22.三大問題児

 体力も呪力もすっかり消耗した蒼は、その後3日高熱に苦しみ休むハメになった。そうして久々に学校に来た蒼が最初にしたことといえば、職員室でおとなしく教師陣のお説教を聞くことだった。無論、一鞘も姫織も一緒に。


 森を脱出した後、蒼も姫織も気を失っていたのだが、その間に森に偵察に来ていた教師に見つかったらしい。状況説明は全部おれがやったんだぞと一鞘に言われ、蒼と姫織は揃って彼にも頭を下げることとなった。


 何故あの森に鬼がいたのかということについては、担任である茶音から説明があった。あの森は戦闘科の実地訓練の為に妖を放すことがあるという。それを戦闘科の生徒に捕まえさせるのだ。


 その際、鬼を放したことがあったのだが、首だけをしとめ体の方を回収していなかったことが、その後の調べで判明した。あの植物体は、首のない鬼と交配し力を得ていたのだ。




 その日の、放課後。誰もいない教室で、一鞘は1人思案していた。


 考えていたのは、静井蒼のことであった。ずっと転がしていない可能性を、一鞘は改めて口にしてみた。


「――あいつは、【奏】かもしれない」


 2人には、敢えて蒼に教えていない史実があった。


 【五天】とは、【武】、【文】、【律】、【舞】、【奏】の5人から成り立っている。更に広く言うと、武家、綾家、律家、舞家、奏家の五家から。


 ――しかし約800年前、五家の中心とされていた奏家が突如として消えた。1人も残さず。


 以来、【奏】のみ不在の状態で、【五天】は何とか【五天】としての体を保ってきていた。


 しかし五家のまとめ役であった奏家の穴はあまりにも大きく、この長い歴史の中で残りの四家はばらばらになった。【五天】としての任のみで対面するだけ。後は水面下で一族同士の不毛な争いだ。どの家が最も龍神に忠義を尽くしているのかと。


 奏家蒸発は龍神の怒りに触れた為ではないかとする説もあったが、龍神は【五天】の中でもとりわけ【奏】を寵愛していたという。であれば、その可能性は薄い。つまり奏家は、奏家の意志で姿を消したのだ。


 一鞘はそこからさらに、別の可能性を考えていた。――奏家は今も四家の近くにいるのではないかと。


 いくら奏家が五家の中の中心的存在であったとはいえ、四家それぞれも矜持と歴史、そしてそれに見合うだけの実力がある。その四家が総出になっても、奏家に関する手掛かりは何ひとつ見つからなかった。


 協力者がいるだろうことは当然ながら、敢えて四家の近くで奏家自ら動向を監視しているとしか考えられなかった。


 だとするならば、【奏】もこの学校の生徒の中にいるのかもしれない。さすがにこちらは希望的観測でしかなかったが、そこに飛び込んできたのが蒼だ。


 ――龍能は本来、龍能者でなければ感知不能である。蒼はそれを、やってのけた。


 しかし、一鞘が「【五天】か」と尋ねても本気でわけが分からないという顔をするばかりだし、その後問い詰めても自分は【五天】ではない一般人だと言い張るしで。一鞘と姫織は、混乱を深めた。一鞘と姫織をよく分からない理論で兄妹だと見破ったのも同様だ。


 さらにわけが分からなかったのは、蒼がもし奏家だった場合、一鞘が「【五天】か」と単刀直入に尋ねたのはどう考えても悪手だ。身を隠している奏家であるならば、この時点で理由をつけて蒼を転校させるなり退学させるなりしていただろう。死亡したことにしていてもおかしくない。これだけ徹底的に存在を隠してきているのだから。


 しかし蒼は、その後も普通に学校に通って来ていた。一鞘と姫織に向かって飛ぶ教師の怒り声にビクビクし、座学で相変わらず頭を抱え、体術の授業でドジっぷりと身体能力の高さを同時に見せつける。


 そもそも、一鞘が悪手であれば、蒼の方も悪手だったと言える。龍能を感知して、講義もそっちのけでわざわざ探しに来るなんて。私を見つけてくださいと言っているようなものだ。


 だから一鞘は、別の仮説を立てた。


 ――蒼の親か祖父母か、それとももっと昔の先祖かが、奏家から逃げ出した者なのではないかと。


 奏家から逃げ出した者の子孫であれば、【五天】に関することを何ひとつ教えていないというのもありえなくはない。


 蒼が奏家である可能性はかなり高いが、【奏】であるかどうかは、まだ定かではない。何故ならば、姫織も例外であるからだ。【武】である一鞘のふたごの妹である姫織は、龍能は保持していないが龍能の感知はできる。


 蒼に「龍能者は龍能にアテられることはない」と言ったのは、ウソではない。だが例えば、龍能の存在を知らず、自分の龍能に気付かないでいた龍能者が同じであるかは分かるまい。


 それに、奏家はあまりにも行方不明の時間が長過ぎる。その為、どういった家だったのかが今ではほとんど分かっていない。そういった資料もあったのかもしれないが、奏家はそうした資料も破棄して消えていったらしい。


 五家はそれぞれ、四礎とは違う要素から成る呪力で構成した独自の術が使える。例えば武家であれば、簡単に言うと肉体強化だ。やり方を知っているというだけで、一鞘も姫織も使わずにいる。


 奏家も何か、特殊な術が使えるのは違いない。――そしてそれが、感知における術であるならば。


(これはとんでもないチャンスだ)


 一鞘は己の身に降りかかった思いがけない幸運に、身震いしていた。


 もちろん、仮説でしかない。しかし、もしも雲隠れしている奏家が把握していない、もしかしたら【奏】である人間が、こちら側についたとしたら。




(……いや、あんまりぬか喜びしても仕方ないか)


 一鞘は1人苦笑した。


 あくまでどれも、可能性でしかない。それに謎のミラクルを起こす蒼のことだ、本当にたまたま、奇跡的に龍能が感知できたという事実もありえそうだ。


 5月らしい明るい夕日が差し込む教室は、ひっそりと静まり返っている。一鞘は机から教書を取り出し、パラパラとめくった。訓練関連の教書に視線を落とす。しかし頭には、数日前のことがあった。


 揺れの止まらない、火と水の天秤。それを前に、蒼が凍りついているのはすぐに分かった。


 早く助けてやれよ、と茶音を苛立たしい思いで見ていたが、蒼を助けてしかるべき担任もまた顔面蒼白で、使い物にならないことは明らかだった。それが分かって、黙っていられなくなった。


 天秤に手をかざして止めると、蒼はびっくりしたような――それでいて、今にも泣きそうな顔でこちらを見上げていた。蒼が自分のことを苦手に思っているのは、知っていた。そんな一鞘に対してほっとした様子を見せてしまうぐらい、あの状況は怖かったのだろう。


 ――ありがとう……、一鞘。


 だから、涙ぐんだ目で無防備に、素直過ぎるぐらいに笑いかけられて、少し調子を狂わされた。


 しかしその一方で、思いも寄らない打たれ強さも見せる。


 ――ありがとう一鞘……、元気出た!


 思いがけない切り替えに、気圧されたのは確かだった。


おどおどする癖に戦闘慣れしていて、気配に敏感なくせに自分や他人のことにはとことん疎い。


「……変な奴仲間に引き入れたみたいだな」


 しかしそれは、一鞘にとっても姫織にとっても、まったく不愉快なことじゃなかった。ひとまずの結論が出たことに満足した一鞘は、今度こそ教書の内容に集中し始めるのだった。



「……あれ?」


 教室に忘れ物を取りに来た蒼は、思いもがけない姿に目をぱちくりさせた。


「一鞘?」


 そこにいたのは、一鞘であった。不意を突かれたような顔をして、手元にあった本を机の中に隠してしまう。


「どうした?」


「えっと、水筒忘れちゃって……一鞘は?」


「……別に」


「そっか」


 深く追及はせずに、蒼は自分の席へと向かった。自然、一鞘に近付くことになる。蒼はふと、思うことがあった。


 一鞘が起こした、龍能。


 ――あれが、遠い昔に助けてくれた『彼』の気配にとてもよく似ていたのだ。


 だから走り出していた。講義中に席を立つなんて、普段の蒼なら注目を集めるのが恥ずかしくてできない。しかもあの冴嶋の講義で。


 けれど、正体を確かめずにはいられなかったのだ。もしかしたら、あの人かもしれない。澄んだ清浄な空気。他を圧倒する清らかさ。


 しかし正体は一鞘で、一鞘があの人でないことは明らかだった。容姿が違うことは問題ではない。蒼にとっては関係ない。だって人ならざるモノには変化できる種がいくつもいるし、どうであれ蒼には見抜けるのだから。


あの人は間違いなく人間ではなかった。しかし一鞘は、龍能を使えることを除けば本当にただの人だった。


(一鞘と姫織と一緒にいれば、あの人のこともいつか分かるかもしれない)


そう思ったのは、間違いなかった。だから、頑張ることに決めたのだ。そういう下心があったから。


(――けれど……、)


 蒼はそっと、隣の席を窺った。右の空席を見て、それから、左の席を。そこに座る、少年を。


(……いっぱい、助けられた)


 正直に言えば、姫織よりも、一鞘の方が苦手であった。いつも不機嫌そうだし、すぐ怒鳴ってくるし、ズケズケ言ってくるし。……脅してくるし。


 それは姫織も同じだったのだろうけれど、女子で、好きなものがハッキリしていて、苦手なことも分かりやすい姫織の方が、まだ親しみが持てていたのだ。


対する一鞘はどこまでも完璧で、蒼は――嫉妬していたのだ。今、やっとそれを認められる。


父のような立派な戦闘員になりたい。その為に父からいろいろなことを学んだ。でも苦手なものは苦手だったし、蒼の師匠である父は突然いなくなってしまった。


一鞘は、蒼にとって自分の不出来さと父がいない現実を突きつけてくる存在だったのだ。


(……あたし、だからもしかして、嫌だったのかな)


 2人に取引を持ちかけられた時のことを、蒼は今そんな風に思っている。


 巻き込まれたくないのは紛れもない本心だった。でも心のどこかで、一鞘と関わるようになったらもっと苦しくなるのではと、危惧していたのかもしれない。


 ――一鞘と姫織と関わっていく中で、もしかしたら、あの人の手がかりも見つかるかもしれない。


 それは偽らざる本音だ。でも。


 ――助けてくれた。


 【武】である彼にとっては何の利点にもならないのに、あの講義で。


 ――叱ってくれた。


 命の危機的状況で、八つ当たりではなく。


 だから――……、


「……何?」


「えっ」


 怪訝そうな声に、蒼は我に返った。思いっきり、一鞘と目が合っている。どうやら、ずっと見つめてしまっていたらしい。そう自覚したら、何故か凄まじく恥ずかしくなってきて、蒼は何も考えずに口を開いた。


「あっ、いやっ、ちょっと気になったことがあるというか……!」


「気になったこと?」


 【五天】の何かかと思ったらしく、一鞘は顔だけ蒼に向けていたのを、体ごとこちらに向けてきた。……わ――ごめんなさい質問なんて別にないんです! 顔を両手で覆いたくなった蒼であるが、火事場の馬鹿力なのか急に思い浮かんだ。


「そういえば、サヤ達って本当の苗字は何なのっ?」


 勢いに任せて尋ねると、一鞘が見たことない表情になった。


(……。あれ?)


 あたし、何か変なこと訊いた? 真顔なような、少し目を見開いているような、かすかに怪訝なような。そんな喜怒哀楽のどれでもなさそうな顔で、一鞘は蒼を見上げている。


「……サヤ?」


 初めて聞く単語のように、一鞘がそう口にし――蒼は自分が何を口走ったのかをさすがに理解した。


「うわっ、ごめんなさい!」


 蒼は慌てふためいた。


「そのっ、姫織がよくサヤって呼んでるから、多分それがうつっちゃったというか……! うわー本当にごめんなさい、気を付けるから!」


 これは馴れ馴れしくすんなと怒られるパターン……‼ 両手をパンと合わせ、ひたすらに詫びるしかない。怒鳴られるか、冷え冷えとした声で蔑まれるか。どちらも覚悟をしていた蒼であったが。


「……いい」


「……。へっ?」


 そのどちらでもない声でただそう言われ、蒼はぽかんとした。思わず、一鞘の顔をまじまじと見てしまう。


「……一鞘って呼びづらいだろうから。サヤでいい」


 顔を逸らして、ぶっきらぼうに言う一鞘の顔が、わずかに赤いような。蒼も何故か、ぱっと顔を逸らしていた。


「た、確かに、一鞘ってちょっと言いづらいかもね」


「初等学校の時、出席取る時に担任がよく噛んでたぐらいだからな」


 蒼はさすがにむせた。


「そこまで言いづらいかなぁ⁉」


「さぁ。お前でも噛んだことないのにな」


「ひどっ⁉」


 心外だと訴えながらも、心のどこかでホッともしていた。普通に会話ができていることに。


「――ミカゼ」


「へっ?」


「おれらの苗字」


 蒼は目をぱちくりさせてから、そういえばその話だったと思い至る。


「現字は? 何て書くの?」


「見るに風で、見風」


 なるほど、狭『見』と『風』端は、本名から1文字ずつ持ってきていたのか。


「見風一鞘に、見風姫織か。覚えておくね」


「間違えて呼ぶなよ」


「だ、大丈夫! 下の名前で呼んでるし!」


 そこまで言ってから、蒼はふと教室の時計が目に入った。そうだ、今日は最中の代わりに夕飯の買い出しに行かないといけないのだった。


「あ……、そろそろ帰んないと」


「そうか。おれまだここにいるから」


「うん。じゃあまた明日、サヤ!」


 蒼は教室を出て、廊下を走って行く。夕日に染められた廊下には、窓の格子の影が伸びる。それを突っ切っていく、元気な影。


 蒼は、今日一日の疲れを忘れていた。走りたいくらい、胸が弾んでいた。


(仲間だって、認められたみたいな気がした)


 それが、こんなにもうれしいなんて。


「こらっ、廊下は走らない!」


「すみませーん!」


 すれ違い様に茶音に窘められ、蒼は笑いながら通り過ぎる。


 ――三大問題児も悪くないかもな。


 橙に照らされた階段を、蒼は軽い足取りで駆け下りて行った。

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蒼天龍世記 Yura。 @aoiro-hotaru

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