風車

「絃さん!」



 髪と口元を黒布で隠した、絃と背丈が変わらぬ人間。

 腕が立つと判別。

 だが、全身に鳥肌を立たせる気迫、殺気はその人間からのものではない。


 背後だ。

 と、思考が辿り着くよりも先に身体は反応して振り返ろうとするが、背後の人間からの攻撃が速かった。


 寿は振り返る事叶わず横蹴りを地に伏せて回避。即座に腕と足の屈伸力で飛び跳ねて、応戦しようとしたが、すでに姿はなかった。


 眼前にいた人間も、攻撃してきた人間も。

 絃も。


 刹那の出来事であった。

 寿は臍をかむと同時に、地を蹴り、後を追った。

 攻撃してきた人間の一部分さえも姿を捉えられなかった。気迫も殺気も、相手がわざと放ったもの。気づかせる為に。



(僕はまだこんな処にいたのか、)



 言い訳のしようもない実力差は、承知の上だった。











 自身と同じ背丈。着物で隠されていない腕や太腿、脚から垣間見える身体は程よく筋肉がついていながらも、成長過程のもの。

 自身より頭三つ分高い背丈。細身の身体に見えるが、全身を緩く包帯で巻かれている為に詳細は不明。


 どちらに連れ出されたのかも不明。どうして連れ出されたのかも不明。

 もしかして、大家さんかもと考えたが、違うだろうなと判断。

 手を引くにしても、挨拶くらいありそうだと、暢気な考えが浮かんだ。



「あらら。本当に閑雲にいた頃の記憶がないのかな。この姿を見せても感動して近寄ってもくれないなんて」



 今みたいに、髪と口元はいっつも黒布で隠してたじゃん。



 若干の距離を開けて向かい合う相手に歌うように言われても、絃にはどうしようもなかった。

 話している相手が言うように、絃には閑雲にいた頃の記憶が一切合切ないのだから。



「誰ですかも、教えてくださいとも言わないんだね」

「必要ないですから」

「開口一番が、必要ない、ね。あらら、とっても悲しいな。どーしているのかなー。元気にしているのかなー。とか。僕は君の事を結構な頻度で思い出していたのに」



 大袈裟に首を傾げる相手に、絃はどう言ったものかと考えた。


 考えて。考えたが、やはりどうしようもない。

 ほしいのは、過去の記憶ではなかったから。

 過去はどうでもよかったから。



 とりあえず謝罪をして、何故連れ出したのかを訊こうとした矢先。絃は咄嗟に腰に下げていた短刀を両の手で、腰に押さえつけた。

 相手の動きに気づいたわけではない。

 ただ、短刀を守らなければと感づいただけだ。


 いつの間にか距離を縮められて眼前に迫っている両の目を、絃は睨みつけた。

 瞳も目元にも何の力も入っていない両の目からは、感情がまったく読めとれなかった。

 口調だけは変わらず、歌うように。

 機嫌がいいのか、莫迦にしているのか。



「その短刀も誰のものか分かっていないのに、使い続けているんだね」



 伸びてくる手を絃は甘受した。

 両の手は短刀を守る為に今はある。頭を動かしてもよかったが、絃は片頬に添えられた手を振り払おうとはしなかった。


 視線を逸らしたくなかった。



「昔の君は怖いからってその短刀を受け取らなかったのにね」

「……申し訳ありませんが、過去の話に興味はありません。話に花を咲かせたいのであれば、別の方に逢いに行ってください」

「本当に悲しいな。その他人行儀な話し方も。拒絶する態度も。今は亡き町の住民同士。どころか、君と僕は友人同士だったのに」



 僅かに力が入った目元を見て、確かに発言通りなのかもしれないと思いながらも、けれど。

 微塵も感情は動きはしなかった。

 動かない事にすら、無感情であった。






(なるほど)


 悲しいと思ったのは、偽らざる気持ちだった。

 もしかしたら、仲間になってくれるのかもと、期待も持っていた。僅かながらでも。他の住民のように。



 頬に添えた片手に力を入れて、その熱を覚えていようと押し付けて、次には一切の未練もなく手を引いた。そして、後ろに軽く飛んで距離を取っては、片腕を胸に掲げ、片腕も水平に上げて、小さくお辞儀をした。



「僕の名前は泡儀あわぎ。今回は挨拶に来たんだ。君と、君の仲間に」



 顔を上げた泡儀は、絃の後ろに佇む人物を一瞥してから、視線を絃に合わせた。

 未だに睨み続ける絃に、場違いかもしれないが、どうかと願いながら。




 どうか、




「君はお金を盗む。僕は別の物を盗む。盗んで、鍛えて、君も僕も世界を壊す。けど、僕は君とは違う。僕が壊すものは、」



 紡がれた言葉に、絃は動揺した。

 とても強く。



 止めて。



 反射的に飛び出したのは、悲痛が強く込められた嘆願だった。

 泡儀は感情をむき出しにした絃を見て、小さく苦笑を零して、のち、高々と言い放った。



 気が変わった。

 これ以降会わずにいようと思ったけれど。

 今の絃を見て、気が変わったのだ。

 昔の片鱗を見せてくれた君に会いに行く。




「君の短刀を壊しに来るから!約束をする!それまでは絶対に!」




 だからどうかそれまでには。

 ひとりぼっちの君に仲間ができていますように。
















『遅い寿ちゃんにはまだ教える事はできません』



 その場に辿り着いた時に大家さんにそう言われた寿。

 大家さんに一緒に帰るように促された絃に何の言葉もかけられないまま、黙って見送る。



『教えてください!』



 事はせずに、絃を直視した。

 走って、絃の眼前に立って、見上げて、けれど、視線が結ばれる事はないままに、寿は絃を直視し続けた。



 忍びとして、愚行だとは分かっていた。

 裏で調べて、何となくだが、分かった事もある。

 このまま秘密裏に調べ続ければ、そして主に調べた結果を提示すれば、真実に辿り着けるかもしれなくとも、どうしても。




 どうしても、



 

 どうしても直接聴きたかった。

 聴かなければ、動けないと思った。

 この人の本当になれないと思った。

 力になりたかった。

 犯罪者になってほしくなかった。

 主の許しを得た今なら、迷いはないから。




『あなたを助けたいんです!』




 寿が叫んだ瞬間、絃の身体から何かが放たれた。

 目に見える何かではないそれは、気迫と呼べばいいのだろうか。

 思わず、一歩後退りしてしまうほどの。

 絃の剥き出しの、感情。




『はいはい。落ち着きましょうね』




 大家さんに後ろから抱きしめられた絃は放してと叫んで暴れた。

 数時間もの間。

 大家さんが絃の要求を飲んだのは、叫びすぎて掠れた声になってからだった。


 自由になった絃は地に伏して、軋ませながら力の限り身体を丸めさせて、泣いた。

 声を殺して、泣き続けた。



 一度だけ。



 独りでは何もできないと明確な音を零した。感情を曝け出した。


 認めていても、認め切れなかった己の無力さを、確かに伝えた瞬間であった。















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