第17話 旅は道連れ、人数分の重み

 夢を見ていた。

 暗い海の中で、空に代わって私の前に現れた、海面の揺らめき。その揺らめきの向こう側には、木造の船首が見える。

 私は今、あそこから飛び降りたんだ。お腹には、ずっしりと重しが付いていて、もう上がれそうにない。


「…っ、~~っ、っ!!」


 息が苦しい。この頃は、息が必要だった。とにかく、苦しくて、苦しくて。早く、呼吸が要らなくなって欲しかった。

 私は、みんなの為にこうなる事を受け入れたんだ。私が身を捧げ、神様にならないと、これから先、たくさんの人々が怪物になってしまうって、長老に言われたんだ。

 …受け入れたんだから、最後ぐらい楽に行かせてほしいよ…。


「~~~!!~~~!!」

「…っ?」


 くぐもった悲鳴が聞こえた。私のじゃない。

 船首の先に、大人に抑えられながら必死にこっちに手を差し伸べてくる手がある。

 ああ、そうだ。そうだった。最後だからって、船の上まで付いてきてくれたんだ。


「……」


 名前を叫ぼうとした。叫ぼうとしたら、海水が一気に体に入って来た。

 肺の中に海水が入ってきて、呼吸も更に苦しくなってくる。

 やがて段々、手を伸ばしていた姿も遠くなって。光がすぼめられたように、真っ暗になっていった。


「……さよう、なら」


 ずっと泣いていた、妹に別れを告げた。

 真っ暗な中、ずっと苦しかった息が楽になり、お別れの言葉を口に出せたことを実感した。

 そして、私の体もずっとずっと、軽くなった。






「お姉ちゃん、お姉ちゃん!!」

「ん、んぅ……っは!!」


 呼びかける声がして、湖畔の目は覚めた。

 眼前には和泉ちゃん。そして、その横で腕を組みながら見下ろす霧子の姿があった。

 和泉ちゃんが、生きている。霧子の顔と和泉ちゃんの顔を交互に見たところで、まずそう認識した。


「…あなた、喰わなかったんだ」

「勝手に納得するんじゃねえ。話を聞いてから、判断しようって思ってんだこっちは」


 そう言って、見下すような強い睨みつけをする。湖畔は軽く笑うとゆっくりと上体を起こした。

 見て見れば、比較的水平を保っている沈没船の上だった。辺りは相変わらず霧に塗れた沈没船墓場だ。


「お姉ちゃんっ!!」


 起きて頭を動かそうと首を振っている湖畔の胸元に、和泉が飛び込んできた。


「ぐあっ」


 衝撃を伴う抱き着きは、湖畔を咽させる。むせびながら、その呼吸に海水が伴ってないのを認識した。


「……」


 あの時は、呼吸も出来なくて辛かったなぁ。


「…和泉ちゃん、無事で良かったわ」


 そう呟き、和泉ちゃんの頭を撫でる。


「全くまぁ。あんた本当に神様かぁ? 守りたい子残して、敵を前に気絶たぁ。ずいぶん余裕じゃんかよ」


 隣から悪態が聞こえた。見上げて見れば、霧子が柄杓を肩に担ぎため息をついている。実際、言い返す言葉が無い。


「……まぁ、あんたがあたしの言葉に、なんとも思わねぇ奴だったら、今頃あたしは成仏してただろうがよ?」


 霧子は目線を逸らし頬を掻いた。


「言葉…? …あぁ」


 泡の中で組みあいした時の事だ。湖畔は、霧子の執念を聞き、たしかに魂の分離を実行できなくなっていた。

 もし、その時柄杓側の手を抑えて、もう片方で胸元の心臓に分離を実行していたら…。果たして成功したかは分からないが。霧子は、死んでいただろうと思ったらしい。


「私は……勝てたか分からなかったけど」

「~~ああぁ、変な謙遜しやがるな! こちとらだって、遅れ取って情けねえのによ!!」


 霧子は苛立たし気に歯を噛みしめると、柄杓を湖畔の鼻の先に構えた。


「あたしが今攻撃しないのは、あんたのお情けの同情と、化け物同士の殺し合いに仲裁に入ったそこのガキの、勇気に敬意を払ってるんだ! 早く説明しねえんなら、もう一度おっぱじめるぞ!」

「説明…って?」


 こてりと、湖畔は首を傾げた。


「はーっ!? そこのガキ……いずみ、だっけ!? 戦う必要が無い理由があるんだろぉ!?」

「ああ、その事か」


 湖畔はちらりと和泉ちゃんの方を見る。その視線に対し、和泉ちゃんは霧子に目を向けた。


「う、うん。霧子さん、私を食べたいけど……食べたいのは、別の理由があるからなんだよね?」

「ああ、まあ……そうだ」


 霧子はまたも目線を逸らす。


「陸地に行って……家族の元に会いたい。でも、ここから先と陸地には、大きな差があると」

「ああ、そうだ」


 霧子は目線を横に向ける。その視線の先は、相変わらず霧しかない。だが、それでもその先に陸地があるようにまっすぐと見ていた。

 もしかすると、湖畔が魂の来る光の道が本能的に分かるように、陸地に執念を持って亡くなった霧子もまた、陸がどこにあるか本能的に分かるのかもしれない。


「…どうしても、その海域は、バケモンたちがいてな」

「たち?」

「ああ。あんた、あたしの事を取りこぼしって言っただろ?」


 霧子は振りかえると自分の胸をどんと叩く。


「ええ…」

「正直、あんたが来世への案内してるとか、あたしゃさっぱり分からん。まあ、あんたがうっかりさんだったからあたしが生まれ変わったって意味では、感謝してるがなぁ?」


 にひっと、霧子は嫌な笑みを湖畔にぶつけた。うぐっと、今度は湖畔が目線を逸らした。その額には、冷や汗が一滴。


「現世に生まれ変わった連中を、取りこぼしと仮定するが…。その海域に居る連中は、取りこぼしの中でも、怪物だ」

「怪物…?」

「…自我があるかどーかも、分からないんだ。近づく取りこぼしを見れば……喰い殺しにかかってくる。あれはもう人間ともいえねぇ、どう猛な野獣だ」

「あ、あのぉ…」


 声に反応し、湖畔と霧子が横へ目を向ける。そこには、恐る恐る手を上げた和泉ちゃんが居た。


「海域が危ないなら、空から飛んだりとかすれば……」

「何キロも空を飛べる翼があるならな?」


 肩をすくめ、霧子はため息をついた。


「私の泡も、そんなにずっとは出せないかなぁ…」

「海に付かず、ずっとじゃねえと無理だな。海上には、別の問題がある。陸へ渡るには…海底の、そういった魔獣どもがうろついてるとこ通るしかねえんだ」

「そ、そのために。一人で越えられるぐらい強くなろうと…?」

「ああ。 ……あたしが厄介になってる集落の連中は、誰も陸地に帰ろうとしねえからなぁ……未練本当にあるんだか」


 自嘲気味、霧子は吐出した残骸に腰かけて笑った。その後、俯けた顔を上げると二人を再びにらんだ。


「……で? あたしの事情は話したぞ? あんたのガキを喰えば、あたしは海底を越えれるぐらいの力がつくんだ」

「私を食べて、なんでそうなるの?」

「自分のはらわたに聞け」

「はらわたに!?」


 和泉はぎょっとして自分のお腹を見た。見たところで、お腹は何もしゃべる様子はなかった。


「……喋りません。じゃ、なくて。要は、霧子さん、陸にたどり着ければいいんですよね」

「ああ。だからなんだ!」

「ですから……」


 和泉は湖畔の顔を少し見上げた後、ゆっくりと霧子に近寄る。そして、青白く死人の様な色合いをした霧子の手を、そっと握った。


「湖畔お姉ちゃんと、私…。3人で、一緒に行きませんか?」

「はぁっ!?」


 霧子は、さすがに面を喰らったとばかりに目をぱちくりとさせた。


「じょ、冗談じゃない! なんで一人で越えられるかも分かんないのに、お荷物二つ抱えないといけないんだ!」

「でも、私もおうち帰りたいです。おうち帰りたいですし……同じく、陸地に帰りたいって言ってる霧子さん倒して、ここを通るってのもできません」

「倒すって…お前が倒すわけじゃないのに偉そうだなぁガキィ?あ~?」

「いや、私からも頼む」


 和泉を見下ろしてた霧子は、ぎょっとして顔を上げた。

 そこには、いつの間にか近寄ってきていた湖畔の姿があった。


「うわっ!?」

「あなたの能力。私自身、まだ破れてない。柄杓を持ってる限りは、貴女はとても強い。一緒に来てくれると…とても助かる。」


 そう言って、湖畔は自分の胸元に、手のひらを上へ向ける形で出す。海水からボールサイズの海水入りの泡が飛び出し、その手の上に乗った。


「お荷物二つと言ったけど…私の能力は、貴女にもやったように、様々な物を分離する能力を持っている」


 そう喋りながら、湖畔は海水入りの泡の中に片手を突っ込む。そして、握りこぶしを作ったまま泡から手を引いた。その一挙一動を、霧子は訝し気に見続ける。

 すると、湖畔は手を横に引ききったところで、ゆっくりと手を開いた。


「!!」


 手の中から、少しずつ塩がこぼれ落ちた。

 パラパラと塩は手から零れ、再び、元の海水へと帰っていった。


「貴女が苦戦する魔獣たち。自我の壊れてしまった彼らを、私が成仏してあげよう。…和泉ちゃんをおうちに帰してあげるのと同じく、取りこぼし達の事も気になってるからね」

「……う、う―ん……」


 霧子は、海中に霧散していく塩を眺めながら、腕を組み唸りだした。


「……実力は、あるのか。だがなぁ、あたしはまだあんたら二人の事をさっぱり知らねえ。知らねえ奴なら、知る労力稼ぐよりも、知らないまま喰って、自分の栄養にしちまったほうが―」

「それも良いと思うけれど」


 そこで、湖畔が霧子の言葉を遮った。


「たしかに、貴女にとって手っ取り早いと思うけれど。貴女、本当にそれでいいの?」

「な、なにが」

「家族の元に帰るなら、なんだってやってやるという貴女の覚悟、私は尊敬しますわ。…それでも、家に帰るのに、人の子供を喰ってまでも帰って来た、なんて。家族に胸を張って言えますかしら?」

「っ!!」


 霧子は、顔を勢いよく上げ、湖畔を睨んだ。その顔には多くの冷や汗。言葉への怒りと、動揺。両方が入り混じった焦ったような表情だった。


「……あなたは、まだ心が人間でいられている。私たちと協力して、人間らしさを残して家族に会いにに行きましょう?」

「……」


 その言葉に、霧子はしばらく言葉を返せなかった。


「~っ、ああ~~~!!」


 そして、ぼさぼさで古びた海藻みたいな髪色になった髪の毛をがしゃがしゃと掻くと、霧子は柄杓を構えた。

 柄杓は、湖畔の首元に添えられる。湖畔は、それに動きを見せず、ただ霧子を見つめた。


「……同じ目的なんだよな?あぁ?」

「ええ。その通りよ」

「……自分の願いの方が大事とか言って、あたしを裏切るんじゃねえぞ?」

「神様として、約束するわ」

「……ハッ」


 霧子が、吹いたような笑いをした。構えていた柄杓を戻し、穏やかな表情で湖畔を見る。


「そこは、湖畔として約束してもらいたいもんだねぇ。分かったよ、あんたらとチーム組んでやる」

「! …霧子」


 ほっと、湖畔も息をなでおろした。和泉ちゃんは『わーい!』と元気に小弾みした。その些細な衝撃で、沈没船全体が傾き、船がぶくぶくと沈み始めた。


「ひゃっ!? わわ、わぁ!」

「危ないっ!」


 湖畔はすぐに和泉ちゃんを抱きかかえる。 そこに、衝撃で折れたマストが倒れてくる。

 影が湖畔たちに覆いかぶさった瞬間、霧子がマストと二人の間に入り、片手でマストを止めた。


「はしゃぐ時ぐらい考えてほしいもんだねぇ……ま、よろしく」

「……あ、ありがとう! 霧子さん!」

「霧子で良い。よろしくな、湖畔、和泉」


 船の沈没する音が響く中、3人の互いを呼ぶ声もまた響いた。

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