本』のランプが、やけに空しく感じられる。


「……まさかとは思うけど、まだこの中にジュースが入っていて、お金を入れたら買える。なんて事はないよね?」


 あり得ないと思いながら聞いてみると、杉澤くんは「んなわけねーだろ」と笑ってくる。

 そして彼は自販機の前に立って、続けて言った。


「ジュースは入ってない……と思う。けどなあ、ジュースとは別の、お宝が入ってるんだ!」


 叫んだかと思うと、杉澤くんは思いっきり右手を振り上げて、自販機に向かって叩きつけた。


 ちょっと、何やってるの!?

 だけど次の瞬間、自販機の下部から、チャリンという音が聞こえてきた。


「お、出てきた出てきた。ほら、見てみろよ」


 お釣りの受け取り口に手を伸ばして、中から取り出してきたのは百円玉と十円玉だった。

 驚く僕を見ながら、杉澤くんは得意気に笑う。


「昨日偶然発見したんだ。この自販機、壊れているけどまだ中に、小銭は入ってるんだぜ。で、今みたいに叩いたら出てくるんだ」

「すごい。こんなのよく見つけたね。けど良いのかなあ。これって泥棒にならない?」


 自販機を叩いてお金を出すなんて、ヤンキーのやることだ。

 だけど杉澤くんは、ケラケラと笑った。


「こんな何年も放ったらかしにしてる自販機を殴っても、誰も怒らねーよ。だいたいもう壊れてるし、コイツの持ち主だってとっくに忘れてるだろうしな」

「まあね。ここがつぶれたのって、何年も前だし。最後に自販機のお金、回収しなかったのかなあ?」

「細かいことはしらねーけどさ。これって大量に金が落ちてるようなもんだろ。だったら、拾わないなんてバカじゃん。俺達で貰っておこうぜ」


 杉澤くんはそう言うと、尚もガンガンと自販機を叩いて。その度にチャリンチャリンと、面白いように小銭が落ちてくる。


 出てくるのは十円の時もあれば、百円の時もあって。杉澤くんは小銭が落ちてくる度に、「なんだ、今回は十円か」とか、「お、百円が二枚も落ちてきた」とか。まるでどれだけお金を出せるか、ゲームをやっているみたい。

 なんだかちょっと、ううん、とても面白そうだ。


「井上、お前もやってみろよ」

「よーし、それじゃあ……」


 僕は一歩後ろに下がると、拳ではなく右足を振り上げた。

 普段サッカーで鍛えているキックが自販機に叩きつけられ、ガンと言う音とともに、巨体が大きく揺れた。


 ヤバ、やり過ぎたかも?

 蹴ったのは丁度、『当たり、もう一本』と書かれたランプがある所。足をどかしてみると、さっきまではなかった大きなへこみができていた。

 そしてお釣りの取り出し口からは、またしてもチャリンと音がする。


「すげー、五百円玉が出てきたぜ。やるなあ」

「やった、大当たりだ。これでジュースでも買おう。こんなオンボロじゃなくて、ちゃんとした自販機でね」


 二人してニシシと笑いながら。手にいれた戦利品を、手の中でチャリチャリと鳴らす。


 中にはまだお金が入っているかもしれないけど、とりあえず今日はもういいや。

 一度に全部出すのもつまんないし、続きはまた今度にしよう。


「この事は、俺達だけの秘密だからな」

「分かってるって。明日はどっちがたくさん稼げるか、競争しよう」

「よーし、望むところだ」


 叩けばお金が出てくるそれは、ゲームみたいで面白く。僕達はホクホクした笑顔を浮かべながら、ガソリンスタンドを後にした。



◇◆◇◆



 二人して、赤く染まる夕暮れの道を歩いて行く僕達。

 手にはさっき自販機を叩いて、あるいは蹴飛ばして手に入れた小銭が握られている。

 人通りの無い寂しい道だけど、僕達の笑い声が塀に反響して、辺りに響く。


「それにしても、こんなにたくさんお金が残ってるなんて。勿体無いよね」

「だから俺達が貰ってやったんじゃねーか。捨てておくより、よっぽどいいだろ。俺はコンビニでアイスでも買うかな。たくさん叩いたから、疲れちまった」


 確かに。そうでなくてもサッカー部の練習で、疲れていたんだ。僕もコンビニに着いたら、ジュースを買おう……。


 ――ガタガタッ、ゴトン!


 ……あれ? なんだ、今の音は?

 不意に後ろから聞こえてきたのは、何か重たい物が地面を移動しているような、鈍い音。


 ――ガタガタッ、ゴトン! ガタガタッ、ゴトン!


 まただ、いったい何の音……んんっ!?

 僕は立ち止まって振り返ると、ゴシゴシと目を擦った。


 えっ、どうして?

 たった今歩いてきたばかりの道のわきに見える、大きな影。あれは……自動販売機。


 だけどおかしい。さっき通った時は、あんな物は無かったはずなのに。

 するとそんな僕の様子に、杉澤くんが気づいた。


「おい、どうしたんだよ?」

「杉澤くん……。ねえ、あんな所に自販機なんて、あったっけ?」

「へ、お前何言って……って、本当だ。さっき通った時は、無かったよな?」


 僕達は首をかしげながら、二人して自動販売機に向かって引き返していく。

 まあせっかくあるんだから、ジュースを買おうかななんて、軽い気持ちでいたけど。


 一歩一歩自販機に近づくにつれ、おかしな事に気づいていく。


 あれ……ちょっと待って……これはおかしい。

 胸に宿った疑念は、自販機の真ん前まで来て、確信に変わった。


 割れたショーウィンドウ。塗装が剥げ落ちて、色褪せたボディ。そんな自販機の表面は、所々ベコベコにへこんでいて。それはさっき、ガソリンスタンドで僕達が、殴ったり蹴ったりしてできた傷跡だった。


「おい、これって?」

「さっき、ガソリンスタンドにあった自販機……だよね?」


 だけど、どうしてここに? 誰かがここまで、運んできたって言うのだろうか? 何のために?


 当然だけど壊れた自販機は、ライトが灯っていなければ、特有の機械音もしない。

 さっきは何も感じなかったけど、今では何も言わずに佇んでいるその巨体が、やけに不気味に思えて。背筋に冷たいものを感じた。

 隣を見ると杉澤くんも同じように、自販機を見て固まっている。


「ひょっとして僕らが殴ってるのを見た誰かが、怒って抱えてここまで来たとか?」

「バカ、だったら普通に怒ればいいだろ。何でわざわざこんな物を抱えてくるんだよ。だいたい、そう簡単に抱えられる物じゃないだろ」

「そうだけど。だったら何で、ここにあるのさ?」

「知るかよ。勝手についてきた、なんて事は無いよな」


 まさか、さすがにそれはないよ。

 すると杉澤くん、さっきやっていたのと同じように、拳を振り上げて自販機にたたきつけた。

 ガンという鈍い音と、チャリンという小銭の落ちた音が、辺りに響く。


「百円か。……コイツ、やっぱりウンともスンとも言わねーな。おい、もう行こうぜ」

「うん、そうだね」


 どうして移動したのかという謎は解けていないけど、僕は頷いて杉澤くんの後を追った。

 心なしか、二人ともさっきより歩くのが早くなっているけど、その事には触れずに歩き続ける。


 ガタガタッ、ゴトン! ガタガタッ、ゴトン!


 ――またあの音だ。

 僕はもう一度振り返って……目を疑った。


 嘘だろ⁉

 さっきは道の脇にあったはずの、壊れた自販機。だけどいつのまにか、道の真ん中に移動していたのだ。


「す、杉澤くん。あ、あれ」

「ん、今度はいったい何……はぁ!?」


 自販機が移動していることに気づいて、杉澤くんも声をあげる。 

 あの重たい自販機を誰かが、僕らが目を離している隙に抱えて動かしたなんて思えない。だけど自販機は、まるで僕らの後を追ってきたみたいに、確かに移動していた。そして……。


 ガタガタッ、ゴトン! ガタガタッ、ゴトン!


 ――動いた! 

 今確かに、まるで誰かが後ろから押したみたいに、ガタガタッて。


 僕も杉澤くんも、息を呑みながら唖然としていたけど。そんな悠長に構えている場合じゃなかった。


 ガタガタッ、ゴトン! ガタガタッ、ゴトン! ガタガタッ、ゴトン! ガタガタッ、ゴトン!


「「う、うわああああっ!」」


 僕らは悲鳴を上げながら、自販機に背を向けて一目散に逃げ出した。


 なんだ、なんだ、なんだあれは!?

 動かないはずの自販機が、まるで意思を持っているみたいに動きながら、こっちに迫ってた。

 いいや、そんな事はあるはずがない。何かの間違いに決まってる。

 だけど走りながら振り返ると、ガタガタと巨体を揺らしながら、追いかけてくる自販機の姿があった。


 なんで? なんで僕らは、自動販売機に追われているんだ?

 まさか、叩いてお金を出したから、その復讐のため追いかけてきたって言うんじゃ。


 バカな、そんなことあるはずが無い。

 それに、稼働している自販機ならともかく、壊れた自販機を殴って、何がいけないんだ。

 僕達は悪くない、悪くないぞ!


 だけど自販機は、立ち止まってはくれない。あんな重いボディをしてるのに、ものすごい速さで追いかけてきて、僕らのすぐ背後まで迫ってくる。

 ダメだ、追い付かれる。このままじゃ自販機に、押しつぶされちゃうよ……。


「横に跳べ!」


 焦ったような杉澤くんの声が耳に飛び込んできて、僕は咄嗟に右に。そして杉澤くんは、左へと跳んだ。


 地面に体を叩きつけて。だけどすぐに身を起こす。

 僕は無事だ。だけど、杉澤くんは?


「うわああああっ! 来るなああっ!」


 僕の目に飛び込んできたのは、壁に追い詰められている杉澤くんと、そんな彼に迫る自販機の姿だった。

 杉澤くんはブンブンと手を振り回しながら自販機を叩いて抵抗しているけど、そこにさっきお金を出していた時のような勢いはなかった。

 自販機は少しずつ、杉澤くんへと近づいていき。彼の体は、壁と自販機に完全に挟まれてしまった。


 ガタガタッ、ゴトン! ガタガタッ、ゴトン!


「ぎ、ぎゃあああああっ!?」

「杉澤くん!?」


 固い壁と自販機に挟まれた杉澤くんの体が、少しずつ押し潰されていく。恐怖からか痛みからか、杉澤くんは今まで聞いたことの無い絶叫をあげている。

 けど、それでも自販機は止まらないガタガタと動きながら、その体を杉澤くんにこすりつけていた。


「うあああぁぁぁぁっ、ああああぁぁぁぁぁっ……」


 挟まれた隙間から微かに見える杉澤くんの顔が、みるみるうちに苦痛に歪んでいく。

 最後にはもう、叫ぶことすらできなくなった友達を。僕はただ、呆然と見つめることしかできなかった。



◇◆◇◆



 あの自販機事件から一週間。いつも一緒に帰っていた友達が入院してしまって。僕は今日も一人で、帰路へとついていた。

 杉澤くんは何とか一命はとりとめたものの、背骨がポッキリと折られて、今も病院のベッドの上だ。

「自販機が来る」と、苦しそうに何度も、寝言で訴えていた。


 壊れた自販機に挟まれた中学生が重症を負ったこの出来事は、不可解な事件として少しだけ話題になったけど。自販機にイタズラをした子供が事故を起こしたとされて、もう既に忘れられようとしている。


 だけど僕は知っている。あの自販機は、杉澤くんに復讐をしに来たんだ。

 もしかしたら僕が助かったのは、運が良かっただけだったのかもしれない。もう壊れている自販機を見ても、叩いたり蹴ったりしない。杉澤くんみたいになるのは、嫌だもの。

 もう二度と関わるもんか。二度と……。


 ガタガタッ、ゴトン!


 ――今の音は!

 振り返ると、いつからそこにいたのか。僕のすぐ後ろには、ボロボロの壊れた自動販売機が、静かに佇んでいた。


 何で……何で……何で!?

 復讐はもう、終わったんじゃないの!?


 過呼吸を起こしそうなほど、息が荒れていく。

 怖くて気持ちが悪くて、吐きそうになるのをこらえていると。電気が通っていないはずの自販機が、ピピピと音を立てて。光るはずの無いランプが点滅した。


 『当たり、もう一本!』


 ヒビが入ったランプがテカテカと不気味に光って、当たりの文字が輝いた。そして次の瞬間。


 ガタガタッ、ゴトン! ガタガタッ、ゴトン!


「うわああああっ!」


 あの日と同じだ。

 巨体を揺らしながら追いかけてくる自販機から、僕は慌てて逃げ出した。


 逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ! 捕まったら、僕も杉澤くんみたいになる……あっ!


 不意に何かに躓いて、腹這いになって地面にた折れ込む。

 見ると足元には、コロコロと空き缶が転がっていた。そして……。


 ガタガタッ、ゴトン! ガタガタッ、ゴトン!


 すぐ後ろに来ていた自販機が、僕に向かって倒れ込んできて。次の瞬間、今まで感じたことの無い激しい痛みが、右足を襲った。


「ギャアアアアアッ!」


 大きくて重くて、固い自販機に、足が押し潰されていく。まるで足が、途中から引きちぎられたよう。


 お、折れた。足が……僕の足が。

 止めろ、止めてくれ。これからどうやって、サッカーをすればいいの……。


 絶望の中、痛みでだんだんと、意識が遠退いていく。

 その最中、思い出したのがさっき光った、『当たり、もう一本』のランプ。


 ああ、そうか。そういうことだったのか。

 もうろうとする意識の中、僕は静かに悟った。


 『当たり、もう一本』。あれは杉澤くんの背骨を折っただけでは終わらない。

 、今度は蹴飛ばした僕の足を折りに来たという、意思表示だったのだ。 


 了

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