第1話 友だち

 学校はいいな。


 夏帆は自分でつくったあまり良い出来とは言えない弁当を食べながら、そう思った。一緒に昼を食べているのは、小学校からの友達の神崎美紀と去年同じクラスになってから友達になった新貴静香の二人。


「夏帆、最近どう?」

「ん。別に変わらないかな――とりあえず、野菜炒めは上手に出来るようになったと思うよ。煮物はイマイチだけど」

「どれ……あ、ホントだ。旨い」


 美紀がひょいっと夏帆の弁当からおかずをかすめ取る。陸上部のエースの彼女はいつも元気で腹ぺこだ。


「神崎さん。はしたないよ」


 静香がそっと美紀をたしなめる。流れるような黒髪のお嬢様然とした彼女は男子生徒に圧倒的な人気があった。あまりに人気がありすぎて、静香の周りには浮いた話はまるで無いのは何だか面白い。


「そう? かなり旨いよ。静香も食べてみたら?」

「え? いいの?」


 うんと夏帆はうなずいて、おかずを一品とりわけて静香に弁当箱の蓋に乗せた。

「どーせ、美紀に食べられるのわかってるからねー。わたしのお弁当はいっつも大盛り1.5倍なのだ」

「あ、ひでえ」

「だって、本当のことじゃない。この前、お腹が減ったーってわたしのお昼を強奪したのは誰だっけ? 三時間目の休み時間に」


 ほんの一口と言いつつ、わずか十分の休み時間に綺麗さっぱり食べられてしまったお弁当を夏帆は思い出した。あのシューマイは会心の出来映えだったんだぞ。なんせ、冷凍じゃない手作りだ。おばあちゃんとの合作だけど。


「ちゃんと学食おごったじゃんかよー」

「当たり前。なんで、こんだけ食べて太らないかな。なんか、腹立つ」

「そりゃあ毎日鍛えてるから。女もある程度筋肉つけた方がいいんだよ。身体のラインが綺麗になるし、脂肪も燃える。夏帆も陸上やんなよ。足、速いんだし」

「いいよ。生徒会とか忙しいし。家でもやること一杯あるし。それに、美紀みたくお腹割りたくないもん。むきむきっと」

「割れてるかい!」

「あやしいなあ。その引き締まったお腹はありえないよ。実際。脂肪がなくて筋肉がついてたら、やっぱ腹筋じゃん。むきむきの」

「身体ってのはそんな簡単じゃないの。第一、陸上にそんな筋肉なんていらないつーの」


 夏帆と美紀のやり取りを見ながら、静香が声をあげて笑っている。ひとしきり笑ったあとで静香は蓋に乗せられたおかずをそっと箸でつまんで口に運んだ。


「あ、美味しい」

「だろ。いいなあ、料理上手くて。ちっこいし。ああ、たまんね。夏帆、今晩どう?」

「うわ。ヘンタイだ。美紀、わたしは悲しいよ」


 愛してるぜーなどと言いながら、抱きついてくる美紀から夏帆は笑いながら身体をかわした。


 やっぱり、学校は楽しい。


 そんなこんなでお弁当が空っぽになるころ、おもむろに美紀が夏帆の顔をのぞき込んできた。


「夏帆。少しは慣れた?」

「だいぶ」

「そっか」


 ちゅーっとパックのお茶を飲み干して、美紀がうなずく。


「夏目さん。ちゃんと警備会社とかに入ってる?」


 綺麗に小さなお弁当箱を包んでいた静香がそっと尋ねてきた。


「警備会社? どこに?」

「夏目さんの家」

「家に? なんで?」


 考えてもみなかった言葉に夏帆は目をぱちくりさせる。自慢ではないが、盗られるようなお金は夏帆の家にはない。しかし、静香が言いたいのはそういうことでは無いようだった。


「なんでって……危ないよ。ちゃんとそういうことはしておかないと。なんだったら、父の会社でもいいし。私から話せば優先してくれると思うから」


 本気で不安という顔つきで静香は夏帆に顔を寄せて囁いた。


「一人暮らし、なんでしょ? ダメだよ、夏目さん。ちゃんと考えないと」

「そうなの?」

「そうだよ。夏目さん、可愛いんだから。危ないよ」


 どうやら、静香は夏帆自身が危ないと言っているらしい。これまた自慢ではないが、お世辞にも夏帆の身体は女らしいとは言い難い。学年で一番背が低いのみならず、見事なまでの洗濯板体型だ。お風呂からあがるたびに、成長期はこれからだなどと自分に言い聞かせているのは、さすがに二人にも内緒の話。


 だから、学校一の美少女に可愛いと言われてもまるでピンと来ない。しかし、静香は大まじめだった。

 ぐぃっと夏帆に顔を近づけて、真剣な眼差しで見つめてくる。違う意味でどぎまぎしながら、夏帆は少し後じさった。


「え? そ、そんなもん?」

「そうだよ」

「そんな、大げさな」

「ちっとも大げさじゃない。夏目さん、真面目な話」


 なおも詰め寄る静香に、夏帆は気圧されるようにうなずいた。納得したというわけではないだろうが、静香は約束よと言うと、すっと身体を引いて椅子に座り直した。


 静香も美紀も夏帆の家庭の事情を知ってからは、本当によくしてくれていた。


 夏帆が一人暮らしをしている。そのことを知っている生徒は、今のところ美紀と静香の二人だけだ。

 つい一ヶ月ほど前までは夏帆は家族四人で暮らしていたし、彼女たち以外は今でもそうだと思い込んでいるだろう。あるいは最初からそんなことなど知らないか。


 よくある話と言ってしまえばそれまでだが、一人暮らしの理由は彼女の両親の離婚が原因だった。夏帆が中学生の頃から、母親は父ではない男の人と付き合っていた。

 夏帆も、たぶん父も薄々気がついてはいたことだが、あえて見ないフリをしていた。それが、父が外国に単身赴任すると決まったとき、はっきりと母親の口からそのことを告げられた。


 つまり、これを契機に離婚したい。そういうことだった。


「あなたとは別の方と、お付き合いしています」


 そう父に告げた時の母の横顔は、夏帆が知らない女の顔だった。親ではない、一人の女性としての顔。

 それを見たとき、夏帆は母親がいなくなったと理屈ではなく理解した。母がいなくなったわけではない。親としての母がいなくなった。


 それから、大人の話し合いが始まって、弟は父と一緒に海外へ引っ越すことになった。母としても将来的にはともかく、今は子供を引き取ろうという気はなかったらしく親権を主張することなく家から出て行った。


 夏帆は悩んだり泣いたり親友に八つ当たりしたりしながら、結局は日本に残ることを選択した。一人で空っぽの家に残る。それを知ったとき、さすがに出て行った母も父も反対したが、押し切った。


 我が儘はお互い様だ。わたしはわたしがしたいようにしたい。嫌なら離婚なんて認めない。


 自分たちだけ好き勝手に生きて、子供にはそれを認めない。そんなことは許さない。


 あんな風に生の感情をぶつけたのは生まれて初めてことだった。今でも思い返すと恥ずかしさと情けなさで頬が熱くなる。だけど、あの時は真剣だった。文字通り、抜き身の日本刀のような鋭さと重さがあった。


 だから、夏帆は一人で暮らしている。たまに、父方の祖母が遊びにきてくれるが基本的にはいつも一人だ。その割にはあまり、何が変わったという意識はないけれど。


 そんな夏帆を心配してか、美紀も静香もしょっちゅう遊びに来てくれる。そのまま、お泊まり会になってしまうことだって珍しくない。女子高生三人一つ屋根の下というわけだ。

 そう考えると、最初は冗談と思っていた静香の提案が急に冗談には思えなくなってきた。

 これからもお泊まり会はあるだろうし、そのことを考えれば危ないような気は確かにする。

 夏帆が一人暮らしをしているということはご近所には感づかれているらしいし、その女友達がよく泊まりに来ているということだってばれているに違いない。


 泥棒が狙うにはもってこいの環境だ。


 テレビで思い出したように流れてくるイヤな事件の当事者にならないとは限らない。最悪の場合は静香や美紀だって巻き込むことになりかねない。


 夏帆自身にしても、やはり女子高生なのだ。どうかすると中学生に間違われるような体型でタヌキ顔だけど、やっぱり自分に何かがあったらみんながイヤな思いをする。もちろん、自分も含めて。


 きっと静香はそんなことはお見通しで、夏帆に注意を促したのだ。そう思うと、つくづく自分は子供だなと思う。一人暮らしなんて背伸びをしていたとしても。

 いや、一人で暮らしているからこそ感覚がマヒしてしまっているのかもしれない。


 それでは、一人じゃなかったら?


 夏帆はふと昨晩の夢を思い出した。


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次回 第2話 ホームステイ?

明日の13時15分過ぎに更新予定です。


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