第14話 白黒

「とりあえず全身マッサージをお願いしよっかな。あ、一番短い三十分でいいよ。早く早く〜」


 まだ疲れという概念も知らなそうな溌剌はつらつとした声で、希望の施術コースを告げるとブランとやらはベッドにダイブするとスカートがはだけるのもお構いなしに足をバタつかせ急かしてくる。


「俺がこういうこと言うのもなんだが……君の体はどこも不調を抱えているようには見えるけど?」

「うん。ないよ」

「そっかそっか……ってないのかよ」


 聞いてるこちらがさも頭のおかしい質問をしているような、キョトンとした真顔で答えるブランは猫らしい跳躍力で俺の上半身に飛びついてくると、それだけでは飽き足らず両手両足でがっちりとホールドをしてきた。小柄な体からは想像もできない力で簡単には解けそうもなかったし、その光景を見て大声を出したのはまたもシーナだった。


「は、は、は、破廉恥ですわっ!」

「そう言うわりにはしっかり見てるじゃん。清純な森妖精のくせに」

「そ、そそ、そんなこと断じてありません!」


 身動ぎできない姿勢でいる俺を非難しつつ、自分はちゃっかり指の隙間から凝視しているシーナにブランの至極真っ当な一言が突き刺さると、目に見えて慌てちゃってこの場の主導権は完全に一番年下である少女の手に握られていた。


 下手をすれば自分の子供ほどの年齢の少女に欲情などするはずもないのだが、未だ発育段階途中の体を俺に押し当てながら、精一杯扇情的な声色を作って囁いてきた。


「お姉ちゃんより私のほうがスタイルいいでしょ?」

「馬鹿なことを言うんじゃない。君はまだ子供だろ」

「でもスリーサイズは既にお姉ちゃんに勝ってるよ? 特別に教えてあげよっか。上から〜」

「言わんでもいい! ノワール、お前の妹だろ。こいつをなんとかしてくれないか」


 本当にノワールの妹なのかと疑ってしまうほど、言動から性格まで何一つ一致しているところがないように見受けられる。幼い少女一人解けない人間の非力さを痛感させられながら、泣く泣くノワールに助けを求めるとブランの背中を引っ張り、初めて語気を強めて不機嫌さを覗かせた。


「ブラン。いい加減にして」

「ええ〜もう少し遊ばせてよ〜。昔からお父さんとお母さんに言われてるじゃん。『姉妹ケンカしないで仲良く分け合いなさい』ってね」

「マチダ。ものじゃない」

「ちょっと、ノワールさん⁉ このような妹がいるなんて聞いてませんよ! あなたも殿方に対してはしたないですわよっ」


 抱きしめられるがままの俺は、姉の口撃をのらりくらりとかわして楽しんでいる様子のこの子は何をしたいのか考えてみたのだが、一向に理由が見えてこない。 

 躍起になって俺からブランを引き剥がそうとするシーナにデコピンをして追い返す少女は、つまらなそうに口を開く。


「ふーん。人間のくせに随分森妖精エルフと仲がいいみたいじゃん。もしかして、二人が付き合ってるって噂は本当なの?」

「馬鹿言うな。彼女はうちの大事な客の一人だ。そんな不埒な真似するもんか……ちょっと待て、今なんて言った?」

「噂のこと? なんだ、マチダは知らなかったんだ」


 慌ててシーナに目線で訴えると、目を泳がせて顔をそらした。つまり知っていたということか。


「誰が流した噂か定かではないけど、少なくともアストラ魔法学園ではその噂話で持ちきりだよ。ちなみに私は中等部に在席してるんだけど、高等部で噂されている深窓の令嬢のスキャンダルはその日のうちに中等部まで流れてきたから」


 そこまで話すと遊びに飽きた猫のように再び離れてみせ、「これからもよろしく」とにこやかに手を差し伸べてきた。握手の習慣がない俺は少ししてようやく意図を理解し、制服で手を拭いてから握り返そうとするとすんでのところで上にそらされ、何もない宙を握った俺を指さして盛大に笑いやがった。


「アハハッ、マチダ単純すぎなんだけど。お馬鹿すぎて笑える」

「お、お前なぁ……」


 ここまで年下の少女にコケにされ、手のひらで転がされたことなどかつてあっただろうか。

 怒りを通り越して頭が痛くなってきた俺は、手の甲側の親指と人さし指の骨の分かれ目にある窪みのツボ、「合谷ごうこく」を痛めつけすぎない程度にセルフマッサージをした。


 怒りで乱れた自律神経を整えてから、患者用の作務衣に着替えてもらうよう手渡されると、笑顔で「やっぱいいや」と押し返えされた。

 呆気に取られたまま立ち竦んでいる俺達を尻目に、踵を返して店の外に足早に出ていったブランが去り際に振り返ると、俺に向かって「案外大した事なさそうな人間だね」と、捨て台詞を言い残して姿を消した。



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