1章-4

「まさか、男の子だと思われてたなんてね。……時々間違えられる事はあったから平気だけどね。……うん、全然気にしてないから。本当に気にしてないから」


「……すいませんでした。薄暗くて顔がよく見えてなかったんです」


 自宅への帰路。

 言葉とは裏腹に、結構ショックを受けていそうなアリサへ、僕はひたすらに謝り倒していた。

 周囲が暗く彼女の顔を確認できなかった事や、身に纏っていた鎧の所為で体型がわからず性別を判断できなかったのは僕の所為では無いと思うが、それはそれとしてちゃんと謝っておくのは大事だ。


「……まあ、さっきの格好じゃ誤解されても仕方ないか。ボクもちょっと意地悪しすぎたし、これでおあいこという事で」


 そう言って笑うアリサの見た目は先ほどまでの鎧姿ではなく、布と皮で作られた飾り気の無い上着とズボンを着ている。

 路地裏から出る前に鎧を着たままでは目立ってしまう事を伝えると、アリサは握り拳くらいの大きさの袋を握り締めると、一瞬で今の服装に着替えたのだ。

 ……今着ている服も日本ではあまり馴染みがないけれど、西洋鎧に比べれば大分マシ。

 今の服装に着替えてから体のラインがある程度わかるようになり、重厚な鎧を身に付けていたとは思えない線の細さから一目見てアリサが女性だと判断できる。


「そう言ってもらえると助かるよ。それにしても、さっきの魔法の袋。握りしめるだけで着替えれたり、物の出し入れが出来るなんて便利だよね。アリサの世界では誰でも持っているの?」


 アリサが先程着替えるのに使用した袋。

 彼女の早着替えを目撃して驚いた僕に、軽く説明してはくれたのだが、少し気になったのでもう少し突っ込んで聞いてみる。

 ……話す話題が今はこれ位しかないというのも、大いにあるけど。


「いや、ボクの世界でも珍しい一品だよ、この袋は。ナローディア国の国宝の一つなんだけど、王様が旅立ちの日に魔王討伐の為に役立ててほしいって持たせてくれたんだ」


「こ、国宝!? ……そんなに凄い物だったんだ」


「……国宝を引っ張り出すほどに、魔王はボク達の世界を脅かしているんだ。ボクがこうしている間も魔王の軍勢による侵攻を防ぐ為、皆頑張っている筈だ。だから、早く仲間と合流して魔王を倒さないといけないのに……」


 袋の話をしていた時は得意気だったアリサの表情は、魔王の話になるとどこか陰りが見える。

 ……しかし、その陰りはすぐに消える。


「……まあ、仲間の場所も魔王の場所もわからない以上、今はどうしようも無いんだけどね。今日の所は休んで、明日から仲間を探しに行くことにするよ」


 ……アリサとは会って間もないから断言する事はできないが、少し無理をしているんじゃないか?

 こういう時は気の利いた言葉をかけてあげるのがいいのだろう。


「……も、もう少しで家に着くから。ゆっくり休んでもらって構わないよ」


 ……無理!

 挨拶や業務的な事以外の会話を女子と碌に交わした事の無い僕には、女の子を慰めるなんてハードルが高すぎる。


「つ、着いたよ。早く中に入ろう」


 少しの間、沈黙が続いたが、幸運な事に自宅のマンションにはすぐ辿り着けたので気まずい時間を長く続けなくてよさそうだ。

 ……しかし、アリサはマンションを見上げたまま呆けてその場を動こうとしなかった。


「そんな所で立ち止まって、どうしたの?」


「この建物が君の家なのかい? 実は君、この国の王族だったりするのかい?」


 突然とんでもない事を言い出すアリサに面食らってしまい、僕までアリサに釣られて呆然としてしまうが、すぐに我に返り、慌ててアリサの勘違いについて教えてあげる。


「違う違う! 建物の中の部屋一つ一つに住人がいるんだ。僕だけでこの建物に住んでいるわけじゃないよ」


「巨大な長屋みたいな物か。無礼を働いてたんじゃないかと思って、凄く焦ったよ」


「……それ位、お金持ちになれればいいんだけどね。そろそろ行こうか」


 自らの勘違いに気付き、恥ずかしそうにするアリサをマンションに入る様に促して部屋の前まで移動し、鍵を開けて扉を開く。

 ……わかってはいた事だが部屋の中は暗く、人の気配は無い。

 先程アリサに伝えたように一週間前から両親が一ヶ月ほど仕事で出張しており、今は独り暮らしをしている。

 色々大変な事もあるが、両親がいたらアリサを家に泊める言い訳を考えないといけなかったから、今日ばかりは両親が不在という幸運に感謝しないとな。


「ただいま」


 返事が返ってこないのは分かっているが、それでも癖で帰宅の挨拶をしてしまう。

 玄関の明かりを点けて靴を脱ぎ、リビングへと歩を進める。


「お邪魔します」


 僕の後に続くように、アリサもリビングへと入ってくる。


「僕は自分の部屋で着替えてくるから。ソファーにでも座って待っててよ」


 アリサに待っているように伝え、自分の部屋へと向かいながら、これからの事を考える。

 県外の大学に進学して家を出ていった姉さんの部屋が空いているから、アリサにはそこで寝泊まりしてもらう事にしよう。

 アリサの使う布団を出さないといけないし夕飯も作らないといけない。

 ……やる事が多くて忙しくなるな。

 色々と考え事をしながら着替えを終えて廊下に出た時だ。

 ガチャリと、玄関扉の鍵が開く音が僕の耳に入ってくる。

 慌てて玄関の方へ顔を向けると、扉がゆっくりと開いていくのが目に入る。

 そして、扉が開き切ったその先には、出張に行っているはずの母さんの姿がそこにあった。


「ただいま仁良……どうしたのよ? 廊下の真ん中で固まっちゃって」


 ……何故だ!? 何故母さんが帰ってきた!?


「母さん!? 出張って、一ヶ月位のはずだったよね!? どうしてここに――」


「仕事が予想していたよりも早く終わっちゃったのよ。というか、メールしていたはずだけど見ていないの?」


 慌ててスマホをを確認すると、確かに母さんから連絡はあった。

 連絡はあったがこれは……。


「メールしたって五分前の話じゃないか!? もっと早くメールできなかったの!?」


「できたわよ」


「じゃあなんで――」


 抗議する僕の言葉を遮り、母さんが口を開く。


「だって、直前に連絡したほうが面白いじゃない。……まさか、ここまで良いリアクション返してくるとは思ってなかったけど」


 笑いながら明け透けにそう言い放つ母さんに、僕はがっくりと肩を落とし、開いた口が塞がらなくなってしまう。

 我が母親ながらとんでもない……。


「それじゃあ、夕飯でも作るとしますか。母さんの手料理は久しぶりだから嬉しいでしょう?」


 母さんが僕の横を通り抜けてリビングへ向かおうとする。

 ……リビング!?

 不味い! リビングにはアリサがいる!

 僕はリビングへの道を塞ぐように、母さんの前に立ち塞がる。

 ……母さんは少し怪訝そうな顔をした後、再び僕の横を通り抜けようとするが、それに連動するように僕も母さんの前に移動して進路を塞ぐ。


「ちょっとどうしたのよ? 何か隠し事でもあるの?」


「リ、リビングが少し散らかっているんだよ! 掃除するからここで少し待ってて」


「あら、そんな事? 母さんも手伝ってあげるから、早く掃除をしちゃいましょう。……なんでまだアタシの前に立つのかしら?」


 リビングに行こうとする母さんと、それを阻止しようとする僕の攻防は続く。

 その間も即席で考えた言い訳を述べ続けるが、母さんは納得する気配は無く、終いには僕の事を怪しみ始めてしまう。


「……仁良、あんたまさか猫や犬でも拾ってきたんじゃないでしょうね? アタシも嫌いじゃないけど、アレルギーがあるから……残念だけど逃がしてきなさい」


「猫や犬なんて拾ってないよ!」


 まさか、人間を拾ってきたなんて思ってもいないだろう。

 ……それも、異世界から来た女の子。


「じゃあ何を拾ってきたのよ!」


 ……昔から母さんは、妙に感が鋭い所がある。

 テストの点が悪かったことを隠したりしても、すぐにばれてしまう。

 ……状況的には僕が圧倒的不利だろうが、ただで引くわけにはいかない。


「な、何で何かを拾ってきた事になっているのさ!」


 僕と母さんによる廊下での舌戦がヒートアップし始めたその時、リビングへ続く扉が開く。


「仁良のお母さんですか? お邪魔しています。ボクの名前はアリサ・シャーユです」


 ……終わった。


「……あら、お友達を連れてきていたのね。そうだったらそうと言えば言いのに」


 ……いや、まだだ。

 母さんは友達を家に連れてきただけだと思っている。

 何とか言い訳してアリサが今晩泊まれる事情を作れば、この場を切り抜ける事ができる!

 暗雲立ち込める僕の未来に一筋の光明が差し込む。

 本当の戦いはこれからだ!


「今日は両親がいなくて仁良にしか迷惑がかからないという事だったんで、一晩泊めてもらう予定だったんです。……だけど、家族の人にも迷惑をかけてしまうみたいなので、ボクは出ていこうと思います」


 ……本当の戦いはあっさりと終わった。

 母さんに無言で片を掴まれると、言い訳する間もなくリビングへと引きずられていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る