第26話

 お兄さんの言うとおり、確かにここはのところだった。

「やあ、おれは小泉っていうんだ。よろしく」

 好青年のお兄さんが白い歯を見せて手を差し出してきた。

「ど、どうも……」

 握手した。

 小泉、と名乗ったお兄さんはすごく若く見えたけど、実は28歳でちゃんとした社会人だった。ハーレーに乗っていたのはこの人のようだ。

「拙者、牛井と申すでござるwww こっちは針谷www よろしくですぞwww」

「しゅこー、しゅこー」

 オタクの人たちとも挨拶した。驚いたことに牛井という人は小泉さんよりも年下だった。(もちろん悪い意味じゃなくて)すごく貫禄があるからもっと年上だと思っていた。針谷という人も同じ歳だそうだ。(いやもちろん悪い意味じゃなくて)二人とも何て言うかすごく貫禄があった。

 ちなみに針谷という人はダースベイダーみたいに息をするだけで言葉を発しなかった。

「ん? ていうか真白ちゃん、それ上着の下に着てるの制服ちゃうん?」

「え!? あ、いやこれは……」

 上着を着て誤魔化していたけど、真白さんが学校の制服を着ていることはそうそうにバレてしまった。

 すると一部が異様に盛り上がった。

「女子高生ですとぉ!?www く、くをれはぁwww テンションあがりますなwww デュフコポォwww」

「ぶひいいいい!!」

 もっとも反応したのは牛井さんと針谷さんだった。後で知るが痛車はこの人たちのバイクだったそうだ。

 ヒビキさんが警戒したように彼らを睨んだ。

「おらあ! てめぇら真白ちゃんに近づくんじゃねえ!! 真白ちゃんが穢れるやろ!!」

「そっちこそwww 女の皮被ったおっさんのくせにwww 真白ちゃんを独り占めするのは感心しないでござるなwww」

「しゅこー、しゅこー」

「誰がおっさんやねん!? しばくぞクソオタク!?」

「まあまあ、ヒビキさん。そこは抑えて。牛井さんもレディにそういうこと言うのはよくないですよ」

「小泉氏www ここのどこにwww レディがいるでござるかwww あ、もちろん真白氏はレディですがねwww」

「お前ほんま殺すぞ!?」

「ははは。な、おもしろいだ、ここ?」

 SRのお兄さんが笑いながら僕にウィンクしてきた。

「……は、はは。そうですね」

 確かにすごかった。

 ヒビキさんは真白さんがよほど気に入ったのか、まるで自分の妹分みたいに肩に手を回していた。真白さんも戸惑ってはいるけど、そんなに嫌がっているようには見えなかった。

 ……何だかとても不思議な空間だった。

 聞いたところによれば、みんな昨日とか一昨日に顔を合わせたばっかりらしい。

 なのに、ここにはまったくそんな雰囲気はなかった。SRのお兄さんが言っていたみたいに、何だかここは修学旅行の部屋の中みたいな感じだった。

 僕らは毎日、大勢の他人とすれ違う。

 電車で隣に座った人とこうして話すことなんてまずあり得ない。

 それは他人という『境界線』があるからだ。

 でも、ここにはそんな『境界線』がなかった。

 僕がこれまで生きてきた中で感じていた、目に見えない『境界線』なんてものは――ここにはまったくなかったのだ。

 そして、夜になると宿泊客が全員集まった。

 僕らの後にも二人ほどおじさんが来て、ライダーハウスはけっこうな大所帯になった。

 部屋が暗くなり、天井のミラーボールが回り始めた。

 テーブルには宿泊客たちみんなの姿があり、そしてお酒やジュース、食べ物がたくさん用意されてパーティみたいになっていた。

 明らかに異様な空間だった。

「……あの、これから何が始まるんです?」

 SRのお兄さんが隣だったので小声で訊ねた。

「なに、これはちょっとしたパーティみたいなもんだ」

「パーティ?」

「ああ。みんなで食べて飲んで、ただ騒ぐだけだよ」

「……これ毎日やってるんですか?」

「ああ。そうらしいね」

 部屋が明るくなると、いきなり女将さん(と、その人のことをみんながそう呼んでいた。受付のところにいた人だ)にマイクを渡された。

「……へ?」

「じゃあ、一人ずつ自己紹介ね。最初は君から」

「ええ!?」

 自己紹介!?

 なにそれ!? そんなイベントあるの!?

「いよ!! 待ってました!!」

 小泉さんが合いの手を入れて拍手した。いや盛り上げなくていいですから!?

 かなり戸惑ったけど……とりあえずマイクを握った。

「え、ええと……葉月蒼汰です。神奈川県から来ました。よ、よろしくお願いします」

「おい蒼汰! そんだけでええ訳ないやろ! もっと喋れや!」

「ええ!?」

 無難に終わらせようとしたらヒビキさんに怒られた。ていうかいつの間にか呼び捨てだった。

「……ええと、北海道にツーリングに来るのはこれが2回目です。何年か前に、一度父さんと来たことがあります。あ、いま乗ってるのは父さんからもらったスーパーカブです。隣にいる真白さんと二人でツーリングに来てます。実は……僕の彼女です」

 そう言うと、周囲から「おお!」と声が上がった。

「ひゅーひゅー!」

 ヒビキさんが囃し立てた。

「~~!!」

 真白さんが顔を真っ赤にしてうつむいていた。

 何てこと言うの!? みたいな感じで睨まれたけど、それも正直とても可愛かった。

 何とか無事(?)に自己紹介を終えて、隣にいたSRのお兄さんにマイクを渡した。

「やれやれ……自己紹介なんてガラじゃないんだけどね……」

 と言いつつ、お兄さんはすっと立ち上がった。

 いや、やる気満々ですよね……?

 ……あれ? そう言えば……まだこの人の名前知らなかったな。

 これまで何度か顔を合わせているけど、自己紹介なんてしてなかった。

 これでちゃんと名前を覚えておこう。

「あー、山田太郎です」

 なるほど、山田太郎っていうのか。

 なんかすごい偽名みたいな名前だけど、本当にそういう名前の人っているんだな。

 なんて思っていたら、

「って嘘つけや! 自分、昨日は佐藤言うとったやんけ!」

 ヒビキさんからの突っ込みが入った。

「え? 本名じゃないんですか?」

「ははは、名前なんてしょせんはただの記号だよ。まぁおれのことはみんなSRさんとでも呼んでくれ。趣味はツーリング。若い頃から毎年北海道には来てる。いや、もちろん今も若いけどね」

 と、お兄さんは自己紹介を終えた。

 やっぱり変わった人だ。

 その後、マイクはテーブルを一回りして、最後に真白さんに渡った。

「え? わたしが最後ですか? き、緊張するなあ……」

 真白さんがちょっと緊張した面持ちでマイクを握った。

「えっと……令月真白って言います。真白っていうのは、真っ白って書いて真白です。そんなに話すことなんてないんですけど……隣のソータくんとは、多分もしかしたら、付き合ってる――ような気がしないでもないです」

「いやどっちやねん!?」

「は、恥ずかしくて言えませんよそんなの!」

「おい、蒼汰! どっちやねん!」

「もちろん付き合ってますよ」

「もう! 何でしれっとした顔でそんなこと言えるの!?」

「蒼汰君は顔に似合わずけっこう大胆だね」

「うはwww 羨まし過ぎですぞwww 拙者嫉妬www」

「ふしゅー!!」

 妙に盛り上がった。

 ちょっと落ち着いてから、真白さんは続けた。

「えっと……〝わたし〟はその、ちょっと家の都合とかもあって……きっと北海道に来られるのは、これが最後だと思います。だからここにいる人たちと会えて、楽しくて、本当によかったと思います」

 真白さんは笑いながら、楽しそうにそう言った。

 ……本当に、楽しそうに。

 自己紹介が一通り終わると、みんなに飲み物が行き渡った。未成年は僕と真白さんだけだったので、僕らだけガラナだった。後の人たちはビールやチューハイだ。ちなみにテーブルにはめちゃくちゃでかい焼酎も置いてある。まさに浴びるほど飲めるくらいに。

「よっしゃあ! 今日も飲むで!! 今日はこの二人に乾杯や!! 若い二人の未来を祝して、乾杯!!」

 ヒビキさんが音頭をとると、みんながグラスを持って大きく掲げた。

 ……この日の夜は本当に楽しかった。

 本当に、一生忘れられないと思うくらいに。


 μβψ


 翌朝、午前中の内から何人ものライダーが宿を発っていった。

 小泉さんに牛井さん、そして針谷さん。

 それから、SRの人も僕らより先に出発した。

「それじゃ、おれは先に行くよ。もしかしたらまた会うかもね」

「そうですね」

 何となくだけど、僕はまたどこかでこの人と会うだろうなと思った。

「じゃあなヒビキ。おれに会えなくなっても泣くなよ?」

「誰が泣くか!?」

 ははは、と笑ってSRの人は走り去っていった。

「ヒビキさんはまだここに残るんですか?」

 と、真白さんが訊ねた。

「あー、まあそうやなぁ……どうせ10月までは北海道におるつもりやしな。あともうちょい泊まってくかな。ここ安いし、それに銭湯もあるし」

「え? そんなにいるんですか? 仕事とか大丈夫なんですか?」

「ははは、それは大丈夫や。だってうち無職やもん!」

 ……ヒビキさんの顔はめちゃくちゃ愉快そうだった。

 北海道に来るライダーには色んな人がいるんだなあ、と僕はしみじみそう思った。

 それから僕らも荷物をまとめて、午前中のうちには出発することにした。

「なんや、自分らも行くか。もう少しゆっくりしてったらええのに」

「そうしたいんですけど、今日のうちに留萌まで行きたいんで」

「はえー、カブやのにけっこう走るな。まぁ気いつけてな」

「はい」

「あ、そや! 真白ちゃん、ライン交換しようや!」

 ヒビキさんが嬉しそうにスマホを取り出した。

 僕は「あ」と思わず声に出してしまっていた。

 案の定、真白さんは困った顔をしていた。

「……あー、えっと……すいませんヒビキさん。わたしケータイ持ってなくて」

「……」

 ヒビキさんがきょとん、とした顔になった。

 それから露骨に落ち込んだ。

「そ、そーか……せやな。うちみたいなんにラインなんか教えたくないわな……ごめんな馴れ馴れしくて……うち昔から人との距離感よく間違えんねん……ほんまごめんな……」

「わー!? 違います!? そーじゃなくて、わたし本当にケータイ持ってないんです!」

「そ、そうですヒビキさん! 真白さんは本当にケータイ持ってないんですよ!」

 僕らは慌てて説明した。

「へえ、家が厳しくてケータイとか持たせてもらえないんか。随分と厳しい家やねんな」

「ま、まぁ……」

「でもケータイなかったらむしろ困ることのほうが多いと思うねんけどな……?」

「そ、それはその……うちの親ってばハイテクが嫌いで……パソコンとかスマホ見ると発狂してすぐにたたき壊しちゃうんです」

「いやそれ現代で生活できへんやろ!?」

 ということで、僕が代わりにヒビキさんとラインを交換した。

「ほなな、真白ちゃん。またおな」 

 ヒビキさんは僕らを見送ってくれた。

 その笑顔は本当に人懐っこくて、何だか憎めなかった。口は悪いけど、僕はヒビキさんのことが嫌いじゃなかった。

 きっと真白さんもそうだったんだろう。

 なんだかんだで、真白さんもヒビキさんには心を許しているように見えた。

「――はい。是非、また」

 真白さんは、笑ってそう答えた。


 μβψ


 稚内を出発した僕らは、オロロンラインを走って留萌を目指した。

「うわー! なにこれすごい!」

 どこまでも道が続いていた。

 オロロンラインは海沿いをひたすら走る道だ。

 海沿いを走るけど、海が見えないところもある。

 陸地のほうにはとにかくなにもない。

 ただどこまでも、何もない大地を、ひたすら道が伸びている。

 ……本当に何もない。

 自分が進んでいるのか戻っているのか、途中でよく分からなくなってくる。

 それは走ってみないと分からない。

 ここはそういう道だった。

「あ! もしかしてあれがオトンルイ!?」

「たぶんそうだね」

 しばらくオロロンラインを走っていると、大きな風車がたくさん見えてきた。

 遠目に見てもかなり大きかったけど、実際に近づいていくと風車はとんでもなく大きかった。

 ここはオトンルイ風力発電所だ。

 ツーリングスポットとしてはかなり有名なところだ。

「すごい。思ってたよりずっと大きい」

 風車を見上げている真白さんを後ろからスマホで写真に撮った。

「ん? あ、いま写真撮ったでしょ!?」

「ごめん、なんか良い感じの写真とれそうだったから」

「勝手に撮らないでよね」

 そう言って、真白さんはポーズを決めた。

「撮るなら言ってくれないと」

「撮るな、とは言わないんだね」

「ていうかせっかくだし二人で写真撮ろうよ」

「そうしようか」

 僕らは近くにいた人に頼んで、二人で風車をバックに写真を撮った。

 オトンルイはそこそこに、僕らは再びオロロンラインを走り出した。

 昨日は雨だったけど、今日はかなり天気が良かった。

 海がよく見える位置を走っている時は、思わず海の向こう側に目を奪われた。

 ……本当に、現実の光景じゃないみたいだ。

 走っていて、見続けていて、飽きるなんていうことはなかった。

 見たもの全てが、心に焼き付いていくようだった。

 最初ははしゃいでいた真白さんも、気がつくと静かになっていた。

 ……あれ? どうしたんだろう。疲れたのかな?

 何となく気になって、ちょっとミラーを動かして後ろに乗っている真白さんの様子を見た。

「……」

 僕は何も見なかったことにして、ミラーを元に戻した。

 それから、途中に僕らはやはりセコマに寄った。

 セコマがあるとどうしても吸い込まれてしまうのだ。驚きの吸引力だ。

 最初はセコマのことを真白さんは「あ、コンビニだ」と言っていたけど、今は「あ、セコマだ」と言うようになっていた。

「ねえソータくん、この夕張メロンのソフトクリーム美味しすぎない?」

「確かに……」

 二人でソフトクリームを食べた。

 ソフトクリームを食べている真白さんもとりあえずスマホで写真に撮っておいた。

 ……真白さんの目は、ちょっとだけ赤くなっていた。

 留萌には夕暮れになる前に、余裕を持って到着できた。

「黄金岬って、確かテント張るところあるんだよね?」

「うん。でもかなり小さいからなあ……空いてたらいいんだけど」

 昔、父さんと来た時はシーズンだったし、テントサイトはいっぱいだった。

 予約なんか出来るわけじゃないから、とりあえず行ってみないと分からない。

 ちょっと不安になりながら現地に行くと――運良くサイトはけっこう空いていた。

「あ、けっこう空いてるね」

「……よかった」

 心底ほっとした。

 今日はたまたま運がよかったようだ。

 このテントサイトは本当に岬の目の前で、キャンプしながら夕陽が見られる絶景のポイントだ。だから場所は早い者勝ちなのだ。多分、15張くらいが精一杯だと思う。

 とりあえずテントを張って、荷物を下ろしてから近くにある地元のスーパーに食材を買いに出かけた。地元の使うようなスーパーは、僕らみたいな旅行者にはかなりの穴場だ。観光地で食べると観光地価格になってしまうけど、あえてそういう地元の店を狙うと美味しい物が安く買える。

 もちろんセコマは別だ。

 戻ってきて夕飯の支度をしている内に、段々と日が傾きはじめてきた。

「ちょっと岬のほうに行ってみようか」

「うん」

 ひとまず夕飯の支度はおいといて、二人で岬のほうに出てみた。本当にテントサイトとは目と鼻の先だ。

 二人で岬に立って、海を眺めた。

 徐々に赤く染まりつつある太陽が、世界を青から赤へと変えていくところだ。

 ……そして、これがいずれ黄金に変わる。

 世界の移り変わりを、僕らは並んで静かに眺めた。

「なんかさ、世界って思ってたよりずっと広いんだね」

「ん?」

 僕が振り返ると、真白さんはほんのちょっとだけ笑みを浮かべていた。

「わたし、今まで本当に狭い世界でしか物事見てなかったんだな、って思った。世界ってもっと何もなくて、寒くて、凍えそうなところだって思ってたんだ」

「……」

「誰もいなくて、泣いてても誰も来てくれなくて……わたし、ずっとそんな場所にいたような気がするんだよね。うまくは言えないんだけどさ」

 真っ白な世界が見えた。

 どこまでも雪が降り積もっている。

 空からは雪が絶え間なく降り続いている。

 そこには何も無かった。

 音も、熱も。

 その真ん中で、女の子が泣いている。

 僕はこの光景を――今までずっと見てきた。

「でも、ほんのちょっとだけ歩き出したら、そんな世界がすぐに変わっちゃったんだよ。まるで魔法みたいに。信じられないな、今でも。これも全部、ソータくんのおかげだね」

 にっ、と真白さんは笑った。

 黄金色の夕陽が世界を眩しく変えた。

 これまで見たことのないような鮮やかさが、世界に溢れた。

 ……僕もそうだ。

 真白さんのおかげで、僕は『境界線』を一歩踏み出すことが出来た。

 ああ、そうだったんだ。

 僕の声が女の子に届かなかったのは、僕が『境界線』を越えるのをずっと躊躇っていたからだ。

 このたった一歩を踏み出すために、僕はどれほど脅えて躊躇っていたのか。

 ようやく越えられた。

 本当の意味で、ようやく手が届くところにまで来られた。

 今の僕らは一人と一人じゃない。

 本当の意味で――二人なんだ。

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