第3話 だりぃー

「だりぃー」


 いつもの口癖が漏れた。

 また今日も遅刻だ。モチベーションが下がっているというのだろうか。最近、真面目に学校にいくことや勉強する意欲がない。


 周りを見回して、誰もいないことを確認すると、鞄からタバコを出した。


 ふー、と一服する。

 モチベーション低下の原因はわかっている。あいつのせいだ。「やってらんねえ」が口癖の、俺と同じ馬鹿だ。

 去年から行方不明のあいつが高校に来なくなった後、たまたま一度会ったことがある。


「つ、通学路で、出会ってしまったんだ。

 な、何故、振り返ったのか。何故、声をかけたのか。何故、あの、キ、キスを受け入れてしまったのか

 ――なあ、お、俺はどうでもよかったんだ。学校も未来も、お前らのことも、家族も、俺自身も。

 だから、あの女に手を出してしまったんだ」


 その時の瞳孔が開いたあいつの表情。まるで神の奇跡を体験したかのような。あれは常では得られないものだろう。この俺の人生で、あいつのあの歓喜の顔に並ぶ経験をすることがあるのだろうか。

 

 道端に転がっていた缶を蹴っ飛ばした。タバコの吸い殻入れに使われていたようで、どちゃっと反吐を黒くしたような液体が吸い殻とともに飲み口から漏れた。


 予想以上に缶は軽快に宙に浮いた。青空を背景に飛ぶ缶は、その砂まみれでどす黒い液体をまき散らしながらであるが、どこか愉し気に見えた。缶に人の感情があるなら、これまで見たことのない景色を楽しんでいるだろう。


 だが、その後に待っているのは残酷な現実だ。分不相応に打ち上げられた缶は、その高さに従った落下を――罰をうけなければならない。

 小動物が潰れるような不快な音をして、缶は無残に地のアスファルトに激突した。


 しくしくと、女の泣く声が聞こえた。


 背筋が凍る。振り返ってはいけない。

 けれど、俺の体は自然と回転し、その女を目に入れた。


 俺もまた、どうでもよかったんだ。


 そこには、泣いている女がいた。この世の女たちから「美」という成分を抽出した形成したかのような、妖艶で美しい女に見えた

 突然キスをされた。それはタコの吸盤のように吸い付く。いや、吸い付いているのは俺か。唾液が熱い。

 

 ただ、俺はどうしても聞きたいことがあった。女の口を決死の覚悟を持って引きはがし、問うた。

 

「……名前を教えてくれないか?」

 

 俺の問に、女は一瞬だけ止まり、人工物の、マネキンのような笑いを見せた。

 そして、

 

「ヘロイン」

 

 有史以来最悪の、女帝の名を口にした。

 そのまま、口づけをしてくる。頭頂から足のつま先まで、快楽の蟲が暴れだす。

 

 俺はもう、それに抗う術はない。

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人間やめてみませんか? 京宏 @KyohiroKurotani

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