13.終わらない“春”


 好きな子に「好き」と言ってしまった。



 翌朝、ベッドの上で目覚めると真っ先にその実感が迫ってきた。

 俺はたまらず布団を頭からかぶった。

 しかし当然ながらこんなことをしたところで実感を食い止めることなど出来ない。


 俺の気持ちはもう筒抜けだろう。少なくとも芹澤さんは気付いてた。確実に。


 朝比奈さんはまぁ……朝比奈さんだから、気付いてないとしても不思議ではないけど。

 でも今回のはさすがに、なぁ……。


 確かにあのとき彼女から心の声は聞こえなかった。雨が弱まった後もフツ~に途中まで一緒に帰った。でもわからないだろ。後で思い出してドン引きしている可能性もある。だいたい「ありがとうございます」で受け流されてるってことは脈ナシってことじゃないか諦めろよ俺。しかも肝心の絵に対する感想言ってないとかどんだけ気が利かないんだよ。


 布団の中で一体なん十分じゅっぷん悶絶しただろう。


 何年もかけて培われたネガティブ思考はそう簡単に変えられるものではない。やらかした感しかない。


 もう俺は訳がわからなくなっていた。

 彼女から遠ざかりたいのか、それとも近付きたいのか。



 それはそうと芹澤さんに服を返さなきゃいけない。


 俺は昨日借りたばかりの服を洗濯機から取り出した。ネットから出した後、洗剤の匂いが強すぎないか嗅いで確認した。シミがついてないかどうかもチェックする。

 うん、特に問題はなさそうだ。


 こういうときはやっぱりクリーニングに出すのが礼儀だろうかと考えていた。

 でも帰り際に、洗ってから返したいので少し時間を頂きたいという旨を伝えたとき、芹澤さんは笑いながら「洗濯機で十分だよ」と言ってくれた。俺が学生だということを考慮してくれたのかも知れない。


 窓の外を見る。

 天気は曇り。午後からはにわか雨が降るだろうってテレビでも言ってた。


 外に干す訳にはいかなそうだなと思った。それに万が一飛ばされたりしても大変だ。ここは無難に室内干しにしておこう。


 ただそうなると返しに行けるのは明日かな。最近は湿気が多くて洗濯物の乾きが遅い。


 ハンガーに服をかけながら、ふう、とため息をつく。目の前の窓がちょっと白くなった。


 またあの店に行くのか。

 それを考えるだけでソワソワして、ちょっと憂鬱で。だけど期待してしまってる自分もいるような気がした。気のせいだと思いたい。



 この日の授業は午後からだった。

 学食は正直あまり好きじゃない。騒がしくて。だから昼食はちょっと早めに家で済ませてきた。


 大学の最寄り駅に着いてすぐのところ、いつか朝比奈さんと座ったベンチに俺は腰を下ろした。

 自販機で買ったホットの缶コーヒーの蓋を開けた。


 天を見上げた。空の色がくすんでいるせいか木の葉の緑色もいくらか落ち着いた色合いに見える。


 あれからまた、季節が変わったのだ。


 そして俺も変わった。


 こうしてこの場所で、雲の流れを見たり風の音に耳を傾けたり太陽の暖かさを感じたりするのが好きになった。

 何年も忘れていた感覚が蘇って、日を追うごとに世界が新鮮に映る。


 出来ればもっと早く思い出したかった。



「夜野くん?」



 俺を呼ぶ声がして彼方へ旅立っていた意識が戻ってきた。


 目の前から手を振ってやってくる男子。兵藤くんだ。俺はちょっと身体が緊張するのを感じた。


「夜野くん今日午後からか~! 俺も俺も! ねえ、隣いい?」


「あ、うん」


「おっ、コーヒーいいな。俺も飲もうかな。それコンビニの?」


「いや、すぐそこに自販機が」


「あっ、本当だ! なんだ〜思いっきり近くにあるじゃん! あはは、二年も通ってて気付かなかったとか俺どんだけ抜けてんの。ちょっと買ってくるね」


 兵藤くんは自販機の方へ小走りで向かっていった。

 本当に明るい人だなと改めて思う。



 やがて戻ってきた兵藤くんが俺の隣に座った。

 買ったばかりの缶コーヒーはすぐには開けず、両手で包み込むようにして持っている。


「何気に久しぶりじゃない? こうやって話すの」


「そう……だっけ?」


「そうそう、俺がいる日に夜野っちが休みだったりしてさ……あっ」


「?」


「ごめん、夜野っちって言っちゃった。あは」


――やべ~、馴れ馴れしかったかな――


 兵藤くんは少し引きつった笑い方をしていたけど、彼の心の中で自分がそう呼ばれていることは前から知ってた。


「好きに呼んでくれて大丈夫だよ」


「マジ!? やさし~、夜野っち~! ありがとう~!! 俺のことも好きに呼んでくれていいからね。そうだ、みんなからは『ともちん』とか『ハル』って呼ばれてるよ」


「うん、そっか」


 だから特に不快ではない。あだ名をつけられるのは久しぶりすぎて慣れない感じはするけれど。


「あっ、それでさ、サークルの見学なんだけど」


 俺はドキリとした。胸の奥に鈍い痛みを伴っていた。


 兵藤くんの顔を見た瞬間から、多分そういう話になるだろうと予感していた。


「あれさ、何度でも出来るから。気になったらまた俺に言ってよ。最近また新しい活動……」


「あ、あの……! 兵藤くん」


 気持ちが焦るあまり彼の言葉を遮るようにしてしまった。嫌な汗がじわりと滲んだ。


 でもこれ以上ダラダラと引き伸ばすのはどうかと思う。そう、却って失礼だよ。

 缶を握る手に力がこもった。

 俺は意を決して兵藤くんの方を向いた。


「誘ってくれてありがとう。でも……俺はまだすぐには決められない、というか、多分入らないと思う」


「えっ……あっ、そっか」


「ごめん」


 俺は思わずうつむいた。


 感じ悪いよな。だったら最初から断れよって話だよな。

 何も聞こえてきてないのに勝手に自分のことをそう思った。


『夜野っち』


 親しみのこもった声が脳内に反響する。

 なんとも言えない物悲しさに胸が詰まった。


 だけど……



「そっか。じゃあこれからは普通に友達だね」



 驚いて顔を上げた。

 兵藤くんが柔らかい笑顔を浮かべてこっちを見ている。本当に、今までと何も変わらない兵藤くんだ。


「え……でも俺、サークルには入らない、よ……?」


「なんで? 関係ないよ。せっかく話せるようになったんだから友達になりたくない?」


 なんて、返せばいいのかわからない。

 そうやってモタモタしているうちに突然兵藤くんの表情が凍りついた。


――あれ!? 俺もしかして遠回しに断られてる? 友達になりたいの俺だけ?――


 えっ、いや、違……


――そっか……俺嫌われてるのか。マジか……。でも確かに強引に誘っちゃったもんな。しつこいと思われちゃったかな――


 待って待ってそうじゃなくて。


――まあ、夜野っちが迷惑ならしょうがないよな――


「あっ……! 兵藤くん、その……ありがとう!!」


「えっ」


 少しずつ、晴れていく。その表情を見ながらじわじわと顔に熱が込み上げた。


 だけどやっとわかった。

 ちゃんと伝えなきゃいけないことは他にもある。



「ありがとう。う、嬉しいよ。その……友達に、なってくれるかな」


「夜野っち……」


「宜しくお願いします!!」



 俺は深々と頭を下げた。

 いや、本当久しぶりすぎて、友達になるときってどうするのか忘れてたんだ。


「あははは! なんで頭下げるの、堅苦しいよ〜! ふふ、うん。宜しくね」


 当然ながら兵藤くんには盛大に笑われた。



 それからコーヒーを飲み終わった俺たちは並んで学校へ向かった。

 その途中、兵藤くんが何か思い出したようにバッグの中を漁り出した。


「そうそう、これこれ!」


 見せてきたのはハガキサイズのDM。

 写真に思いっきり見覚えがあった。お店の内装といい、飾られている絵といい……。


 更に店名は『Cafe SERIZAWA』間違いない。


「朝比奈さんがここのカフェで絵を飾ってるんだよ! すっごい上手くてびっくりした! ほらこの動物たちの絵めっちゃ可愛くない!? 夜野っち知ってた?」


「うん……一応」


「あっ、知ってたんだ!? 朝比奈さんから聞いたの? もう見に行った?」


「えっと、実は……」


 俺は話してみた。昨日のことを。

 なんとなく後ろめたさを感じていたけれど、冷静になってみれば隠すようなことでもないなって。


 そしたら兵藤くんの目はみるみるうちに輝き始め、鼻息荒く頬も紅潮していく。テンションの上がりっぷりは予想以上だった。


「えっ、凄くない!? 朝比奈さんが怪我したときに居合わせたのも偶然でしょ? 今回のもでしょ? もう完全に運命じゃん!」


「えっと……えっ、運命?」


「そうだよ! そう何回も起こることじゃないよ。これはもうね、神様が二人を導いてるんだよ! っていうか夜野っち」


 歩みを止めた兵藤くんに両手をがっちり掴まれた。少し声を潜め、ランランとした表情で言われた。



「朝比奈さんのこと好きでしょ。俺知ってるから」


「えっ、なっ、なんで……」


「だって最近の夜野っちは前と全然違うもん。恋してる顔だよ」



 一体いつから確信していたのか。俺だってつい最近自覚し始めたところだっていうのに。


 芹澤さんも知ってる、兵藤くんも知ってる、母さんも知ってる、岸さんも多分。

 あと(多分)気付いてないのは朝比奈さん本人くらいか。はぁ……。


 熱く甘いため息がこぼれた。


 俺はそんなにわかりやすいのか。参ったな。



「俺、応援してる」


「ん……ありがとう」



 梅雨間近だというのに、ほんのり桜の香りが漂っている気さえした。

 恋が『春』と例えられる理由がよくわかった。

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