第21話 夕霧理
その少女は改札前のロータリーに
僕を見つけると嬉しそうにこちらに手を挙げる。その動きに合わせて膝丈ほどのスカートが綺麗に揺れたのがわかった。ピンク色のポーチを肩にかけている。
「こんにちは!」
思いのほかテンションの高い出迎えに驚く。
時刻は昼過ぎ。
人通りはそれなりに多い。
何人かの人間がそんな彼女の声に反応して視線を送っていた。
「こ、こんにちは……」
僕は周囲に気を配りつつ、挨拶を返した。
ややぎこちない動きになったと思う。
「それじゃあ行きましょうか」
だけどもそんな僕の反応を気にすることなく、やや顔を傾けてニッコリとほほ笑む。
そして僕を先導するように歩いていく。
通勤途中の満員電車の中で体調を崩した彼女を救ったのは、つい数週間ほど前。
色々な経緯もあってこれから彼女と昼食をとることになっている。そこに深い意味はないはずなのに、なんだか戦場に向かうような気持ちだった。
*
水戸瀬と恋人になるチャンスを自ら放棄してから2週間ほどが経過していた。
「もう、ゆうちゃんったらぁ」
「なんだよミキー」
視界の端、若い男女二人が四人席のテーブルでわざわざ隣同士になるように座っている。
お互いのことを褒め合いながら、はいあーんと、とすぐ隣の男の方に恋人らしき女がスプーンに掬ったパフェを差し出した。男はそれを大口で含み、幸せそうな笑みを浮かべていた。
あまりの糖分量に死に絶えそうだ。
僕はテーブルに突っ伏して、べたなバカップルのやりとりを視界の外に追いやった。
恋人――
どうしてこんなにも甘美な響きなのに、胃がもたれるような感覚に陥るのだろう。
甘いものを受け付けなくなる中年男のようではないか。
「大丈夫ですか……?」
テーブルに突っ伏している僕の耳に、心配そうな女の子の声が入ってくる。
「いやっ、何食べよっかなぁって迷っちゃってさ! あはは」
慌てて体を起こしてメニューを凝視する。そんな僕に、目の前の女の子はクスクスと無邪気な笑みを浮かべていた。
「……」
彼女の視線がずっと気になってメニューの内容が頭に入ってこない。
夕霧理――頬杖をついて僕のことを興味深そうに見つめている彼女の名前だ。
現役女子高生である。きっと僕よりも妹のヒナに近い年齢だ。
以前彼女を助けたお返しに贈り物をもらった。そのお返しに食事に誘ったというのが、簡単な経緯である。
今は彼女の地元駅近くの喫茶店に入っている。
ところで感謝の永久ループって怖くない?
なので彼女には事前にお返しのお返しのお返しはいいからね、と伝えている。
「とにかく元気そうでよかったよ」
「はい、おかげさまで」
はきはきとした返事だった。
以前は死化粧のような顔色で、病弱そうというイメージが強かったのだが、今はどうだろう。
白磁のように白い肌で、線のように細い体、左目の下にぽつんと置かれた涙ぼくろが儚げな印象を与えるが、佇まいは元気な女の子としていて、笑顔が可愛らしい。
なにより病弱キャラというにはあまりにもえっ……、扇情的な服装をしている。
白のブラウスに、ミディアム丈の水色スカートの出で立ちで、胸元のボタンは全て留めてはいるが、第二ボタンと第三ボタンは苦しげで、両手を広げようものならはち切れそうになる。
その膨らみが布地を浮かせ、ボタンの間にかすかな隙間を作る。大きな胸の避けられない宿命なのか、ブラウスを持ち上げる美曲線と相まって、やはり扇情的に見えてしまうのが恨めしい。
切れ眉に大きな瞳、きりっとした顔立ち、生き生きとした美しさを讃えている。多分化粧をしているからなおさら変わって見えるのだろう。
両耳に揺れている銀のイヤリングが、年齢にそぐわない大人っぽい雰囲気をさらに際立たせている。
そんな子と相席しているだけで、なにやら落ち着かない気分になる。
「もしかして、へんですか?」
じっと見すぎていた。
彼女が不安そうに自分の体を見下ろしている。
「ちゃんと可愛いのを着てきたつもりだったんですけど」
「いやあの、十分可愛いです……はい」
「ほんと? よかったぁ」
花がぱあと咲いたような笑顔だ。
でもなぜだろう。
異性を褒めただけなのに、なんだかとてつもなくいけないことをしてしまった気がする。
メニューに顔を埋め、余計な煩悩を払おうと努める。
「と……ところでキミは選ばないの?」
「ええ、大丈夫です」
「というかなんでずっとこっち見てるの?」
「メニューを真剣に眺めてるタケルさん、可愛いなって」
男への可愛いは誉め言葉にはならない。絶対にだ。
「夕霧さんは決まった……?」
「まだですよ? でもゆっくり決めてください。別に急かしてるわけじゃないので」
「見られてると落ち着かないんだけど」
僕がそう言うと、なぜか夕霧さんはニコニコと年相応な笑みを見せた。
「今年で一八になります」
急に何の話だろう。というか意外だ。まだ一六とかかと思った。
「なので、もう結婚適齢期ですね」
「いや、適齢期はもっと後だと思うよ」
笑顔で答えると、彼女の眉がピクリと跳ねた。
「今日はお食事にお招きいただいてありがとうございます。その、とっても嬉しかったです」
「喜んでもらえてなにより……。ところで食事はここで良かったの?」
見たところなんの変哲もない喫茶店だ。店員さんのいる前でそんな馬鹿正直な感想を口にするつもりはないが。
「ここで大丈夫です。ここのケーキ、大好きですし」
「そう……? まあキミがそれでいいなら……」
「はい、前もここにお誘いいただきましたので」
前もお誘い? 気になる言い方だったが、まあ地元だから何度か足を運んでいるという意味なのだろう。
夕霧さんは話を続けた。
「あの、お仕事の方は大丈夫ですか? いつも、疲れている顔をされてましたので」
「いつも?」
彼女とは前に一度会ったきりである。
「ああっ、いや……その……」
夕霧さんが何やら目を回したかのように動揺しはじめた。何か不味いことを言っただろうか。
少しばかり気まずそうに眼を泳がせたのち、彼女は膝に手を置いて真剣な顔で語りはじめた。
「ぶ、ぶっちゃけてしまうと……いつもその……おんなじ電車に乗られてますよね……?」
「そうなの?」
「あた……私もだいたい同じ時間なので、よく見るんです。今日は疲れてるなぁって時の顔はすぐにわかりますよ」
いつも見られている?
いつも同じ電車だったのか……?
そんな……そんなことって。
めっちゃ恥ずかしいことでもしてなかっただろうか……?
「そうだったの。まあ今日は全然疲れてないからね? なにせ休日だし。だから気を使わなくても大丈夫。ほら、遠慮しないで何でも頼んでよ。僕のおごりだからさ」
全力で話題を逸らしながらメニューを手渡す。
僕はブラックコーヒーでも頼もう。大人だし。砂糖とミルクもつけてもらおう。
「ところで、タケルさんはここ最近なんか落ち込むようなことありましたか?」
そんなことを聞かれ、少し驚く。
「なんで?」
「すごく、元気が無いように見えたんで……」
自分では割と頑張って普段通り振舞っていたつもりだったんだが。
「なんだか普段より死にそうな顔してますよ……」
「……まあ普段から死んだような顔してるからね」
「あ……そういう意味で言ったんじゃないですっ……」
慌てたように手をバタバタとさせている。
可愛らしい仕草だ。
「でも調子が悪いってことはないよ。元気元気」
腕を持ち上げて、特にすごくもない力こぶを見せつける。
「そうですかぁ、よかったです」
手を合わせて幸せそうに笑う。
なんというか、僕にはもったいない笑みだ。
実際調子が悪いわけじゃない。ただ水戸瀬からの交際を断ってからは、なかなか他のことに気が回せず、意図しない葛藤に苛まれているだけだ。
縁りを戻すとか、戻さないとか。
なんだかこんな状態の僕が、目の前の女の子の仕草に一喜一憂するのは、間違いなきがした。とても罪深いことをしている気持ちになる。
「……」
二人して黙り込んでしまう。
気まずい沈黙だった。
僕の勝手な心情に、彼女を巻き込むべきじゃない、と思った。
年上として、僕から色々と話題を振った方が良いだろうか。
でもあまり不躾な質問をすると「なにこいつ?」みたいに思われてしまうかもしれない。
「えと……、決まったので、店員さん呼びますね」
「あ、はい」
夕霧さんは沈黙を破るように言って、傍にある呼び出しスイッチを押した。
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