こんな俺でもよかったら

室園ともえ

だからこそ、伝えたい


 秋を迎え、色鮮やかに染められた木々がそよ風に揺られながらかさかさと心地よい音を奏でる。地面に落ちた紅葉もみじ銀杏いちょうはゆらゆらと空を漂い、何も無いはずの校門を風情のある景色へと様変わりさせていた。


「う……寒っ」


 部活や生徒会活動を終えた生徒が各々帰宅していく中、珠千翔たまちかけるは冷えたそよ風に身震いしながら放課後の校門で一人、腕時計を眺めていた。


「あいつ今日も長引いてんなぁ……」


 軽くため息をつきながら、制服のポケットから英単語帳を取り出す。今週末に控えた試験のため、蛍光ペンで目印を付けていた英単語を一つ一つ確認していく。


「あ、いたいた。お待たせー!」


 高らかに弾むような声が聞こえた方向を振り返ると、軽く制服を着崩した1人の少女が小麦色のサイドテールを揺らしながら満面の笑みでこちらに手を振っている。


 遠目から見てもはっきりと分かるその明るい笑顔は何度見ても眩しいと思ってしまう。読んで字のごとく、天真爛漫てんしんらんまんという言葉が良く似合う。


 彼女の名前は───京珠香織みやびかおり


「ごめんね遅くなって。相手が中々諦めてくれなくってさ」

「別に気にすんな。いつものことだろ」


 余程急いで来たのか香織の呼吸のペースはやや早かった。翔はそれを気遣うようにそっと肩を貸そうとすると、香織はうっすらと口角を上げて倒れ込んできた。


 咄嗟のことで慌てはしたが翔は香織の華奢きゃしゃな体を受け止めるように支えた。その体勢は周りから見ると、翔が正面から抱きつかれたような状態になってしまい、後から込み上げてきた恥じらいに思わず心臓が少し跳ねる。


「いつものあれ、やってよ」

「……今日もしないといけないのか?」

「もう遅いから人少ないと思うし……」

「あぁもう分かったから。そんな顔すんな」


 平静を取り戻しつつある翔に香織は眉をひそめふてくされた表情を向ける。翔はそんな香織を宥めるように、彼女の頭をそっと撫でた。さらさらとした小麦色の髪の感触と小さな温もりが手に広がっていく。


 一方香織はまるで飼い慣らされた猫のように頬を緩ませ翔の手に擦り付いている。少しだけ心臓の鼓動が早くなったことを自覚した翔はやるせない感情を手に込め、力任せに香織の髪を掻き回した。


「ちょっと、髪が崩れちゃうって」

「あ、すまん」

「……もうっ」


 香織は頬を膨らませて睨みつけてくるが、その頬はうっすらと赤く色付いているので全くと言っていいほど気迫が感じられなかった。


 翔はじんわりと胸の内側が熱くなっていくのを感じながら、その感情を心の奥底に抑え込み香織の髪をくように撫で続けた。


 一応香織はぶつぶつと小さな声で何かを呟いていたものの、しばらくすると翔の手を甘んじて受け入れていた。


「……これ毎回しなきゃいけないのか」

「もちろん。告白ってのはされる方も体力使うからね」

「俺から撫でられて癒されるとは思えんが」

「……う、うるさい。つべこべ言わない!」

「はいはい」


 香織は少しばかり鋭さを取り戻した視線で翔を睨みつけてきたが、相変わらず頬は赤いままだった。翔は慣れた手つきで香織の髪を再び撫でると、取り戻したばかりの視線の鋭さは口元を緩めた安堵の表情の中に消えていった。


「やっぱり翔に撫でられるの気持ちいい」

「そりゃまぁ、どっかの幼馴染に力加減だの角度だのいちいち指摘されたからな」

「誰だろうね」

「お前じゃい」


 翔がすかさず突っ込みを入れると、香織はごめんごめんと言いながらにへらと笑みを浮かべた。その表情を見ていると、翔も自然と口角が上がった。


「ふぅ……今日はもう満足だよ」

「今日はって。明日も告られるのかよ」

「……うん。また断るつもりだけど」


 撫でることを止めると香織は名残惜しそうに翔の手を眺めていたが、ここでもう一度撫でてしまうと恐らくエンドレスに続いてしまうので見なかったふりをする。


 近頃、香織は毎日のように告白をされている。実際に香織は容姿は幼馴染の翔から見てもかなり整っていると思うし、底抜けに明るい性格でクラスのムードメーカー的な存在。その上成績も優秀なため、校内でも上位を争うほどに男子から人気がある。


 元々の人気も凄まじかったが以前体育祭の団長を務めてからというもの、香織に関わりのなかった生徒も彼女の底抜けの明るさやリーダーシップを目の当たりにし、それ以来学年男女問わず告白されることが増えたのだ。


「でも今日は受け入れても良かったんじゃないか? 今回の相手、南沢先輩だったんだろ」

「……知ってたんだ」

「校内で盛り上がってたからな。『今回こそは成功するんじゃないか』って」


 南沢先輩は同性である翔から見ても、かなり容姿性格ともに優れていると思う。服装やワックスなどで自分を格好よく見せる男性は多いが、彼の場合は何もしなくても既に整っている。確かモデルを務めているとか。同時に生徒会長として多くの学校内外の行事に携わっているため、教師や近隣の住民からの評判も良い。


 そんな学年最上位の人気を誇る男女の告白が放課後に行われるとのことで、一昨日ほど前から校内の恋愛の話題はそういった関連の話で持ちきりになっていた。


 翔も少なからずその影響を受け、「幼馴染としてどう思うか」、「翔は香織のことを好きじゃないのか」などといった質問を何度も投げかけられた。少々鬱陶しいとも思ったが、それだけ二人が人気者だということなのだろう。


 翔が香織の表情を伺うように覗くと、そのカラメル色の瞳には呆れと怒りが滲んでいた。先程撫でていた際に浮かべていた安堵の表情は、もう一欠片も残っていなかった。


「どうしたんだ?」

「……なんでわかんないかなぁ」

「何が」

「……私がどんな人の告白でも断る理由」


 香織は眉を八の字にしてどこかつまらなそうに唇を尖らせている。どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。


「さっぱりだな……強いて言うなら、他に好きなやつがいるとか?」


 考えても思いつきそうになかったので、翔は反射的に脳裏に浮かんだ答えをそのまま口にした。


「……うん、そうだよ」


 香織は動揺を隠すためか、翔から視線を逸らすようにそっぽを向いた。翔が目を合わせようと顔を近づけても逃げるように視線を逸らされてしまう。


 そんな香織の小麦色の髪から覗く耳は、薄く紅色に染まっていた。


 その表情は明らかに好意を感じられる恥じらいを含んでいた。時間が経つにつれ赤みを増していく頬に翔はそっとため息をついた。


「……まぁ、上手くいくといいな」


 胸に抱いた淡い期待をそっと覆い隠し、小さく呟いた。しかしそれはものの数秒で激しい焦燥へと変貌する。


(馬鹿かよ俺は……。香織が別に好きな人がいるって言ってんだからさっさと諦めろよ。なんで……なんでこんなに心臓がうるせぇんだよ)


 心の中で嫉妬や怠慢の感情が荒ぶっていくのが分かる。しかし伝えたい言葉が、たった一つの言葉が出てこなかった。頭では分かっているのに体がまるで付いてこない。やり場のない感情が虚しく空回りしていく。


「……嘘つき」


 ボソリと呟かれた一言を翔は聞き逃さなかった。香織からわざと視線を逸らすために俯いていた顔を上げた。


「は? 別に俺は嘘なんてついてねぇよ」


 翔には分からなかった。なんで今自分が怒っているのか、焦っているのか。目の前にいる好きな人にどうして苛立ちを隠せずに接してしまっているのか。


 今すぐにでもこの場から逃げ出して楽になりたい。目立ちすぎたせいか妙に集まりだした周りの視線など気にする余裕もないほど、翔は焦っていた。


「じゃあ、なんでそんな悲しそうな顔してるの?」


 香織の声に操られたように口元に手を当てると、じんわりとした熱と痛みが広がっていることに気づく。無意識に噛み締めていたらしい。


 咄嗟に誤魔化そうとしたが、香織に手首を捕まれ逃げ場を失ってしまう。まるで答えを聞くまで絶対に逃がしてやらないと言われているようだった。


「……そうやってすぐ逃げる」

「お前は俺の母親かよ」

「別にそんなんじゃない」

「……じゃあ放してくれ」


 翔が腕に力を込めても、香織はビクともしなかった。その後翔は、そういえば幼い頃から力比べで香織こいつに勝ったことなんてなかったということを思い出し、観念するように腕から力を抜いた。


「分かればよろしい」

「やっぱ母親じゃねぇか」

「私知ってるんだから。翔が母親の言うことには弱いってこと」


 香織の一言に、思わず一瞬動揺してしまう。昔から香織は、観察眼が鋭い。他人をよく見ている。誰が何を得意で何が嫌なのかをはっきりと理解している。その性格を活かして、クラスではリーダーシップを遺憾無く発揮できているのだ。


「……やっぱ、お前には適わねぇや」


 翔は諦めるように身体の力を抜いた。いつの間にか感情の波は去っていたようで、心の中は落ち着いていた。


「……まぁ、あれだ。いっつも近くにいたお前が遠くに行っちゃうみたいでなんか寂しいなって」

「……寂しいんだ」

「う、うるせぇ。悪いかよ」


 翔は霧のようなもやっとした感情から目を背けるように香織から目線を逸らした。一瞬だけ見えた香織の表情はどこか柔らかく、うっすらと笑みを浮かべていた。


「ねぇ、一つ聞いていい?」

「なんだよ急に。……まぁいいけど」

「ありがと。ひとまず顔こっちに向けて」

「何でも答えてやるから、それだけは勘弁してくれ」

「しょうがないなぁ」


 誤魔化すように首元をさすりながら、再び香織から視線を逸らす。


「翔はさ……もし私が翔のこと好きって言ったらどうする?」


 か細い声音だったが、翔にはその一言がはっきりと聞こえた。そしてすぐさま質問の意図を確認するように香織に視線を合わせる。その質問が冗談のつもりなのか、別の意図があるものだったのか、自分の心に浮かんだ疑問を確かめたかったからだ。


 翔が視線を合わせた先には淡く紅色に色づいた頬で拗ねたような、それでいて僅かに何かの訪れを期待するような視線を向けている香織がいた。


「答えてよ……」


 香織はじんわりと瞳に浮かんだ涙を気にする素振りもなく、翔をじっと見つめている。その声は今にも消えてしまいそうなほど、小さかった。


「……何でも答えてやるって言ったじゃん」

「そんな顔で言われるとなんか答えづらい」

「……へたれ」


 カラメル色の瞳をじんわりと滲ませながら香織は翔の胸を叩いた。しかし力は全くと言っていいほどにこもっておらず痛みはなかった。何度も翔の胸に触れたその手は僅かだったが、小刻みに震えていた。


「あぁもう分かった。言うから。答えるから……ちょっと離れてくれ」

「あ、え……うん」


 予想外の反応だったのか、香織は少しだけ困惑していた。しかし言葉の意図を理解すると、翔から二歩半ほど距離をとった。


 やけに五月蝿うるさいほどに鳴り響く心臓を抑えながら、翔は心の準備を整えていた。奥底に隠していた感情にかかっていた膜をゆっくりと剥がしていく。


(今まで香織に告白した奴らも、今の俺と同じぐらい緊張してたのか……)


 すぐにでも伝えたいのに思わず足がすくんでしまう。上手くいかなかったらどうしよう、むしろ嫌いだったなんて言われるかもしれない。


 幼稚園の時からいつも一緒にいてくれた香織がそんな言葉を言うはずがないと分かっていても、思考が常に最悪の場合を想定してしまい中々踏み出すことが出来ない。


(いや、違うだろ。今まで香織に告白してきた奴らと俺の緊張が同じわけがない)


 ───


 香織とは対照的に翔は性格が根暗で成績も中の下くらい。幼い頃は気にしていなかったが、中学の三年。香織と同じ学校へ行くために勉学に奔走していた翔は、影で自分の悪口を言われている所に遭遇してしまったことがあった。


 何がいけなかったのかを聞いた時に言われた言葉は今でも鮮明に覚えている。


『お前さ、京珠さんから離れてくれない? 釣り合ってねぇんだよ』


 何も言い返すことが出来なかった。その後のことは詳しくは覚えていない。ただその場に立ち尽くしていたことだけを記憶している。


 その日以来、翔は香織を避けるようになった。学校生活ではもちろん、部活が違えど毎日校門で待ち合わせしていた放課後ですら、翔は香織と話すことはなかった。


『ねぇねぇ翔』

『昨日のテレビ見た?』

『私何か悪いことしちゃった?』

『むぅ……そろそろ怒るぞー』


 それでも香織は翔の側を離れようとしなかった。拒んでも、拒んでも近づいてきた。最初は我慢していたが、長くは続かなかった。


 ある日翔は香織を呼び出してことの経緯いきさつを説明した。


『やっぱり。そんなことだろうと思った』

『そんなことって……俺は結構悩んで』

『私はそんな風に思ってないよ』


 香織は翔の言葉を遮ると、いつもの底抜けた笑みを浮かべながらゆっくりと話し始めた。


『釣り合わない……とかさ、私よく分かんない。でも、翔の側にいると楽しいし誰よりも安心できる。それだけははっきりと分かるよ』


 ───


(他の奴らと同じぐらいの緊張ってことは俺の香織への思いはそいつらと同じってことになる。分かんないけど、そんな気がする)


「香織!」

「は、はい!」


 いつもと同じように呼んだはずなのに、緊張のせいかやけに声が張ってしまった。香織も動揺していたせいか、翔と同じくらいに張った声で返事をしてしまっていた。


「俺はそこまでできた人間じゃない。頭は悪いし、運動もできない」

「……そんなこと昔っから知ってるよ」

「うっ……。で、でもお前はそんな俺をずっと側で面倒見てくれた。俺はお前のお陰で毎日が楽しくなったんだ」

「……そりゃどうも」


 香織はちら、と翔を見上げて少し照れくさそうに眉を下げて小さく微笑んだ。そのあどけない微笑みは、翔の理性の紐を緩めていく。


「えっと……すまん。やっぱりこういうのって雰囲気が大事だと思ったんだが、俺そういうの苦手だったわ。この際単刀直入に言う」


 自然と翔の心の中で覚悟は決まっていた。不安や焦り、羞恥などといった感情を気にすること自体が馬鹿馬鹿しく思えてきたからだ。


「俺は成績悪いし、ドジだし根暗だ。でも、お前への想いなら誰にでも負けてやるつもりはない。付き合って……くれるか?」


 もうちょっとマシな言葉があったのではないかと考えたが後悔先に立たず、翔は香織の返事を待つことにした。


「……人に告白するんなら、せめて自分の長所の一つや二つ持ってきなさいよ」

「想いは負けないっていうのは長所に含むと思うが」

「それは大前提でしょ。……私は翔のいいとこ沢山知ってるからいいけど」


 香織の気の抜けた柔和な微笑みの可愛らしさに、翔は思わず思考が乱れそうになった。


「それで返答は」

「……いいに決まってるじゃない」

「え!?」

「なんで驚くのよ! 翔から告ったくせに」


 正面から見た微妙に頬を震わせた香織の頬は、内側から色付いていた。逸らしてした目線が翔を捉えると、更に赤みを強くする。


「なぁ香織」

「……どうしたの」

「これからもよろしく」

「何よ改まって。……わ、私のほうこそよろしく」


 つい先程までは冷たいと感じていたそよ風は、不思議と温かく感じた。

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