最後の日

roar

第1話


 僕らはいつものレストランで向かい合っている。

 感情を殺している僕とは対照的に彼女は机に雨を降らせている。

 彼女に対する印象はこれまで、感情のないロボットのような、人間とはかけ離れたものであったから驚いた。

 僕らが大切な話をする時は決まってこのレストランを使う。 

 このレストランは窓から見下ろす夜景が売りであり常にスティービー・ワンダーの曲がかかっていて幻想的な雰囲気を醸し出している。

 初めて来た時、つまりそれは僕が彼女に告白した日なわけだが、その日は生憎の雨であり、ぼんやりとしか見えなかった街の灯りが今日は冬の透き通った空気の中で貝のように煌めいている。別れ話の時に限ってこんなにも幻想的だなんて嫌味な街だと心の中で毒づきながら僕は視線を彼女に戻した。

 「なんだってそんな…」

 「なんでも何ももう疲れたのよ。」

 彼女は嗚咽混じりに呟いた。泣きたいのは僕の方だというのになぜ彼女が泣いているのだろう。僕は今直面している問題から逃げるように出会った頃に想いを馳せた。

 

 あの日、会社の接待で嫌々駆り出されていた。せっかくの日曜日だというのに対して面白くもない取引先の話を欠伸を噛み殺しながら大袈裟に相槌を打っていた。取引先の彼も会社では肩身が狭いのだろうか、次から次へと愚痴が飛び出す。それに僕が相槌を挟むものだからそれに気分を良くし、この調子で行けば、今回の取引は決まるであろうと半ば安心していた。

 その時だ。店内に喚き声が響き渡った。どうやら隣の席のグループのようだ。その席では別れ話だろうか、一組の男女が口論をしていて、付き添いらしき女性が仲裁をしていた。

 その女性が彼女だった。

あまりに声が大きかったため店内にいる人は皆、そのグループに釘付けになっていた。

 男は周りに見られていることに気がつくと気まずそうに残りの二人を置いてそそくさと店から出て行った。

 一拍置いて、その男性の彼女らしき人が追いかけるように走り去っていった。

 まるでドラマのワンシーンのようだった。

 取り残された女性は丁寧に店員や周りの客に謝り、何事もなかったかのように食事を再開した。

 僕がいた席では出て行った男の不機嫌さに当てられたかのように先方の機嫌が悪くなりそのまま、僕を残して帰ってしまった。

 取り残されたもの同士ということでシンパシーを感じたのか、普段ではありえないことに隣の席の女性に声をかけた。

 「大変でしたね。」

 「えぇ、まぁ。」

 「僕も置いていかれちゃったんですよ。」

 「そうなんですね。お疲れ様です。」

 彼女は箸を止めることなく答える。

 「ご一緒してもいいですか。」

 「いいですよ。」

 以外にも彼女はあっさりとうなずいた。

 ただ、そこに感情を感じられず与えられた業務をこなすように淡々としていた。

 先ほどまで取引先の顔色を伺うことに神経を使っていた僕にとってはその淡々とした様子がとても心地よく、普段は宇宙に飛ばしていた自分の考えだとか、会社の愚痴だとかが止めどなく溢れた。彼女はそれに嫌な顔もせず、かと言って大袈裟に相槌を打つこともなく、黙って耳を傾けてくれていた。

 「すいません。初対面なのにこんなに話してしまって。」

 僕は急に恥ずかしくなり、付け足すように呟いた。

 「いえ、楽しかったです。特に死への羽ばたきの話は私自身考えさせられました。」

 それを話す彼女は相変わらず淡々としていてそのことが本心から言っているように感じ、僕は嬉しくなった。

 彼女が興味を示したのは死への羽ばたきとは蝶の蛹を試験官でつなぎ、そのまま成虫になるのかという実験で、どうなるのかというと、上半身と下半身が成虫になった蝶は羽ばたくさいに、試験管の重みで上半身と下半身がちぎれてしまうものだ。僕はその実験を例に挙げを自分たちもさして変わらないのかという哲学のなり損ないのような話をしたことのようだ。

 終電が近づいてきたこともあり、その日はそのまま解散した。

 

 次に彼女と会ったのは、会社がどこかのコンサルタントの影響を受け、大幅な人員削減を行い、僕もその被害に遭い、リストラされ、これからどうしようか悩みつつ近所のコンビニで雑誌を立ち読みしている時だった。

 僕の姿に気づいたらしい彼女が声をかけてきた。

 「先日はありがとうございます。あの、何かあったんですか。」

 急に声をかけられ、しかも僕の現状を見透かすように話しかけてきたのだから僕は驚いた。

 「いえ、別に。」

 リストラされたとは言えず、歯切れの悪い返事をしていると彼女はそれ以上は追求せず、

 「そうですか。機会があればまたお話聞かせてください。」

 と言い残してその場は別れた。

 その後、度々コンビニで会っては少し会話をしるという不思議な関係が続いた。

 僕は彼女のどこか機械的な部分に居心地の良さを覚え、段々と惹かれていった。

 ある日、いつものようにコンビニで会話をした後、思い切って食事に誘ってみた。

 彼女は快諾してくれ、その時は浮かれて子供のようにはしゃいでしまった。

 その後、何度か食事に行ったあと、このレストランで告白をして、正式に付き合うことができた。

 それからは特に喧嘩をすることもなく順調に中を深め、同棲した。今となると順調と思っていたのは僕だけだったのだろう。

 ともあれ、僕は時間を共にするごとに彼女に対する愛情が強まっていくのを感じていた。

 

 そんなこんなで、今回の別れ話は寝耳に水だった。感情が追いつかず、どのような表情をするのが正解なのかわからなかった。

 「理由を教えてくれないか。」

 僕は諦めきれず食い下がる。

 「特にないわよ。強いて言うなら、貴方との未来が想像できないだけ。ただなんとなく不安なの。」

 彼女の雨はまだ降り止まない。

 僕はなぜかその言葉に納得してしまっていた。なるほど、理由などなくても恋愛とはそう言うものなのかもしれない。僕はこれ以上引きとどめる気も起きなかった。泣いてる彼女が今までのいい意味での機械的な彼女のイメージとかけ離れていたせいかもしれない。

 「君って思っていたより人間らしいんだね。」

 僕はつい、呟いてしまった。

 「貴方は思ったより人間らしくないんだね。」

 彼女は返した。

 「貴方は私なんかよりずっと人間らしく生きてると思ってた。」

 彼女は続けた。

 僕は僕が彼女の機械的なところに惹かれていたのと同じように彼女は僕の人間らしいところに惹かれていたのだと気がついた。

 「そうか、君は僕に人間らしさを求めていたんだね。」

 「貴方は私の人間らしくないところに惹かれていたんでしょ。」

 彼女は少しではあるものの頬を緩めて訊ね返した。

 彼女も僕もただ自分が持っていないものを求めていたんだ。

 僕もなんだかおかしくなって微笑み返した。

 「そっか、ならしょうがないな。」 

 「えぇ、しょうがないのよ。」

彼女の雨は止んでいた。

 僕らは皮肉にも今日初めてお互いの素顔を知った。僕らはこれまでにないほど互いのことを話した。

 彼女は笑い、僕は淡々と相槌を打った。

 まるであの頃と真逆だ。

 話すことがなくなった頃、僕たちはその場を後にした。

 別れ際、僕らは握手を交わした。

 「今日が最後の日なんだね。」

 僕は訪ねた。

 「今日が最後の日なのよ。」

 彼女は返した。

 

 彼女と解散した後、僕は彼女とよく話したコンビニに寄った。

 意味もなく雑誌を立ち読みしながら、僕は考えてた。

 僕が見ていた彼女は人間ではない僕が機械的な彼女に惹かれたように、人間である彼女が人間的な僕に惹かれていたことを。

 そして彼女は僕より少し早くそれに気づいたことを。

 僕たちは決して相手を見ていなかったことを。

 それでもなお、いや、一層彼女に惹かれていることを。

 僕の廃棄が決まったことを彼女はどこかで知ったことを。

 今から僕は自分の足で廃棄場にいかなければならない。記憶が引き継がれるとしても、彼女はそれを僕自身ではなく、他人として接するだろう。それが彼女なりの僕に対する優しさなのだから。

 それに最後まで触れないところが彼女らしいなと、思った。

 最後の日、僕は来ることのない再度の日を願っていた。

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最後の日 roar @roar_b

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