そこ!

黒羽カラス

第1話 青い少年

 ふらふらと歩く。あまり広くない歩道なので普通なら通行の邪魔になる。肩や肘が周りの人に当たって騒動に発展する、なんてことも。

 それがない。誰にもぶつからない。存在さえ、気づいて貰えない。長い間、人間の第六感に期待していた自分がバカに思える。

 いつまで幽霊を続ければいいんだろう。

 なんとなく空に意識を傾ける。電線に丸っこいスズメが並んで止まっていた。ある意味、わたしもスズメと似たようなもの。黒いセーラー服で胸元のリボンは緑色。幽霊になってから一度も着替えをしていない。ずっと同じ姿でいる。

「着たきりスズメだよ」

 かなり上手いことを言ったと思う。でも、周りは無反応。拍手ひとつ、聞こえてこない。慣れたはずなのにイライラする。相当にストレスが溜まっているようだった。

 わたしは目についた路地に飛び込んだ。少し先にある小ぢんまりとした商店の前には自転車がずらりと並ぶ。横から蹴飛ばすようにして突っ切った。もちろん当たることはできなくて、その事実に少し頭が冷静になった。

 自分の姿を改めて見つめる。どこも透けていない。二本の脚はちゃんとある。茶色のローファーは今日も新品のように輝いていた。

「世界が死んで、わたしだけが生きている」

 声にすると説得力が増す。別の悲しさがくる前に、なんてね、と付け加えた。

 別の細い道に合流した。左右に顔をやると古めかしい建物がちらほら目につく。見つけた赤い丸型ポストは象徴と言ってもいい。全体的にくすんだ色をしていて一部は色が剥げ落ちていた。

 近くには影絵のような子供の標識があった。

「ここは通学路なんだね」 

 人通りは少ない。今は何時なのだろう。時計を探していると一人の学生を見つけた。定番のブレザーではなかった。黒い詰襟のある学生服は、わたしが通っていた中学校と同じなので懐かしさが込み上げてくる。

「でも、子供みたい」

 学生服を着た少年は童顔で背が低い。おどおどした状態でこちらに歩いてきた。気になって見ているとわたしの身体を突き抜けた。

「まあ、そうだよね」

 いつもと同じなので振り返らない。歩き始めると後ろで派手な音が聞こえた。呼び止められた気がして、くるりと身体の向きを変える。

 さっきの少年が学生服を両手で叩いていた。腹這いになったかのように前面が白っぽい。

「どんな倒れ方よ」

 半笑いで言うと目が合った。少年は、え、と声を出した。子犬のような目を極端に細くして一歩を踏み出す。

「なによ」

 試すつもりで口にした。目立った反応はなかった。でも、久しぶりの変化なので少年から目が離せなくなった。

 そこに騒々しい音が近づいてくる。ランドセルを背負った男の子が少年の横を走り抜けた。前にいるわたしに気づきもしない。ぶつかることはないので突っ立ったままでいた。

 男の子がわたしの身体を難なく突き抜ける。すると少年の挙動が明らかにおかしくなった。

「は、早く学校に行かないと……」

 棒読みの台詞で背中を向けて歩き出す。

「……今の反応は、見えている?」

 緩む顔を引き締める。散々、期待を裏切られてきた。もう少し様子を見た方がいいだろう。それに通学路にいれば、向こうから会いに来てくれる。

 小さくなる少年の背中をじっと見つめた。


 斜め前にある赤い丸型ポストが激しい雨に打たれている。元々が古ぼけているので綺麗になることはなかった。

 わたしはシャッターの下りた文房具店に雨宿りの状態で立っていた。濡れることはなくても進んで雨の中にいたいとは思わない。

 それにしても暗い。いつまで夜は続くのだろう。空には微かな光も見えない。時間が止まっているかのように感じられた。

「そんなわけ、ないか」

 スーツを着たサラリーマン風の男性が目についた。傘を差してせかせかと歩く。逆に若者はのんびりで、ほとんどがスマホを見ている。

 学生の姿が多くなった。自然と一人の少年に目がとまる。何かを探すように顔を小刻みに動かしていた。

「ここだよ」

 軽く手を挙げても気がつかない。溜息のあと、少年を睨みつける。傘を持つ右腕に目がいく。よく見ると袖のボタンの一個が外れそうになっていた。

「ボタンが取れそうだよ」

 声を強めた。少年が足を止めることはなかった。無視された気分になる。追いかけようと思って身を乗り出し、また引っ込む。

 雨が降っている。空は黒雲にフタをされて、しばらく止みそうになかった。

「ここにいればいい」

 鼻筋に強張りを感じて指で軽く揉んだ。

 わたしはカカシになった。ただ、立っていた。目に見えるものを飽きもしないで眺めた。

 小学生の集団が目の前を通り過ぎていく。最後尾にいた女の子が傘をくるくると回した。飛んできた雨粒が当たることはない。後ろのシャッターに貼られた店じまいの紙の一部を濡らした。

 ちらりと横を見た。わたしは雨の中を歩いて道の真ん中で立ち止まる。傘を差した少年を堂々と待ち受けた。

「見えてるくせに無視を」

 言葉に詰まった。少年は突然、水溜まりを蹴った。しかも笑みまで見せている。正面にいても濡れることはないが、急激に怒りが膨れ上がった。

「どういうつもりよ!」

 叫んでも聞こえないフリを通す。ついには走り出した。膨大な怒りを抱えて、わたしは雨の中で震えた。


 翌日、黒雲を蹴散らして青空が広がった。すっきりした天気ではあっても、怒りは収まっていない。道の端で腕を組み、前だけを見ている。

 視界の隅に少年の姿を捉えた。溌溂はつらつとした表情に歯ぎしりが起こる。ずんずんと歩いて、そこのあんた! と声を荒げた。

 またしても無視して通り過ぎる。背中を睨みつけると赤い丸型ポストの辺りで急に立ち止まった。劇的な変化に怒りを超えた喜びが一気に押し寄せてきた。

「喜んでる場合じゃない」

 自分に言い聞かせて緩んだ顔を引き締めた。

 少年は自然な様子で振り返る。再び目が合った。人通りが多くなり、わたしという存在に気づかない人々が好き勝手に身体を通り抜けていく。その姿が見えているかのように表情が強張った。不自然に向きを変えようとした。

 声より先に右腕が動いた。逃げようとする相手を遠慮なく指差した。

「え、なに?」

 言い逃れのできない反応があった。

「あんたね、やっぱり見えてるんじゃない! わたしの好意を踏みにじって本当に許せないんだけど、こっちが気になるから教えてあげる。制服の右袖のボタンを今すぐ見て。ボタンが一個、取れそうになっているでしょ」

 少年は困ったような笑みで、行くね、と小さな声を返した。

「だから、見ろって! 袖のボタンだよ! 見えてるんなら声だって……届いていない?」

 少年は疑問に答えなかった。その声も聞こえていないのかもしれない。


 その時を境に孤独な奮闘が始まった。こちらの存在を賭けた戦いなので決して引くことはできない。通学路を根城に少年を待ち構えた。目にする度に猛然と突っ込んでいった。

 今日も通学路に少年が現れた。もはや目印となった赤い丸型ポストの辺りで当然のように振り返る。向き合った状態で戦いの幕は切って落とされた。

「いい加減にしろ! そこだ、そこの右袖に気づけ。ボタンが外れそうなんだよ。あんたの為じゃない。これはわたしの存在を世に知らしめる戦いでもあるんだ!」

 早口の主張を繰り返し、人差し指を突きつける。少年は引き気味で情けない笑みを見せて、落ち着いて、と口にした。

「あんたが気づけば落ち着くんだよ! その耳が飾りなら両手で握って引きちぎってやるわ!」

「……僕に、何か言いたいことでも?」

 頭の中で何かがプツンと切れた。両手を前に出して握り、上下に激しく動かした。相手の耳をむしり取るイメージが加速して全身が怒りで燃え上がる。目についた電信柱に掴み掛かり、何度も額を打ちつけた。

「あ、あの、待って。怖いんだけど」

「誰のせいだ! あんたがちゃんと話を聞いたら怖くないんだよ! 右袖のボタンをしっかり見て、わたしを冷静にさせろ!」

「ご、ごめん、学校に遅れるから!」

 少年は逃げ出した。後ろを振り返ることもしない。怒りのせいで出遅れた。

「フ、フフ、絶対に逃がさないから」

 通学路のど真ん中、わたしは仁王立ちになった。

 空がこんがりと焼ける頃、少年は姿を現した。初っ端から全力疾走だった。びっくりして、ふいを突かれたが瞬時の怒りで巻き返す。

「話を聞けええええ!」

 こちらも全力の走りで少年を追いかけた。


 早朝からイライラが止まらない。何度も道を踏みつける。

 通学路に小学生の姿がちらほらと混ざり始めた。少年の姿だけが見えない。

 突き止めた家に押しかける決意を固めた。その時、少年が横手の路地から俯き加減で現れた。

「いつまで待たせるつもりよ!」

 怒鳴って横に並んだ。歩きながら少年の耳に口を寄せた。

「右袖のボタンが取れそうなんだって。そこだよ。どうしてわからない。これくらい近くなら声も聞こえるはずよね」

 少年は済まなそうな顔でこちらを向いた。ようやく声が届いた。わけのわからない感動に全身がじんわりと満たされる。

「取れって言われても、何を?」

 その一言に目を剥いた。相手の柔らかそうな鼻に向かってカチカチと歯を鳴らす。

 すると少年は笑顔を見せた。

「ふざけんなあああ!」

 固めた拳で殴りかかる。当たらなくてもいい。とにかく殴らないと理性が吹き飛びそうになる。

「な、なんで!? お、落ち着いて。ちゃんと取るから」

「殴り、殺す! 取るんじゃない! ボタンをちゃんと付けろ!」

 逃げる少年を殴りながら並走した。


 何度目かの朝を迎えた。またしても少年が来ない。通学路にある脇道を片っ端から覗いたが見つからない。

「もう、頭にきた!」

 自分から動くのは初めてかもしれない。通学路を駆け抜けて住宅街に突っ込む。赤いスレートの屋根の門扉を突き抜けて扉の前に立った。

 怒りで肩が上下に動く。何かを感じ取ったのか。扉が開いて少年が顔を出した。

「こ、ここまで、来たんだ」

 誰のせいだ、という言葉は呑み込んで制服の右袖を指差す。溜まった怒りで身体が爆発しそう。

「これが最後。袖のボタンが取れそうになっているんだよ」

 少年は右腕を上げた。ようやく袖のボタンの状態に気づいた。

「本当だ。教えてくれて、ありがとう」

「中途半端な能力は迷惑なのよ。でも、気づいて貰えて本当によかった」

 自分の目が優しくなっていることがわかる。全身に満ちた怒りは朝陽によって浄化されていくようだった。

「いなくなった?」

 少年は目の前にいるわたしが見えなくなった。急いで靴を脱いで母親にボタンの取り付けを頼んだ。

「別にいいけど」

 家に背を向けると温かい懐かしさに包まれる。誰にも聞こえない声で、いってきます、と呟いた。


 わたしは今日も通学路を眺めていた。スーツを着たサラリーマン風の男性が忙しない。若者はスマホを操作しながらのろのろと歩く。子供は元気でランドセルをガチャガチャ鳴らして走っていく。

 その中、一人の少年に目を向けた。中学校の制服を着て寂しそうな顔で歩いている。赤い丸型ポストの手前で決まって足を止めて振り返る。力なく笑う姿にもどかしさを感じた。

「あんたは」

 偶然、目にしたことで瞬時に怒りがぶり返す。すかさず、問題の個所を指差した。

「そこよ、そこ! 今度は左袖のボタンが取れそうになっているじゃないの!」

 少年は自然な笑みを見せた。

「袖のボタンは関係ないよね」

「関係あるわ! ふざけんじゃないよ!」

「ゆっくりでいいよ」

 少年の笑顔が決定打となった。頭の中で結び直した部分がプツンと切れる。理性を保つ為に殴りかかった。

 相手は心地よい風を受け止めるような表情で歩き出す。その横で、気づけ、と怒鳴りながら左袖を何度も指差した。


 青く澄んだ空の下、わたしの奮闘は続く、らしい。

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