第2話 きみの声がする

 翌朝、まぶしい朝陽が窓から差し込むと、宗一郎は目をこすりながら寝床から起き上がった。


「さあ、朝だぞ、ミント。お前も起きろよ。一緒に飯を食おうぜ」


 しかし、一緒の布団にいるはずだったミントの姿は、どこにも無かった。

 かすかなぬくもりだけが、宗一郎の両腕に残っていた。


「あれ?どこにいったんだ?」


 宗一郎は家中至る所を探し回った。

 しかし、姿が見えなかったので、今度は家の外に出て周囲の様子を確かめようとした。


「おーい!ミント、どこにいるんだ!朝ごはん用意したぞ。一緒に食べようぜ」


 宗一郎は家の周りを一周したものの、ついにミントの姿を見つけられなかった。


「いないか……一体、どこに居るんだ?」


 学校の始業時間が近づいていたため、宗一郎は探すことを止めた。

 猫は自由気ままな生き物だから、いつかまたこの場所に戻ってくると信じて。


 授業が終わり、演劇部の練習に向かった宗一郎は、いつものように自分のパートに交じって練習を始めた。

 その時、今まで聞いたことのない甲高い声が、宗一郎の耳にフッと入って来た。

 違和感に気づいたのは宗一郎だけではないようで、他の部員も一斉に後ろを振り向いていた。


「美月ちゃん。すごい!堂々と声を出してる……」

「なんだ、ちゃんと声を出せるじゃん。何で今まで出さなかったんだろう?」

「美月ちゃんの声、すごい!何というか、心まで響くというか……」


 視線の先には、力強く、稽古場中に響き渡る位の大きな声で台本を読んでいる美月の姿があった。

 今までのように下を向いて委縮したような態度ではなく、前を向き、目を見開き、自信にあふれ、別人のような感じがした。

 この日の練習中、部員は皆足を止め、ひたすら美月の演技に見入っていた。

 練習が終わると、自然と拍手が沸き起こった。


「美月、十分に声出せるじゃん。何で今までずっと隠してたの?見直したよ」


 パートリーダーの藤木が美月の髪を撫でると、照れ笑いしながら頭を下げる美月がいた。


 練習が終わり、宗一郎はいつものように家に帰ろうと、懐中電灯を片手に月見坂を歩き始めた。

 十六夜の月が明るく照らす中、猫たちが石畳の上でじゃれあい、楽しそうな声を上げていた。

 その時突然、石畳の上に人影が浮かび上がり、坂を上がろうとする宗一郎の前に立ちはだかった。


「坂本先輩……」


 ちょっと訛りのある口調で、宗一郎は人影に呼び止められた。


「美月さん、かな?」

「はい、ごめんなさい。呼び止めちゃって」


 人影の正体は、美月だった。


「今日はどうしたの?あんなに声が出て、立派な演技が出来るなら、最初からやればいいのに」

「今までは怖くて出来なかったんです。また訛りが出るんじゃないかって」

「でも、今日は完ぺきだったよ」

「私、先輩に出会って、自分に自信を取り戻せた気がするんです。先輩が私に『大丈夫だよ』って言ってくれて、やさしく私を包み込んでくれたから。こんな自分でも、守ってくれる人がいるんだなって。そう思ったら、不思議と自分を出せるようになったんです」

「はあ?俺、そんなこと言ったっけ?」

「私、すっごく嬉しかったです。ありがとうございました!」

「は、はあ……まあとにかく、自信を取り戻せたなら良かった。この調子で、コンクールもいい演技しような」

「はい!がんばります!」


 美月は頭を下げると、しばらくの間、じっと宗一郎の方を見つめ続けた。

 大きく見開いたその目は、何かしら言いたげな様子だった。


「先輩、私……」

「何だい?突然…」

「あ!な、何でもないです!また明日、よろしくお願いしますっ!」


 美月はちょっぴり顔を赤らめると、背中を向け、真っ暗な月見坂を早足で上って行ってしまった。

 駆け足で坂を上がる美月の後を、沢山の猫たちが群れをなして追い始めた。


「あれ?この坂の上って、俺の家しかないはずだけど。どうして彼女は坂の上に…?」


 宗一郎は首をひねった。

 思い返すと、今日の美月は、不可解な行動が多かった。

 演劇部の練習で今までがウソのように完璧な演技を見せたり、美月を励ました記憶が全くないのに感謝されたり……。

 彼女は夢でも見ているのだろうか?それとも、夢を見ているのは宗一郎の方なのだろうか?


 自宅にたどり着くと、既に夕食がテーブルの上に用意されていた。


「お帰り、今日も遅いから、簡単なものしか用意してないからね!」と浴室から母親の声がした。

 テーブルの上に置かれたサンマの蒲焼と、魚のあら汁に箸をつけようとしたその時、灰色の猫がテーブルの真下からひょいと顔を出した。


「ミント……ここにいたのか!?」


 すると、ミントは「ずっとここに居たよ」と言わんばかりに、ニャアニャアと小声で鳴いた。

「お腹空いたか?じゃあ、俺のおかずを少しあげるからな」


 宗一郎が小さな皿に蒲焼とあら汁の骨を取り分けると、ミントは嬉しそうに食べ始めた。


「腹減ってるんだな、お前」


 ミントはあっという間に皿の上のおかずを食べ終わると、宗一郎の膝の上に飛び移った。

 そのまましばらくの間、宗一郎の顔を大きな目でじっと見つめていた。


「な、何だよ?もっと食べたいのか?」


 ミントは唸り声をあげると、フンっと鼻を鳴らし、そのまま膝を飛び降り、そそくさと寝室の中へ行ってしまった。


「ちょ、ちょっと待てよ!どこに行くんだい?」


 宗一郎はミントを探しに寝室に入ると、布団の上にちょこんと座るミントの姿があった。。

 ミントは宗一郎の姿を見ると、起き上がり、ゆっくりと宗一郎のすぐ傍まで寄ってきた。

 そしてそのまま、大きな緑色の目を見開いてずっと宗一郎の顔をにらみつけた。


「な、何だよ、お前……その目つき、怖いな」


 すると、ミントは宗一郎の肩に手をかけ、頬のあたりを音を立てて舐め始めた。


「く、くすぐったいな!何だよお前!」


 宗一郎は顔を背けようとしたが、ミントはひたすら宗一郎の顔を舐め続けた。


 宗一郎はミントを両手で膝から引き離すと、ミントは悲しそうな目つきで宗一郎を見つめた。

 もっと舐めたかったのに、どうして引き離そうとするんだ?と言わんばかりに。


「わ、分かったよ。じゃあ、今夜はお前と一緒に寝るよ」


 そう言うと、宗一郎はミントを布団の中に置き、自分もその隣に横たわった。

 ミントは布団からで宗一郎の顔の前にひょっこりと顔を出した。

 そして、再び顔をペロッと舐め、そのまま目を閉じて安らかに眠り始めた。


「何か変な奴だな。ま、いいけど……」


 宗一郎はミントの身体をゆっくりと撫でると、ミントはゴロゴロと喉を鳴らし、宗一郎の身体に寄り添った。

 その時、宗一郎の耳元に不思議な声が聞こえた。


『大好き』


 え?今の声、一体誰だろう?この部屋には宗一郎とミントしかいないのに……。

 ただ、宗一郎はその声を、どこかで聞いた記憶があった。


 ミントの表情は、自分の気持ちが満たされたかのように安らかであった。

 カーテンの隙間から注ぎ込む月明かりが、二人の身体を優しく包み込んでいた。

 窓の外からは、たくさんの猫たちがじゃれ合い、ふざけ合う声が夜通し聞こえていた。


(おわり)

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月見坂の奇跡 Youlife @youlifebaby

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