第25話

 ……昔の夢を見た。

 どこだったかは忘れたけど、北海道のキャンプ場で焚き火をしていた時の夢だ。

「ねえ、父さん」

「ん? なんだ?」

「父さんって、昔からよくこんなふうに旅してたの?」

「ああ、そうだな。高校の時にバイクの免許取って、それから暇があったらツーリングばっかりしてたな」

「へえ……勉強しなかったの?」

「ははは。してたらこんな大人になってない」

 なるほど、と僕は思った。これ以上ない説得力がそこにはあった。

 それから父さんは焚き火の炎を見ながら、こう続けた。

「いいか、蒼汰。これから先、生きていたら何度も壁にぶつかることだってあると思うが……そこで立ち止まるんじゃないぞ。そこで終わりだなんて思うな。壁を越えれば、いくらでもまた新しい世界がそこにある。勇気を出して越えていけ。脅えるよりも立ち向かえ。その方が、人生はずっと楽しいぞ」

 にっ、と父さんは歯を見せて笑った。

 ……この時の僕にとっては、これは本当に何気ない会話だった。

 でも、恐らく父さんなりに、僕に言葉を遺してくれようとしていたんだろう。

 いずれそう遠くない内に、自分はいなくなってしまうから。

 そんなことを何も知らなかった僕は、ただ何となく父さんの話を聞いていただけだった。

 ……ああ、そうだったな。

 この時の僕は、まだまだこれから先もずっと、父さんに甘えることができるんだって、無邪気にそのことを信じていたんだったな。

 懐かしい夢だ。

 ……本当に、懐かしい夢だった。


 μβψ


 旅行は計画している時がいちばん楽しい、とはよく言うことだ。

 実際に走り出してみれば、どうなるかなんてその時になってみないと分からない。

 いつでも天気がいいとは限らないし、本当に想像もしていなかったようなことがいきなり起こるかもしれない。

 でも、何があってもそれは〝失敗〟じゃない。

 そう、僕らの旅に失敗なんてものはなかった。

 道を間違えて変なところに行っても、思ったよりキャンプ場に着くのが遅くなってしまっても、そのせいで真っ暗の中で設営することになっても、それは失敗なんかじゃなかった。

 肉を焼きすぎて焦がしても、長時間バイクに乗っていたせいでお尻が割れるほど痛くなって予定外の休憩をすることになっても、そんなのは本当に大したことじゃない。

 もしこれが学校や会社だったら、それらはきっと全て〝失敗〟になって、先生や上司に怒られてしまうんだろう。

 なぜなら、その失敗は自分のものじゃないからだ。

 でも、この旅で起きる全てのハプニングは、全て僕らのものだ。

 だから失敗じゃない。それは何て言うか、旅が楽しくなるためのちょっとしたスパイスでしかないのだ。

 ……僕は残り時間を数えながら、旅をするなんてまっぴらだった。

 あとこんなにも彼女と一緒にいられるんだって、そう思いたかった。

 本音を言えば、時計の針を止めてしまいたかった。

 だってそうすれば、終わりなんて来ない。

 僕はずっと彼女と一緒にいられるのだから。

 でも、彼女は自ら時計の針を動かすと決めた。

 それが結果的にどうなるのか――それを知った上で。

 だったら、僕も彼女と同じ時間を過ごしたかった。

 例えそれが、どうなるのか分かっていたとしても。

「――ここが日本の最北端かぁ」

 真白さんが海の向こうを眺めていた。

 僕らは今、宗谷岬に来ていた。

 ここには変なモニュメントがあって、観光客はみんなそこで記念撮影をしている。

「……」

 僕も彼女と並んで海の向こうを眺めていたけど――

「いや寒いな!? ここ寒くない!?」

 とうとう我慢できなくなった。

「え? そう? わたし平気だけど」

「いやめっちゃ寒いんだけど!? え!? いま八月だよね!? こんなに寒い!?」

 実はかなり天気が悪い。

 風もびゅんびゅんに吹いている。

 そのせいか本当に寒かった。肌寒いとかじゃない。本当にびっくりするぐらい寒かった。

「ちょっと上着とってくる!」

 慌ててバイクに戻った。

 念のためにウルトラライトダウン持ってきててよかった……。

「おや、こんなところで奇遇だね」

「え?」

 不意に声をかけられた。

 振り返ると、そこにはあのSRの人が立っていた。

 半袖で。

「あ、どうも――って、それ寒くないですか!?」

「ははは。めちゃくちゃ寒いね」

 SRの人は鼻水をたらしていた。顔は笑っているけど、身体がガタガタ震えている。

「上着とかないんですか?」

「それが、全部宿に置いてきてしまってね。おかしいなあ、出発する時はすごく天気がよかったんだけどね。いざ着いたらこんなんだよ。ははは」

「宿はどこに?」

「稚内のライダーハウスだよ。いいところだよ? よかったら君も来てみるといい。銭湯もあるからひとっ風呂浴びれるしね」

「へえ、ライダーハウスですか」

 ライダーハウスというのは、言ってみれば格安で泊まれる宿みたいなものだ。だからライダーやチャリダーが集まってくる。今のところ、ライダーハウスに泊まったことはなかった。

「ソータくん大丈夫?」

 真白さんがやって来た。

 お兄さんを見て「あ」と思いきり指差した。

「やあ、お嬢ちゃん」

「おじさん、確かフェリーで一緒だった人ですよね?」

「そうそう、そのだよ」

 SRの人はやたらと『お兄さん』を強調した。

「おじさん、その格好寒くないですか?」

「……」

 真白さんにはお兄さんの訴えは届かなかったようだ。

「……ま、まぁおれもまだまだ若いからね。これくらい何てことないさ」(ガタガタガタ)

「身体めっちゃ震えてません?」

「ふ、これは武者震いってやつだよ」

 お兄さんは強がった。

 何に対する武者震いだろう……?

「それじゃ、おれは一足先においとまするよ。それじゃあ」

 チャ、とやっぱりお兄さんはキザったらしく去って行った。

 ……やっぱり寒かったんだろうな。

「……でも、ライダーハウスか」

「ん? どうしたの?」

「いや、今の人、稚内のライダーハウスに泊まってるみたいでさ」

「ライダーハウスってなに?」

「すごく安く泊まれる宿みたいな感じだよ。ライダーが集まるから、けっこう賑やかだったりするみたいだよ」

「へえ、そういうのもあるんだ」

 僕はスマホで天気予報を確認した。

「……うーん。今日はこれから雨みたいだし……ライダーハウス行ってみる?」

「でも他の人もいるんだよね? わたし大丈夫かな……」

「僕と一緒にいれば大丈夫だよ。それにここ、カップルで泊まれる個室もあるみたいだしさ」

「カ、カップル……」

 真白さんの顔が真っ赤になった。

 ……うーん。いちいち照れてくれるのがものすごく可愛いな。

「ま、まぁそれならわたしは別にいいけど……」

 というわけで、今日は急遽予定変更してライダーハウスに向かうことになった。

 稚内で銭湯があるライダーハウスは一つしかなかった。

「このへんのはずなんだけど……」

 何だか普通の住宅街みたいなところに来た。

 しばらくうろうろしていると、目的の場所を発見した。

「ここじゃない?」

「あ、ここだね」

 車庫みたいなところにバイクが他にも何台か停まっていた。これが全部泊まっている人だとすると……けっこうな人数がいるようだ。パッと見、いまここにはバイクが八台ほど停まっていた。

「色んなバイクあるね。ていうかこのバイクすごくない? 女の子描いてあるよ」

「すごい痛車だね、これ」

 真白さんが指差したのはいわゆる痛車だった。

 フルカウルのスポーツバイクが二台、何だかものすごいことになっている。緑色っぽいほうは分かる。初音ミクだ。もう一つは……よく分からないけど『STRIKE WITCHES』と書いてあった。

 他にもハーレーやリトルカブ、それにデカズーマー(ホンダのPS250)も停まっている。色んな人たちがここには集まっているようだ。

 見覚えのある赤いSRも停まっていた。

 どうやらここで間違いないようだ。

 とりあえず空いている隙間にバイクを停めて、『ライダーハウス』と看板のかかった建物の中に入った。

「……ごめんください」

 中に入ると受付みたいなところがあっておばちゃんが立っていた。

「いらっしゃい。ここ初めて?」

「あ、はい。その、二人なんですけど個室ってまだ空いてます?」

「ああ、空いてるよ」

「それじゃあそこ使わせてください」

「はいはい。じゃあここに名前と住所書いてね」

 宿帳みたいなものがあった。

 どうやらこれに名前を書くようだ。

 ちらっと見ただけでも、関西や九州の住所が書かれていた。けっこう遠方からも来ているようだ。

 僕が名前を書いた後、真白さんも名前と住所を書いた。そこにはちゃんと『令月真白』と書かれていた。

 入ってすぐのところはくつろげるスペースみたいになっていた。

 そこでSRの人がくつろいでいた。

 こっちに気づくとお兄さん(僕はあえてそう呼ぶ)が驚いたような顔をした。

「おや? これはこれは……君たち本当に来たんだね」

「はい。今日はここらへん雨みたいなんで」

「なるほどね。まぁゆっくりしていきなよ」

 と、SRの人はまるで自分の家のようにそう言った。

 そこには五人いた。

 SRの人の他に、いかにも好青年といった若いお兄さんと、ものすごいギャルみたいなお姉さんと、あと(非常に失礼だけど)とてもオタクっぽい二人組がいた。

 みんなでわいわい騒いでいるわけじゃない。みんながそれぞれ、まるで自分の家にいるみたいにゆっくり寛いでいた。

 それが僕と真白さんには少し異様な光景に見えた。

「……なんか、独特な雰囲気のところね」

「そ、そうだね」

 二人でひそひそ話していると、ふとギャルっぽいお姉さんが顔を上げた。

「うわ!? 女の子やん!?」

 その人がいきなり大きな声を出した。

 それで静かだった空間の空気が、一気に変わった。

 その人は一目散に真白さんのところにやって来て、いきなり両手を握った。

「うわあ、嬉しいな。ここにおって初めて女の子とうたわ。なあ、名前なんて言うん? あ、ウチはヒビキな」

「……えっと、あの、真白ましろです」

 真白さんは目を丸くしながらも、いちおうちゃんと名乗り返した。

 ヒビキ、と名乗った人はものすごくフランクな感じの人だった。

 見たところ二十歳くらいだろうか。大学生くらいだとは思う。髪は派手な金髪で、けっこう日焼けしている。これまでの人生であんまり関わりになったことのない感じの人だ。

「ましろ? どういう字なん? ていうかそれ名前? 苗字?」

「いえ、名前です。真っ白って書いて真白です」

「へえ! めっちゃ可愛い名前やん!」

「あ、ありがとうございます」

「そっちの君は?」

 お姉さんがこっちを向いた。

「僕は葉月蒼汰です」

「ほうほう、ソータくんね。ん? あれ? 自分ら今いっしょに入ってきたけど……もしかして二人旅?」

「はい、そうです」

 僕が頷くと、お姉さん――ヒビキさんは驚いた顔をした。

「マジで!? 自分らいくつよ!?」

 こ、声でかいなこの人。

「僕は高3です。真白さんは――」

「わたしも同じくらいです」

 にっこり、と真白さんはそう言った。

「……はー、その歳でカップルで北海道来てるんかいな。今どきの子って進んでるんやな」

「ははは、おれらは寂しい一人旅だからな」

 SRの人が笑うと、ヒビキさんが怒ったように振り返った。

「やかましいわ! うちはぼっちちゃうねん! 一匹オオカミなんじゃい!」

「そういうのを負け犬の遠吠えっていうんだぜ」

「やかましいっちゅうねん!」

 何だか二人は仲が良さそうだった。

「……あの、お兄さん。お姉さんと――ヒビキさんと知り合いなんですか?」

「いいや? 二日前にここで顔を合わせたばっかりだよ」

「そ、そうなんですか? そのわりにはすごい打ち解けてません?」

「まぁライダーハウスってそういう感じのところだからね。他にも何人か泊まってるけど、なんか修学旅行みたいな感じだよ」

「へえ、そういうものなんですか」

「真白ちゃ~ん、あんためっちゃ髪とか綺麗やな。それに肌も……」

「え? あの? え? ちょ!? どこ触ってるんですか!?」

「ええやん別にちょっとくらい。女同士やねんからさ……ぐへへ」

「いやー!?」

 真白さんがお姉さんにめちゃくちゃセクハラされていた。

 ……悪くないな

 僕はじっと眺めていた。

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