第18話 海の底への入り口

 霧の中を、一同は進んでいた。

 先頭を湖畔が進み、辺りを見回す。その後ろを、霧子と和泉が進んでいた。


「こっちでいいの? 霧子」

「ああ、そうだ。…あ、湖畔。そこ踏まない方がいいぞ」

「えっ、なんで? って、ぎゃあぁ!?」

「湖畔お姉ちゃん!?」


 突然、沈没船近くの海面を踏んだ湖畔を中心に、人一人分ほどの渦が生まれた。突如現れた渦は、湖畔の足をしっかりと捉えると、ぐるぐると回りながら湖畔を海の中に引きずり込みかき消してしまった。


「消えちゃったよ!? 霧子、なんで!?」

「あれね、あたしがこの海域に仕掛けた罠なんだ。和泉たちが逃げた時に、追撃するために用意しておいたんだけどねぇ……まさか邪魔になるとは」


 霧子はぽりぽりと頭を掻いた。


「まあ、あわあわ言っても、あいつ海の神様なんだろう? それならすぐ…」


 あっけらかんに霧子がそう言うと、再び大きな水しぶきが吹きあがった。宙へと吹き上がる水柱の中から、手が飛び出したかと思うと、ほぼ転がり込むようにして湖畔が姿を見せた。


「はぁ、はぁ…ああぁ…!」

「おっかえりー。ほら、和泉ちゃんはこの通り元気だぞ? 事故だよ、事故」

「ああ、そうみたいだね……ふふ、ふふふ……丁寧に、海底まで引きずり込んで、そのまま海流の流れに飲み込むコースだったな」

「あんたと和泉ちゃん、どっちが罠にかかっても、あたしは追いつけるからねぇ。周到だろう?」


 湖畔は顔を上げると、にっこりとした笑みを霧子に向けた。そして、パンっと手を打ち、海面に着けると。霧子の足元から、当人の顎目掛けて、これでもかと言う量の小泡を撃ち込んだ。




「おう、ほらよ泡のボクサー、海底への入り口、その直前にできた集落についたぞ」

「えほっ、ごほっ。案内、お疲れさま…ふふ、ふふふ……」

「……二人とも、大人げない……」


 霧の濃度が薄くなってきた。霧の濃い方から、互いに肩を組んだ湖畔と霧子が姿を現した。それぞれ、湖畔の羽衣は節々が細かく切られ、肌がはだけている。霧子もまた、分離を命じられたのか服のあちこちの色が抜け落ち、白どころか透明になっていた。

 その横に添い和泉も歩き、はぁっとため息をついた。


「ほらよ…。ここが、その海溝ルートの入り口だ。」

「! わぁ……」


 湖畔は目の前の光景に目を開き、和泉は歓声を上げた。

 そこには、ここまでで見た沈没船よりもさらに大きい、巨大な船があった。真っ黒な船体に、横に付く大きな水車のような車輪。横幅は30メートルは確実にあるだろうという大きさだった。

 その風貌は既にボロボロで、等の車輪も朽ちて壊れている。航行はできそうになかった。


「なにこれ…船?」

「え、こ、これって……」


 湖畔は首を傾げたが、和泉が驚きの声をあげた。


「分かるの?」

「うん! 教科書で見た事ある。これって…黒船だよ。江戸時代が終わった、きっかけの船」

「きっかけの船かは、分かんないけどなぁ。当時の西洋じゃ、主流の船だったそうだ」


 霧子は湖畔との肩組みから離れると、前に跳びだし、振り返って二人に手を振った。


「さあ、こいよー。あの船のすぐ下なんだ、入り口はよぉ」


 そう言って、霧子は船へ歩いて行った。


「ここの下……?」

「…行くわよ、和泉ちゃん」


 呆然としている和泉を、湖畔は抱き寄せる。そして、覚悟を決めて船へと向かいだした。

 二人は徐々に全体が見えてくる黒船を眺める。見上げて見れば、船の上に、複数の木材のようなものが出来ていた。


「見て、あれ! ……テント?」

「誰かが住んでいるのか?」

「ああ、あの小屋達か? あそこにも、十数人かは住んでるんさ」

「十数人も!?」

「ああ。…ここで寝て起きては、そこら編で漁したり、漂流物取っては焚火したりして暮らしてる」


 3人が黒船の横にたどり着くと、霧子が船の肌に沿って進みだした。

 二人がついていくと、霧子が黒船の横に開いた、少し上ると入る事の出来る横穴の前でたどり着く。そして、ぴょんっとジャンプをして横穴の中へと入っていった。


「ほら、この中に入れ。上の連中に挨拶する必要もねえよ。こことはすぐおさらばするんだからさ」

「ああ。……彼らは、陸地に帰ろうってわけじゃないんだよな? ここを住まいにするよりも、手前の海を住処にすればいいのに……。私の結界のあたりなら、陽も照ってるぞ?」

「ハッ。そりゃあんたがイクチ倒したからだろう? 前はアイツが居て住めなかったんさ。…ああ、あたしが陸地に向かう前に、そのこと教えてやればいいかねぇ? 最後の置き土産ってな」

「最後の置き土産って…不吉な」


 そう話しつつ、湖畔は和泉を抱きかかえ、ぴょんっと跳躍し、横穴の中へと入った。


「わっ」

「ふふ、大丈夫大丈夫。…彼らは付いてかないのか?」

「八ッ、無理だねぇ。 あたしがなんでその子喰おうとまでしたと思う?」

「…ああぁ」

「誰も聞いてくれなかったさ。あいつらも未練があって、取りこぼしってやつに生まれ変わっただろうにさぁ…」


 黒船船内、荒れ果てた内部をひょいひょいと霧子が穴を避けて進んでいく。

 和泉は興味津々に辺りを見回すが、穴につまづき、落ちそうになったところですぐに湖畔に拾い上げられた。


「あまりはしゃぎ回らない。……私が、記憶を切り離して成仏させてあげようって言っても?」

「受け入れないだろうねぇ。……どっちつかずなんさ。諦めて楽になろうとも、無茶をしてでも、失った心残りを取り戻しに来ようともしない」


 霧子はそう言い、船の最下層に降りる階段に足を踏み入れた。ボロボロで湿り気をもった壁をそっと撫でる。湖畔は、そうした霧子の横顔が、とても儚く、寂しそうに見えた。


「時代の代わり目、人間と魑魅魍魎の境目、時代の分かれ目。そんなきっかけになった黒船に、そんな調子でずっと住んでるんだ。何もしないで、目の前が変わると思ってさ。……ほんと、なっ裂けない連中だ」

「…霧子……」

「……あぁ。なんからしくねえな、むしゃくしゃする。そうだ、そこの穴を覗いてみろよ」


 霧子はひとしきり頭を掻くと、階段を降り始めた湖畔に、壁の穴を促した。


「穴…?」


 湖畔は横の壁を見る。そこには、確かに顔程の穴が開いていた。一旦立ち止まり、そっと外側を覗く。


「……!? これって…!」


 船の反対側、穴の向こうには、キラキラと輝く光のカーテンが見えていた。

 その高さは、数十メートルはあるだろうか。そんな巨大な光の幕が、右から左へ、切れ目なく続いていた。湖畔はその光のカーテンをじっと見つめる。そのカーテンの向こう側も、


「そいつが、空をずっと飛べでもしない限り渡れない理由さ」

「この幕……。私の居た結界を囲んでたのと同じ」

「だろう? あんたの住処は、あたしも何度か見たさ。 その中に住んでるあんたなら、これがなんなのか分かると思ったんだがねぇ……」


 肩をすくめ、霧子は笑った。


「あんたを静かな所に閉じ込め、ちょーど取りこぼし達が生まれる手前に、がっしりと囲みを作った奴が居るわけだ。 あんたっていう神様をおぜん立てした奴らって、何なんだろうねぇ?」


 あっはっはっと、大きな笑いをあげて、霧子は下に降りていった。


「……何重もの結界。泡神様を…作り上げた、人達……」


 湖畔は息を呑む。脳裏には、船の船首から海に身を投げた、夢の中の自分の姿が浮かんでいた。


「…? 湖畔お姉ちゃん、どうしたのって、わぷっ」


 思わず、湖畔は和泉を抱き上げると、そそくさと霧子の跡に続いた。






「さて…ここだ」


 船の一番底。積み荷置き場と思われる、荒れ果てた空間内に3人はたどり着いた。

 前方には、四角く切り取られた穴がある。そして、その穴は青白く輝いており、光の中で海水が揺らめいていた。


「……舟艇に、海水が揺らいでる」

「不思議だろ? どうもこの船は、ただ壊れても浮いているってわけじゃないみたいでな。まじないでもかかってるのかもしれん」


 そう言いつつ、霧子は柄杓を取り出すと、海水に差した。そのままぐるぐると海水を回し、徐々に大きな渦が巻いてくる。


「よしっと、これでいい」


 そう言って、霧子は立ち上がり二人を見た。


「ここが、あの光の幕を避けた、海溝ルートの入り口だ。 道中は、自我も無くしちまった怪物達の楽園。最後の壁にして、自分たちの最後になるかもしれない場所だ」


 霧子は自嘲気味に笑い、肩をすくめた。

 3人の間で、渦の音だけが大きく聞こえた。

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