ついに……
姿なき教師。児童たちになぜか秘密にされている彼女の所在。ただ、彼女はいて、見ているんだってことはわかる。天井にぶら下がる監視カメラ型最新デバイスから声が聞こえてくるからだ。
「いつまでも騒がない。いいわね? さっき送ったメールにYouTubeのリンクが貼ってあるでしょう。BBCの動物のドキュメンタリー動画よ。今回の授業は、コメントを見て、視聴者がどんな感想を寄せているのか、それを調べるの。情報モラルの授業なんだから、真面目にやるのよ!」
「チッ、めんどくせい」言ったのは長屋敷ヒロカだった。椅子に片膝立てたポーズで、生徒に一人一台支給されているタブレットにお絵描きしている。
「コメント英語ですぅ、せんせっ」西野あゆなは授業をやる気だった。タブレットを手にしている。「なんか変な絵文字が入ってるのもありますです」
猫宮はすかさず答える。このクラスは一度騒ぎだすと手がつけられない。指示はすばやく。「そういうときはGo□gle翻訳を使いなさい。コピぺするの。やり方はわかるわね? 絵文字は省く。英語の授業じゃないからだいたいで大丈夫だから」
「いーのかよー、そんな適当で」生徒たちはぶつぶつ文句を言いつつタブレットを扱いはじめた。
猫宮は最新デバイス・アイ&ヴォイスの向こうで「よしよし」と思っていた。ようやく、ようやく、まともな授業ができる。このチャンスを逃してはならぬ。私自身、いつまた体調不良を起こすかわからないし、インターネット環境だって盤石とは言えないから、いつ声が届かなくなるかわからない。それにしても、私が担当する社会の授業は別の先生がやって、私が情報モラルってのはなぜ? 私が今年やる一番最初の授業がこれって……。
「おいっ、大変だ!」草野ヒロトが腿の間に隠していたスマートフォンを見ていた。
「どうした?」近くの席にいる福堂
「石井のTwitterに三年の小柳先輩がコメントしてる! ヤバめの先輩とつるんでるって噂、ほんとだったんだな」
「うちにも見せてー」ヒロカはお絵描きをやめヒロトからスマホをかっさらう。「……すげっ、『なめてんのか。英語でケンカ売るとは上等じゃねーか』。あいつなぜに英語で? こりゃ殺されるわ。killとか書いてあるし」
「石井君?」猫宮の声が大きく響いた。「あの子、風邪で休んでるはずでしょ? それに小柳君って、今授業中じゃないの! 授業中にTwitterってどうなってるの」カメラがジジジ……と動いてスマホを持つ生徒を探そうとする。
「風邪とか嘘でし」ヒロカはスマホを当たり前のように前の生徒に回しながら言った。「あいつ北中のやつらにボコられて顔腫れてんだし。もしやマゾ?」
「あなたたちも、授業中にスマホはやめなさーい! 教室には持ち込み禁止でしょうが!!」
やはりこうなるのか……。猫宮の思いはいつもはかなく散る。インターネットは問題なく繋がっているのに、私の思いは繋がらない……。
生徒たちの手に次々に回されていくスマホ。次々更新されヒートアップしていく石井と小柳のやり取り。タブレットが嵐のようにタップされ、生徒らは石井の挑発英文の翻訳で盛り上がりはじめた。
ガタンッ!
顔を上げる。開いた扉に立っていたのは、実に6か月ぶりになる担任・猫宮多笑子。怒りに震える猫宮だった。
危険を察した男子生徒。石井の番号を押して通話した。「今すぐTwitterやめろ。先生にバレてる──」
ツカツカと近づいて、スマホを奪う。顔に当てる猫宮。「石井君。今、授業中なの。情報モラルやってんの。あなたのヘタクソな英文を翻訳する時間じゃないのよ。顔腫れてるならじっとしてなさい」
「ね、猫宮せんせっ? お休みしてたんじゃないんですか?」
「お休みしてんのはあんたでしょーが!」
「せんせー」あゆなは喜んでいた。
哲翔も猫宮の背中に言う。「猫宮先生、職員室にいたんスか。だったらここで授業やってくださいよ」
振り返ることなく答える猫宮。「今日は音楽室での勤務なのよ」
「社会なのに?」
「戻らなきゃ……」スマホを持ったまま去っていく。
五分後、アイ&ヴォから聞こえた声は、猫宮とはまったく違う男性教諭のものだった。
「では授業の続きを。コメントに対する感想は書けましたか?」
「猫はどこ行ったんだよ」哲翔はアイ&ヴォに向かって叫んだ。
「ライオンです」男性教諭は言う。「福堂君、動画に映っているのはライオンですよ」
「違うだろ────────っ!!」
「猫科ってこと?」
どうやら、代わりの教師は天然らしかった。
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