第2話 泡の中のセレスタイト

 ぱちりと、再び目を覚ました。

 視界に映る海面には暖かい陽の光が煌めいていた。


「…朝?」


 珍しいな、なんてのんきなことをまず思った。自分の泡神様としての仕事は、大体が光の道が現れる夜だ。

 その光の道が現れるまでは、いつも眠りについている。だから、こんな時間に目を覚ますなんてことがそもそもない。

 海中の目に見えないベッドのような穏やかさから起き上がり、辺りをきょろきょろと見回してみる。

 やっぱり、改めて見ても360度ほぼ何も無い海だ。

 たまには魚も泳いでほしいなぁと思うが、よくよく考えて見れば、泡神様として生まれてからという物の、ここに魚が来た覚えも無い。


「…うーん?」


 ここで疑問がよぎる。じゃあ、なんで私は魚なんて言うものを知っているんだろうか?

 思い返してみれば、自分はこれまでの今まで、自分が魂をちゃんとあの世へと行けるよう、記憶を切り離して光の道に帰す。その役割だけに生きる泡神様だという事しか覚えていない。

 時折、見覚えの無い日の事を夢見るが。それも良く分からない。


「…………ま、いっか」


 少し考えたところで、何時ものように独り言で投げ捨てて切り替えた。

 自分は魂を送る泡神様。それだけ覚えて居ればいい。忘れるぐらいなら、どうでもいいことなはずだ。

 そんな事は後にして、さっそく自分は辺りを見回し始める。こんな時間に目が覚めたという事は、なにか役目があるはずだ。

 自分が目を覚ますということは、やるべき事があるときだと決まっていた。その今までの決まりきった事に従うのなら、もしかすると朝にも関わらず泡がやって来たのかもしれない。


「どこかな、どこかなー」


 目覚めたところから百数メートルぐらいの範囲を、行ったり来たりと泳ぎつつ、辺りを見回す。

 もし、自分が見つけられない泡が深海に沈んでしまったら……。その後、魂がどうなるのか自分でさえも分からない。は、海流に流れてどこかへ行くのか。はたまた深海に沈んでそのままなのか……。何度か、一度に大量に泡が沈んできて、無念にも取りこぼしてしまった泡を回収しに深海へ潜った事もある。しかし、一度沈んだ泡は、それ自体が光を放っているはずなのに何処にも見つからなかった。

 だからこそ、意識できる以上は、失敗なんてしたくなかった。


「……あっ!」


 ふと、海の底の方に光が見えた。間違いが無ければ、それは泡だ。今まさに語ったばかりの深海に消えそうになっている、魂の泡に違いない。


「みっつけた!」


 私は再び羽衣揺らし、滑るようにして深海に沈んでいく。

 どんどん冷えていく水の冷たさ。人間だったら、息絶えてしまいそうなその冷たさも、特にやる事もなく暇を持て余している自分にとっては、変化する楽しみの一つだった。

 そんな冷たさを楽しみつつ、泡へとどんどん近づいていく。

 海面の光も段々と消えていき、暗い深海が近づいてきたところで、泡の光は更に近づいて来た。


「よしよし、今お姉さんがあの世に送ってあげるからねぇ……えっ?」


 だが、近づいたところで何かがおかしいことに気が付いた。

 あの泡、沈んでいっているどころか、浮かんできてないか?

 いやいや、ちょっと待て。泡が水面に向かって浮かぶなんてのは至極当たり前のことだ。だが、魂の泡となれば話は別だ。未練があるからこそ、その記憶の重さによってどんどん深海に沈んでいくはずなのに。

 まさか、こっちが助ける間もなく。自分自身で未練を解消して、泡のまま自力で浮上し始めたのだろうか。

 もしそうだとするのなら、死んで魂だけになった後で未練を解消するなんて、稀有な魂もあったもんだ。そんな魂ばっかで溢れて居たら、自分も泡神様として生きなくてもいいのかもしれないなぁ。そんな事を思いつつ、もう一度浮上してきている泡を見返した。


「……っ!?」


 しかし、ある筈もない軽い冗談を考えていた自分が、考えが甘かったことを思い知らす光景がそこにはあった。

 人だ。人が居る。

 自分の頭に入ってきた情報を落ち着き整理する。落ち着け私。今、どこに人が居るって言った? こんな暗い深海、私以外生き物も見ないような場所に人が居るわけないじゃないか。

 でも、自分が否定しようとも。もう一度見た光景は、いや現実だよと自分に言い聞かせてきた。


「嘘っ、こんなことってあるの…?」


 自分は、自分がかろうじて抱きかかえられるほどの大きさの、淡い光を放つ泡を抱きかかえた。

 その泡の中には、生身の人間の少女が居た。

 歳は10台前半の前半ぐらいだろうか。うずくまった姿勢のまま目をつむって寝ている。その服の姿も異様だ。着物も着てないし、どこが結び目かも分からない上の服に、下の履物と別れている。下着ならまだしも、下の服が見えるなんてのは、武士さんの袴とかそこ辺りぐらいしか思い当たらなかった。もしかすると、これが今の時代の普通の服装なのかもしれない。目を覚ますたびにかろうじて流れる漂流物から、時代の流れを感じてはいたが、更に時代の流れを思い知らされることになった。

 だが、違う。そんな時代に対する感慨深さを思っている場合じゃない。今はこの少女だ。


「まさか、魂じゃなくて、生身の子供が沈んでくるなんて……!!」


 急いで、泡ごと海上に上がる事にした。泡が割れないよう祈りながら、海面に見える光を目指す。

 しばらくして、海面にたどり着いた。


「よしっ!」


 その瞬間、少女を包んでいた泡がはじけ飛んだ。


「ぷはっ!」


 泡の中で眠っていた少女が、海面に上がった時のように息を吐いた。

 そうか、とんとんと様子を語ったが、人間は海面に出た時息をつくのか。ちょっと驚いた。


「おおぉ。よしよし…大丈夫か、おまえさん」


 息を吐いた少女の背中を優しく撫でる。


「……うっ……あ、れ……?」


 少女は、海面から半分ほど浮き出た状態の私に抱かれたまま、ゆっくりと目を開けた。

 陽の光が少女の目に当たり、きらりと淡い青色の輝きを見せた。


「! なんとまぁ……」


 その目を見て、またも驚いてしまう事となった。

 その少女の目は、なかなか見る事も無いであろう、淡い青色の鉱石のようなきれいな輝きを見せていた。

 その瞳を見て思い出す。そういえば、自分もこの少女と同じ、淡い青色の瞳をしていたのだった。

 何とも言えぬ既視感に、自分は思わず唾を呑んだ。

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