第15話 娼館ヴィルゴと襲撃者

 意気込んで夕方の街を散策し始めたのだが、人々は足早に家路につく。

 店も次々に閉じていき、いくつかの夜店が蝋燭の明かりを頼りに営業しているが、どれもこれも胡散臭いというか、近寄りがたい雰囲気だ。


 でも考えてみれば当然の話で、まともな明かりが限られるこの世界で、わざわざ日が沈んでから営業するような店はそれなりの理由がある店だ。


 しかし賑わいを見せる店もいくつかある。

 宿屋なんかがその最たる例で、1階は宿泊者向けの食堂と酒場を兼ねている店が多い。

 街に来るとき外で見た傭兵達だろうか。鎧を着込んだ男達が、通り沿いの明かりのついた酒場に集まり、声を荒げて大騒ぎしている。


 このあたりは日本の飲み屋街なんかとやってることは変わらない。

 世界は変わっても同じような生活があることに、妙な懐かしさを感じる。

 同時に疎外感。


 賑わうあの酒場に、1人で入っていく勇気はない。

 もし2人なら。キオネと一緒なら入れただろう。

 キオネはああいう人混みを嫌いそうだし、部屋を取った宿で食事をとれば良いと正論を述べるだろうが、どうしても行ってみたいと言えば付き合ってくれる。そんな気がした。


 すっかり暗くなった通りを歩いていると、通りの向こうに煌々と輝く建物が目に入った。

 遠目に見ても城のような外観。明かりに誘われる虫のように、吸い込まれるように建物の方へと足を向ける。

 近くに寄るとスケールの大きさに驚かされた。


 建物の周りは堀で覆われていて、入り口には大きな跳ね橋。

 他にも入るところがあるのだろうと一周してみたが、その跳ね橋からしか出入りできない陸の孤島だった。


 一体どういった類いの建物なのだろうかと跳ね橋の元へ。

 そこでは私兵らしき男が2人、橋の警備に当たっていた。通りかかった風を装ってその片方に声をかける。


「すいません。

 ここって何の施設ですか?」


 男はこちらの風貌を一目見ると手にした槍で道を塞ぐ。


「約束のないものはヴィルゴに立ち入ることは出来ない」


 粛々と、そう事実だけを告げられる。

 しかしその店の名前には聞き覚えがあった。


「ヴィルゴってことはシュルマの居るお店か」


「シュルマ様の客か?」


 男が目の色を変えた。

 彼は槍を真っ直ぐ構え直して非礼を詫びると問う。


「お名前をうかがっても?」


「ワタリです。

 だけど――」


 お金はない。娼館で遊ぶつもりもない。

 だが彼は告げられると左手を掲げ、そこからカニを召還すると建物へと向かわせる。

 すばしっこいカニはあっという間に行って戻ってきて、彼はそのカニを確認すると道を開けた。


「ヴィルゴへようこそ。

 どうぞ最高の夜をお楽しみください」


 道を開けられ、有無を言わさずに通れと言う空気になっていた。

 財布の中身に銀貨が何枚残っていたのか頭の中で必死に勘定しながら、ガチガチになった身体で跳ね橋を進む。


 跳ね橋の下。堀の内側は水路となっている。堀を越えたとしても建物側には高い壁が張り巡らされ、孤島と言うより要塞と呼んだ方が近いかも知れない。

 緊張したまま跳ね橋を渡り終えると、建物の方からシュルマがやって来た。


 彼女は青い髪を結い上げ、白いドレスを着ていた。

 ドレスは胸元が大きく開いているのは変わらないが、裾は膝下まであり、全体的に露出は控えめに、落ち着いた印象すら受ける外見だ。


「来てくれて嬉しいわ。

 どうぞこちらへ」


「ああ、いや、実は通りかかったところを捕まっちゃって」


「あら? そうなの?

 ちなみにここがどういうお店かは知ってる?」


 問いかけに頷く。


「キオネに聞いたよ。

 でもそういうことをするつもりもないし、多分お金もない。

 キオネが話して終わりだって言ってたけど、それでもいいなら」


「もちろん構わないわ。そういう人は多いのよ。

 と言うより、話だけしに来る人の方が多いわ」


 それは以外だなんて相づちを打ちながら、案内されるがままに進む。

 壁に覆われた島の内部には池があったり庭園があったり。街とはまるで別世界のようだった。


 たくさんの明かりで照らされた建物の重厚な扉が開かれて中へ。

 夜だというのに室内は明るい。

 シュルマのようにきらびやかな格好をした女性達が、それぞれ自分の客をもてなしている。

 客である男性達も皆しっかりとした身なりをしていて、それなりの身分の人間であることが分かる。


 見るからに庶民で、古びたローブに身を包んでいるのは自分だけだ。


「場違いじゃないかな?」


「入店している以上誰も文句言ったりしないわ」


 シュルマは全く気にする必要はないと、奥の席へと案内する。

 店内はホテルのロビーのような雰囲気であり、楽器の演奏を披露している女性もいれば、バーカウンターでお酒を飲みながら話す男女もいる。

 娼館と言っても、話すだけとか、身体目的ではない客も大勢居るようだ。


 奥のソファー席に通され、腰を落とす。

 ソファーの質感はこれまでこちらの世界で使ったどんな椅子をも上回る。それどころか、日本の実家にあったソファーよりも高品質かも知れない。


「飲み物は何にする?」


「……ちなみに、有料?」


 恐る恐る尋ねるとシュルマは頷く。


「サービスはするけどタダにはならないかな。

 タダ働きはしないってのがあたしのモットーなの。生きるためには大切なことよ」


「それはきっとその通りだと思う。

 銀貨1枚でなんとかなるものあるかな?」


 橋の再建で貰った銀貨を見せる。

 シュルマはそれを見て微笑む。


「ディロス銀貨ね。

 本当は受け取り拒否だけど、サービスするって約束したからそれで構わないわ。

 サイダーで良い?」


「ああ、それで良いよ。

 ――銀貨にも受け取り拒否とかあるんだ」


「ディロス辺境伯が新参の選帝侯で、鋳造貨幣に対する信頼がないのよ。

 銀貨を持つならカルキノス銀貨か帝国銀貨。この辺りならガーキッド銀貨もありね。

 と言っても地域によって貨幣に対する信頼も違うけれど。

 多分そのあたりはキオネが詳しいわ」


「それは間違いないと思う」


 シュルマは飲み物を持ってくると言って席を離れた。

 

 ディロス銀貨と呼ばれたそれと、以前キオネから貰った銀貨を見比べる。

 確かにディロス銀貨は色がくすんでいて銀の含有率が低そう。それに形も歪んでいて、彫り込まれた装飾も綺麗とは言いがたい。

 

 キオネから貰った銀貨に掘られた、大きな身体に小さなハサミを持つカニ。

 見覚えがあると思えば、テグミンのマントにも同じような紋章があった。

 と言うことはこれはカルキノス銀貨。


 カーニ帝国では皇帝以外に、選帝侯にも貨幣鋳造権があるらしい。

 貨幣鋳造が出来るとなれば、鉱山運営なんかもしなければならない。

 本来そのあたりは皇帝の特権みたいなものだ。

 それを選帝侯へ切り売りしていると考えると、キオネの言っていた選帝侯のほうが皇帝より偉いという言葉も真実味を増す。


「お待たせ」


 シュルマがコップののったお盆を運んで来た。

 ちゃっかり自分の分も飲み物を用意していて、こちらの目の前にガラスのコップを置くと、隣の席に座った。

 なるほど。そういうお店だけあって、対面ではなく隣に座るのか。


 お礼を言って飲み物の入ったコップを手に取る。

 コップはガラス製で透明度も高い。ガラス精錬の技術は高いみたいだ。

 それに細やかな装飾がなされていて、多分だけれど、このコップ1個でとんでもない金額になるだろう。

 コップを持ち上げると氷がカランと音を立てた。


「あ。氷って、もしかして」


「分かる?

 折角カニ様から授かった能力ですもの。活用しないと罰が当たるわ」


 シュルマのカニ召還能力、チルドによって精製された氷は、それこそ何処までも透明で、家庭用の冷凍庫で作った氷なんかよりも質が高い。


「冷蔵するくらいの能力だと思ってたけど、この透明度ってことはもしかして急激に冷やせる?」


「あら。そこまで分かるのね。流石は学者先生だわ」


「学者じゃなくて学生だけどね」


 飲み物代。シュルマの分も合わせてディロス銀貨2枚をテーブルの上に置いて、サイダーに口をつける。

 サイダーと呼んでいたが、多分シードルと呼ぶべき飲料だろう。

 何らかの果実を発酵させたアルコール飲料だ。

 それほどアルコール度数が高くないためジュースみたいに飲めてしまう。

 それにいつも飲んでいる変な匂いのする水と違って、香りも良く美味しいし、何より氷で冷やされている。

 

 1杯で1週間分のパンと同じ金額を取るだけのことはある。

 これでもきっとシュルマによるサービス価格なのだろう。正規の値段だといくらするのかは怖いので聞かないでおくことにした。


「仕事は見つかりそう?」


 一口飲んでコップを置くと、シュルマが問いかける。


「どうだろう。

 キオネに勧められて街の生活を見て回ることにしたんだけど、まだちゃんと見れてないかな。

 シュルマは、どうしてこの店で働いてるの?」


 聞いてはいけない質問だったかも知れない。

 娼館で働くからには、それなりの事情があってもおかしくない。

 だけれどシュルマは柔和に微笑んで答えてくれた。


「目的は結局はお金ね。

 お金を集めたいの」


「集めてどうするの?」


 重ねて問うとシュルマは身体を寄せてきて応える。


「ここだけの話だけどね。小さなカバンを用意したの。

 片手で持てるくらいの、鍵付きの頑丈なカバンよ。


 そのカバンいっぱいに金貨を貯めれば、この娼館の契約解除違約金と、別の街の衣類販売許可証と、新規開店資金が集まるってわけ」


「お店を開くためなんだ」


 それは夢のある話だと思う。

 用意したカバンに金貨を集めれば、自分のお店を開ける。

 今は娼婦であっても、お金さえあれば衣類販売の仕事に就くことが出来るのだ。

 シュルマは嬉しそうに話を続ける。


「このお店は良いわ。

 高級娼館だからお客もそれなりの人しか来ない。

 たまーに変態も来るけど、そういう人はたくさんお金をくれるわ。


 でも美人ってだけじゃここでは働けない。周りを見ても分かるでしょう?

 それなりの教養が求められる。だからあたしも必死に勉強したわ。

 このお店で働く人は、そうやって努力して、それぞれの夢を持ってやってくる。


 独立して自分の娼館を開いたり、街の有力者とコネを作って仕事を始めたり、貴族様に嫁いだり。夢のある話だと思うでしょ。

 

 生きていくのは大変だけど、そうやって自分から機会を作っていかないと。

 生きるだけが目的になってしまったらつまらない人生だわ。やっぱり楽しく生きなくちゃ。

 そう思わない?」


 問いかけに、無言のまま頷いていた。


「ワタリは、どんな風に生きていきたいの?」


 次の問いには、咄嗟に答えが出なかった。

 この世界にやって来て。――いいや、ずっと前。日本に居たときから、生きることが目的になっていた。

 何のために生きるのか。その答えがすっぽりと無くなってしまっていた。

 生きているから生きる。そのうち向こうから、楽しいことが転がり込んでくるかも知れない。

 でも転がり込んできたのは、密漁船の仕事と、異世界への片道切符だった。


 答えを出せないで居ると、シュルマが優しげな声で語りかける。


「答えが出せなくても良いのよ。

 まだ若いからこれから探していけばいいわ。

 それより、これまでの旅のことを教えてくれない?」


 その問いかけに、どこから話して良いものか思案して、順を追って話していった。

 前居た国では学生だったこと。

 休学期間中に小遣いを稼ごうと仕事を引き受けたら、それが密漁船で、知らないうちに犯罪行為に加担してしまったこと。

 その結果国を追われてカーニ帝国にたどり着いたこと。

 右も左も分からない状況だったが、キオネと出会い、一緒に旅を始めたこと。


「今度は真っ当に生きたいって、それだけの目的でここまで来たんだ。

 途中、貴族の家で働かないか誘われたけど断っちゃって」


「あら。気に入らない貴族だったの?」


「そんなことはないんだけど」


「なら位の低い領主だったとか」


「そうでもない――いやどうなんだろ。

 カルキノス家ではあるんだけど末っ子で――」


 家の名前を聞いてシュルマは目を丸くして驚いて見せた。


「選帝侯家じゃない。

 末っ子でも選帝侯家は選帝侯家。貴族の格そのものが違うのよ。

 どうして断ったの?」


 当然の質問だった。

 キオネも絶対後悔すると断言するほどだったのだ。


「キオネが貴族の家で働くつもりはないって断って。

 それでキオネのことが気になって」


「ワタリも断ったと。

 どうしてキオネと一緒に居るの?」


「それは、さっきも言ったように成り行きで。

 この国に来てから初めて優しくしてくれた人で、いろいろ助けて貰ったから」


 シュルマは相づちを打って、一呼吸置いてから単刀直入に問いかけてきた。


「キオネのこと好きなの?」


 問いかけに驚き、飲みかけていた飲料でむせ込む。

 慌てて呼吸をなんとか落ち着けようとして、結局落ち着き切らぬまま応えた。


「そ、そういうわけじゃない」


「なら別れた方が良いわ」


 きっぱりと言い切られる。

 キオネと別れる。

 そんな選択肢が示されて、動揺を抑えきれない。


 そもそもどうしてキオネと一緒に居るのか。

 優しくしてくれたから。いろいろ教えてくれるから。生活の面倒を見てくれるから。


 それらの条件がなくなったとしても、キオネと一緒に居たいと思うだろうか?


 ――その答えは、自分でも不思議なのだが、イエスだった。


 キオネはああいう性格だ。善意だけで手を差し伸べてくれているはずがない。

 こちらが完全カニ化能力者で、この世界の常識について疎いから、あわよくば自分の目的のために使ってやろうという魂胆があるのは間違いない。


 それを分かった上でも、一緒に居たいと思う。思うだけではない。実際にテグミンの誘いを断り、キオネと旅をする道を選んだ。

 それはナイチンゲール症候群だったりストックホルム症候群だったりの、特殊な環境において生じた感情の勘違いなのかも知れない。

 

 それでもやっぱりキオネと一緒に居たいと思う。

 彼女はこの世界において虐げられる側の人間だ。そんな彼女が強い目的をもって行動をしている。その手助けをしてあげたいという庇護欲かも知れない。


 それとも単純に、あの無愛想ながら本当に困っている人は見捨てられない気の優しさとか、行動の所作に垣間見える育ちの良さとか、ふとした時に見せる普通の顔の可愛らしさとか、そういうところに惚れているだけなのかも知れない。


 長く考え込んでいると、シュルマが告げた。


「悩むってことは、そうしたくないってこと。

 ワタリは気づいていないだけで、キオネのことが好きなのよ」


 言い切られる。

 でも返す言葉が見つからない。


「否定しようと思ったけど、多分、シュルマの言うとおりだと思う」


「そうでしょ。

 娼婦に隠し事は出来ないものよ。男の考えていることなんて、何もかもお見通しなんだから」


 高級娼館で働く歴戦の娼婦であるシュルマの言葉は重い。

 男性は彼女の前には丸裸になるしかないのだ。

 何もかも見通されるならと、率直に尋ねる。


「どうしたら良いと思う?」


「それは難しいところね。

 あたしにとっては商売敵になるわけだし」


 そうなるのか?

 一瞬考えたが、そうなるのだろう。

 通っていた男性が結婚してしまえば、娼館の収入は少なからず影響が出るのだ。

 だがシュルマはいたずらっぽく笑う。


「冗談よ。

 とにかくキオネみたいな子には、素直に、分かりやすく気持ちを伝えておくことね」


「一理あるけど、多分キオネのことだから真面目には受け取ってくれない」


 今日だって素直に見た目を褒めたつもりなのに、お世辞は良いときっぱり言い切られた。

 キオネは顔に傷をつけられて、自分の見た目に対してコンプレックスを抱えている。

 真っ直ぐ告白したところで、バカな冗談はいらないと切り捨てられるのが目に見えている。


「確かに面倒くさい性格してそうね。

 でも教養はあるのよね。没落貴族の出身だったりする?」


「あまり過去について話さないから分からないけど、テグミン――カルキノス家の子とも知り合いだったみたいだしその可能性はありそう」


 シュルマはふむふむと考え込んでいる風な反応を返して、それからこちらのコップが空になっていることを示す。


「まだ飲んでいく?

 ちなみに次からはサービス料金が適用されないわ」


「止めておく。

 キオネに泣きつかないといけなくなる」


「そうね。それはあたしとしても忍びないわ」


「話せて良かったよ。

 ありがとう、シュルマ」


 立ち上がり、店の出口へと向かう。

 シュルマはそれに付き添ってくれた。


「あたしも楽しい時間が過ごせたわ。

 また来てくれると嬉しいけど、明日はお休みだから明後日以降ね」


「財布と相談しておく」


 正規の値段でこのお店に来ることは恐らく出来ないだろう。

 シュルマの指名料すら支払うことは出来ない。


 建物の外に出ると、シュルマは「見送りはここまでなの」と告げる。

 再度礼を言って、元来た道を戻り唯一の出入り口である跳ね橋へ向かう。


 途中、キオネのことを考える。

 娼館に遊びに行ったこと、バレていないだろうか?

 バレていたら彼女に対する気持ちを告げ辛くなる。

 話しただけだと言って信頼してくれるだろうか? そのあたりは、こちらの所持金事情をキオネは完璧に把握しているわけだから信じてくれると祈りたい。


 とぽん。

 娼館の前に広がる庭園。その池から水音がして、振り向いた。


 何かが光った。

 咄嗟に構えた腕をカニ化。そのカニ化しかけたハサミが衝撃を受け、後方へ吹き飛ばされる。


「なっ――」


 ハサミの甲殻が削られ魔力が音を立てて吹き出す。なんとか足を踏ん張ってその場にとどまると状況確認。

 池に何かが居て、こちらへと攻撃を仕掛けている。

 それだけしか情報がない状態で、とにかく身を守るためにカニ魔力を行使。

 全身を小さめにカニ化させる。全高3メートル程度。カニの姿となって、上から見下ろすように池の方を見た。


 何かが水面から飛び出す。

 ――人ではない。長い触覚に、細長い顔。エビだ。人間ほどのサイズのエビが、大きな2つのハサミを構えて居る。

 

 ハサミが光を放つ。

 瞬間、構えていたこちらのハサミが衝撃を受ける。

 攻撃によって甲殻表面が削られ、熱によって身が焼かれる。


「熱光線――いや、水鉄砲か!」


 テッポウエビ。

 ハサミを超高速で閉じることで、衝撃波と熱を発生させるエビ。

 それを人間の手のサイズのハサミで行えば、圧力によって加熱された水を超高速で撃ち出せてもおかしくない。


 エビ使いの両手が瞬く。

 横移動で回避するが、超高速の水鉄砲は夜なのもあって軌道が見えない。

 こちらから攻撃を仕掛けるにしても、池までは10数メートル。一息では移動できない距離だ。

 真っ直ぐ距離を詰めれば集中攻撃を受ける。

 ハサミが受けきれる水鉄砲は精々3発。両腕使っても6発。

 だが攻撃手段を残したまま距離を詰められなければ勝機はない。


「チルド!!」


 回避一辺倒になっていたところに、シュルマの声が響く。

 飛んできた真っ赤なカニが身体を震わせると空気が凍り付き、瞬く間に氷の壁を作り上げた。

 水鉄砲が氷の壁に命中。圧力によって氷の表面が砕けたが、熱では簡単には溶けない。


『助かった! シュルマ、ありがとう!』


「お礼言ってる場合?

 本当は厄介ごと持ち込むお客はお断りなのよ!!」


 シュルマはこちらに走ってやって来て、氷の壁の後ろに隠れる。

 それから矢継ぎ早に指示を出した。


「カニ化解除して。狙いは荒いわ。距離をとれば簡単には当たらない。

 合図したら跳ね橋の向こうまで走るわよ。

 水のある環境では不利だわ。

 市街地へ入って私兵と街の衛兵に助けて貰う」


「分かった」


 カニ化を解除。

 シュルマは先ほど投げたチルドを肩に乗せて、更にもう1匹チルドを呼び出す。


「走って!」


 声を合図に走り始める。

 シュルマは前方にチルドを投げ、同時に氷の壁を精製。

 水鉄砲を氷の壁でやり過ごしながら、真っ直ぐに跳ね橋へ――


「なんで跳ね橋が上がってるの!? 営業時間中よ!」


 目の前の橋を見てシュルマが声を上げる。

 水鉄砲は止んでいたが、後方からエビ使いが池から池へと移動して距離を詰めてきている。

 エビ使いは池を泳ぎながらこちらへ声を投げる。


『女。そいつから離れろ。

 こちらの狙いはその男だけだ』


 エビ使いの言葉をシュルマは無視。

 こちらの手を引いて、跳ね橋の方向へと走り出す。


「確認するけどあいつ知り合い?」


「違う」


 シュルマの問いに返しながら、必死についていく。

 後方でチルドが氷柱を作り攻撃を防ぐ。

 シュルマの手から伝わってくる体温は次第に熱くなっていく。


「あいつの水鉄砲、何発なら耐えられる?」


「ハサミで3発ってところ」


「オーケー。

 堀へ飛び込むわよ!」


「え、でも――」


「止まらないで!」


 一瞬だけ躊躇した。

 堀の中は水が貯められていたはずだ。

 相手は完全エビ化能力者。

 そしてハサミから水鉄砲を撃ち出す都合上、水中において最もその能力を発揮する。

 

『愚か者め!

 水中はこの俺様の独壇場だぜ!』


 エビ使いは池から飛び出し、弧を描いて堀へと飛び込んできた。

 構えられたハサミを見てこちらも魔力を行使。

 カニ化してシュルマを庇うように前に出る。


『良い的だぜ、デカブツ――』


 エビ使いは両手を構え威勢良く声を上げた。

 だが、威勢の良いのは最初だけだった


 エビの尾が水面――であるはずだった場所に触れると、彼は失態に気がつく。

 そこに水はない。いや、あるにはあるが液体ではない。

 水は氷という形で存在していた。

 堀に沈んだチルドによって、周辺の水は完全に凍り付いていた。


「ワタリ今よ!!」


「ああ! 分かってる!!」


 やるべきことは単純だった。

 横歩きで駆け出す。目標はエビ使い。


『や、止めろ! 来るな!!』


 エビ使いは尾によって後退しながら、両腕から水鉄砲を撃ち出す。

 盾のように左手のハサミを掲げ攻撃を受ける。

 甲殻が弾け飛び内側まで損傷するが、これでもう水鉄砲は打ち止めだ。


『うおおおおおおお!!

 秘技、カニ道楽!!!!』


 距離を詰め、半回転しながら振りかぶった右腕を突き出す。

 同時に魔力によって右のハサミを巨大化。

 弾丸のように放たれたハサミは、正確無比にエビ使いを捉えた。


『ぐあああああっ!!』


 テッポウエビ自慢のハサミを潰され、エビ使いは氷の上を転がる。

 全身から魔力が吹き出してエビ化が解除。

 大量の魔力を失ったことで、彼はその場で倒れたまま動かなくなった。


「勝負あったな」


 こちらもカニ化を解除。

 何はともあれ襲撃者は退治できた。


「ワタリは無事?」


「ああこっちは大丈――シュルマ!? 大丈夫?」


 駆け寄ってきたシュルマだが、突然その場に倒れ込んだ。

 その身体を支えると、身体全体が燃えるように熱かった。

 顔も赤く、露出された体中から汗が噴き出している。


「あー、大丈夫。ちょっと冷やしすぎたわね。

 キオネの言うとおり、便利なだけの能力じゃないのよ」


 戻ってきたチルド達。全部で4匹のチルドは彼女の元へ集うと姿を消した。

 便利なだけの能力ではない。

 チルドが冷やした分、彼女の体温が上昇してしまうのだろう。

 彼女はふらつく身体で1人で立つと告げる。


「それより早くこの場から去った方が良いわ。

 騒ぎになった以上、娼館の私兵も衛兵もやってくる。

 あたしは娼館に守って貰えるけど、あなたはそうではないでしょう」


「でも――」


 こんな状態のシュルマを放ってはおけない。

 それに、襲撃してきたエビ使いのことも気になる。

 だがシュルマは語気を強めて言った。


「早く帰るべきよ。

 事情は分からないけど、ワタリが狙われるってことはキオネも危ないわ」


 その言葉にはっとして、自分が今やらなければいけないことを把握した。

 エビ使い。恐らく例の違法薬物を扱っていた一味から差し向けられた襲撃者だ。

 だとすれば当然、キオネも攻撃の対象になり得る。


「ごめんシュルマ。

 助けてくれてありがとう! 直ぐに行かないと!

 『招きハサミ亭』に滞在してるから、協力が必要になったら知らせに来て」


「ええ、そうするわ」


 シュルマに送り出されて、カニ化して堀を乗り越え、人の姿に戻ると集まり始めていた野次馬達の動きに逆行して真っ直ぐ宿へと向かった。


 

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