第11話 解決

 頭側に腰掛け、瞳孔の垂直線指二本分下にある眼窩下孔がんかかこうの「四白しはく」に親指を押し当て、自重を利用して優しく指圧をするとギルベルトはあまり聞きたくない中年男性の吐息を漏らす。


「こ、こんなもん、気持ちいい範疇に入らんな」と、無駄に快楽に抗おうとするあたりにプライドの高さが垣間見えるが、喘ぎながら途切れ途切れに口にするものだから正直薄気味悪くてならない。


「恐らくですが、ギルベルトさんの顔面の痛みは『三叉神経痛』による症状だと思われます」

「サンサシンケイツウ? 初めて聞く病名だが……よもや命に関わる病ではあるまいな」

「いえ、三叉神経痛自体は死に繋がるような病ではないのですが、生活の質は著しく低下します。人によっては『この世で感じる最も酷い痛み』だと表現しますし、なかには自殺を選択してしまう患者さんもいるほどです。その辛さはご自身がよくおわかりでしょう?」


 はっきり言ってしまえば、病状が進行しても生命や後遺障害などの危険性はないので急いで治療しなくてもよい病気だが、激痛のため生活に支障をきたすことが少なくないのも事実。

 原因は顔面の感覚神経である三叉神経が何らかの血管により圧迫されることで発症すると言われているが、未だはっきりとして原因は解明されていない。

 それに、この世界では魔法によって怪我は癒せても外科的な治療はほとんど行われておらず、医療水準は現代日本の足元にも及ばない。よって放っておけばいつまでも痛みに苛まれることになってしまう。


「ギルベルトさん。大変なのはこれからですよ。まだまだ気持ちよくなりますからね」

「な、なんだとっ」


 さらに口を閉じた状態で、耳穴じけつから頬骨の下縁に沿って指を滑らせていくとぶつかる窪みの「下関げかん」と、耳の付け根にある指がすっぽりとはまる窪みの「翳風えいふう」に親指を当て、力を込めすぎずに刺激を与えてやるとギルベルトはシーツにシワが寄るほど力一杯掴み、恍惚の表情を浮かべた。


「わ、私は……ハイラット家当主だ……このような快楽に屈しなどしない!」


 とろんと溶けた瞳の奥に説得力は皆無だった。隅で愛娘であるシーナからドン引きされてるとはつゆとも知らず、終始悶えていたギルベルトの体内では目に見えてわかる変化が生じた。


 停滞していた気の流れは忘れていた奔流の勢いを取り戻し、全身の血流を促進させることで強張っていた全身の精神的緊張も和らいでいく。

 消え入りそうな弱光を放っていた経穴は新品に取り替えたかのように眩い輝きを放ち、消炎鎮痛作用と免疫力向上を図ったことで見違えるようにギルベルトの顔に溌剌はつらつさが蘇ると起き上がった途端に全快を主張した。


「おお……やったぞ! ついにあの忌々しい痛みが消え失せた!」


 どこかで見た拳を突き上げて昇天するポーズをとると、上気した顔のまま上背で勝るギルベルトが突然ひしと抱きしめてきてきた。


「先生は恩人だ。今なら我が身を捧げてもいいくらいに感謝している」

「いや、あの、本当に勘弁してください。ていうか離れてください」

「お父様! いい加減にしてください!」


 シーナの一喝で解放されるまでのあいだ生きた心地がしなかった。


       ✽✽✽


「先生――いや、マチダ殿。この度は私の長年の苦悩を取り払ってくれたこと、誠に感謝する」


 作務衣から着替えたギルベルトは、貴族にふさわしい佇まいでベッドに腰掛けるとこれまで見せていた高圧的な態度から一転して殊勝な態度で頭を下げた。

 隣のシーナも同様に頭を下げ、再び上げた顔には薄っすらと涙が浮かんでいた。

 父親の体調が回復したことが、よっぽど嬉しいらしい。


「お父様はね、私が生まれる以前からずっと痛みに悩まされていたんですのよ」

「えっ⁉ ていうことは……十数年もの間、投薬も治療もなしに三叉神経痛の痛みに耐えてたんですか?」

「確かに娘が生まれる前の話だが、正確を期すと百年以上昔の話だな」

「ひゃくねん、ですか、ハハハ……」


 人間と森妖精とでは、寿命も違えば時間に対する感覚も大きく異なるとはいえ、一世紀以上もの間耐え難い激痛と共に暮らしていたその胆力には正直呆れたというか、度肝を抜かれた。

 施術後は痛みから開放されて態度が軟化したことが影響したのか、余裕のなかった表情からは憑き物が落ちたように剣が取れて幾分眉間によっていたシワが消えているように窺える。


「初めは世間知らずの愛娘が、どこぞの馬の骨とも知れぬ人間に騙されているのではと危惧していたが、このマッサージとやらを直に受けてわかった。マチダ殿、そなたは信頼に値する人間である」

「そんな大げさですよ。俺は自分が出来ることをやったまでですから。それにまだ治癒したと決まったわけではないので、なるべくストレスを避けた生活を送ってくださいね」

「もう、マチダは謙虚すぎるのです。ほぐし庵の料金設定もそうですが、成果に見合った報酬を受けるのは当然の権利なのですよ」


 謙虚であることは悪くないなずなのだが、二人の目には自らの腕に自信がないように映るらしく、特にギルベルトは相応の報酬を受け取るよう強引に迫ってくる。


「もしも望むのであれば、我が家専属のかかりつけ医として雇ってもいいんだぞ」

「いえ、私にはそのようなだいそれた役職は勤まりませんので」

「それなら言い値で報酬を支払わせてもらう」

「それも結構です。決まった料金を知らっていただければ十分です」


 にじり寄ってくるギルベルトに後退りしながら丁重に断るも、退くことを知らない貴族は言質げんちを取ろうと躍起になって報酬を提示してくる。


「むう……では新しい店舗はどうだ。アストラの一等地で新しく店を開いてみたらどうだ。ええい、こうなったら爵位も与えてやろう!」

「全部お断りします。そもそも最初に話した通り特別扱いはしていませんので」


 富を与えてやると言われて心が揺るがないといえば嘘になるが、この世界に訪れた目的は、金でもなければ権力でもない。

 目の前に困った人がいるからだ。

 次第に報酬を吊り上げていくギルベルトに理解してもらえるよう説得を続けて、「ならば仕方ないか」とようやく振り上げた矛を収めてもらえたと安堵した俺はギルベルトの押しの強さを見誤っていたことをしる。


「そういえば、マチダ殿には心に決めた女性はいるのかな?」

「……いえ、あいにく」 


 一瞬とはいえ、返答に詰まった俺の脳裏に浮かんだのは別れたはずの宏美の笑顔だった。

 そういえば今頃何をしているのだろうか――別の男でも見つけて幸せに暮らしているのだろか――未練がましく元彼女へ想いを馳せていると、ギルベルトは「それならちょうどいい」と快活に笑いシーナの肩に手を置いて爆弾を落としていった。


「是非とも私の娘を嫁にもらってはくれないだろうか」

「「はい⁉」」

「ちょ、ちょ、ちょ、お父様! 何を仰っているのかおわかりなのですか?」

「もちろんだ。伊達や酔狂でこのような話を持ち出すはずがないだろう」


 伊達や酔狂どころかご乱心とも取れる発言に慌てふためいていたシーナは、ちらちらと俺に視線を向けてくると――心の準備がどうだとか、なにやらゴチャゴチャと呟いて高笑いをしているギルベルトを叩いていた。


 ――冗談は置いといて、この世界で誰かをめとることなどあるのだろうかと、二人の騒ぎをよそに考えてみたが今すぐには答えが出ない難問だった。





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