『罪晒し編』

『それでは、三限目の授業を始めましょう』

 また始まってしまった……だが、僕も馬鹿じゃない。こんな事態のために、さっき散々考えてきたわけだ。

 そして案の定、青山は僕を睨んできた。何を言い出すかは、とっくに見当がついている。

「クソ、梶ヶ谷もちげえとか……んなら永田だよな? もうこいつしか、怪しいのはいねえし。やっぱよ、てめぇなんだろ?」

 やっぱりな。それにしても、なんて敵意のある目つきなんだ。

 僕は、ゴクリと緊張を飲み落とし、やや強張った口を開く。

「……ちょっと待ってよ。青山だってさ、荏田とグルになってるかもしれないじゃん」

「んあ? おい……何ふざけたこと抜かしてんだよ、てめえはよっ!」

「だってさ、町田が言ってたでしょ。そう言う関係だって。一番グルでありそうだよ。それにそうやって、町田や梶ヶ谷、それから僕に疑いの目を向けて、荏田には向けなかったしさ」

 すると荏田は、くるりと巻く髪先を弄っていた手を止めて、僕を睨み始めた。

「はぁ!? 冗談でしょ、それだけの理由で。ウチが恨みなんて、持つわけないじゃん! お前ありえないんだけどっ!」

 僕は怯まずに一瞥。

「もし協力者であったら、恨み持ってなくても何かのメリットが、あるかもしれないでしょ? 青山から、何か報酬を受け取れるみたいな。

 それにいつか荏田が、神保さんと言い合ってるのを僕は見たんだよ。あの時、わりと口論になっていたようだけど、何か深いトラブルでもあったんじゃないの?」

 これに、荏田は口元を歪め「お前……マジでいい加減にしろよ! ウザすぎ、キモイんだよ死ねっ!」と、僕を一層強く睨んできた。

 青山は、自分に疑いの目が向かない自信があるのか、余裕の笑みすら浮かべている始末。やはり酷な環境のようだ。

「ほお、だからどうしたよ。イジメられ役のお前が、俺たちに恨みを持ってるっつー事の方が確実だろうが。

 ったく、バカが粋がってんじゃねえよ。おい、啓介はどう思うんだ?」

 啓介……頼む。僕の考えを、なんとか成長させてくれ。絶対にこいつらなんだ! 僕は、一考する啓介の横顔を見て、目と心で必死に訴えた。

「俺は……そうだな。やっぱり、漣じゃないとは思ってるよ」

 き、きたーっ! 良かった……啓介は天使だ。僕は希望を掴み取ったのだ。宝くじで高額当選した人と、同じくらいの喜びと言っても過言ではない。もちろん当たったことはないが。これで味方ができた……心強い限り。

「あ……? おいおい、なんでだよ。そこまで言うなら何か理由あんだろうな?」

 身を乗り出す青山。

「これを言うのは少し抵抗があったけど、この際だから許してくれよ……漣」

 ん……どういう事だ? 僕は首を傾げた。いったい何を話すつもりなのだろうか。暴露されるネタなんて、僕には無いはずだ。しかもこの際だからと、僕を庇うための何か……いったいそれはなんだ? ダメだ、全く見当がつかない。

「俺は、漣が確実に教師じゃないと思ってる。そう思う最大の理由は、漣が神保に惚れてることを知ってるからなんだ」

 啓介……そういうことだったのか。部屋の空気が凍ったように感じた。だがそれ以上に、僕の身体は凍るどころか温度すら無くなってしまった。視界も定まらないし、変な汗は出てくるし……自分がいったい、何処にいるのかすら分からないくらい、全身が宙ぶらりん。まるで夢に溶け込んでいくようだった。しかし、青山の爆笑する声で、現実に引き戻された。

「あはははっ!! おいおい嘘だろこいつ、神保好きとか馬鹿言ってんなよ。ガチでキモイなお前、無理に決まってんじゃねえかよ、あっははは!」

 こいつ死ねよ本当に……絶対処刑に選んでやる。よくそんなに、気持ちの悪い笑い方できたもんだな。もしここが劇場だったら、スタンディングオベーションものだ。その迫真の気持ち悪さに、全米が阿鼻叫喚するぞ。

「やめろ傑。今までな、漣はずっと片思いしてたんだよ。俺は、相談を何回も受けたから、どれだけ本気で好きだったかも分かる。だから、そんな大切な片想い相手を、こんな変なことに巻き込むとは思えないんだ」

「いやいやちげえだろ、そんなもん。あれだろ? 実らないからさ、ヤケになったんじゃねえのかよ、っははは!」

「いいや、漣は純粋に慕ってた。今の様子見てりゃ分かるだろ? だから漣は、まず教師じゃないと思うんだよ」

 すると、眉を顰めて僕を睨む荏田が口を開いた。

「ちょい待って! じゃあさ、こういうのもあるんじゃないの? 例えば、真理亜と永田がグルだったってこと、ワンチャンあんでしょ? 永田が無理やり、真理亜に協力させてさ! それとか真理亜が、永田の恋心利用して協力させてるとかさ!」

 おいおい……何を言ってるんだこいつは。妄想系ヤリマン女子め……僕は反論することにした。

「そんなことしてないよ! だいたい僕は、神保さんの連絡先知らないし、話せたことすらないんだよ? それなのにーー」

 しかし荏田は「うっさいな黙ってろよ永田は! キモイつってんの! 口開けんなよマジでっ!」と一蹴してきた。

 全国の皆さん、お聞きいただけましたでしょうか、今の暴言を。こいつは、あり得ない女だ。ホントにクソだ。僕はゆっくり口を閉じ、深く鼻息を出す。別に、命令に従ったわけではない。ただ呆れただけだ。

 はぁ……僕が何を言ったところで、こいつらは恐らく聞く耳を持たないだろう。地を這うアリに、一晩かけて教えを説くのと同じだ。いくら話したところで、意味を成さない。

 すると、啓介は落ち着いた声色で「それにさっき漣が言ったこと。神保と荏田が言い合っていたっての、俺は少し気になるんだけど」と、二人に目を向ける。

 これに荏田は、表情を固くさせた。やはり何か、都合の悪い事情があるに違いない……さっさと、白状しろよこいつ。僕は、荏田をジッと睨みつけた。

「……は? そんなの、それはどうでもよくない?」

 どうでもいいわけがないだろ。人の事散々上げ足取ってた癖に……。

 すると神保さんが「……それ。私から話すわ」と伏し目がちに。いったい何が、口論の原因だったのだろうか。神保さんの面持ちを見る限り、割とシビアなことのようだが……いったい、何を聞かされるのか不安になってくる。僕は、固唾を飲んで見守った。

「……わたし前にね、荏田さんにパーティに誘われて、お金出るからって。でも、それは……その……」

 視線が少し泳ぎ、言葉が途切れる。何だ……? そんな言いにくい事なのだろうか。こんな戸惑いのある姿は、初めて見た。なんて美しいんだろうか……女性的魅力の塊だ。

 少し紅潮させた頬の神保さんは、戸惑う素振りを振り切るように、スッと視線を上げた。

「その……乱、交、してるやつだって分かってたから、断ったのよ……」

 隣で沙羅が「っえ!?」と刹那に声を上げる。荏田は「はぁっ……!?」と、口をピクつかせて固まる。あり得なさ過ぎて、僕は目が点になった。

「……でも、しつこくしてくるから、ちょっと言い合いになっちゃって。永田君に見られてしまった口論は……きっと、その時のことだと思うわ」

 なんだって……許せぬ。清廉乙女たる神保さんに、そんな非常識な事を。僕は侮蔑の眼差しを、これでもかというほどに浴びせてやった。

 まったく、呆れてものが言えないとはまさにこのことだ。こいつは、どこまで腐ってるんだろうか。こいつだけじゃない、青山もだ。神保さんが可哀想でならない。本当に良かった、変なことにならなくて。

 そういえば、さっき荏田のことが暴露された時に、神保さんは驚いていなかったな。女子なら驚きそうなのに。そういう意味だったのか……。

 啓介は、ため息交じりに「おい……荏田、本当なのか?」と詰め寄った。

「それは……だって青山が、そうしないとウチに金くれないから! 別にウチは、言い合いになったからって、恨みとかそう言うの無いし! 青山がウチとか、真理亜恨んでるかもだけどさ?」

「っは? お前な、俺のせいにすんじゃねえよ! 金欲しさにやったのはお前だろ! 金にならないから、神保を恨んだんじゃねえのかよ、むしろ!」

「はあ!? いや待って、だって青山けっこう執着してたじゃん! ってか誘い役、全部ウチに擦り付けてさ! 扱使ってマジで最悪なんだけどっ! 真理亜を誘えなくて悔しがってさ。真理亜に告ろうとしてた男子のことだって、ボコッたの知ってんだよウチは!

 マジで、これ仕組んだの本当は青山なんじゃないわけぇ? それしかなくない?」

「ってめえ……マジでふざけんなよっ!

 女子同士なら誘いやすいかと思ってお前にやらせても、結局あのザマだったしよ! どこまでも役に立たねえアホだよな、テメエはっ!」

 そう言って、青山は荏田に掴みかかろうとするが、啓介が机越しに止めに入った。

「っおい傑、待て落ち着けよっ! 言い合いの理由は分かったから! だから、いったん落ち着けって。時間だって限られてるんだからな」

「あ? ちっ……クソったれ。わあったよ! ほんとにうっせえな……」

 荏田は、そっぽを向いた青山を睨み続けている。僕から、疑いの目が青山にシフトしたようだ。

 そんなことが、僕の身近に行われていたとは、微塵も分からなかった……こりゃ世も末だな。こういう奴らが、世界をダメにするのだろう。まさに反面教師。教科書に載るべき悪い人の良い例だ。

 啓介はやれやれといった様子で、僕の横に落ち着く。そりゃそうなるわな。

「はぁ……とりあえず、いったん漣が教師じゃないって話題に戻そう。

 そうだな……渋谷は、何か意見あるか?」

「うんん……私もね、漣君は教師じゃないと思ってるよ。だって、目に見えるトラブル無いんだもん。ねぇ、真理亜はどうかな?」

 僕は思わず視線を落とす。顔も姿さえも見ることが憚られる……まさかこんな状況で、僕の片想いが暴露されるとは。きっと、気持ち悪がられているだろう……だって僕は陰キャなのだ。神保さんとはキャラが違いすぎる。RPGで例えるならば、メインヒロインとかつてそこにいた村人Cくらいの差はある。

「私は、率直な意見を言うと……永田君は教師じゃないと思うわ」

 じ、神保さん……なんて良い人なんだ。こんな僕のことを信じてくれるなんて。僕は秒で、生まれてきてよかったと実感した。好きな人に信じてもらえる事が、これ程までに嬉しいものだったとは……ましてや、こんな状況では喜びも極まるところ。

「永田君って、そもそも大橋君や渋谷さん意外の人とは、あんまり関わってないし……恨むとして、私たちに目を付けるのかなって、ちょっと疑問があるの。

 だから、恨むきっかけを作りやすいのは……必然的に、クラスで皆と関わる頻度が高い私たちの方なんじゃないかしら?」

 これに啓介は、納得したように頷く。顎に手を添えて、まるで探偵のように。どんな格好でも、格好が付くのは羨ましい限りだ。僕は、啓介に羨望の眼差しを向けつつ耳を傾けた。そっちの気があるわけではない。ただ、ちょっと憧れる。

「うん……たしかに、それは言えてるな。漣はほとんど、俺や渋谷としか会話していない。あとは、傑や荏田が揶揄いに来る程度の接触だ。神保を巻き込むのは道理に合わないしな。

 それに対して、俺や傑、渋谷、荏田、神保は互いの接触が多いわけだ。必然的に、恨みを持つきっかけってのは作り易くなるよな。そもそも、接触が無きゃ恨みだって生まれないだろうし……」

「そうなの。だから永田君を疑うより……もちろん私は教師じゃないけれど。私達に目を向けるべき、かとは思うわ」

 なんて心地の良い声なんだろうか。神保さんに惹かれるのは、たぶんこの美声もあるんだな。こんな状況で感覚が過敏になっているのか、些細なことで心にあらゆる動きを感じてしまう。

 そんな僕の横で、啓介はため息模様。

「……じゃあ、その中で一番疑わしきは誰なのかってことだよな。関係性から紐解いていくんなら、傑と荏田が疑わしいことになるか……何かいろいろ深いもんな、お前らは」

 その言葉を受けて沙羅も、考え込む仕草。まるで定期考査開始五分前の顔だ。

「うん、そうだね……疑わしい事柄がある人を目安にするなら、今のところ、青山君と愛理が一番恨みを募らせそうな関係だよね……」

 僕は頭をフル回転させた。今のところ、恨みを一番持っていそうなやつは荏田、だろうか? 青山に良いように扱使われて、恨みを持っていそうだし。神保さんが言うことを聞かないことにも、恨みを抱いている可能性があるわけだ。もうここにはいないけれど、町田とも仲が良くなさそうだった。現状やはり、いろいろな恨みを持っていそうなのは……ふむ、荏田だろう。

 すると、青山はもどかしそうに頭を掻きはじめる。

「ちっ、俺じゃねえからな。神保にも荏田にも、別に恨みなんて持ってねえんだよ。というかな、俺は恨みを持たれる側だろ? こいつによ」

 そう言って、顎で荏田を示した。

「はぁぁ!? ウッザー。あのさぁ、ちょっと待ってくんない? さっきから、俺は違うみたいな態度でいるけどさ。啓介の愚痴とか結構、言ってたよね。人気が無かったら、友達になんてならないタイプだとか、殴ってやりたいとか態度がウザいとか、モテてること妬んでさぁ。他にも、陰でいろいろ言ってたっしょ? ウチの情報網舐めんなよマジで!」

「ああ? そんなの、誰だって思う時ぐらいあんだろうがよっ! 黙っとけカス!」

「それだけじゃないしね! ウチ聞いちゃったもん。フラれたんでしょ、一年の初めに告ってさ。その後のことだって知ってんだよ? だからこれさぁ、実はその仕返しとかじゃないわけぇ?」

「おいっ、んなことしねえよ! くだらねえことばっか、すぐに思い付きやがって。ペラペラ要らねえことばっか喋りまくってよ、緩いのはアソコだけにしとけよな、この単細胞が」

 お前も単細胞だよ、と頭を叩いてやりたいところだ。だいたい誰のせいで、緩くなったんだよ荏田は。本当かどうか知らんけど。

 それよりいったい、誰に告白したんだ? すると、大きく舌打ちを響かせた荏田の視線が沙羅へと向いた。僕は、まさかと目を見開く。

「むっかつくわマジで。ねぇ! 沙羅だって、そう思わないわけ? これ仕返しされてんだよ、絶対そう! こいつ恨んでたんだよ、ウチらんこと!」

「っえ……ああまぁ、それは……」

 うわぁぁ……嘘だろこいつ、沙羅に告白してたのかよ。どこまで性欲旺盛なサルなんだ。さっきの青山の言葉を、そのままそっくり返してやりたい。お前には、無理に決まってんだろと。しかし、聞いて呆れる事ばかりがよくもまぁ、ここまでポンポン出てくるものだな。モグラたたきゲームのモグラか、お前は。

 沙羅は、分け隔てなく接する闊達な人だ。だから僕にも、出逢った頃から変わらず優しく接してくれる。青山は、それを誤って受け取ったに違いない。声を大にして言いたい、お前はバカな勘違い野郎だと。

 可哀想に……沙羅は困惑した様子だ。きっと青山が傷つくのを恐れて、今まで口を噤んでいたのだろう。こんなやつはフッて正解だぞ、僕は心で沙羅を讃えておいた。

 沙羅は渋々と言った顔で、ようやく口を開いた。

「まぁ……何回か言われて、全部フッちゃったからね。最後の方は、ちょっと強く言っちゃったし……恨まれても仕方ない、のかな……?」

 おいおい。何回もって……呆れるな。迷惑防止条例違反じゃないか。これを受けて、青山が逆恨みして仕組んだのではないか、という疑念が僕の中では強まっていった。というより、個人的に処刑してやりたい。極刑だ、こんなやつは。

 すると、大猿は机をバンっと叩き立ち上がる。

「おい待てよ! お前らフザけてんじゃねえぞ! そんなことで、恨んでこんなことするかよ。馬鹿言ってんじゃねえ!」

 荏田は、呆れた様子で含み笑い。

「ほら青山さぁ、マジであんたじゃないのホントは? 今んとこ、一番強い恨み持ってそうなのって、青山しかいなくね! みんなだって、そう思うっしょ?

 みんな考えてみー? 沙羅には、何度告っても無視されてさぁ。ウチとか真理亜は、都合よく利用できない節があったわけでさぁ。啓介の仕切る態度には嫌悪しててさぁ。永田とか梶ヶ谷だって目の敵。それに普段から、喧嘩とかしてんだよ? 一番危険人物じゃね、こんなの。どうせあれでしょ、面白半分でこれやったんじゃないの? とんだ迷惑なんだけどマジで!」

 青山は口元を歪め「てめえ……クソが!」と拳を震わせた。そこで啓介が、青山が暴走することを懸念したのか、立ち上がって腕を前に伸ばす。

「落ち着けっ! まだ傑って決まってないだろ。残り時間も少ないし、言い合うより、考えようちゃんと。そんで話し合おう……な?」

 すると青山は大きく舌打ち。

「……なんだこいつら気持ちわりぃなクソ。ああいいよ、勝手にしやがれ!」

 自分の前の机をガタンッ! と横に蹴り飛ばし、椅子にドカリ腰掛けた。隣では、ため息を漏らして座り直す啓介。こんな時でも苦労が絶えないな、啓介は。

「……まぁ、とりあえずだ。漣の疑いより、疑うべき事柄が出てきたのは確かだろ。神保と荏田と傑の中で、深い恨みが生まれ得る状況だよな。渋谷は、特に恨むまでいくようなものとは思えないし。他に目立った問題が無きゃ、そこから見当をつけていくしかないか」

 すると荏田は、組んだ腕を指でしきりに叩き始めた。苛立ちのように見える。自分に目が向いた時の気持ちを、これで味わうがいい。

「もう話し合う必要なくない? 決まったようなもんじゃん。ウチは動かされてただけだし。個人的な執着もなければ、確執も無いわけ。こんな変な状況を作ってまでやるメリット、マジで皆無なんだけど。分かるでしょ?」

「ああ、まぁ……荏田は、渋谷との関係性は悪いように見えないしな。神保との関係も怨恨になるほどかって言うと疑問符が付くな。それに比べて、傑は三人に対して感情的なものがあったのは見えたけど。んん……どうだろう。一度また多数決で決めて、弁明時間を作らないか?」

 ということで多数決を行った結果、一番疑わしき人物は青山となった。しかし、とうの青山は何故か落ち着いた様子を見せている。残り十分ほどだというのに……どこか怪しい、何か策でもあるのだろうか?

「……おい傑、何か弁明があればしっかり言って、皆に示してくれ。このままだとお前が、一番選ばれる可能性高いんだぞ」

「っは……そんなの分かってるわ。俺じゃねえ。ただそれだけだ。俺は啓介、お前だって怪しいと思ってるんだぞ?」

「え……なんだよ。それは」

 また、くだらない擦りつけをしてくるのだろう。何を言っても、僕の票は買えないぞ。大人しくお縄につけ。聞く必要がないと感じた僕は、視線を向こうに逸らす。

「あのなぁ……俺は知ってんだよ。まあ? 直接ここにいるメンツには、関係ないけどよ。お前さぁ……兄弟、犯罪者だろ」

 僕は、その言葉に耳を疑った。兄弟がいるとは聞いていなかった。啓介は、一人っ子だと言っていたのだ。それに犯罪って……なんの犯罪だ。目を向ければ、表情を固めた啓介が映った。

「っ……どうして知ってんだ、それ」

 いつもと違い、少し重く深い声。

「どうしてってお前、俺の親父が警察にいんの忘れたのか? 未成年だから、公表されてねえけどさ。お前の二つ上の兄貴、三年前に人殺そうとして捕まっただろ。

 人殺しするような奴の血が、啓介。はははっ、お前にも入ってんだぞ? だからよ。こいつの方が何するか、分かったもんじゃねえよな、いま考えたら……お前らも、そう思わねえか?」

 啓介……そんなことがあったなんて。みんな、俄かに信じがたい様子でいる……僕も然りだ。

「どうせ、こいつも犯罪因子なんだよ。人のことを、平気で殺しにかかるような狂暴な奴だってことだろ……なぁ? 犯罪者さんよ?」

 啓介は、低い声で「違う」と言い放つ。

「なぁにがだよ。っていうかな、犯罪者の兄弟と仲良くしてやってたんだぞ? お前、有難く思えよ。

 なあ……本当は啓介、お前が仕掛けたんじゃねえのか? この狂った教室もよ。表では良い顔して、腹ん中でどんな闇を抱え込んでたんだ? 俺たちのことを殺そうって、ずっと企んでたんじゃねえのかよ、おい……だってよ、イカれた兄の弟だもんな?」

 数秒の沈黙が続く。啓介の握り締められた手は、小刻みに震えているのが分かる。啓介……そりゃ誰でも隠したくなるだろう、そんなこと。それを煽るなんて……しかもまた、決めつけで。

「……傑、俺は違う。兄貴は兄貴だ。あれは、兄貴が勝手に問題を起こしただけだ。関係ないことだろ……今は」

「は? さあなぁ、どうだかな。親父は犯罪は伝播するって言ってたしな。

 お前も今回こうやって処刑アプリとか、訳わかんねえの使って、完全犯罪しようとしたんじゃねえのかよ。

 結局、啓介……お前も犯罪者予備軍なんだよ。殺してみてえとか、思ってたんじゃねえのか、本当は?

 最近、界隈で動物の変死体が上がってんのも、もしかしてお前じゃねえか?

 怖いよなこういう奴は。何されるかわかったもんじゃねえわ」

「違う!! 兄貴と一緒にするな!!

 俺は兄貴に苦しめられてきたんだ、今までずっと。

 だから……だから高校では、こうやって人間として良い器になろうとして、親を励まそうとして……こうやって頑張って生きてるんだよ。

 お前にその、何が分かるんだ!!」

 とても切ない顔だった。今までこんな顔は、見たことがない。

 青山は煽ったつもりだろうが、おそらく啓介からは疑いの目が削がれただろう。今の言葉は、一所懸命に学校生活を送っていたという、事実が窺えるものだった。そんな必死に、労苦を積み重ねてきたのに、泡と消えるような真似を、するはずがないだろう。啓介は間違いなく白だ。

 憐憫の情が籠る眼差しを受ける中、啓介は感情を押さえ込むように、俯いてしまった。

「……ねぇ大橋君、大丈夫?」

「あぁ、悪い……」

「……もう、時間だね。みんな、誰にするか決めよう」

 沙羅は憂い帯びた顔で、皆に呼びかけた。

 まさか、こんな話を聞かされるとは……青山は人を人と思っていないんだ。荏田が言ったように、人間性が良くないこいつは、やりかねないだろう。青山が教師だったんだ。そして、最後にこんな捨て台詞を吐いたのだろう……。

 僕は視線をスマホに落とし、青山を選択しようとした時、ガタガタンッ!! と、いきなり目の前で、けたたましい音が響いた。

 慌てて視線を上げれば、椅子から転げた荏田と神保さんの姿。あたりには、ひっくり返った机が目に飛び込んだ……青山だ。

「おいやめっ……ウチの!!」

 荏田のスマホを取り上げたようだ。次に、腕を痛そうに押さえ込んだ神保さんの前に行くと、落ちていたスマホを拾い上げ始める。

 この悪魔の様な所業に、僕は愕然とした。

 こういうことだったんだ……最初からスマホを奪うつもりだったんだ。だからあんな余裕を見せて……どこまでも腐ったやつだ。

 そう思っていた矢先、僕の方へ突進してきたため、逃げようとするも間に合わず……そのまま椅子ごと突き飛ばされてしまった。

「うあっ……!」

 床に頭を打ち、ジーンと鼻に伝ってくる痛み。直後、隣にバタッと倒れ込む啓介の姿。鈍い音がした、きっと殴られたんだ。青山のやつ本当に……クソ過ぎる。

 不意に辺りを見回すも、転げた僕のスマホは、既に取り上げられてしまっていた。

「てめぇらになんて、殺されてたまるかよ!! これでスマホは、俺が四つ持ってんだ……ハハハハッウケるよな! 俺が好きな奴を処刑できるってことだろ?

 俺に従って言うこと聞きゃあ、処刑から外してやってもいいぞ?

 ガチで、こんなくだらねえこと巻き込みやがって……まあ、でもせっかくだから楽しませてもらうぜ。ッハハハハハ!」

 啓介はすぐに起き上がり「傑!! おまえバカ言ってんな! やめろ!」と駆け寄っていくが、青山の前でドスッと重い音。屈んだ啓介は蹴り飛ばされて、机の群れに突き飛ばされてしまった。

 なんとかしないと……でも、まともにやり合ってかなうわけが。くそっ、でもこんなとこで好き勝手されるなんて嫌だ!

 緊張で強張る体を、目一杯に奮い立たせて一か八か、椅子を持って青山にぶつけようとするものの……一瞬で椅子は弾き飛ばされた。

「っうあ……」

 胸ぐらが掴まれ、グイと引っ張られる。

 直後、青山の拳が腹にめり込み、胃が捩じれるほどの衝撃。一瞬、呼吸が止まり……屈んで倒れそうになったが、今度は髪の毛を掴まれ、すぐにまた腹に数発の拳。そして顎へ打ち込まれ……視界が飛んだ僕は、よろけながらどこかへ倒れ込んでしまった。

「ガキが粋がってんじゃねえよッ! 俺に勝てると思ってんのか? 言う事聞けねぇなら、そこで黙って見てろよ雑魚どもが。

 だいたいなぁ、俺がお前らの命握ってんだぞ? 分かれよアホ」

「やめろ傑っ……!!」

「ウゼぇつってんだろうが、分かんねえのかコラァッ……!!」

 頭がふらついて、目の前は眩んだまま立てずにいるが、殴打する音だけは聞こえた。直後には、机が幾つも倒されるような音が響く。

「すっこんでろ! 雑魚の相手疲れんだわ。ああそうだ、思いついたぜ……渋谷、神保、お前らは残しといてやるから安心しろよッハハハ。

 一回ヤッてみたかったんだよなぁ、お前らクソエロいもんな? 殺す前にヤッとかなきゃ損だわ。

 啓介たちフルボッコした後で、公開レイプ決定な。ちゃんと、楽しませろよ。アッハハハハ!!

 だから、気に食わねえ荏田……お前もうヤり飽きたし。まずは、お前処刑決定な」

「っく……ざっけんなよ!! 死ねよオマエェーッ!!」

 何とか意識が戻ってきた僕は、瞬きを繰り返しながら、声の方を見やる。

 そこには、駆けだして青山に殴りかかる荏田がいた。

 しかし、荏田は簡単に腕を掴まれ、膝蹴りを食らった様子で「っぁう……!」と刹那の悲鳴。数発、腹パンされて蹴り飛ばされると、浮いた体は呆気なく床にバウンド……座りこむ神保さんのもとへ転げてしまった。

 その姿に嘲笑した青山は、スマホを操作し始める。

「荏田、喜べよお前。今度は、どんな処刑だろうな? 惨いのだと良いよな。アハハハハッ!」

 その後すぐ、チャイムは鳴ってしまった……。

 最悪すぎるだろ、こんなの……あり得ない。青山の勝手に、誰かが処刑されるなんて……なんとか隙を見て取り返さないと。

 だけど二人がかりでも、取り返せるかどうか分からない。絶望とはこういうことを言うのだろうか……あんまりだ、こんなの。

 僕は歯を食いしばり、床に虚しさを込めて拳を打ち付けた。

『お疲れさまでした。集計結果を発表します。一票が荏田愛理へ、二票が青山傑へと投票されました。よって、処刑対象は青山傑です』

 思わず僕は耳を疑った。何で青山になったんだ……?

 青山に目を向ければ、スマホを必死に操作しようとしている姿が見えた。

「あ……? おいっざけんじゃねえぞクソがあ!! なんでだよ、なんでだっ!! うああ……っぐ!」

 慌てふためくデカい体は、窓の間にある柱にドタッ! と重力を無視した動きで、鈍い音を立てる。足元には、僕たちのスマホがカタカタと音を立てて転がった。

「ううぁぁ……っくあああぁぁっ!!」

 青山が物凄い形相で身悶えている。処刑が始まったんだ。

 しかしこれは、いったいどういうことだ……さっき、僕たちから奪ったスマホを合わせたら、全部で四つのはず。それなのに、全部で三票しかない……。

 何が起きているのか、理解できぬまま唖然となっていると、啓介は咳き込みながら「そうか……そういうことだったのか」と立ち上がる。

「え……啓介。それは、どういうことなの?」

 激痛を必死に堪えるような青山を横目に、僕もヨロけながら立ち上がった。

「ああ、簡単だ……スマホは本人じゃなきゃ、操作できなかったんだろうさ」

 啓介の目は、ただ憐れみを含み青山を見据えていた。そして徐に歩み出し、苦しんで呻く青山には見向きもせずに、転げたスマホを拾い上げる。

「きっと、傑は荏田を選んだ。だから荏田に一票が入ったんだ」

 目を丸くして驚きを示している荏田へと、スマホを返す。

「荏田は、キャラ未選択だったんじゃないか?」

「あ…‥あぁうん、そう。ウチ選ぶ前に取られたから……」

 次に啓介は、痛そうに腕を庇う神保さんへとスマホを手渡した。

「神保も、きっと未選択だったんだよな?」

「……ありがとう。うん、そうよ」

 そして僕の前に来ると、スマホを差し出した。

「漣、お前も未選択だっただろ?」

「ありがとう。うん……選んでなかった」

「渋谷は、傑を選んでいたよな?」

 沙羅はこくりと頷いた。

「つまりは、こういうことだ……傑への二票は俺と渋谷のもの。そして、荏田への一票は傑のもの。

 スマホを奪ったはいいが、操作できたのは自分のモノだけだったんだろうさ。だから未選択だった漣達のスマホは、未選択のままで反応しなかった。

 結果として荏田には、傑自身のスマホによる一票しか入らなかったわけだ」

 そういうことか……まさか本人じゃないと操作できないとは。だからあの数だったのか。

「……これで分かったな。青山は教師じゃなかったってことが。

 そしてどういうことか、このスマホは本人じゃないと操作できないらしい。だから、こうして奪ったところで、票をいじることはできないわけだ。

 無用な争いは止めよう。こんなの、もううんざりだ」

 そうか……もし教師なら、スマホの仕様を知っている可能性が高いはず。なら、取り上げてきた青山は生徒か……若しくは、そのことを忘れていた馬鹿か。

 にしても、青山のせいでまだ腹が痛む……僕は腹を摩り、スマホに視線を落とした。そこには、火にあぶられる青山のキャラ。

 どうりで、さっきから少し嫌な臭いが、教室に漂っていたわけだ。

 この処刑というのは、おそらく体自体がこのキャラと連動しているんだ。だから服には異変が無い。町田の時も服は裂けてなかった。

 きっと、青山の体はいま燃えているはずだ……ふっ、ざまあみろ人でなしめ。

 そして、画面のランプに一つ明かりが灯った。おそらく啓介だ。スマホをしまって、机を直し始めている。その後、ランプが灯る数が増えると同時に皆は、椅子などを一緒に直し始めていった。

 残された僕は、青山をチラリとも見ずにランプを点灯させる。

 別に、楽にさせようという慈悲からではない。早く消えて欲しかったから点灯させただけだ。皆の雰囲気も、それに似たものを感じた。

 こんなやつ顔も見たくない。本当に最低な奴だ。処刑されて、せいせいする。

 教室には、今まで嗅いだことの無い異様な臭気が立ち込めていたが……断末魔の叫びが途絶えると同時に、やはり消失した。

 最後に匂いでも害を及ぼしてくるとは、青山は本当に百害あって一利なしの奴だった。

 僕たちが、机を元に戻し終わった頃『只今の処刑結果の発表です。青山傑は生徒でした』と放送が流れてきた。

 青山が教師だったら良かったものを……ただ僕は、まだ続くという不安はあるものの、同時に、ピンチを乗り越えられたことや、悪を捌けたことに対する、言い得ぬ高揚感を得ていた。

『それでは、四限目の授業を始めましょう』

 そして響くチャイムの音……。

 椅子に腰かけた皆は、妙な落ち着き方を見せていた。もちろん僕も例外ではない。さらに本気になったとでも、いったところだろうか。

 ここにまだ教師がいるのだ……青山の暴挙に動揺している暇はない。

 その場の重い空気を、体の芯でズシッと感じとながら、僕は思考を巡らせた。

 この五人の中で誰が教師か、ということだが……啓介も沙羅も、恨みを持つような性格じゃない。

 何事にも積極的に参加して、皆の仲を取り持つような機会は、多分に見受けられる。

 それゆえに、皆からの信頼も厚いし人気もあるわけだ。もちろん先生の受けもいい。二人にとっては、充実した学校生活のはず。それなのに、こんなバカげたことをする訳が無い。

 そして神保さんも、まずないだろう。一年の時から男子人気が異様に高く、演劇部のヒロインだ。演技には自他校問わず、とても注目されている。プロダクションに入る云々の噂だって聞いた。本当かは分からないが、クラスで囁かれていた。

 それだけじゃない、中学時代の現代アートの功績もある。

 さらにはセンスも長けていて、文化祭の時に発揮されていた。マンネリ感のある中で、画期的な発想を持ち一大イベントを生み出したのは、他でもない彼女だ。そんな才有る逸材が、こんなことするわけが無い。

 つまり、消去法で荏田しかいないのだ。荏田は素行や態度のことがある。処刑アプリの事を知って、こうして企んでいるに違いない。

 きっと青山に、復讐をしたかったのだろう。積年の恨みを晴らしたかったのだ。沙羅や啓介から風紀の注意を受けることだって、恨みを重ねていく原因となっていたかもしれない。

 加えて、さっき上がった神保さんの話のことだってある。町田との確執もあったようだし。梶ヶ谷にも何かしらの、気に食わない思いを抱いていたのだろう……僕に対しての、それのように。

 こうして僕は、荏田に一層の嫌疑をかけていった――

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