花曇り




 甘味を奢ると言った新五郎の後をついていった先にあったのは、一軒の家屋。

 甘味処の幟旗がなければ、藁葺き屋根でこじんまりとしたそこは、独り身が住む普通の家に見えた。


 ここの甘味が美味しくてなと言いながら、新五郎が引き戸を開けようとする前に、高齢の婦人が中から姿を見せた。雄々しい顔立ちに背丈の低い婦人は、どうやら店員だったらしい。いらっしゃいませと丁寧にお辞儀をしては、入るように促した。



 手洗い場に土間、長方形の卓一つに占領されている畳部屋と、家の中を一瞥して、絃は新五郎に続いて履物を脱いで畳部屋へと上がって、卓を挟んで新五郎の前に腰を下ろした。

 緑茶を各々の前に置いた店員にいつものと注文した新五郎は、緑茶の横にある竹籠に入った手拭いで両の手を拭いてから、緑茶を一口含んだ。


 ふぅ。小さく息を吐いて。苦労を滲ませる微笑を浮かべて。沈黙を破った。眼前の少女の名。


 ではなく、


 竹蔵。と、口を開く事で。




 竹蔵と呼ばれた絃は、両の手を拭いた手拭いを丁寧に丸めては、竹籠に戻し、力を入れていた目元を柔らかくさせてから新五郎の目を見て、小さく舌を出した。



「やっぱりばれてた?」

「何十年の付き合いだと思ってんだよ?」

「あーあ、出し抜けると思ったんだけど」

「百万年早い」


 新五郎は朗々と笑いながら、一口緑茶を含んだ。


「ここなら安全だから変装を解いても構わんぞ」


 窮屈だろうと決めつけて言う新五郎に、余計なお世話と口を尖らせた。


「言っときますけど。あんたの前で見せている姿も偽もんだから」

「はいはい」

「ったく」



 信じていないわねとぶつくさ言いながら、竹蔵も緑茶に手を伸ばした。

 甘味が際立つような苦みを持つ緑茶を一口含んで堪能してから、小さく音を立てて湯飲みを置いた。なんとはなしに湯飲みから上がる薄い湯けむりを見つめて、新五郎に目を向ける。新五郎は竹蔵の知りたがっている情報を教えるべく、口を開いた。



「おてんば娘の仕掛けたやつじゃなかった」

「そう」


 竹蔵は肩の力を抜いた。少しばかり緊張していたらしい。


「おてんば娘を妬んで、犯人に仕立てようとした。理由を問えば、同じ境遇かと思いきや、いきなり『豊慢』で働き出してつい頭に血が上ったんだと。あそこは境遇がぴかいちだからな」

「大丈夫?」



 答えは知っているが、一応、訊いておいた。念の為。


 新五郎は竹蔵の一抹の不安を吹き飛ばすように、力強く頷いた。


「きつーいお灸を据えてやったからもう大丈夫だ」

「そう。ならよかったんだけど」



 竹蔵は深い溜息を出した。



「こっちも本当はそうしなくちゃいけないのよね」

「荒れてんのか?」

「荒れているっていうか。とうとう裏切られたかって思っているのかも」



 竹蔵は緑茶を一口、二口と含んだ。このままでは甘味が来る前になくなりそうだ。



「私が『豊慢』で働きなさいって言ったから。今までどこか一つに固定して働きなさいって言った事ないのよね。しかも住み込み。色々勘繰っちゃったのかも」



 新五郎は腕を組んで、眉を顰めた。


 とうとう。という単語が気になる。

 それでは、絃は竹蔵を最初から信じていないという事になってしまう。

 常日頃、仲睦まじい姿しか見ていないから余計に、信じられない。


 竹蔵は新五郎の表情から心情を推し量って、小さく笑った。



「私たちの関係は薄氷みたいなもんよ。ちょっとつついただけでいとも簡単に、粉々に壊れる……しょうがないのよね。あの子の人間関係は、裏切られる事前提ですべてが成り立っているんだから」



 竹蔵は溜息を出した。今度は、弱弱しく。



「肝が冷えたわよ。あの子が玄人の泥棒に話を持ち掛けていた事を知った時は。言っとくけど。正確には元泥棒、ね。真っ当に罪を償って社会に出ているわよ」

「その元泥棒がおまえに言ったのか?」

「そう。心配されちゃったわよ。金に困っているなら金を貸そうかって。私を完全にあの子の親に見てるんだもの」

「違うのか?」



 竹蔵は首を傾げて、考えた。


 確かに、保護者の役割を担ってはいるだろうが、親になりたいと思った事は一度もない。


 ただ、



「約束を果たしたらお別れだし、ね」

「なあ、訊きたい事があんだが」



 いつもいつも訊いては、はぐらかされてはいる事。

 今日ならば、もしかしたら。

 視界の端に抹茶あんみつを持ってくる店員を捉えてから、あれを食べた後でな、新五郎は言った。

 竹蔵の寂しそうな顔に、ほんのりと、喜色が刷いた。










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