8.観察

 ――そういえば、風端君とあんな風に話したのは初めてだったかも。


 ……と、蒼が思い至ったのは、遅まきながら数日後のことであった。


 アレをまともな会話と呼んでいいのか怪しいところなのだが、あの時、風端一鞘にビクビクしなかったというのは初の快挙だ。隙がなくて教師相手にも容赦のない一鞘は、蒼にとって問題児だとかがなくても苦手なタイプなのだから。


 では、何故それができたかといえば、あまりにも一鞘の様子が普段と違っていたからだ。いつもの不機嫌な感じだったら、図書館でぶつかった時のように蒼は平身低頭だっただろう。しかし、あの時の一鞘は何かに驚いていたようだったし、何やらこちらの返答を待っている様子だったしで、何というか、すごく普通の人間っぽかったのだ。


(……まぁ、不機嫌そうなのは変わらなかったけど)


 それでも、普段よりは怖くなかったのだ。いろいろといきなり過ぎて怖がる暇もなかったというのもあるが。


 そんな一鞘だが、その初めてのまともな会話の後、まったく教室に姿を見せなかった。一応席の上にペンケースやらが放置されていたので勝手に帰ったわけではなさそうだったが、ずっと講義に顔を出さないというのは、サボり魔の一鞘でも珍しい気がした。


「あたし、何かしちゃったのかなー……?」


 ……と、蒼が1人ぼやいているのは、昼下がりの小ぢんまりとした中庭でであった。


 学校内には、中庭みたいになっているところがいくつも存在する。ぽかぽかと日の光が照らす小ぢんまりとした中庭には、蒼以外誰もいない。たまには蒼も、1人でのんびりお昼を食べたい時もある。今は訓練着なので遠慮なく木の根元に腰を下ろし、伸ばした両足を左右に揺らす。


(やっぱり「風端君も気付いたの?」とか言っちゃったのがよくなかったのかなぁ)


 自分以外にそんなのを感知できる人間に出くわしたことがなく、つい訊いてしまっていたが、一鞘は思いっきり怪訝な顔になっていた。どうやら、蒼の思い違いだったらしい。たまにあるのだ、蒼が何かを感知したのと同じタイミングで別のことに反応する人がいるとかいう、いらない奇跡が。


(でも、そんなことであの風端君が講義をサボり続けるとかあるかなー……?)


 例えば、蒼の意味不明な言葉を気味悪がったとか? けれど、一鞘に怯えたような様子はなかったし、そもそもあの風端一鞘が蒼ごときの言葉で怖がったりとかありえないのでは。


 それに、次の日からは何事もなかったかのように講義に参加していた。堂々と机に突っ伏して居眠りする度胸と、その状態で教師に問題を出されてもすんなり答えられる優秀さも相変わらずだ。


もちろん、蒼に見向きもしないのもいつも通りである。ついでにむすっとした不機嫌顔も。


 蒼としても、一鞘と仲良くなりたいわけではないので、それで一向にかまわない。しかし、昨日のあの問いが気にならないわけではない。


 ――お前『ゴテン』か?


 一体何のことだろう。わざわざ蒼に話しかけてきたかと思えば、まったくの意味不明だ。だが、意味不明なことを言ったのはお互い様だし、特に掘り返すつもりもない。一鞘も「もういい」とか言って、それ以降話しかけてこないし。


(「ゴテン」っていったら、アレしか浮かばないけど……)


 龍世の民ならば、誰もが知っているあの「ゴテン」。しかし、現実主義に見える一鞘が、どう考えても一般家庭で育ってきた蒼にそんなことを訊くとは思えない。もしかしたら、別の字をあてた「ゴテン」があるのかもしれない。頭のいい一鞘なら、そういうのをひとつふたつと知っていてもおかしくない。どうであれ、蒼には分からないことだ。


「今回も、いらない奇跡ってことだよね、うん」


 そう結論付けて、蒼は食堂で買って来たパンにかぶりついた。ちなみに、この「いらない奇跡」と名付けたのは李花である。


「はぁ~、いい天気だなぁ」


 春うららな陽気に、蒼は表情を和ませた。元々、田舎の方で暮らしていたので、やはり自然や季節を感じられる場所が落ち着く。


春のやわらかな陽気に包まれた中庭。風に揺れる葉の音が心地いい。日光に温まった草が敷き詰められていて、訓練着越しに温もりがしみ込む。今度は李花と一緒に来たいな、と思っていると。


「……あれ」


 ふと足元で蠢く気配を感じ、蒼はそのあたりに目線を下げる。


 そこにいたのは――妖であった。


 手の平サイズで、緑色の丸っこい形態。赤い目がふたつ、パチパチと瞬きをしている。一応それらしい手足が2本ずつ生えているが、胴体に比べてかなり小さい。とても動きづらそうに動いているそれは、蒼から逃げようと頑張っているらしかった。


 蒼は思わずクスリと笑い、それから周囲をキョロキョロと確認した。やはり中庭には、誰もいない。校舎の窓から生徒が見えるが、こちらを見下ろしている様子はない。万が一こちらを見たとしても、蒼が何をしているかは分からないだろう。


蒼がそうしている間にも、妖はどうにか前進しようとしていたようだが、やはり蒼の手が届く範囲からまったく抜け出せていなかった。「ちょっとごめんね」と声をかけてから、蒼はそれを拾い上げた。ぽにょんとした不思議な触り心地に、おぉと声を漏らす。


 対妖の結界が張られているとはいえ、その内部で妖が出没しないというわけではない。結界は、あくまで囲っているだけのものだ。妖を防ぐ機能を、塗り絵のように内側に巡らせているわけではない。


 だから元から結界の範囲内にいた妖はそのまま生存し続けるし、結界内部で後から生じる例も多くある。この学校も龍脈が巡る土地に建てられてはいるが、龍脈は完全に妖を排除するものではない。力の弱い妖であれば、その土地でいくらでも生まれる。戦闘員は、結界の外の妖の排除だけでなく、こうした内側の妖の排除も行っていた。


 一言で妖と言っても、その生まれ方は多岐に渡るという。人や獣のように親から生まれるモノや、妖でない生き物が邪気を浴びる等の条件が重なり突然変異したモノ、人の負の感情から湧き出たモノと、実に様々だ。


(この子は……、雑草からかな)


 なおもバタバタと暴れている(つもりの)妖を、蒼は矯めつ眇めつした。どうも呪力というのもまた、妖を引き寄せるものらしい。ただの植物が、呪力を浴びて妖に転じたか。でも何か、小さな獣と植物が融合したような感じもする。


 さすがにそれは、生まれた瞬間を見たわけではない蒼には分かりようもない。分かるのはただひとつ、この妖は「いい妖」ということだけだ。あぁそれと、一応植物の妖であることか。邪気から素朴な草と土の匂いみたいなものを感じる。


 妖の観察は、今でも好きだった。無害なものであれば、こうして触ってみたりもする。そうして、すぐに逃がすことにしている。これだけ微弱な邪気であれば、見つかることもそうそうないだろうし、退治しなくても何も問題はない。


「あぁ、ごめんね」


 妖は、暴れ疲れたらしい。何だかぜぇはぁしているようなので(しかし口も鼻もなくどこで呼吸をしているのかは謎だ)、観察ありがとうと地面にそっと下ろしてやった。妖は、丸っこい身体をもぞもぞさせながら草むらへと逃げていく。


「遅いなぁ~」


 妖は慌てているつもりなのだろうが、何せ小さい手足だ。一生懸命動いているのが妙にかわいく思えて、笑えてしまう。しかもやっと草むらに入ったと思ったらお尻丸出しの状態で動かなくなった。見事に頭隠して何とやらだ。


「ほら、ちゃんと隠れないと……」


 蒼は立ち上がり、その草むらへと歩み寄る。仕方ないから、お尻の部分をつんつんと指で押して追いやってやった。妖が、やっと慌てた様子で奥へと逃げていく。


「――……?」


 笑いながらそれを見送ってた蒼は、ふと顔を上げた。後方にある、校舎を見上げる。廊下を行きかう生徒たちが、ガラス窓の向こうに何人もいる。しかし、蒼と目が合う人間はいない。


(気のせい……かな?)


 よくあることだ。特に気にもせず、蒼は先程座っていた位置に座り直した。食べかけのパンを、改めて頬張る。妖はもう、草の気配に紛れて分からなくなっていた。



「――……」


 妖を逃がしていた蒼が、別の視線に気付けなかったのは。蒼の意識が妖の邪気の感知を最優先にしていたから。それから、蒼が『人』の視線には敢えて鈍感になっていたから。しかし何よりも、蒼を見ていた人物が監視において優秀だったからであった。

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