第13話 妹登場

 ハイアット家当主にマッサージの技術を讃えられたまでは良かったが、まさか娘であるシーナとの婚約を迫ってくるとは夢にも思わなかった。

「首を縦に振るまでは帰らん」と押しが強すぎるギルベルトをなんとか追い返すことに成功するも、父親についていかず一人店内に残ったシーナは、ふざけた提案に嫌がる素振りを見せずに上目遣いで潤んだ瞳を向けてきた。


 不覚にも一回り以上年下の少女に胸がざわめいた俺は、思春期の少年のように視線を逸して「後片付けがあるから」と、扉を指差しぶっきらぼうに退店させようとしたのだが――シーナは従わず、それどころか突然抱きついてきて離そうとしなかった。

 いい大人が混乱の窮地に陥ってしまうとは情けない。


 柔らかい双丘の感触に思わず生唾を飲み込んでしまう愚かな自分を恥じ、必死に邪念を振り払う。

 こちとら理性を総動員していることも知らず羞恥に頬を染めるシーナは、マッサージベッドに俺を押し倒すと体を預けて「私のこと、嫌い?」と尋ねてきた。


「嫌いじゃないが……こういうことはもう少し大人になってだな」

「もう大人ですわ」


 触れると割れてしまいそうな肌理細きめこまかい柔肌の美しさに目が眩む。例えるなら――希少な白磁器の艷やかな表面に勝るとも劣らない。


 恐る恐る手を伸ばした腰はなだらかな曲線を描き、本能に抗えず背筋に指を這わせると敏感に反応を示す上半身が大袈裟に震え、内に秘めた欲望が鎌首をもたげ始める。施術のときとは異なる艶めかしい吐息が洩れるたびに、俺の耳朶を掴んで離さなかった。


「マチダになら……ナニをされてもいいですわ」


 その一言がきっかけとなり、一度決壊した理性は元には戻らず忘却の彼方に消え去ってしまった。マッサージで鍛えた十指は無防備な獲物に牙を立て、欲望の限りもてあそぶ。

 上気したシーナの顔は、押し寄せる快楽の荒波に必死に耐えて正気を掴んで抗っているように見えたが、やせ我慢はそう長くは続かない。全身を愛撫され抵抗する術を持たないシーナの体は、絶えず下腹部から伝わる甘い電流に痺れているようでついには嬌声をあげてぐったりと果てた。


「アストラ魔法学園の天才が、まさかこんな痴態を晒してるなんて全生徒に知られたら、恥ずかしくて外も歩けられなくなるな」

「そんなこと言わないで……」


 敏感な部位に指が食い込むと、背中が仰け反るほどの衝撃にシーナの意識が遠のく。息も絶え絶えの状態でさらなる快楽を求めて来るようになった。


「それなら懇願してご覧よ。俺は別にやめてもいいんだよ?」


 ニヤニヤと笑うと、目尻に涙を浮かべたシーナは悔しそうに、しかし本心から呟く。


「やめ……ないでください」

「よく言えました」


 顔から火が出るほど恥ずかしい台詞セリフを吐いてしまうと、盛りのついた雌猫のように欲望の赴くまま体を委ねた。理性も本能もぐちゃぐちゃに掻き乱された彼女は、その日一番の絶叫をあげて果てる。


       ✽✽✽


「マチダ。感想教えて」


 朗読を終え、そっと本を閉じたノワールは腰掛けていたベッドから立ち上がると、自ら書き上げた官能小説を一部抜粋して感想を尋ねてきた。


 どうも何も、勤務時間中に濡れ場のシーンを恥ずかしげもなく読み聞かせてくれんなと一言物申してやりたかったが、しかし一番のツッコミどころは登場人物が明らかに実在する人物であることと、やってる行為は完全に有罪アウトな内容であることだった。

 もちろん無垢な少女に手を出すような鬼畜に成り下がった覚えはない。断じてないったらない。


「あのな、ノワール。俺はお前がどんな趣味を持っていようが否定をするつもりはさらさらないが、お願いだから本名を使用するのは控えてはくれないだろうか。どうしても脳内で映像が再生されてしまう」


 まさかノワールに官能小説を書く趣味があるとは思いもしなかったが、どうやら施術中のシーナも今日初めて耳にしたらしい。

 初めてほぐし庵にやってきたときに決して少なくない報酬を提示されたことがあったが、実はそのお金で買いたかった本というのは勉強に関する本ではなく、小説だと知った俺はずっこけてしまった。


「リアリティ重視。シーナはどう」

「お、おいっ。シーナになんてこと聞いてんだ」


 高潔でプライドが高く、純潔を何より尊ぶ森妖精エルフに下ネタは御法度であることは既に周知の事実。ましてや年齢指定の小説の朗読をきかせるなんて以ての外だというのに、マイペースなノワールは地雷原をなんなく歩いて感想を求めた。


 折しもタイミング悪く、マッサージの途中に逃げ場もない状態で聞かされていたシーナの反応は当然芳しくない。

「品性を疑いますわ」と吐き捨てると、施術時間の終わりを告げるタイマーが鳴ると同時に体を起こし、長い耳を根本から先端まで真っ赤に染めながら怒ってらっしゃった。


「ノワールさん! その破廉恥極まりない小説に出てくる登場人物が何故マチダと私になってるのですか!」


 詰問口調で問いただすシーナだったが、マイペースなシーナには暖簾に腕押しだったようで、頭をポリポリ掻きながら悪びれない様子で答える。


「自信作。好みじゃない?」

「好みとかそういう問題じゃありませんわっ! そもそも私はマチダ先生とそのような関係ではありませんし、マッサージを受けに来ただけの健全な客の一人です。そもそも私はそのような……は、はしたない女性ではありませんわよ! マチダだってそんな意地悪なことを口にはしません」

「そうだぞ、ノワール。うちは年齢性別種族問わずウェルカムな至って健全なマッサージ店だ。決していかがわしい行為はしない」

「むう。改良の余地あり」


 ノワールが残念そうに小説を鞄にしまうと、ほぐし庵に一人の客がやってきた。


「いらっしゃい……あれ? 君ってあの時の」

「ああ、あなたはワイバーンの串焼きを分けてあげた人じゃん。ん? まさか……あなたがマチダタダシ?」


 店内に姿を表したのは、この世界に訪れたばかりで右も左もわからない俺に優しく串焼きを差し出してくれた猫人の少女だった。


「そうだけど……って、ちょっと!」

「な、何してるんですか、あなたは!」


 シーナが大声を出すのも無理はなかった。猫耳の少女は目にも止まらぬ速さで近付いてくると、断りもなしに俺に突然抱きついてきて最近気にしつつある臭いをクンクンと嗅ぎ始めたのだ。

 しかも離そうにも離れてくれない。


「なんだ、姉さんとはくっついてないのね」


 しばらくの間全身を弄られるように嗅ぐと、そう言い放って興味を失ったように離れノワールに視線を向けた。


「やり過ぎ。ブラン」

「姉さんって……ノワールには妹がいたのか」

「ん。二歳年下」


 なにやらブランとやらが訪れた瞬間から、店内の温度が急速に下がっているような気がして身震いをすると、シーナも同様にロワールの異変に気がついているようだった。

 

「何しに来た」

「そんな怒らないでよ。姉さんが人間に興味を持ったなんて聞いたからさ、どんなやつか見に来ただけだよー。許して☆」


 ブランは姉に両手を併せて謝ってはいたものの、悪びれる様子がないことは鈍感な俺にもはっきりとわかった。



 

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