七夕











『笑って明日を生きよう』



 海辺にたった二人。

 今日も今日とて言葉少なに、空に浮く岩を見つめる。

 私たち同様に生き残った他の人たちは、この人の言葉を実行すべく旅立っていったのに、当の本人はここに残ったままだった。



『笑って生きよう』



 日に一度か二度、この人は言った。

 柔らかい口調だった。意思を確かに含んでいた。

 笑って生きられる日が来るのか。

 疑問だったが、この人が言うのなら、いつの日かそんな日が訪れるのだろうと思った。



『わらっていきたいから』



 言葉通り、この人は笑っていた。

 優しく笑って、旅立っていった。

 凪いでいた海の中へと。自分の足で。

 月にも波にも風にも連れ去られる事なく。己の身体一つで旅立った。

 旅立ったまま、戻る事はなかった。









 現実では追わなかった。

 けれど、夢の中では、追っていた。

 押し返そうとする波も、躊躇われるほどの水温も、襲ってはこなかった。



 ただただ、静かだった。

 静かなのに、耳が痛かった。



 追い続けられたのだろう、

 辺りは真っ暗だった、
















「や!きらい!」



 痛みを感じたのは、草の上に落ちたアイスクリームを認知した時。

 予定通り、搾乳体験をして、生地作りから始まって、用意された食材をそれぞれ好きに使って、窯で焼いたピザを食べ終わって、材料が入った、仕掛けあり紐つき金属箱を振り回して作ったアイスクリームを、一番に絃に手渡そうとした。



 思い返しながら、じんじんと、手の甲が告げてくる密かな痛みを、ああ、そういえば、撥ね退けられたんだっけと、他人事のように認識していた。



「こら!食べ物を粗末にすんじゃねえ!」



 目を吊り上げた貴。年がもう少し上だったら、拳骨を食らわしているところであった。



「ごめんなさいはどうした」



 椅子に座っている自身の太腿に背中を向けて乗せているので、絃の顔は見えない貴。何も言葉を発しないので、無理やり顔を突き合わせてやろうかと苛立つ。まあまあ。曇が貴を宥めるべく、和やかに話しかけた。



「いとちゃんはアイスクリームが嫌いだったんだよ。だから、びっくりしちゃったんだよね?」

「曇。甘やかすな。嫌いなら嫌いで仕方がないが、言葉だけで終わらせればよかったんだ。そしたら、俺たちが食えた。落としたのは悪い」



 若干怒気を削ぎつつ、貴は厳然と言葉を紡いだ。



「食べ物でもなんでも、作るのは大変なんだ。大切にしなくちゃいけねえ。嫌いなら、嫌いで仕方ない。でも、遠ざければいいだけだ。壊すなんて、やっちゃいけないんだ。いと。分かったか?」

「………」

「いと!」

「ほらほら。いとちゃんも反省しているから」



 貴の激昂を受けて、曇は竹蔵に目配せした。竹蔵は頷いた。これ以上、傍にいさせては、苛立ちを冗長させるだけ。



「いと。こっちに来なさい」



 意図せず、固い声が出た事実に内心驚き、落ち着けと、自身を宥める。

 嫌い。の意味。本当にアイスクリームを指していたのか。



(…ほんと、振り回されてるわー。情けない)



「……いと」


 

 昨日の同じく、すんなりとはいかなかった。

 ぎゅっと。貴の着物を握り、寿を睨んだまま微動だにしない絃はそれでも、何も言葉を発しなかった。



「貴。ちょっと、いとちゃんを連れて散歩してきたらどうだい?」



 このままでは埒が明かない。貴に我慢してもらおう。曇は考え、にこやかに提案した。

 すぐには返事をしなかった貴。怒りを溜めて、溜めて、爆発する寸前で、霧散させた。



「赦したわけじゃないからな」



 貴は片腕に絃を乗せてから、歩き出した。








「一応訊いておくけど。君たち、いとちゃんに変な事をしてないよね?」



 声が届かないだろう場所まで貴と絃が辿り着いたのを確認してから口を開いた曇。甘さを若干削ぎ落していた。尚斗が泰然と口を開いた。



「してない」

「じゃあ、されたと聴いているとか?」

「知らん。新五郎さんに聴いてくれ」

「…そうだね。答えてくれてありがとう」

「…ありがとな」



 いや。曇はやわく首を振ってから、尚斗に少し近づき、声を潜めた。視線は、寿に向けている。



「あの子。大丈夫かい?」

「あー」



 尚斗は首を人差し指で掻いた。まだ震える腕は時折狂暴化するので、できるだけ力を入れないように努めて注意しながら。



「大丈夫じゃあ、ない、な」



 好意を持つ相手からの明確な拒絶の言葉。今までも多少なりとも拒絶されていたが、言葉にされたらたまったものではないだろう。



(……嫌い、か)



 寿へ向ける、絃の拒絶は、自分たちよりも深いような気がするが、原因は何だろうか。



 明確な好意を抱いているからか。

 明確な救助の意志を持っているからか。

 だがそれは竹蔵も同じ。では、竹蔵と寿の違いは何か。



(まあ、竹蔵も俺も嫌われている可能性は、あり、だしなあ)



 協力を申し出る。協力を受け入れる。が、好意を持っている事にはならないのだ。

 別段、自分は嫌われていようが好かれていようが、どうでもいいわけだが。



(竹蔵も寿も。究極的にはどっちでも構わないと思っているだろうが)






「どうしたもんかねえ」



 滞在期間は一週間。今日も入れてあと六日。その間にどうにかできたらいいのだが。

 お手上げ状態の尚斗に、曇は一つ提案を出した。











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