春昼

 笹賀家 ささがけ つる。十六歳。長屋に独り暮らし。生業の紙芝居だけでは暮らしていけないので、大家から日雇いの仕事を紹介してもらっている。



「紙芝居の仕事以外はうちの雑用をしてもらうからな」

「はい」



 尚斗の目的地、金貸し屋『豊慢ほうまん』にて。実はこの店の若旦那であった尚斗の横には新しい働き手になってしまった絃がいた。






 先刻。熊のように逞しい長身の肉体、獲物を狩る時に見せる獰猛な顔つきの大家が現れ、鋭い視線を尚斗に射向けた際、尚斗は後れを取る事なく深々と丁寧に頭を下げて願い出たのだ。


 商人としての自分の勘がこの子を雇えと訴えている。貴方様は彼女の親代わりだと聴きました。是非とも願いを聞き入れてもらいたい。と。


 笛が鳴らされたから何事かと焦って駆け付けた大家。尚斗の綺麗な所作に、暴漢を滅さんと活き込んでいた心身を一気にしぼみ込ませては落ち着いた態度で、尚斗に何者かを問いかけた。そうして手渡された名刺に一も二もなく頷き、絃の紹介をざっくりした。



 絃は何を勝手にと反論するも、大家の金の一言で撃沈。恐らくは家賃やその他諸々の支払が滞っているのだろう。


 売られる鶏よろしく不機嫌顔で、しかし素直に絃は店にやって来たのであった。


 反して、尚斗の顔は今やほくほく顔。絃を手元に置けば謎が解けると確信しているからだ。


 同じくほくほく顔だった大家は店までついて来ていたが、もう帰っていた。






「大家さんに説明したように、うちは住み込み。土日の休みの日は帰っていいが、それ以外はうちのやり方に倣ってもらう。やる事は掃除と客へのお茶渡し、お使いだな。紙芝居はいつからいつまでやっている?」

「十五時と十八時三十分からの二回で三十分程度です」

「一回目は寺子屋が終わる子どもを相手にしていると分かるが、二回目は塾帰りの子どもか?」

「いえ。仕事帰りの大人の方々たちです。結構多いんですよ、童心に帰りたいって」

「ふ~ん。まあ。分かった。そっちを優先していい。それで二回目が終わったら仕事上がりだ。おい、寿ことぶき



 尚斗は玄関の掃除をしていた純朴な外見の少年、寿を呼び寄せ、絃の世話をするように告げた。寿は純粋無垢なまんまるい黒い瞳を何回も瞼で隠した。何を言っているのだろうと訝しんで、尚且つ嫌だと訴えているようだ。


 尚斗は寿の思考を読み取りつつも、彼の肩を抱き寄せて、決定事項だと告げた。それでも寿は口を尖らせ、反論に打って出た。



「僕はまだ入って二週間も経たないんですけど」

「絃は零日だ。おまえの方が先輩だろ。先輩は後輩の面倒を見るのが古今東西の習わしだ。違うか?」

「違いませんが…分かりました」



 反論しても無駄だと漸く頷いた寿。尚斗の腕が肩から離れると同時に、絃によろしくお願いしますと深々と頭を下げた。絃も倣って頭を下げ、よろしくお願いしますと口にした。








 朝七時に起床。朝食を取り、仕事着に着替えるなど身支度を済ませ八時から店の掃除を開始。八時四十五分に店の教訓の唱和及びご先祖様方々への祈りを始め、九時から店を開ける。十三時から十四時まで昼食。十八時で店じまい。


 絃は紙芝居の仕事があるので、昼食が終わり次第本業に専念すべし。移動時間や紙芝居に必要な道具の買い揃えなどを考慮して時間を多く見積もっているが、余裕があるのなら行きや帰りにお使いを済ませる。家事は専用の世話係と賄い方がいるので店に専念するべし。



「僕と絃さんは新参者なので、お客様が来ていない時はお掃除する。お客様が店の敷居を跨いだら、即座にいらっしゃいませと挨拶する。でも、近づいたらだめですよ。若旦那様か兄さんたちが接客しますから。僕たちはお茶を淹れてお客様に出すだけ。あとは届け物とか買い物のお使いです。僕も一緒に行きますから。そうそう。お客様のお茶は一様ではなくて、常連の方だったら、この人は珈琲、とか、紅茶、とかあります。これは追々覚えていきましょうね」



 人柄もそうだが、十四歳と年下な事も相まってか、常に丁寧で優しい態度の寿は締めくくりに何か質問がありますかと問い掛けた。今現在、二十時。夕餉が終わり各々の部屋でくつろいでいる頃合いであるが、寿と絃は夕餉を取っていた広間に残っていた。


 絃はメモをしていた紙をざっと見直してから、顔を上げた。



「門限が二十一時とありますが、破ったらクビでしょうか?」

「いえ。お給料が半刻分減ります。もしかして、無理矢理連れて来られたのですか?」



 さっさとクビになりたいけどそうなったら困る。最初に見た憂いの表情と今の発言でそう考えているのではと疑問に思った寿。職業柄、表情や声音、動きから思考を読むのに長けていると自負していた。



(あの人は本当に)



 自分もそうだっただけに肯定された時にはあの人は何をやっているんだろうと天井を仰ぎたくなった。



「この店で働いて二週間なんですけど、若旦那とは実は幼馴染で。何を考えているのか僕も未だによくわからなくて。今の状況が理不尽でしょうけど、真っ当な仕事先なので、安定的な給料がもらえて幸運だと思われたら気が楽にはなるかと。すみません。何の慰めにもなってませんよね」


「いえ。思っていた以上のお給料が提示されて有り難く思ってはいるんです。ただ、一人で行動している方が気が楽で。連れて来られた理由にも戸惑っていますし」



 絃は困り顔ではにかんだ。寿はそりゃあそうですよと力強く同意した。勝手に謎にされて、尚且つそれを解く為に近くで働いてもらうと言われても、何だそれはと困惑と呆れしか生まれない。



 確かに、風船を持っているのは何故だろうと戸惑う。けれど、形見だと聴いた。それで十分じゃないか。


 時々突拍子もない事を言い出し、即行動に移す人ではあるが。



(絃さんの何を訝しんでいるのか)



 人受けのよさそうな笑みの裏で思考を巡らすも、今の段階では不明。本当にただの突拍子の意味不明な行動の可能性大。



(僕を表に出す時点でそうだもんな)



 何を考えているのかさっぱりわからない。ほんと。



「あの、本当に嫌だったら言ってください。僕が何とかしてみせます」



 自分はともかくとして、絶対に何とかしてみせる。そう活き込んで告げれば、絃はありがとうございますと小さくお辞儀をした。








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