手袋が繋ぐ季節

きさらぎみやび

手袋が繋ぐ季節

 いつものようにバスを降りて駅へと向かう途中、吹きつける風の冷たさに思わず首をすくめる。これならマフラーを巻いてきても良かったかもな。本格的に冬の足音が近づいてきたことを首筋が知らせてきていた。

 上着のポケットに手を突っ込んで手袋を取りだそうとして、違和感を覚える。右のポケット、定期入れはあるのに手袋がない。

 その時「あの、落としましたよ」と後ろから声がかかった。振り向くといつも同じバス停から乗り合わせる顔見知りの女性だった。年頃は自分とそう変わらないだろうか。


 どうやらバスを降りるときに定期をかざすため、ポケットに手を出し入れした際に手袋が落ちてしまったらしい。昔からポケットに無造作に手袋を突っ込む癖があるのだが、他の何かを取りだす際に落としてしまうことがやたらと多い。


「ああ、これはすいません。気づかなかったもので」


 小さくお辞儀をしながら黒の不愛想なデザインの手袋を受け取る。


「いえいえ、ちょうど私の前にバスを降りられたので気がついたんです。いつも慌ててバスに乗ってこられますよね。あのあたりにお住まいですか?」

「いえ、娘の保育園が近いんですよ。いつも娘を送り届けてからバスに乗るんですが、園に着いてから娘がぐずりだすことが多くていつもぎりぎりで」

「ああ、そうなんですね」


 その時は駅から電車に乗る時間も迫っていたので、その程度の会話だった。


 しかし一度会話を交わせばなんとなく印象に残るもので、それ以来彼女とはただの顔見知りから、時間が許せば停留所でバスを待つ間に会話を交わすくらいの間柄になっていった。


「今日は娘さんぐずらなかったんですね」

「ええ、おかげさまで。男親一人ですんでどうにも娘の扱いにはいつまで経っても慣れませんね」


 思わずそう言ってから少し言い過ぎたかな、と僅かに後悔がよぎる。


「失礼ですけど、奥様は……?」

「ああ、妻は娘が産まれてからすぐに亡くなりまして。元々丈夫な方でもなかったものですから」

「……そうなんですね。すいません」

「いえ、謝ることではありませんよ」


 しばしの気まずい沈黙はバスが到着したことでどうにか解消された。これでもう彼女が話かけてくることはないかもな、と少しの寂しさを感じるくらいには、彼女に好意を感じていたと思う。実際それ以降はたまたまバス待ちの列で前後になることもなく、目が合って会釈くらいはするものの特に話すこともない日が続いた。


 寒さはいよいよ増してきて娘にも手袋をつけさせての登園の日々になっていたのだが、ある日保育園で同じ組の誰かに着けていった手袋の事をひどくからかわれたらしく、翌日の朝はどうしても手袋を着けずに行くと言ってきかなかった。

 仕方なく手袋はこちらで持って娘を保育園まで送る。昨日の事を引きずっているのか、園に着いてからも入りたくないと嫌がる娘を保育士さんとどうにか宥めすかして登園させ、ぎりぎりでバスへと駆け込んだ。


 朝からなんだかぐったりしながらバスを降りると、後ろから声がかかった。


「あの、落としましたよ」


 振り向くと彼女だった。彼女の手には不細工な猫の刺繍がされた小さな手袋が握られている。


「娘さんの、ですか?」

「ええ、すいません。どうやらデザインをからかわれたらしくてどうしても着けてくれなかったんです。やっぱり男親のセンスだとダメなんですかね」


 思わず自嘲が滲んでしまった声色に気がついたのか、彼女が少し目を細めながら告げる。


「よければ今度、私が手袋を選びましょうか?」


 そう微笑んだ彼女に対して断りの言葉ではなく頷きを返している自分に、少し驚いた。首筋の冷たさはいつの間にか消えていて、寒さのピークをいつの間にか超え、季節がうっすらと春に近づきつつあることを教えてきていた。

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