コハンの記憶とその重量

斉木 明天

第1話 泡神様の生きる道

 どこか遠い日の事だった。眠りにつくたびにその日の夢を見る。

 村で一番大きい社の中で、自分は綺麗な織物でおめかしをする。

 自分がそうしている事も、これからする事にも自分は誇らしい気持ちでいっぱいだった。

 でも、傍らを見れば、誰かが泣いている。なんで泣いているんだったかな。それが、どうしても思い出せない。


「どうして? 〇〇?」


 心配になって、その誰かに声を掛ける。

 でも、その人は私に顔を合わせないで、何も言わずに社から出て行っちゃった。


 そこから少し、意識が飛ぶ。次に見る光景は海の上だ。

 大人の人たちが漕ぐ船で、自分は船の上の屋内に居る。

 目的の場でございます。そんな声が聞こえてきた。

 その時が来た。声に対し、自分はそう理解した。


「それでは、〇〇様。お勤めを果たして参ります」


 ああ、私たちの目の届かぬ未来まで、しっかりとお勤めを果たすのだよ。優しく語られる声がした。

 自分は、覚悟を決めて屋内から外へ出る。

 光に視界を遮られ、徐々に見えてくるのは、辺り一帯、陸の無い海。

 とても綺麗だった。ここが私の居場所になるんだ。

 太鼓の音が鳴り響き、私は船の先端に進む。

 そして、先端にたどり着いたら。


「お父上、お母上。お元気で」


 最後に、人間としての名残を口にして、海に身を投げた。






 ふと、瞼に光が当たるのを感じて目を覚ました。

 自分は今、海の中をふわふわと揺らいでいる。見上げて見れば、海上には光が揺れていた。自分を起こしたのは、海面から照る、月の光のカーテンだったらしい。


「んっ……ふあぁ……」


 のびーっと、それなりに良いスタイルはしている体を伸ばす。

 改めて自分の体を見渡してみれば、20代半ば程の体に、いつものように天女を思わせる羽衣。まあ、天女とはいうものの、自分が居るのは海の中だ。

 少しほわほわした頭をほぐす為、自分の事を思い返す。

 私は、泡神様あわがみさま、名前は湖畔こはん。生まれた時からここに居る、神様だ。

 うん、大体覚えてるね。お勤めの時以外は、ずっと波に揺られて眠っているから、たまに自分が誰だか忘れそうになる。でも、大丈夫みたい。


「さて、と……。起きたって事は」


 辺りをきょろきょろと見回してみる。360度、柔らかい光から暗い底までの穏やかなグラデーション。その色合いにトッピングを乗せるように、深海の底から微かな泡があちらこちらで上っている。


「! 見っつけた!」


 その中に、目当てのものが見つかった。

 泡の摂理に反するように、人一人よりやや小さめぐらいのサイズの泡が、深海へ向かって沈んでいた。

 泡は、暗い海の底で存在を示すように、淡い光を輝かせている。

 どうやら、らしい。泡は空を浮かばず、海に落ちて、そのまま深海へと沈んでいく。

 このままじゃ、あの魂はあの世に行けないだろう。これこそが、私の役割だ。

 私は羽衣を振って、沈んでいく魂の泡へ滑るように泳ぐ。そして、その泡を無事胸元に抱きしめた。


「キャッチ! もう大丈夫だよ、今軽くしてあげるからね」


 私はそう言って、泡の中に静かに手を入れる。そして、暫く泡の中をかき回すと、ゆっくりと手を取り出す。

 掬い上げた手のひらには、虹色に輝く鮮やかに水のようなものが垂れていた。その表面には、うっすらとどこかの光景が乱発的に浮かんでいる。

 遊園地に家族と手をつなぐ姿、観覧車から見る鮮やかな景色、パレードを見てはしゃぐ姿。そして、家の中で両親に心配そうに見守られる姿。病院。最後の学校。病院。窓から見た月。目を閉じてる中聞こえる声。

 いくつもの喜びと無念が、液体の中に渦巻いていた。


「可哀そうに……。大丈夫、もう苦しまなくていいんだよ。 私が、ちゃんと見送ってあげるから」


 追悼する声を捧げ、私は虹色の液体を海中にまいた。

 海中に霧散した液体は、やがて海中にうっすらと見える泡の粒子と比べ物にならないほどに分解されていく。

 そして、それに伴って私の胸元に抱いていた泡が、軽くなって海上へと浮かび上がり始めた。

 魂と記憶はお別れを済ませた。

 私は、その泡を抱きなおすと、海上へ向かって泳ぎだす。

 そして、手の平をかざし、光が自分の手のひらを包みこむ。

 ぽわっと泡が手のひらから幾つか噴き出し、それらは、徐々に人の数倍程の大きさにまで膨れ上がった。


 ばしゃっ! 私が作った泡たちが会場を飛び出し、静かな夜の海に浮き上がっていく。

 その泡に向かって、私も海から飛び出す。

 そっと泡の上に飛び乗り、そのまま泡を次から次へと飛び乗って、空を目指す。

 真っ暗な空を見上げてみると、そこには光の道があった。


「! みっつけた!」


 それは、いくつもの光の塊だった。陸と思われる方から来たその光たちは、月の出ている方の水平線を目指して飛んで行っている。

 自分はその光達の事をよく知っている。それは、あの世へと向かっていく魂たちだ。

 死んだ魂たちは、こうしてあの世へと向かっていき。水平線の先で、各々が信じている天国や地獄、あの世の世界へと向かっていく。

 来世には、記憶も持っていけない。ほとんどの記憶は、あの光の道を進んでいくうちに、この世界の空気中へと解けていく。

 けれど、たまに記憶をほどききれなくて、未練の重さで海に落ちてきてしまう子が居るのだ。

 そうなった子達は、あの世に向かえない。

 私は、そんな子達の魂を、泡の中から記憶と魂を切り離して、また光の道に戻れる重さに戻すのだ。


「さ、これで還れるよ。もう海に落ちないようにね」


 光の道近くまで跳んだところで、私は胸元の煌めく魂を離した。

 光は、先ほどまでの重さも忘れたかのように、光の道に戻っていく。

 ありがとう、なんて言葉は無い。魂はもう心残りも無く、静かにあの世へと帰っていくのだ。

 私は、その光を見上げながら。通常よりも何倍も遅いゆっくりとした速度で、静かに海へと落ちていった。

 海面に着き、海に沈んでも、海面の外で淡く光る光の道を眺めていた。


「おやすみなさい。新しい来世が来ることを、泡神様は祈ってますわ…」


 そう言って、私は再び目を閉じた。

 再び、海に誰かが沈んでくるまで。誰かの重しを再び解いてあげるまで。

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