第13話 力の使い方と新しい旅

 初撃のハサミを、オピリオは床を短く蹴って飛び退いて躱した。

 一撃必殺とは行かずに、互いに向かい合い、ハサミを構える。


『前回は不意をつかれたが、もう貴様相手に油断はしない』


 オピリオはカニのハサミでメイスを振りかざして告げる。

暗赤色のカニ。足は前向きに折れていて、両のハサミは細長く鋭い。

 ズワイガニだ。

 密漁漁船でも水揚げがあり、帰港後に船長と食べたので覚えている。

 彼は魔力を練って、メイスを持った左手を太く強靱に作り替える。

 

 こちらも魔力を練って甲殻を強化。

 次の一撃のためにハサミへと魔力を送りつつ、倒れたテグミンへと視線を向ける。

 床に倒れた彼女だが、身体は動いている。まだ助けられる。


『どうしてっ! テグミンを裏切ったんだ!!』


 勢いよく一歩前に踏み出し、ハサミを突き出す。

 魔力を込めた攻撃。それをオピリオは華麗な足さばきで回避すると、横歩きで側面へと回り込む。


『貴様には関係の無いことだ!』


 側面からの攻撃。

 対応しようと90度回転。だがその時には既にオピリオはこちらの側面を抑えている。


 長い腕から繰り出されるメイスによる攻撃。

 咄嗟に回避しようとするが、メイスの先端がこちらの足の先を捉えた。


『くそっ――』


 足の先から魔力が流出する。

 されどダメージは軽微。次の攻撃に備えようとオピリオの動きを追いかけるが、足さばきに差がありすぎる。

 機動力の面で、オピリオはこちらを大きく上回っていた。


 ――それなら!!


 魔力量ではこちらが優位。

 オピリオがメイスを使っているのも攻撃力をかさ増しするため。つまり単体での攻撃力に自信がないからだ。

 ならば、一撃を受け止め、カウンターの一撃で決める!


 短く飛び退き、両のハサミで防御の構えをとる。

 完全に背後をとったオピリオが、左手をムチのように振るい、遠心力によって加速されたメイスを繰り出す。


『そこだっ!!』


 攻撃を背中の甲殻で受け、その瞬間に半回転。

 回転と同時に右のハサミを巨大化。勢いよく撃ち出したハサミは、こちらを攻撃したばかりのオピリオの左腕へ――


『何!?』


 カウンターの一撃は、オピリオの左腕の甲殻を貫かなかった。

 防がれたのではない。逸らされたのだ。

 浅い角度で入ったハサミは、とげの少ない腕部甲殻で滑り、威力を外側へずらされる。


 そして大技を透かした隙に、オピリオは更に距離を詰めてきた。


『こんのっ!!』


 左のハサミで迎え撃とうとする。

 だが目前から突然オピリオの姿が消えた。

 何処へ――。


 一瞬の戸惑い。

 床を叩く音を聞き反応。オピリオはカニ化を解除し人の姿となっていた。

 こちらのハサミの間合いの内側。腹部甲殻の真下で、腕だけをカニ化させてメイスを振るう。


『ぐああああああっ』


 メイスが腹部の傷を抉る。

 まだ完治していなかった腹部甲殻から、大量の魔力が吹き出した。

 苦し紛れに反撃するも、既にオピリオはカニ化して後退している。


『魔力量だけの素人だな』


 オピリオは言い捨てる。

 騎士として戦闘訓練を積んだ彼と、たった数日キオネによる即席の訓練を受けただけの自分とでは覆しがたい戦闘能力差があるのは事実。


 だけど、負けを認めたり出来ない。

 オピリオは、騎士でありながら違法薬物の蔓延に手を貸し、味方であるはずのテグミンを騙して殺そうとしたのだ。

 人を騙すような人間を放っておくことは出来ない。


 脳裏に密漁漁船の船長の姿が思い浮かぶ。

 悪事に手を染めているのに、それを隠して人を集め、挙げ句の果てに乗組員を見捨てて我先にと海へと飛び込んだ。

 あのような人間は、誰かを巻き込む前に正しく法によって裁かれるべきだったのだ。


 とにかく負けることは出来ない。

 オピリオの悪事はここで食い止めてみせる。


 呼吸を落ち着けて腹部へと魔力を送る。

 傷を癒やし、同時に身体全体の甲殻へ魔力を注ぎ込んで強度を上げる。


 そうだ。

 短期間とは言えキオネの訓練を受けた。学んだ内容を思い出せ。

 大切なのは魔力量でも能力の強弱でもない。力をどう使うかだ。


 オピリオのような華麗な足さばきは無理でも、ハサミの使い方はそれなりに練習もした。

 使えるものは何でも使え。

 トラウデンがやっていたことを真似すれば良い。腕を振り抜き、同時にハサミを巨大化させることで威力を増すことが出来るはずだ。

 問題は、何処を狙うかだ。


『もう攻める力も残っていないようだな。

 次で終わりにしてやろう!』


 オピリオは横歩きで後ろへと下がる。

 メイスを持った左腕を振りかぶり、直後に駆け出す。

 加速と遠心力をメイスに乗せて、渾身の一撃を繰り出すつもりだ。


 ――見極めるんだ。

 何処が弱点だ? 脆弱点は――


 走ってくるオピリオを睨み、弱点を探す。

 そしてオピリオの――巨大なズワイガニの姿を見て、再び密漁船の船長の姿が脳裏に浮かび上がった。


 ――おいおい、カニを食べたことない素人か?

 新入り。お前は全く分かっちゃ居ないな。

 ほら貸してみろ。ズワイガニとタラバガニじゃ足の向きが逆なんだ。

 間接がどう動くか分かっていれば、ほら、簡単に折れるだろ?

 はっはっは。こいつは俺のものだ。悔しかったら、足の折り方くらい覚えるんだな――


 そうだ。

 間接の向きはカニの種類によって違う。

 オピリオの能力はズワイガニ。だとしたら――


 オピリオのメイスが円弧を描き迫る。

 寸前、魔力を凝縮、身体を小さくして攻撃を躱す。


『うおおおおおおお!!

 そこだあああああ!!』


 通り過ぎたオピリオの左腕。

 それを折るには、間接部に対して外側から内向きの力を加えれば良い。


 振りかぶった右腕を突き出すと同時に巨大化。

 間接の僅かに奥。1点を精密に狙い、最大威力の一撃を叩き込む。


『秘技!! カニ道楽!!』


 濃緑色の魔力が渦を巻き、砲撃の如き一撃がオピリオの左腕を破砕する。

 暗赤色の魔力が血のように溢れだし、メイスが鈍い音を立てて床に転がる。


『これで終わりだ!!』


 攻撃を引き戻し、その応力で今度は左のハサミを振るう。

 オピリオは右のハサミで防ごうとしたが、前回の戦いで傷を負った右腕は、攻撃の威力に耐えきれなかった。

 甲殻を易々と砕き、右腕をたたき落とす。


『ぐおおおおおおおお』


 両腕を失ったオピリオ。

 暗赤色の魔力が際限なく溢れ、傷を塞ぎきれなかった彼はカニ化を強制解除されてその場に倒れた。


「この私が――

 帝国騎士が、素人に敗れるなど――」


 傷ついた両腕を床について立ち上がろうとしたオピリオだが、急激な魔力の減衰によってか顔色が著しく悪くなり、その場に倒れて動かなくなった。


          ◇    ◇    ◇


「お目覚め?

 寝起きのところ悪いけど、端的に答えて。

 あのローブの男は何者?」


 ぼんやりと目を開けたオピリオ。

 彼の元でキオネが顔を寄せ尋ねる。

 オピリオは咄嗟に攻撃しようとするのだが、手は後ろで縛られ、魔力も欠乏しカニ化も出来ない。


「尋問は無意味だ」


 そんな状況にありながらもオピリオは毅然と答えた。


「そう?

 男の行き先は?

 彼らの目的は何なの?」


「無意味だと――」


 言葉を遮って、キオネは容赦なくオピリオの腕の傷を強く押さえた。

 だがオピリオも騎士だ。

 痛めつけられても、歯を食いしばってそれに耐えきる。


「……言ったぞ。尋問は無意味だ」


 再び繰り返される言葉。

 キオネは肩をすくめて見せて、テグミンへと声をかける。


「だそうよ。

 情報得られないなら殺した方が良いわ」


「いいえ、ダメです。

 彼は帝国の決まりによって正しく裁かれなければいけません」


 テグミンはそう主張して、周りに居たアクベンス領の衛兵へと彼を皇帝の元へと連れて行くように命じた。

 カーニ帝国では帝国騎士となれば皇帝が直々に処分を決定するものらしい。

 オピリオは衛兵達に掴まれて、無理矢理に城の外へと連行されていく。


 それを見送ってから、キオネはテグミンへと苦言を呈する。


「あいつ、あんたを殺そうとしたのよ。

 殺意を向けられた以上、殺しておかないと後で厄介よ」


「だとしても、規則を破ってしまったらわたくしも同罪です。

 貴族として、その行いは常に正しくなくてはいけません」


「強情だわ。

 っていうか顔、すってるじゃない。何してるのよ」


 キオネはテグミンの頬にうっすらと傷があるのを見て、強引に顔を押さえて傷を水筒の水で洗い流す。


「貴族として戦った傷です。名誉の負傷ですよ」


「おバカ。

 世間はあんたが思ってるより優しくないのよ。

 跡が残ったら大変だわ」


 水で洗った後、キオネは更にカバンからビンを出して、その中身の液体を傷に塗りたくる。

 消毒液か薬品か定かではないが、十分に塗るとハンカチで傷を上から押さえ、しばらく持ってなさいときつく言いつけた。

 テグミンは「大げさです」と言いながらも、言われたとおりハンカチをしっかりと押さえた。


「顔と言うより、テグミンは大丈夫なの? ボロボロだけど」


 テグミンは体中に怪我をしていて、身につけていたローブもボロボロだ。

 それもそのはず、あのオピリオに痛めつけられていたのだ。

 自分も喰らったから分かるが、あのメイスの一撃は生半可な物ではない。


「はい。手加減して防御していたので。

 しっかり守るべきところは守っています。

 ――と言いたいところですけれど、慣れないことをするものではありませんね。

 あちこちぶつけたので体中痛くて……。キオネさん、その傷薬、もう少しだけ分けて頂いても?」


「良いわけないでしょ。高いのよ」


「ですよね……」


 キオネは薬ビンをカバンにしまい込み、絶対に渡さないと意思表示をした。

 テグミンも身体の傷については諦めたようで、家で治療して貰いますと呟いた。

 キオネはそんな彼女へと苦言を呈する。


「大体、わざと防御弱めて時間稼ぐなんて、有効なのは分かってても実際にやるのは狂ってるわよ」


 テグミンは照れながら答える。


「えへへ。そうですよね。

 でも、キオネさんが言うとおり、わたくしは戦うことが出来ませんから。

 こうやって時間を稼いで、後はワタリさんになんとかして貰うしかなかったのです」


 そんなテグミンに対してキオネは深くため息をついて、彼女の額を軽く小突くと、優しい口調で告げた。


「おバカ。

 なんとかして貰って当たり前でしょ。あなたは貴族なんだから。

 あんたが最初に戦う決意をして、その結果あの単細胞のお人好しが戦う決意をした時点で貴族の務めは果たしているのよ。

 もっと堂々として、胸を張りなさい。それこそ貴族の務めだわ」


 キオネの厳しくも優しい言葉に、テグミンは笑みと共に返事を返した。


 なんだかキオネの言葉はこちらのことを小馬鹿にしたような言い草だったけれども、テグミンの笑顔が見れたので良しとしよう。


 その場の後処理はアクベンス領の衛兵へと任せて宿へと戻ると、魔力を相当量流出させたせいか、気を失ったように眠った。


          ◇    ◇    ◇


「もういい」


 オピリオが声をかけると、彼を連行していた衛兵達は掴んでいた手を離し、彼の拘束を解除する。

 更にオピリオの要求に応じて干しエビの入った袋が手渡された。

 彼は干しエビを口に運び飲み込んでいく。あっという間に袋は空になった。


「あの青年、それにローブの女。

 あやつら何故カルキノス家四女へ手を貸す――ん――っ!!」


 言葉を途切り、胸を押さえるオピリオ。

 それを見て衛兵は干しエビを詰まらせたのだろうと判断して水筒を差し出した。

 だがオピリオは水筒を受け取らず、その場にうずくまって胸を叩く。


 そして数秒もすると、オピリオはそのまま動かなくなった。

 彼の容態を確かめようと衛兵が声をかけても反応無し。

 いよいよ身体を揺すると、彼の身体は地面に倒れた。

 呼吸は止まり、顔からは血の気が引いている。


 干しエビの袋を渡した衛兵へと槍が向けられるが、彼は自分ではないと否定。

 結局その場では犯人を特定できず、オピリオの死は極一部の人間の間でのみ共有され、闇に葬られた。


          ◇    ◇    ◇


 翌朝、目を覚ますと宿の1階で軽く食事を済ませ、旅立ちのため荷物をまとめる。

 宿の外に出ると、ウードの部下がクルマエビでやって来ていた。

 昨日のうちにキオネが帰りの足を依頼していたらしい。

 わざわざ言いなりになって働く様を見るに、結構な金額を支払ったのだろう。


「ではわたくしは報告のために家へ帰ります。

 お二人にはとてもお世話になりました。このご恩は生涯忘れません。

 何か渡せるものがあれば良かったのですが――」


 テグミンは旅行カバンを開けようとするが、キオネがそれを制した。

 あんたの持ってる物なんて必要ないと、散々な良いようだ。

 だけれど必要な物があるのならキオネが売却せずに懐に収めているはずなので、言っていることは全くもって正しい。


「そうですね。では別の形でのお礼をさせてください。

 お二人とも、わたくしの元で働くつもりはありませんか?

 真っ当なお仕事を探しているのでしょう?

 わたくしも家の中での地位は高くありませんが、今回の功績を考えれば、お二人を雇い入れることは可能だと思います。

 どうでしょう?」


 問いかけるテグミン。

 それは願ってもない話だった。

 真っ当も真っ当。選帝侯家4女の元で働けるのだ。こんなに素晴らしいことはない。


 即座に頷いて返そうとしたのだが、一瞬キオネの様子をうかがう。

 彼女は顔をしかめて、不機嫌そうにしていた。


「悪いけど、貴族の家で働くつもりはないわ。

 それに私にはやることがあるもの。じゃあね」


 キオネは言い残すと、一人で街の出口の方へと歩いて行ってしまった。

 引き留めようと思ったが、まずはテグミンの問いかけに回答する。


「ごめんテグミン。

 申し出は凄い嬉しいんだ。多分、これを断るなんてとんでもないことなんだと思う。

 でもその――まだこの世界を見てみたいというか――」


「キオネさんが気になるのですね。

 どうぞわたくしのことは気にせず、ついて行ってあげてください。


 テグミンはこちらの内心を察したのか、そう優しく声をかけてくれた。

 深く頭を下げて礼を言って、別れの言葉を口にする。


「短い間だったけど一緒に旅を出来て良かった。

 テグミンなら、きっと良い貴族になるよ。

 それじゃあまた、きっとどこかで」


「はい。いつかきっとカルキノス領へ遊びに来てください。

 その時はきちんとこれまでのお礼をさせて頂きますから」


 テグミンの笑顔に見送られて、街の通りを走る。

 直ぐにキオネの背中を見つけて追いつくと、並んで歩きながら尋ねる。


「次はデュック・ユルだっけ?

 大きな街なんだよな?」


 問いかけに、キオネはため息を吐いた。


「あんた、選帝侯家のお嬢様の誘いを断るなんて、絶対後悔するわよ」


「かも知れないけど、キオネと始めた旅だから。

 それに約束しただろ? キオネを守るって」


「バカにつける薬はないわね。

 街の出口へ行って、デュック・ユル方面へ向かう乗り合いのクルマエビ探して。

 価格は絶対に交渉すること」


「分かった。キオネは?」


 問いかけると、彼女は足を止めた。


「忘れ物。

 だから先に行ってて」


 その言葉に頷き、街の出口へと向かう。

 キオネもキオネなりに、別れの挨拶を済ませておきたいのだろう。


          ◇    ◇    ◇


「テグミン」


 キオネが声をかけると、彼女が来ることを分かっていたのか、テグミンは荷物を積み込む手を止めて、彼女の元へと駆けつけた。


「キオネさん。来てくれると思いました」


「まあね。

 忘れ物もあったし」


 キオネは一歩前に踏み出して、懐へと手を入れると銀製のナイフを取り出した。

 貴族の証である銀のナイフ。

 それにはカルキノス家の紋章と、テグミン・フォン・カルキノスの名前が刻まれている。


「もう盗まれるんじゃないわよ」


「はい。ありがとうございます。優しい泥棒さん」


 朗らかに笑ってそれを受け取るテグミン。

 キオネはそれに対して冷ややかな目を向けていたが、テグミンは微笑んだまま問いかける。


「でもよろしいのですか?

 手元に置いたと言うことは、使う予定があったのですよね?

 必要でしたらしばらくお貸ししますよ?」


「おバカ。

 何処の世界に貴族の証を他人に貸す貴族がいるのよ。

 ちゃんと自分で持ってなさい。絶対に旅行カバンなんかに入れずに、身につけておくこと。良いわね」


 テグミンは忠告に対して頷いて見せた。

 それから「どちらかと言うと肌着を返して欲しい」と頼むのだが、キオネはきっぱりと「サイズは小さいけど気に入ってるから返さない」と言ってのけた。


「そう言えば、逃げたローブの男、イビカ教徒でした。

 東へ向かうのでしたらどうか気をつけてください」


「イビカ教徒ね。厄介な問題に足突っ込んだ気がするわ。

 ともかく忠告ありがと。

 そっちも帰り道気をつけて。アクベンスの衛兵は信頼しすぎない方が良いわ。


 それと、やること終わったらあんたにかかった旅費とワタリの貸し出し料金、利子つけて請求しに行くからお金用意しておきなさい」


 無茶苦茶な要求に対してもテグミンは笑顔のままで頷いた。


「はい。やるべきことが終わりましたらカルキノス領へ遊びに来てください。

 いつでも歓迎しますよ、アステリア様」


 懐かしい名前を呼ばれて、キオネは一瞬だけ目を見開く。

 でも直ぐにいつものように目を細めて「捨てた名前だわ」と呟いた。


「お顔を見せて頂いても?」


「意地の悪いことを頼むわね」


 拒否感を示しながらも、キオネはフードを脱いだ。

 そして右目にかかる銀色の髪を手で払う。


「これでいい?」


 右目の下に横に走った傷跡。

 テグミンはキオネへと近づくと、そっとその傷へと手を伸ばす。


「痛みますか?」


「全然。6年も前の傷よ」


「もう6年になりますか。

 ご両親のことはうかがいました。事故だなんて、残念なことです」


「事故の訳ないでしょ」

 

 きっぱりと言い放つキオネ。

 テグミンは言っていることが理解できずきょとんとした表情を浮かべたが、意味が分かると表情を強ばらせた。


「では、やるべきことというのは――」


「どうしてもやらなければいけないことよ」


 それだけで十分だろうと、キオネは再び髪で右目を隠し、フードを深くかぶった。


「もし違法薬物について何か見つけたら連絡するわ」


 キオネが話題を切り替えるとテグミンも頷く。


「はい。是非お願いします。

 ちなみにあの子達はご飯とか食べます?」


「水だけ切らさずに。あとは週に1回魔力を与えて。少しで良いわ」


「分かりました。大切にしますね」


 テグミンが笑みを向けると、キオネもぎこちなく口元を持ち上げて見せる。

 それから互いに短く別れの言葉を口にして、キオネはテグミンの元を離れて街の出口へと向かった。


          ◇    ◇    ◇


「あ、キオネ。

 デュック・ユルまで直通のクルマエビあったよ。銀貨8枚だって」


「8枚?」


 直通便を見つけたので意気揚々と報告したのだが、キオネは眉をひそめて尋ねた。


「もしかして、高かった?」


「多少割高ね。

 で、それで良いって言ったの?」


「言った。

 だって元々銀貨15枚だって言ってたのが8枚になったから……」


 視線をクルマエビの御者へと向ける。

 彼はその視線から逃げるように、いそいそとクルマエビへと水を与え始めた。


「もっと安くして貰おうか?」


 その問いかけにキオネはかぶりを振った。


「良いって言ったんでしょ。

 相手の商売が上手かったってだけのことよ。

 それに割高な分、きちんと責任持ってデュック・ユルまで送ってくれるはずよ。

 当然そうよね?」


 キオネの言葉は御者へと向けられていた。

 御者もその声に対して「もちろんです」と商売上の愛想笑いを浮かべて答える。

 キオネは銀貨を3枚取り出して御者へと渡し、残りは現地でと言って5枚の銀貨を見せるだけ見せて荷台へと乗った。


 ゴットフリードに来たときの籠付きのクルマエビではない。

 天井もない荷車で、交易品だろう木箱との同乗だ。

 貴族のお嬢様と別れた訳なので、僕らにはきっとふさわしい交通手段だろう。


 御者が準備を終えて、クルマエビをつなぎ止めていたロープをほどくと荷車の前の席へと座る。

 いよいよ出発だ。

 テグミンと共にした違法薬物調査を終えて、これから新しい旅へと――


 そんな旅立ちの瞬間を、遠くから響く女の声が遮った。


「そのクルマエビ待って!

 東行き? デュック・ユル方面?」


 引き車に荷物を載せて、通りの方から女性がこちらに声をかけていた。

 その呼びかけに「デュック・ユル行きです」と答えると彼女は大きな声で礼を述べて待っているように頼む。


 長身で、青い髪を腰のあたりまで伸ばした若い女性。

 彼女の身につけるワンピースは胸元が大きく開き、丈は膝よりずっと上で足のほとんどを露出していて、右足首には真っ赤なリボンが結ばれていた。

 

 大きく開いた胸元からは豊満な胸が露出しているし、肌にぴったりと吸い付くようなワンピースのおかげで、きゅっと締まったウエストも、大きく張った腰の様子もありありと分かった。


 思わずキオネの姿と見比べてしまう。

 キオネも女性的な魅力に乏しいわけではないが、ローブで全身を覆い身体の凹凸を隠し、肌はほとんど露出していない。

 華やかさで言えば雲泥の差だ。


「あんた、口に出さなければ何を思っても許されると考えているなら大間違いよ」


 視線があからさますぎてキオネに釘を刺される。

 懸命に、されど必死になりすぎぬように弁明する。


「いやそう言うんじゃないんだ。

 キオネだって美人だと思うよ。無愛想でいつも不機嫌そうだけど、たまに普通にしてる時は凄い可愛いし――」


「お世辞はいらないわよ。

 出発が遅れるわ。あのバカ女の荷物運ぶの手伝って来なさい」


「分かった、行ってくる!」


 キオネのじとっとした視線から逃れるように荷台から飛び出すと、女性の元へと駆け出した。


 

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