9.階段での尋問

「ごめん! 今日、治癒科の子とお昼食べる約束してるの!」


 座学の講義がみっちりと詰まった午前を終えたばかりの、昼休み。蒼は梓、布、友誼の3人に手を合わせていた。


「えぇ~、そうなの?」


 と、友誼が頬を膨らませた。朝の内に買っていたらしいパンを、不満げに左右に振っている。


「そっか。じゃあまた明日、だね」


 そう言って取りなしてくれたのは梓だ。


 ここ数日、この3人とお昼を食べていたのだが、今日は李花と一緒に食べようと約束していた日だった。3人と過ごすのは楽しい。でも李花と過ごすのだって蒼は大好きだ。


「じゃああたし、治癒科で待ち合わせだから!」


 3人に手を振って、蒼は教室を後にした。李花とは食堂で食べる約束で、治癒科の方が食堂に近いのである。今日は何を食べようかなぁ、と蒼は治癒科に急いだ。



 ――まさか待ち伏せされているなんて、思いもせずに。



 まさしく廊下の角を曲がって、階段を降りようとした時である。


「――おい」


「うあッ⁉」


 いきなり頭上から低い声が降ってきて、蒼は飛び上がった。反射的に足が止まる。顔を上げると、上の階へと続く階段の手すりからこちらを覗いている……、


「風端一鞘っ⁉」


「へー、おれの名前知ってたんだ」


 手すりに頬杖をついて、一鞘は大して感慨深くもなさそうに言った。思わずフルネーム呼び捨てにしてしまった蒼は慌てて口を両手でおさえていたが、一鞘は別に怒る様子も見せない。そのことに目をぱちくりさせた蒼に、しかし一鞘は別の角度から容赦ないことを言ってくる。


「物覚え悪そうなのにな」


 ひどっ! ――とは思ったものの、事実といえば事実なので蒼は口をつぐんだ。正直、李花を待たせてるんじゃないかとそっちが気がかりだったし、何より、――あんまり関わりたくない人だ。余計なことは言わないに越したことはない。


 警戒心を滲ませる蒼に頓着した様子もなく、一鞘が階段上を指差した。


「ちょっと来い」


 蒼はサーッと血の気が引くのを感じた。もうこの学校には慣れてきたから蒼にもわかるが、――この階段は2階より上は普段立ち入り禁止の屋上直通なのでひと気がない。


「へっ⁉ あの、こ、ここで話せばいいんじゃ……、」


「取って食ったりしねぇよ、お前なんか」


 露骨に嫌そうな顔でそんなことを言ってくるが、――もう精神的には取って食われている。


「で、ですよね~……」


 じりじり、と後退しながら、蒼は愛想笑いを浮かべた。そして。


「あっ、くぉら‼」


「うぐっ‼」


 ダッシュで逃げようとした蒼は、一鞘に先に襟首を猫にするように掴まれた。……この少年、やたら反射神経がいい。


「いいから、来いっ」


 一鞘にズルズルと上の階に引きずられ、蒼は抵抗したいのだがそんな余裕はない。さっきのスタートダッシュと一鞘による阻止で思いっきり首が締まったので、げぇっほげほっごほっとむせるばかりである。


 大人しく拉致される以外、選択肢はなかった。




 屋上に通ずる階に来たところで、一鞘が足を止めた。屋上は普段立ち入り禁止で鍵がかかっているので、昼休みでもここまで来るとしんとしている。


 蒼は自分と一鞘以外に人の気配を感じた。1人。


 首根っこを掴まれ連行されていたので、蒼はずっと後ろ向きに引きずられていた。しかし一鞘が最上階まで来てようやく手を放してくれたので、ふり返ることができた。そして、ザッと血の気が落下した。


「……随分押し問答してたみたいだけど」


 そこで待っていたのは、分厚い本をパタリと閉じる姫織だったのだ。


 う――わ――揃っちゃったよ二大問題児‼ 蒼としては頭を抱えるしかない。


『関わらないようにしなよ』


 李花の忠告が頭をよぎったわけだが、……ごめん、李花。バリバリ関わっちゃってます。今。李花は間違いなく存命なのだが、思わず窓の先にある空を仰いでしまう。


「いきなり逃げようとしたから。こいつ」


 一鞘があきれたようにため息を吐いたが、――逃げられる心当たりがないんだろうかこの男。


「あ、あの、それで、ご用件とは……?」


 こうなったら、さっさと話を終わらせるしかない。蒼は覚悟を決め――切れたわけではないのだが、それでも恐る恐る切り出した。一鞘が、腕組みをほどいてこちらを見た。


「お前、何でおれと姫織が似てると思った?」


「……。はい?」


 まったく予想していなかった問いかけに、蒼はぽかんとした。しかもそれはいつの話だ。


 蒼がイマイチ要領を得ていないと気付いたらしい、一鞘がさらに掘り下げた。


「この前図書館でぶつかっただろ、おれと。階段で。あん時お前、言ったよな? おれが姫織に似てるとか何とか」


 言ったような、言ってないような……。というぐらい、蒼の中ではもう割と遠い昔話であった。しかし、その根拠は覚えていた。


「確かに、似てると思った、けど……、わぁごめん、やっぱり怒ってる⁉」


「怒ってねぇからさっさと言え!」


 ――怒ってるじゃん‼ と突っ込めるほど、蒼は気が強くない。もう逃げ出したくて仕方ないけれど、階段の前を見事に一鞘が塞いでいるし。蒼は視線をさまよわせた挙句、恐る恐る口を開いた。


「あの、その……、目」


 一鞘と姫織が顔を見合わせた。一鞘は不機嫌そうに眉をひそめているし、姫織は冷めに冷め切った無表情だ。……ダメだ無理だコレ耐えられない、


「……ふっ、不快にしてたらごめんなさ――い‼」


「待て」


「ぐぅっ」


 一鞘の脇をすり抜けてまたも逃げ出そうとしたが、またも捕まえられた。蒼の武器であるスタートダッシュはこの男には通じないらしい。


「ったく、油断も隙もあったもんじゃねぇなお前は……」


 いやそれはどちらかといえば一鞘の方なのでは。


「取って食ったりしねぇっつってんだろ。……で? 目が似てるってか?」


「は、い……」


 治安維持局の尋問を受ける犯人さながらに、蒼はがっくりとうなだれた。……今度は襟首から手を離してもらえず、吊るされた猫状態と言った方が正しいか。


「……私たち、まるで違うと思うけど」


 ここでようやく、姫織が口を挟んできた。


(喋った⁉)


 蒼はついギョッとしてしまった。確かにさっきも一言喋ったし、何度も話している声は聞いているのだが、蒼自身に興味を持ったようなところは、今まで1度もなかったから。


 内心驚いていたから、余計に姫織に突っ込まれたことについて上手いごまかしが思いつかない。ごにょごにょと口ごもってしまう。


「確かに、そうなんだけど……2人とも、目大きいし……」


 と言ってはみたものの、全然言い訳になっていないのは明らかだった。姫織の目は長いまつ毛が被さって、どこか儚げな印象がある。これほどの冷め切った無表情でなければ。一鞘の目はやや切れ長で、隙のなさと共に清廉な印象を与える。これほどの暴挙に出なければ。


「そんな奴ゴロゴロいるだろ」


 案の定、一鞘に呆れ返ったような顔で切って捨てられた。かく言う蒼も、目は大きい方である。


「……目の色も、違う」


 と、追撃してきたのは姫織である。姫織の瞳は、色素の薄い髪に反して色が濃い。よく映える。しかし一鞘の瞳は、やや色素が薄いというだけで、まったく色の系統も異なっていた。


 ――うわぁどうしようこれはもう逃げようがない。蒼は思わず、顔を伏せていた。そんな蒼のことを、2人が探るようにじっと見ているのが分かる。変な汗が、どっと出た。


「その……、よく見ると、2人とも……、」


「2人とも?」


 一鞘と姫織が、同時にくり返した。いつの間にやら、2人ともが蒼に近付いていて、――そんな風に追い詰められたら自爆しか道がない。


「――2人ともっ、目が綺麗だなって‼」


「……はあぁッ⁉」


 突如階段中に響き渡った自白に、あの一鞘が裏返った声を上げた。姫織の方はというと、こちらもさすがに固まっている。


 ……分かってる、そういう反応になるよねうん分かる。あたしもいきなりそんなこと叫ばれたらそうなる。でもこっちだって恥ずかしいことを思いっきり叫んでしまって恥ずかしいことこの上ないのだ。


 しかも今の恥ずかしいセリフの余韻で階段中がわんわんと音を震わせてる、うわぁもうこれもかき消したい‼ かき消さないと死ぬ‼ ……あとはもうひたすらに自殺行為だ。


「……つ、強い光があるっていうか、澄み切っているというか! こんな綺麗な目、2人が初めてだったんです‼」


 もうヤケクソだ。こうなると歯止めが利かない。


「他の人達の目が淀んでるとかそういうのじゃなくて、2人が特別綺麗だったの! 妖の目の感じとも違くて、ほら、すっごく綺麗な水って青いけど、そんな感じが2人ともあって、えぇと実際に青いわけじゃないんだけど、近くで目を見るとそれが分かるっていうか……! 2人とも、まったく同じそういう光があってっ、」


 あぁぁぁ頭がぐるぐるする。顔が熱い。何なら脳みそまで煮え滾ってそう。


「……ずっと見ていたくなるくらいすっごく綺麗で美しかったです、ありがとうございました――ッ‼」


「……あっ、オイぃ‼」


 羞恥心がとうとう限界突破した蒼は、意味の分からない締めくくりをして敵前逃亡していた。ここまでずっと蒼の異常発言に絶句していた一鞘が、蒼から手を離しすごすごと数歩引いていたのだ。その為今度こそ逃走は成功したが、


(あたし、終わったぁぁぁ……‼)


 何かもう本当に死にたい。死なせてください。誰か殺して。


 泣きそうな顔を両手で覆い、蒼はひたすらに階段を駆け下りるしかなかった。




 ――そんな走り方をしていてよく事故らなかったな。というのは自分でも思う。何はともあれ、治癒科のあたりに差し掛かる頃にはもう走る気力もなく、蒼はとぼとぼと歩いていた。


 ようやくの思いで李花のクラスまで行くと、その李花は廊下で待っていた。蒼が来たのに気が付くと、ちょっと怒った様子でこちらに歩み寄って来た。


「もーっ、遅い! 講義終わったらすぐ来るって言ってたじゃん」


「ごめん……」


 蒼のどよんとした空気に、李花が口をつぐんだ。


「……どしたの?」


 打って変わって、真剣な声音で尋ねてくれる。蒼は迷った。食堂に行ってから話そうか、でも他の人には聞かれたくないし、とおろおろする。するとそれを見越したように、李花が「ほら」と何かを差し出してきた。その手にあるのは、


「あんまり遅いから、あんたの分のパンも買って来たよ」


「……李花~~~~~」


 感極まった蒼は、李花にしがみついていた。


「ちょっ、パンが潰れる!」


「あっ、ごめん」


 蒼は慌てて李花から離れた。


「……じゃ、すぐそこの中庭で食べよ。あそこなら人少ないし、そういうところじゃないと話すづらいんでしょ?」


「う、うん……」


 李花に腕を引かれるがまま、蒼はうなずいた。気の利く友達に感謝だ。




 感謝……、していたのだが。


「あぁっはっはっは! 何それバカだわーっ‼」


 ……このツボり様である。


「ひどっ、そんなに笑わなくてもっ」


 ことの顛末を話し終えた蒼は、真っ赤になって訴えた。


 ここの中庭は狭くて日当たりが良くない為に、昼休みでもひと気がない。今はただ、李花の豪快な笑い声と蒼の涙声が響くのみである。


「いっや~、まさかあの二大問題児を黙らせる大物がこんな近くにいたなんてね~」


「黙らせた……、といえば、そうなんだけど」


 蒼は渋々うなずいた。


 蒼のスタートダッシュを2回も難なく阻止していた一鞘が、さすがにあの吐露の後には逃がしているのだから。


「はー、しばらくこのネタで笑えるわ」


 李花はまだ笑いの滲む声でそう言って、目元を指で拭う動作をしている。どうやら涙が出るほど笑ったらしい。


「少しはフォローしてよっ!」


 蒼はいじけて、パンの袋を乱暴に開けた。自分で自分の暴挙にすっかり撃沈していた蒼であったが、こうも笑われると腹が立ってお腹も空いてくるというものだ。


 ヤケクソ気味にパンにかぶりついていると、李花が笑いの余韻を残しながらも落ち着いた調子でつぶやいた。


「でも……、何でだろ」


「へっ?」


 いじけていたのも忘れて、蒼は李花を見た。


「だってさ、ひと気のないところに連れてってわざわざ尋ねること? それ」


 それは蒼も思っていたことだった。


「うん……、あたしも訊かれてびっくりした。しかも結構真面目な顔してたし、2人とも」


「何かあんのかもね~、あの2人」


 と言いながら、李花もずっと放っておいたままだったパンを口に運んでいる。蒼はうーん、と真面目に考えた。


「実は生き別れた兄妹なんだ! ……とか?」


「あんた本気で言ってたらデコピン喰らわすわよ」


 割と本気で言っていたので、蒼は黙った。


 それにしても、と李花が眉を寄せた。


「関わらないようにしなよって言ったのに、あんた、どんどん関わってってない?」


「わ、わかってる! これ以上は関わらないっ!」


 蒼はぶんぶんと首を左右に振った。しかし李花の方は考え方が変わったようだ。


「いやー、ここまできたらもう運命かもよ?」


「う、運命は変えられるの!」


「じゃあ宿命?」


「や――め――て―――」


 蒼は耳を両手で叩き続けるようにして、不吉な予言を遮った。その様子に、李花がケタケタと笑った。


「それじゃーまぁ、不吉な話題はここまでってことで」


 この話はここでおしまい。李花は完全に割り切ったようで、その後は食べているパンがおいしいか尋ねたり、自分のクラスの話をしてくれたりした。蒼もすっかり肩から力が抜け、おいしいよ、と答えたり、最近話すようになったクラスの女子達の話をしたりした。


 いつも通りの、楽しい昼休みが戻ってきていた。しかし。




 ――宿命。


 蒼は次の日、この言葉に負けることとなる。

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