第15話 再会

 ジョーは、比較的ゆっくりとした静かな動作で立ち上がると、気づかれないようにリサ博士の背後に近づき、「わっ!」と言って、彼女の背中を軽く押した。


「ひっ!」


 驚いたリサ博士は、後ろに少し仰け反るように背筋をピンと伸ばした。

 ジョーはすかさずリサ博士の前に回った。


「全く、余計なことをしてくれるよな。俺がなぜあんたに会いに行かなかったのか、そのことをよく考えなかったのか?」


 不意に驚かされたリサ博士は、なんのことかさっぱり分からないといった様子だった。


「ふん、俺を育てる代わりに、八人の俺のALを育てたっていうのかい?愛情を込めて? それは何だい、俺に対する罪滅ぼしってやつかい?」


「罪滅ぼしですって?」


 リサ博士は突然何かを理解したように目を丸くした。


「違うよな? 罪滅ぼしなんかじゃない」


 リサ博士は何か言いかけたが、すぐに止めて、そのまま否定も肯定もせず、ただじっとジョーをみていた。


「あんたは自分のやりたいことをやってきただけ。自分の欲望に忠実に従ってきただけさ。そうさ、あんたは立派だよ。そしてこの俺は、まんまとその流れに乗せられて利用されてきたってわけだ。どうせ俺は、あんたの愛していた男の子供じゃないんだからな!」


 ジョーのその言葉を聞いた瞬間、リサ博士はその目を大きくかっと見開いた。


「何を言うのジョー! 落ち着いて、とにかく落ち着いて頂戴!」


 ジョーのすぐ後についてきたカナが、ジョーとリサ博士との間にすぐさま割って入った。


「言いたいことはそれだけ?」


 しかしそれでもリサ博士は、あたかも余裕ありげにすました顔をしながら、ジョーを睨みつけるようにして言った。この態度がトリガーとなった。


「あんた、メリーに金を無心していたな? こんなくだらない研究を続けるために。そうさ、俺だけじゃなく、あんたはメリーまでもあんたの野心に巻き込んだのさ。ほんとに大したもんだよ!」


「ジョー、いいかげんにして、もうやめて!」


「カナ、いいのよ、彼の好きなようにさせてあげなさい」


 パン、パパン!


 ジョーはいきなりリサ博士の頬を三発張った。

 これにはリサ博士もびっくりして、後ろによろめいた。周りにいたミカとガンダーレ兄弟たちがジョーをとり抑えようとしたが、カッとして振り向いたジョーの眼力が彼らの動きを一瞬で制した。


 ジョーは、リサ博士の髪の毛を無造作に掴むと、その激痛による喚き声などお構いなしにふりまわし、そのまま顔面に鉄拳を何発も浴びせた。

「キャー!」

 部屋中に、ミカとカナの絶叫が響きわたった。


「や、やめて、お、お願い」

 そう懇願するリサ博士の顔は、吹き出した鼻血で血だらけになっていた。


「嫌だね。好きにしろと言ったのはあんただ。俺には分かってる。あんたは絶対に謝らない。俺にもそしてメリーにも。この傲慢くそ女が!」


 ジョーの瞳の奥底に潜む冷酷で残忍な思いが、いつのまにかあふれてきた涙を盾にして、ジョーに襲かかろうとしていた。


「やめて!」


 銃口をジョーに向けたカナが、震えながら立っていた。

 刺すようなカナの気迫に、ジョーはゆっくりと拳を降ろした。


「殺しはしない。だがこの女には、たとえ一目でも見せてやる! 死の深淵って奴を! 俺を愛してくれた人たちが、この俺を待つ場所を!」


 カナは決して人前で簡単に涙を見せるような女性ではない。だが、このときだけは、その心を、その全てを覆う悲しみを、ジョーの心にぶつけなくてはリサ博士を救えないと思った。それはもはや本能に近い感覚だった。


 カナは、銃を捨ててジョーの背中にしがみついた。そしてそのままジョーの背中に顔をうずめながら祈るようにしてすすり泣いた。


「えっく、えっく、ジョー、お願い、ママを、ママを放して。ママがあなたにしてきたこと、私にはよく分からない。だけど、ママは私たちにはとても大切な人なの。ジョー、きっとわたしたちが間違っていたのね。ごめんなさい。もうあなたは自由になって。ここから、そう全てから、もう十分だから」


 背中にかかるカナの荷重と温もりが、ジョーの気持ちをはっとさせたようだった。


 ジョーがリサ博士の髪の毛を放すと、リサ博士はそのままごんっと床に頭をぶつけて倒れた。その日二度目の失神だった。


 カナの方にすかさず向き直ったジョーは、少ししゃがんで彼女の両肩をぎゅっと抱きしめた。しかしもうそのときには、あまりにも冷たくて惨い罪悪の情がジョーの背中全体に蠢いていた。


「すまない、カナ、こ、こんなつもりじゃなかった。ほんとうにこんなつもりじゃなかったんだ。君をこんなふうに悲しませるなんて、ああ、俺は一体何を、何をしたんだ!」


 右拳についた血の臭いが、ジョーの意識をはるか遠いものにしていくようだった。


 カナの目から、大粒の涙があふれていた。ジョーは狼狽えながら、いや狼狽えていたからこそ、ジョーの中にある、ある凛とした思いが、今の彼を支えるかのように思わず口を次いだ。


「俺はバカだ、本当に。君がいるのに! 俺に自由になれっていってくれる君が、俺の運命そのものである君が、今ここにいるのに!!」


 カナはジョーの「運命」というその言葉に、なぜかどこか神秘的で、かつ現実の力をも帯びた不思議な響きを感じた。

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