第19話 生還

 ドラゴンが吐く吐息ブレスは、周囲の岩石すらドロドロに溶かす高温を放っていた。太刀打ちなどできるはずもない超常的な存在を前に全神経を迫りくる攻撃の回避に注ぎ、人が変わったように怯えて使い物にならなくなった妹を肩で支えながら迫りくるドラゴンのあぎとから必死に逃げていた。


 持てる力を全て使い切り、ギリギリ下層に飛び込んだ私達はようやく目的地である安全地帯へと辿り着いたのだが――。


「なんで……?」


 妹が絶望に満ちた声で呟く。それも無理はなかった。

 正直、私も安全地帯を一筋の光明として期待していた分、目の前の光景に心が折れかけ膝から崩れ落ちそうなショックを覚えた。冒険者の傷を癒やす水が常時湧き出ているはずの泉が、ただの一滴も見えないほど枯れていたのだ。


「なんで水が湧いていないの? これじゃあ、せっかくここまで来たのに回復もできないじゃん……」

「今は、助けを待つしかない」

「助け? まだそんなものが来ると思ってるの? 姉ちゃんってば、期待し過ぎだよ」


 妹の言う通り現実的に救助が訪れるとはとても考えにくい。それでも、今は少しでも前向きなことを口にしないと絶望に魅入られてしまいそうで怖かった。なにせ水分も食事もろくに取ることが出来ないダンジョンの地下――頼みの泉は枯れ果てているときている。


 腰を下ろすと二度と立ち上がれないほどの疲労感に襲われ、ぼうっと霧がかる脳裏には今頃私が帰らないことを心配しているシーナの姿と、何も知らずに施術をしているマチダの姿が浮かんだ。

 途端に胸が苦しくなり、もう二度と会えないのだろうかと考えると涙が零れ落ちた。理解できない感情に心を揺さぶられる。

 こんな事態になるとわかっていたら、私の心を解してくれたマチダのマッサージもう一度受けておけばよかったと後悔していると、膝を抱えて座っていた妹が泣き腫らした顔で声をかけてきた。


「姉ちゃん……考えもなしにダンジョンに挑んだ私が悪かった。って謝っても今更遅いけどね……」

「ブランが謝るの、初めて」


 二人ともダンジョンに足を踏み入れてから水分も食料も一切口にしておらず、時間が経過するごとに心身ともに疲弊していた。特に妹は自信を全て打ち砕かれたように自虐的な言葉を口にするようになり、精神的に不安定になっているように思えた。


「もう、生きて帰れないかもしれないしね。一応謝っておこうと思って」

「まだ分からない。誰かが助けに来るかも」

「誰が来るのよ。これだけ待っても誰も来ないんだったら絶望的だって」

「それは」


 絶望的な状況であることを妹に指摘され、言葉に詰まっているとドタドタと駆けてくる複数の足重が近づいている気配を感じ取った。

 安全地帯にはモンスターが入ってこないはず――だとしら一体何者だと音が聞こえてくる方へ視線を向けると、ついには幻聴どころか幻視さえ見えるようになってしまった。なんで貴方がここにいるの?


       ✽✽✽


「ノワール!」


 彼女の姿を目にしたとき、自然と駆け寄って大声をあげた自分がいた。

 満身創痍のブランも含め、二人は俺とシーナ、それに合流してやってきたシーナの父親であるギルベルトと執事のオパルの姿をしばらく呆けて眺めていたが、幻でないことに気がつくと脱力したように顔をくしゃと歪めて泣き出した。


「マチダ!」

「あ、ちょっとズルいですわよ!」

「よかった。無事だったんだな」


 ふらつく足取りで俺に駆け寄ってきたノワールは、シーナの小言を無視して倒れるように胸元に飛び込んできた。小さな体を抱きかかえると、無事とはいえ数え切れない裂傷の跡が痛々しく残っていて、ここまで辿り着くのにどれほどの困難を乗り切ってきたのか想像するだけで胸が張り裂けそうになった。


「マチダ……どうしてここに?」

「シーナからノワールが行方不明になったことを聞いたんだよ。学校の上層部は役に立たないみたいでな、危険を承知で二人でダンジョンに足を踏み入れたんだ。そんで後ろの二人のことが気になるとは思うんだが……」

「おいマチダ! シーナお嬢様を危険に合わせた責任は地上に戻ったら必ず取らせるからな!」

「オパルの言うとおりだぞ、マチダ殿。娘を傷物にしてしまった責任は是非とも婚姻を結ぶということで負ってもらわないとな」

「お父さん! いい加減にしてください!」

「ご、ご主人様⁉ お戯れも程々になさってください!」


 背後でやんややんやと騒ぐ二人を無視し、何故ハイアット家の当主とその執事がついてきたのか説明した。


「俺とシーナはノワール達が通ったと思われるコースを辿ってダンジョンの奥深くまでやってきたんだが、この上の階層でドラゴンに出会したんだ。正直俺は役に立たないし、シーナもさすがにドラゴン相手に防戦一方だったってときに、ちょうど後ろの二人がやってきたんだ。なあ、シーナ」

「ええ。オパルには後で話がありますけどね」


 シーナの氷のような視線がオパルに突き刺さると、あのふてぶてしい執事が冷や汗を流してそっぽを向いた。

 圧倒的な戦力差を前に打つ手がなかった俺達は、突如ドラゴンの巨体に凄まじい威力の雷撃が直撃するのを目撃した。何が起こったのかわからず、目の前に立った人物の姿を見て驚かずにはいられなかった。


「フハハハハ!! トカゲモドキが我が娘に襲いかかるなど万死に値するのだ!」

「流石でございます。ご主人様」

「え、なんであんたらがここに?」


 そいつはドラゴンに向かって聞くに堪えない罵詈雑言を浴びせて魔法を連発するハイアット・キドラントとオパルだった。敵とはいえ哀れに思えるほど苛烈な攻撃を受け続けたドラゴンは、瞬く間に倒された。


 この二人、どうして絶好のタイミングで俺達の危機を救ったのかというと、実はオパルは暇を見ては個人的にシーナの周りに悪い虫がつかないか――最近は俺がシーナに近づかないか――監視をしていたというのだから正直引いた。


「行き過ぎた愛情表現は時としてストーカーと言うんだぞ」

「ふざけるな。私の崇高なる想いを愚弄する気か」


 俺もシーナもドン引きしていたが、助けに来てくれて助かったというのが正直な気持ちだった。ギドラントはストーカーのオパルからただちにシーナが行方不明であると報告を受けると、全ての職務を放棄してまでこのダンジョンに訪れ、破竹の勢いで下層までやってきたという。


「とまぁ、俺がしたことなんてほとんどないんだがな」

「ううん。助けに来てくれて、ありがとう」


 安心しきったノワールは糸が切れたように眠りに落ちた。


       ✽✽✽


 生まれて初めての冒険から生還し、再びほぐし庵の一経営者に戻ると生意気な客がやってきた。


「マッサージお願いできる?」

「ああ、もちろん」


 その客は何かに付けてふてぶてしい態度を崩さなかったが、マッサージを終えると聞き逃してしまいそうな声で「助けてくれてありがとう」と呟いて、そして去っていった。

 今では姉と仲良くとまでは言わないが、少しずつ良好な関係を取り戻そうとしているらしい。

 少しでも役に立てたのなら、俺の存在意義はあったのだろう。

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