第20話 僕を見る、君の瞳は、輝いてる
通りがかる何人もの男が彼女をチラ見していた。
ひまわりみたいな大仰な帽子と白いワンピース着込んだ水戸瀬がいる。膝下くらいまであるスカートからは長く美しい脚が生えていて、そんな彼女が水槽の前でしゃがんでいるだけで、なんだがエロ……優雅で、雑誌の切り抜きみたいに絵になるなぁ、なんて思った。
水槽では彩りゆたかな魚たちがふよふよと泳いでいる。
水戸瀬が魚の気を引こうとガラスに指を這わせると、驚いた小魚たちが四方に散ってしまった。その瞬間、彼女の横顔が複雑そうに歪んだ。
「小魚までわたしを嫌ってるんだわ」
さっきまで完璧に絵になっていたのに、
なにやらまたヘラってるようなことを言いはじめた。
「魚はガラスの向こうにいる人間の判別なんてしてないぞ。餌と勘違いして近寄ってくるか、来ないかってだけだ」
「つまり馬鹿な男しか引っかからないってことね」
「いやあの……」
なんで魚を男と例えてるんだ。
「ごめんね。こんなことばっかり言う女が連れだなんてつまらないでしょ」
「いやそんなことないが」
どう考えても『つまらない』なんて言えない流れを作ってるのは、水戸瀬が意図しているのか、そうでないのか、判断に迷うところである。
「ちょっとした疑問なんだが」
僕はふと沸いた疑問を投げかけてみることにした。
「なに?」
「なんで今日、僕を誘ったんだ?」
水戸瀬からの告白を断って、翌週の休日だ。
もう愛想を尽かして連絡なんてして来なくなると覚悟していたのだが……。
水戸瀬は変わらず僕の傍にいる。LIMEの連絡も途切れることはない。
嬉しいというより、戸惑いの方が大きかった。
「まだあきらめてないからねー」
「えっと……」
これまた反応に困る返答だ。
「そもそも縁りを戻したいって言うなら直近の恋人とかだろ? 十年以上も前の元恋人とかじゃなくてさ」
そう抗議すると、水戸瀬は振り向き、元々不機嫌だった顔をさらにしかめた。
「ん」
そして僕のことを指さす。薄暗い空間で、彼女の目が不服そうに細められているのが辛うじて分かった。
「なんだよ、その指」
「君が、直近の元恋人」
何かの間違いじゃないだろうか。
僕は、水戸瀬と、水族館デートに来ている。
デートと銘打ってはいるが、正直色っぽいやり取りとかは今のところ何もない。今だって、薄暗いブルーライトの世界で、なんともなしに話題を振ったら口論になったところだ。
「そもそも、水族館に来てるんだから、愚痴ってないで魚を見なさいよ」
「水戸瀬を見ながら見てるよ……」
「その返し、つまんないから」
水戸瀬はなぜか僕から顔を背けながら言った。
ちょうど目の前の水槽には、紫色をしたウミウシが優雅にひだをはためかせて泳いでいくところだ。
「面白い返しなんてできないって……」
今日のこれは、LIMEでいきなり『○○駅に来て』とだけメッセージが入って、そこから始まったかなり突発的なイベントである。
行くか行かないか、正直かなり迷ったほどだ。
一人待ち合わせで放置される彼女の姿を想像して、泣く泣く家を出た。
貴重な休日がこうして消耗されていく……。
彼女は、ゆらゆらと蠢くウミウシを見ながらため息を吐いた。
「社会に出て、五年、十年で培われる社会性ってさ、害悪だと思わない? フレッシュさが失われるのよ。人として擦り切れて、今のタケルみたいに可愛くなくなるの」
「アラサーの男にフレッシュさを求めるのはどうなんだ……」
あとアラサー男に可愛さを求めるのも相当変わってると思う。
「昔のタケルは可愛かったなぁ……」
「親戚の従姉みたいなこと言ってる」
「可愛かった……」
「わかった。わかったよ」
僕はお手上げのポーズをする。
「少しひねくれてた。純粋に楽しもうとしてる水戸瀬の気持ちに寄り添うべきだよな。無理やり呼び出されたとしても」
「最後のは余計」
さっきから口論が終わりそうもない。
けど、水戸瀬には悪いけど……実は結構楽しんでいたりする。
冷たくあしらわれたりするよりはずっといい。
水戸瀬はちゃんと僕のことを見てくれてるんだから。
そんな感じで水族館を回っている間、僕と水戸瀬の話題は途切れることは無かった。
周りの人からしたら、ちょっと奇妙な二人に見えていたかもしれない。
*
太陽が西へと傾いた頃、二人で近くの河川敷に足を運んでいた。
運河沿いに連なる景色の綺麗な場所で、広い空と海が一望できるのどかな光景を目にすることができる。
季節の変わり目にこういう場所を散歩すると、気持ちのいい風が程よく吹いているのだなと知った。
そんな場所を二人で並んで歩いていると、まるで恋人だった頃に戻ったような気分になる。
「ごめん、子供なのは自覚してる」
水戸瀬は思い出したように呟いた。
「急にどうした?」
「私のことめんどくさいやつって思ってるでしょ」
ここまでのことを結構気にしていたらしい。そんな風に蒸し返してくるとは思わなかった。
でも、気にしているなんてことはない。
普通に楽しんでる。
僕は冴えない男で、理想の恋人像なんてものを考えたことなんてあまりなかったけど、完璧であるより、今の水戸瀬のほうがずっと親しみが持てる気がするのだ。
中学の頃には見せなかった彼女の一面だった。
「……」
でもそれを素直に口にすることはできなかった。
考えていた。どっちの水戸瀬が本当の彼女なんだろうかと。
今隣にいる水戸瀬は、僕の態度に不貞腐れている親しみやすい女性に見える。
でもなんでか、手の届かないところにいた完璧な彼女の一面なんてものを、どこかで目にした気になっていた。
そんな彼女に羨ましく見ていた時期もあったような気がする。
「どうしたの? なにか言いなさいよ。不安になるじゃない」
「え? いや……」
まただ。また記憶の整合性がおかしくなった。
水戸瀬を別人のように感じる自分と、水戸瀬らしいと感じる自分が、頭の中に同時にいるような感覚――。
「ま、まあ、久々にこういうやりとりができて懐かしくなったし、悪くないよ。普通に楽しんでる」
ふって沸いた違和感を、言葉では言い表せなかった。
「ふつうねぇ……」
眉をひそめて僕を睨んだのも一瞬、水戸瀬はすぐに奇妙な笑みを浮かべる。
「いえ、そうよね。そんなものね。でもこれから私に夢中になってくれるように、頑張るから」
水戸瀬が左右の手のひらを胸の前で合わせ、僕に微笑みかけた。
運河を背景に、彼女のその瞳が、空の色を移して茜色に輝いている。思わず魅入ってしまうぐらいに美しかった。
「そう信じてもらえるように――」
それは怪しい光だ。
僕の理性を食い破るような、魅惑的な光――
「あなたの心に入り込むから」
水戸瀬はそう言って上目で視線を送りながら、僕の体に身を寄せてくる。
彼女の温もりが伝わってきて、全身が強張った。
「み、水戸瀬とは、良い友人関係でいたいかな……」
一歩、たじろいでしまう。
その場しのぎの言葉は、彼女のその瞳にからめとられるまでの悪あがきに過ぎない気がした。
そのうち、この気持ちの大半が彼女へと向いてしまうのだろうか。
それはとても、恐ろしいことのように思えた。
恐ろしいのに、あらがえないんだ。
「最悪だね」
水戸瀬はふんと笑って、運河に視線を移した。
ちょうど陽が沈むタイミングと重なって、茜色の光が水面を照らしはじめている。
その光景があまりにも綺麗で、美しくて、やっぱり今彼女の気持ちを受け入れないのは、もったいないなって気持ちが、胸の内に留まっている。
そんな情けない気持ちにふたをして、僕は水戸瀬と同じ方向の景色を眺めた。
自分がどれくらい恵まれた状況にあるのか、気づいた。
先ほど見た、僕を見る彼女の瞳が、とても煌びやかに輝いていたから。
彼女は、夕日を見つめながらさりげなく僕の手をつかんだ。
僕は少し驚いて肩を揺らしただけで、その手を振り払うようなことはしなかった。
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