Black-hazard

ブラックハザード

「警備はまあまあ厳しそう」

 セクター1の警備はナグルファル・コンダクター兵と思われる、小銃で武装した兵士達が行っている。ただ、どこかしら普通のようへいとはふんが違うようにも感じられた。彼らはみょうに淡々としている。

「全体的に冷たい感じ。ここに何か秘密があるのは間違いなさそうね。さて、どうやって入り込めばいいか……」

 アーニャはここから伝わって来る異様に冷たい感覚に若干の不安を覚えた。

「カメラも刑務所並みにあるし」

 当然ながら監視カメラもずいしょに設置されている。

「西から潜入するのが最善解か」

 比較的警備の薄い西のゲートへ足を進めるアーニャ。その手には消音器が装着されたHLR‐2(PDWパーソナル・ディフェンス・ウェポン)が握られている。このHLR‐2は拡張ロングバレル、反動制御しやすいソリッド・ストック、改良アイアンサイトを採用しており、通常のHLR‐2よりも有効射程の延長、命中精度の向上、低反動化に成功していた。

 監視ドローンと警備兵の隙を縫いながら、素早く、かつ静かにゲートを突破し、アーニャは敷地内へと入り込んだ。

「おっと、右の角にも監視カメラがあるのね」

 しょうをすり抜けようとしたアーニャだったが、すぐ先の角にも監視カメラが仕掛けられているため、その場を動かず、別の通路へ進む。


(あれは変電設備だ)


 アーニャは施設内の電力調節を担う変電所を見つけた。おまけにその変電所を一括管理している制御盤もすぐそばにある。変電所は高圧電流の防護柵と二重の錠前扉で守られているが、見たところ監視カメラはなく、監視ドローンの巡回だけのようだ。

 セクター1の監視ドローンはプログラムされた通りのルートを、プログラムされた通りの時間で飛行する。同じ場所で留まっている監視ドローンはいない。


(よし。今がチャンス)


 ドローンが離れていくのを確認し、アーニャは変電制御盤近くに一つ、主要変圧器と思われる設備に一つ、計二つのリモート爆弾を投げ入れた。


(あとはどこから中に入るか……)


 爆弾を設置したアーニャは続けて建物へ侵入するためのドアを探す。


(あそこがいいな)


 目に入ったのはE3と書かれたドアだ。電子ロックで錠がされているようで、ドアノブの上部には赤いランプが光っている。


「花火を打ち上げろ、なんつって」


 バーンッ!


 リモート爆弾が爆発し、変電設備が大きな音を立てて黒い煙に包まれた。


 ‐何だ? 爆発したぞ。

 ‐敵襲か? とにかく消防活動だ。急げ。

 ‐周辺の立ち入りを制限しろ。


 敷地内には兵士達の声が飛び交い、敷地内は一斉に停電した。当然、電子ロックも通電していないため、その機能を失っていた。この機会を逃さず、素早くアーニャはE3のドアを開け施設内への潜入に成功した。


『全所員へ通達、非常電源に切り替えます。現在、変電所火災のため一部のフロアが機能を停止しています。繰り返します。現在、変電所火災のため一部のフロアが機能を停止しています』


 セクター1内は外の爆発にも関わらず、不気味なほど静まり返っていた。てっきり、従業員があわてふためき、大騒ぎになっているとアーニャは思っていた。しかし、それは間違いだったようだ。

「何だ、この静かさは……」

 誰にも出会わない。HLR‐2を構え通路を進んでいくが、足音も話し声も聞こえない。

「建物のマップ。これはいいわ」

 壁に現場位置と建物の概要がまとめられた全体マップが掲示されているのを見つけ、アーニャは携帯端末を取り出し撮影。端末を左腕の端末ホルダーへ戻すと腕時計を見るように端末でマップを眺めた。

「現在地はE3‐E4連絡通路。負傷兵はどこに運びこまれているのか調べないとね。医療設備と収容スペースがありそうなところは……」

 この建物には外科手術室や内視鏡検査室、生化学的検査室、微生物的検査室、ゲノム編集実験室、無菌実験棟といった部屋がある。これらがサイバネティクス研究に必要なのかピンとこない。どちらかというと生物工学寄りな印象を受けた。

「E5施術棟、施術棟?」

 見た感じE5施術棟はかなりの広さがある。ここならば大量の負傷兵を収容できるはずだ。

 アーニャは連絡通路を進み、E4と呼ばれる区画に辿たどり着いた。E5施術棟はさらに東へ進んだ先にある。


「ボスからの命令だ。《ヘイズ》を移送する。急げ。もたもたするな」

「イエッサー」


 E4には白い化学防護服ハズマットスーツを身に付けた兵士が金属製の筒を次々と外へ運び出している。筒はそれぞれ厳重に封印されており、側面には黒色のバイオハザードマークが描かれていた。

 彼らがいるエリアは二重の強化ガラスにより区別された他の通路とは完全に独立した場所のようで、高性能粒子フィルター付き空気清浄機の稼働音が聞こえた。おまけにそこへ出入りするには重厚な扉と二重セキュリティ通路、加圧エアシャワー・ルームを通過する必要がある。

 内部には多数の実験用マニピュレータも見え、奥にも独立した小部屋の存在がされた。ここで研究されているものが良いものとは到底思えない。


(あれは何だ?何を運び出している?どう考えてもヤバいものでしょ。調べたいけど余裕がない)


 さいわい兵士達は作業に夢中でこちらに気が付いていない。今は近寄らず彼らをやり過ごし、先に進むだけだ。

 この区画には複数の実験室があり、実験室にはクリーンルームやクリーンベンチが備え付けられている。また試薬保存用の大型冷蔵庫、滅菌処理用のオートクレーブも見えた。その上、アーニャは直接見た訳ではないが、各種実験動物の飼育エリアもあった。


(おいおい、こいつらは何を研究しているんだよ)


 先ほどの兵士達がいた場所はどう考えても、生物災害バイオハザード対策である物理的封じ込めを想定した実験室だ。それもかなり大規模のものである。


(……今は先に進むのが先決だ。任務に集中)


 アーニャに今できることは何もない。とにかく敵に見つからず先に進むしかなかった。



 E5施術棟。強化ガラスと防護扉で分けられた膨大な数の個室はとても病床に見えない。負傷兵をただ治療しているようにも見えなかった。

「なるほど、これがフィセムの秘密か」

 個室の中には確かに人がいる。いや、正確に言えば人ではないかもしれない。この様子をアーニャは撮影しなければならないと直感で判断し、すぐに左腕のホルダーに収められた携帯端末を取り出す。

「こちらジラント、フィセム・サイバネティクスの施設内で撮影中。信じられないことですが、ここでが生み出されています」

 身体のほとんどを機械の身体に変えられた兵士達。義手や義足というレベルの話ではない。義体、そうまさしく義体だ。

「連中、負傷した兵士達を実験体に……なんということを」

 確かに彼らの意志もあってのサイボーグ化かもしれない。四肢を失った兵士にとって、新たな肉体をもし手に入れることができるのなら、それはもう至上の喜びに他ならないだろう。まさに奇跡、まさに奇跡だ。だが、これはそんな優しい話ではないはずだ。

「どこかにカルテか何かは」

 個室の電子ロックは開錠されていた。変電所爆破の影響だろう。

 アーニャは自動ドアを開け中の様子を見る。サイボーグの生体モニターや休眠装置といった個室内部の設備はちゃんと機能しているようだ。そのおかげかサイボーグの容態は安定状態を保ったまま休眠しており、かくせいは見受けられない。

「ランダ・ベチット、男性、24歳。神経接続に問題なし」

 ベッドにはネームプレートがあり、被験体の名前と基本情報が書かれている。

「見れば見るほど不気味な身体ね。これが科学か……これが人間なのか」

 機械の身体には多種多様のケーブルや拘束具が繋げられている。正直、このような姿になった人間を人間として受け入れることがアーニャにはできない。

「もうこっちはいいわ。さっき運び出していたモノを調べないと」

 サイボーグに関する秘密情報を手に入れた。今はそれで十分と判断し、アーニャは先のバイオハザード物質を調べることにした。

 部屋を出て、来た道を同じように引き返す。


『保安員へ通達。セクションE5に侵入者。繰り返す、セクションE5に侵入者。R4プロトコルに従い対処せよ』


「ばれたのね」

 あっなくつぶやくアーニャ。

 侵入がばれるのは想定内の想定内。

 目の前から複数の足音が近づいて来る。


 ‐侵入者を見つけた。増援を。


 MK‐24Cカービンライフルを構えた兵士ら。一言、何か警告をしてくるのかと思いきや、そのまま躊躇ためらいなく引き金を引いた。

「面白くなってきた」

 こちらも銃で応戦しつつ廊下を曲がり、素早く古いマガジンを新しいマガジンと交換。DQ‐2スモークグレネードを腰のポーチから取り出し、相手へ向かってとうてきした。

 高密度の白煙が廊下を覆い尽くし、完全に見通しが利かなくなってしまった。


 ‐くそっ。スモークだ。こちらマイケル、クイーン、侵入者を見失った。

 ‐了解。全職員へ通達。警戒レベルを4に引き上げ。追跡チームはツーマンセルを基本とし、各セクションにはドローンを展開する。侵入者は見つけ次第、始末しなさい。


 電子掲示板には赤色で〝警戒レベル4〟の文字が強調されている。

「セクションE3で交戦中。侵入者は一人。至急、増援を求む!」

 警報装置が鳴り響き、武装した保安員とアーニャが銃撃を繰り広げていた。設備への被弾を恐れてか、保安員の射撃には激しさが欠けており、アーニャにとって何らけん制にも、きょうにもなっていなかった。

「相手は相当の手練れだぞ。一体、何者だ」

 保安員はアーニャの身軽さと射撃技術の高さに驚いていた。

『ウィスキー02、聞こえるか?』

「こちらウィスキー02」

『タイタンが参戦することとなった。そちらにタイタン・チーム3が向かっている』

「ウィスキー02、了解した」



「さっきの荷物はどこに運び出されたんだろうか。あれを確認しないまま撤退はできない」

 そうは言ったものの実際の状況は悪くなる一方である。

 侵入がばれたことにより、アーニャに対する包囲網は着実に形成され。セクター1からの脱出すらあやうい。

「ほら、プレゼントだ」

 F32特殊せんこうだんを敵陣へ投げ込み、まばゆい光と強烈な爆音で敵をひるませる。その隙にHLR‐2の引き金を引き、彼らの胴体へ弾丸を放った。

 命中。倒れた保安員をかばうように他の保安員が展開し、詰めてくる。

「キリがない」

 マガジンを交換し、セクションE2へ進もうとした。

 その時だ。

 目指していたセクションE2のドアから一体のサイボーグが姿を現した。金属化されたその身体、貧弱な肉体とは全く違う。9mmパラベラム弾程度ならば痛くもかゆくもない。科学の力で創造された筋肉は人間の頭蓋骨なぞ簡単に粉砕することが可能だ。

「やば」

 サイボーグは軽機関銃LD‐325を豪快にぶっ放し、アーニャを確実に始末しようと迫っていた。

 とっさの判断で右にあったエレベーターに飛び込み、階層も確認せずに四階の行き先ボタンを押して、ドアの閉ボタンを連打した。

「大人しくここは脱出を優先するしかない」


 

 四階(セクションE3)

 エレベーターが開くとともにアーニャは特殊せんこうだんを外へ投げ、敵の視力と聴力を奪った。ひるんで動けない敵の胴体に次々と弾を撃ち込んだ。

 だが、ここでもサイボーグが一体現れ、彼の持つ軽機関銃LD‐325が火を噴く。

 これにはアーニャも参ってしまった。

「くっそ最悪だ。こうなったらプランC」

 倒れた兵士からMK‐24Cを拾うとHLR‐2との二丁持ちでアーニャはサイボーグへ反撃。弾は命中したものの、やはり致命傷にはならず、ストッピングパワー不足なのはいなめなかった。それでも、サイボーグの歩みは止まり、この隙を逃さず、アーニャは非常階段へ突っ込んだ。


「いたぞ奴だ!」

 非常階段では下の階層から追跡チームが上ってきている。

「私、モテ過ぎだわ」

 迫り来る敵を背中で感じながら屋上へ上がるアーニャ。

 ここで反撃している余裕はない。



『目標は屋上へ向かっている。逃がすな。奴は袋のネズミだ』


〈衛星識別番号 ASS1205E〉

 ‐接続:オンライン

 ‐状態:正常

 ‐映像:ライブ

 ‐管理者:非公開

 ‐映像処理中……


『タイタンの損傷は軽微』

 地表からはるか上の上、宇宙空間。

 イズニティの上をアリュエット・セキュリティ・サービス社の人工衛星が通過しており、衛星が映し出すライブ中継映像はアフリカ大陸からジツァーラスにあるセクター1へズームした。


『奴が屋上へ出た』


 セクター1の屋上に一つの人影が。続けてその後ろからは小銃を構えた保安員らが現れた。


『止まれ!』


 一斉に小銃を構える保安員達。

 逃げる人影は全く止まろうとしない。


『撃て!』


 タンッタンッタンッ


 止まる気がないことを察知した保安員は隊長の合図に合わせて発砲。

 屋上の縁まで走っていた人影は姿勢を崩し、そのまま転がるように地上へ落ちていった。


『アルニラム4‐8、状況を報告せよ』

「こちらアルニラム4‐8」

 保安員のアルニラム4‐8は銃を握ったままゆっくりと屋上の縁へ近づき、落ちないように下を覗き込んだ。

「対象は死亡だ。繰り返す、対象は死亡。遺体の回収を要請する」

 地上には動かない一つの死体。

 巡回していた監視ドローンや警備兵が到着し、死体の様子を確認している。銃を下ろした彼らの反応を見る限り、やはり死亡は本当のようだ。


 そんな彼らの姿を横目に一台の清掃車が正面ゲートを通過し、セクター1の敷地外へ。


(これが本当の汚れ仕事……全然笑えないわ)


 清掃車の荷箱にはゴミに紛れたアーニャの姿があった。

 そう。

 死体があるということと、死体が彼女であるかということは全く別の問題であった。



〈時刻1720時。イズニティ、シンダ(キッティガ基地外部)〉

 エガンゼス司令官の死を後にし、マリナはキッティガ基地からの脱出に成功していた。

 基地内が騒がしいのは司令官が死んだためなのか、それとも部隊の出発によるものなのかは分からない。マリナは基地部隊の動向に意識を払いつつ、徒歩で合流地点ポイントA4に向かった。

「こちらカサートカ、合流地点A4までおよそ400メートル」


 ‐こちらチャーリー中隊!敵の砲火が激し過ぎる!砲撃による火力支援を要請!

 ‐メーデー!メーデー!こちらノーマッド3‐1、まずい墜落する!


 一機のLHA‐3B軽武装ヘリコプターがどす黒い煙と炎を上げながら市街地へ墜落した。機体は地面へ激しく打ちつけ、原型を留めずそのまま爆発していった。

 銃声と爆発音が至るところで鳴り響き、鼻に付く血とあぶらしょうえんの混じった臭いが周辺に漂っている。街は黒煙によるススで黒く汚れたようそうていしていた。

 大地を照らす陽は沈みかけている。

 新アフリカ民族解放戦線とナグルファル・コンダクター社の戦闘は沈静化するどころか、激化していっているようだ。新アフリカ民族解放戦線は移動用の車両だけでなく、軽装甲車や携行対戦車ロケット、携行対空ミサイル、広域通信妨害装置を使っている。これらの豊富な兵器の数々を見るに、どうやら彼らの裏には援助している者達がいるようだ。

 しかし、問題はこれだけではなかった。

「あれは……」

 素早く建物の角に隠れるマリナ。


『これより戦時作戦統制権は我々ASSアリュエット・セキュリティ・サービスが引き継ぐ。ナグルファル・コンダクター戦闘員は友軍情報を更新し、我々の指揮下に入れ』


 武装した兵士達とともにフィセム・サイバネティクス社製と思われる鳥型ドローン、陸戦支援ドローン、軽機関銃を構えた人型ロボットが次々と現れた。

 兵士の装備は本格的で暗視装置付き軍用ヘルメット、スパイダーシルク混合タクティカルベスト、特殊作戦用軽量型ボディアーマー、おまけに戦術情報共有システムを内蔵したモノグラス式スマートグラスを着用している。

 主武器はアリュエット・ファイアアームズ社製の多用途カービンであるA‐122Cカービンにアンダーバレル・ショットガンUS‐211やアンダーバレル・グレネードランチャーUG‐300を装着したもの。光学照準器としては等倍から4倍までのズームが可能なAWコンバットサイト。また、一部の兵士のマガジンは専用ダブルマガジン・クリップにより、二つのマガジンが連結していた。


『新アフリカ民族解放戦線並びにその他武装勢力に告ぐ。我々ASSアリュエット・セキュリティ・サービスは国連からの正式な委託を受け、軍事作戦を実施する。すみやかに武装を解除し、投降せよ』


 A‐122はMK‐24カービンと並び世界で幅広く採用されているモジュール式カービンライフルである。使用される弾薬6.8×43mm ASC弾(Aluette Special Cartridge)は5.56mm×45mm弾に対する防御能力を備えたボディアーマーがテロ組織へ普及してしまったことを受け、アリュエット・ファイアアームズ(Aluette Firearms:AF)が新たに開発した高性能弾薬。初速度こそ弾頭重量の増加により低下したもののストッピングパワー、貫通力、直進性に優れ、発射時においても低反動で安全性が非常に高いという夢のような弾薬である。


「ASS? なぜ連中がイズニティに来ている……」

 兵士の両肩にはASS(Aluette Security Service:アリュエット・セキュリティ・サービス)の社章がしゅうされている。世界最大の民間企業〈アリュエット・マイティ・サービス(Aluette Mighty Service)〉の子会社であり、世界最大のPMSCとして知られるアリュエット・セキュリティ・サービス社。同社はイズニティに拠点を置いていないはずだ。これは世界企業連盟内部における複雑な権力争いのせいもあるが、イズニティでは早い段階からフィセム社の市場基盤が作られていたため、フィセム子会社であるナグルファル・コンダクター社の事実上の独壇場だった。



「レッドサファイア、こちらシュヴァルツェノーベンバー13‐6。国境の封鎖が完了した」

 国境に来た民間人の車両を無情にも追い返していく武装ASS兵。

 イズニティ国境はASSによる国境封鎖が行われ、空港や公共交通機関はASSの指揮下で警察やイズニティ軍による警備強化と業務制限が実施されている。ASSによる国境封鎖は周辺国の事前理解も得られていたようで、周辺国からイズニティに対する外交的抗議や声明は無く、国内でもイズニティ軍は完全にASSれいの存在に成り下がっていた。

「こちらアウトロー1‐3。配置に着いた。これより目標を攻撃する」

 ASS所属の武装ヘリが上空に展開し、地上への攻撃を行い、新アフリカ民族解放戦線が占領していたビルを無慈悲に吹き飛ばした。

「アウトロー1‐3、地上部隊へ。目標デルタ4を破壊」

『了解だ、アウトロー1‐3。これよりソーサラーホテル3‐2は地上戦へ移行する』

 戦域に到着した八輪式強襲装甲車ALL‐60からはASS兵が続々と降車していき、周辺の敵を倒していく。



「こちらカサートカ、シュカーヴィク。シンダでASSの地上部隊を確認した」

『こちらでも確認している。カサートカ、状況が少々良くない方向へ進んでいる。国連軍による介入が決定した。やつらは国連軍としてイズニティに来ている』

「それはどういう意味です? 全く意味が分かりません」

『アメリカの横槍が入ったんだよ。アメリカに本社を置くフィセム社がアメリカ政府に働きかけ、アメリカ政府が国連に働きかけた。アメリカによる武力介入はうちの政府が猛反対したわけだが……』

「なるほど。だから民間企業に委託したわけね」

 アメリカとしては自国の兵士が死ななくて済み、軍事費も削減できる上、表面上はアメリカ正規軍を派遣した訳ではない。国連も国連でイズニティにおける新アフリカ民族解放戦線の動きは長い間のねん事項でありながら有効な打開策を見出せずにいた。アメリカの顔を立てながら、国連としての立場も守るにはこれが最善策だと判断したのだろう。

『そういうことだ。アメリカも国連もそれで手を打ったのさ。ルギルラ大統領との話では我々ロシアが軍を派遣してイズニティの治安維持活動をするはずだった。その計画も白紙になった』

「フィセム社はフィセム社で新商品のテストってわけ。ふざけているにも程がある」

『とりあえず情報を持ち帰るんだ。そこにいては危険だ』

「了解。カサートカ、アウト」



 無人兵器を引き連れたASS兵士達。

 彼らは上空で飛行している無人偵察機の情報も含め、戦域の情報を細かく収集し、左目にあるスマートグラスに情報を投影していた。敵味方の位置情報と方角は常に表示され、偵察機と衛星からの情報でミニマップも表示されている。

「レッドサファイア、こちらエスパーダブラボー9‐1、周囲に生体反応がある。これより周囲の捜索に移る」

『レッドサファイア、了解』

 彼らはドローンと共に散開して周りの建物を調べていく。



「奴らは私の存在に気が付いているようね……困った」

 このまま相手が大人しく見逃してくれるとは思えない。おそらく上空には偵察機も展開している。なるべく建物の中を通り、己の存在を消す。

 外では二人のASS兵が裏道を捜索し、別の二人が四階建ての建物へ入っていくのが見えた。

「ん?」

 電線の上にいる一匹の鳥。

 辺りを見渡していたが、突然マリナの方を向き、じっと凝視している。

「しまった!」

 後ろから走って来る足音が聞こえる。

 あの鳥はドローンだ。

 あまりにもせいこうな作りで気付くのに遅れてしまった。

「くっ!」

 すぐに振り向いて消音器付きVA4カービンの引き金を引いた。

 これは相手を狙った射撃ではなくけんせい射撃だった。

「こちらエスパーダブラボー9‐5! 敵を発見!」

 銃撃を壁に隠れてやり過ごしたASS兵二人は走り出していくマリナの姿をはっきりと捉え、周囲の味方へ位置情報を共有。

 無限軌道による走行機能を備えた陸戦支援ドローンMRT‐C5が鳥型偵察ドローンFF‐1からの情報共有を受け、ASS兵二人とともにマリナの追撃を行う。

「撃て!」

 ASS兵はA‐122Cカービンを構え発砲。

 ドローンMRT‐C5も発砲命令を受け行動を開始。


 ‐Target Lock.

 ‐Open Fire.


 陸戦支援ドローンMRT‐C5には7.62x51mm AF弾を使用する自律機動型機銃が搭載されており、移動しながらでも標的へ連続射撃することができる。ただ、精度や反応速度に関しては課題が残っているため、あくまでも地上火力支援要員としての運用である。

「こんなにモテたくはないわ」

 マリナは小言をつぶやきながら壁に隠れ、VA4カービンを構える。

 追ってくるASS兵を確認するやいなや引き金を引き、確実に相手を仕留めた。しかし、ASS兵は一人がやられた瞬間、マリナの待ち伏せを理解し、ドローンを先行させる。


 ブーンッ、ブーン……ブーンッ!


 まるで蜂の羽ばたきをほう彿ふつとさせる特徴的な駆動音を出しながら、武装した攻撃ドローンがマリナの元へ現れた。

「くっ……」

 ローリングしてドローンの攻撃をかわすとともに反撃。銃弾を受けたドローンはすぐにバランスを失い、簡単に壊れてしまった。

 それでもドローンがきょうになるのは変わらない。複数の武装ドローンがマリナを追い、マリナは虫の大群を追い払うがごとく銃弾をまき散らす。

「奴は奥だ。ヴィンス、カプラン回り込め」

 ドローンの後続としてASS兵も行動を開始。

 ASS兵のモノグラス式スマートグラスには味方兵士やドローンから得られた情報により、どこで交戦したのか、敵がどのようなルートを通ったのかが表示されている。

 マリナはこれを最初からあくしていた。

 スモークグレネードで白煙を張り、デジタルに頼り過ぎなASS兵へ奇襲する。

「なっ、んだと?」

 急に目の前から現れたマリナ。

「うっ」

 銃を持つ腕にナイフの刃を振ったかと思うと、そのまま流れるように背後へ回り込み首に一振り。倒れ込むASS兵のホルスターからハンドガンを引き抜くと隣のASS兵へ一発の弾丸を放った。

「ふう……」

 一呼吸置き、マリナはVA4カービンを正面に構え、一マガジン分の弾三十発を正面へ撃つ。

 白煙で視界がさえぎられている中、飛んでいった弾丸は二人のASS兵へ命中し、彼らはそのまま床へ沈んでいった。


 ピピピッ!


 特徴的な電子音、

「ちっ、ドローンか」

 陸戦支援ドローンMRT‐C5が赤外線によりマリナを捉え、銃口の向きを修正する。

「あまりここで弾を使いたくはない」

 マガジンを交換しながら、マリナは次の建物へ走り出す。

 だが、その姿を鳥型偵察ドローンFF‐1がしっかりと捕捉。位置情報を陸戦支援ドローンMRT‐C5と付近の地上部隊へ送信する。

「あのメカ鳥め……」

 マリナは空から追跡してくる鳥型偵察ドローンFF‐1に気が付いたが、撃ち落すことはしなかった。いや、撃ち落したいのだが、それはできなかった。そのような余裕が無かったのだ。

「いたぞ。こちらエスパーダチャーリー3‐9。目標を確認」

 敵ながら情報共有の正確さは評価に値する。どこかの部隊に穴が開けばそれをすぐに他の部隊が埋め、さらに無人兵器によって常に戦場の情報を収集できていた。

「シュカーヴィク、こちらカサートカ。追手が多すぎる。合流地点をA6へ変更」

『了解した。ジラントが応援に向かっている。合流し、共に戦域を離脱せよ』

「了解」


 壊れかけたラジオからはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲〈レクイエム ニ短調〉第3曲ディエス・イレ(怒りの日)が流れ出す。

 国内ではASSと新アフリカ民族解放戦線の戦闘によって、無数の建物が崩壊し、幹線道路はほとんど使用できない状態におちいっていた。日常を非日常へと変えられた人々は悲しみ、苦しみ、ぶつけようのない憎しみを抱きかかえ、自らの命、そして大切な人を守るため、戦闘地域となった街を出ていくしかなかった。

 イズニティ国民はの危機に直面しているが、政府はもはや頼りにならず、自らの無力さに打ちのめされ、イズニティという国が崩れていくのをただ見守るしかできない。これは酷い悪夢だと……



〈時刻1757時。イズニティ、シンダ〉

 徐々に暗くなり始めている中、新アフリカ民族解放戦線は他の過激派組織と連携を取りながら、ASSという外敵に対して抵抗を続けていた。彼らは防御が手薄となったイズニティ軍の基地や武器工場を襲撃することで大量の武器を手にしており、また市民からも義勇兵を集め、その規模を急速に拡大、組織化、展開していった。

 ASSと新アフリカ民族解放戦線の両方からマリナは逃げつつ、ジラントとの合流を図る。

「ジラント、こちらカサートカ。周辺にASS兵あり」

『了解。敵を視認した。もう少しでそちらに合流できる』

 ASS兵の狙撃手が建物の屋上に配置されている。彼らは可変ズームサーマルスコープを装着したSKP‐3マークスマンライフルと高性能の軍用観測器を併用し、周囲を警戒中。彼の左肩には所属部隊であるシュヴァルツェ部隊章がしゅうされていた。

 そんな狙撃手の背後に迫るのはアーニャ。

 ASS狙撃手の口を塞ぎ、鋭利な刃を敵の首へ。

「うっ……」

 敵の通信機とモノグラス式スマートグラスを回収し、敵の通信を盗み聞きする。


『こちらウォードッグアルファ1‐1、周辺の敵を掃討した。移動を開始』

『ウォードッグアルファ1‐1、気を付けろ! 戦域にマジェスティック・イージスの特殊部隊がっ…………ダンッ、ダンッ……』

『こちらレッドサファイア、ソーサラーJ3‐3応答せよ!』

ジュリエット3‐3! マジェスティック・イージスと交戦中だ、負傷者多数! 応援を!』

『エスパーダブラボー7、ソーサラーの応援へ向かえ』

『了解だ。3‐3、待ってろすぐ行く』

『レッドサファイアからシュヴァルツェ各隊へ。《ヘイズ》輸送チームが戦闘区域に入る。チームを国境まで護衛せよ。あらゆる敵を近づけるな』

『シュヴァルツェ・リーダー、了解』


(確か《ヘイズ》はフィセムで見たやつだったな。調べる価値はある)


 通信内容を聞きながらアーニャはSKP‐3マークスマンライフルを手に取る。静かに銃を構え、向かいの建物屋上にいた狙撃手を見事一発で仕留めた。



「へい、カサートカ」

「ジラント、無事で何より」

 敵の装備を奪取したアーニャがマリナと合流。お互い負傷はしていないものの、汗と砂、ほこり、黒いススで汚れていた。

「はあ全くASSの連中め」

「アーニャ、そっちも中々大変みたいだったようね」

「ま、生きているからいいでしょ。それより連中、《ヘイズ》と呼ばれる危険物を運んでいる。おそらく生物兵器」

「どさくさに紛れてまだ何かたくらんでいるのか」

「このスマートグラスでの居場所は見えている」

「この機会、逃すわけにはいかないな」

 二人ともやるべき事は分かっていた。

「こちらカサートカ、ジラントと合流。これより生物兵器と思われるサンプルの調査へ向かう」

『了解。こちらでもその動きを追跡する。奴らは国外へ輸送するつもりだ。そんなことは絶対にさせるな』

「ええ、もちろんです」

 マリナは消音付きVA4カービンを、アーニャはSKP‐3マークスマンライフルを持ち、《ヘイズ》輸送チームの通行ルートへ向かう。


「こちらシュヴァルツェスペード‐4、シンダへ入った」

 《ヘイズ》輸送チームはガスマスクと戦闘用簡易防護服を着用したシュヴァルツェスペード部隊である。見た目通りだが彼らは通常の戦闘員とは異なり、CBRNEシーバーン(化学・生物・放射性物質・核・爆発物)のスペシャリストで、汚染地域での戦闘を想定されたASS特殊部隊だった。この部隊も含めシュヴァルツェ独立戦闘団はASS上層部の隠された任務に割り当てられているといううわさがささやかれている。

 輸送チームは先導のALL‐60、ヘイズ輸送装甲車ALX‐20、後方警戒のALL‐60の三両編成。地雷や対戦車ロケットへの警戒のため、輸送チームよりも先に陸戦支援ドローンMRT‐C5三両による安全確認が行われているのだが、それでも油断はできない。

「このルートに地雷はないようだが、警戒はおこたるな」


 バシュッン!バシュッン!


 と、両脇の建物からそれぞれ一発の対戦車ロケットが輸送チームへ放たれた。

「TKR!」

「敵襲だ!」

 TKR‐2は戦車や装甲車の無力化あるいは破壊を目的に開発されたアメリカ製多目的携行型ロケットランチャーである。飛来したTKR‐2自体は車両に搭載されたアクティブ防護システム(Active Protection System)によって迎撃されたが、車両の車輪が対物ライフルと思われる狙撃によって射抜かれ、さらに多数の歩兵による奇襲で逃げ道を塞がれた。

「一体どうなっている!」

「くそっ!」

 先導車の運転手は何とか車を出そうとしたが、敵歩兵による無数の銃弾が運転席の防弾ガラスを貫通し、運転手は息を引き取った。

「ルシファー2、目標は沈黙した」

 敵は新アフリカ民族解放戦線ではない。ナグルファル・コンダクターの精鋭、ルシファー分遣隊だ。彼らは車両からシュヴァルツェスペード隊員を引きずり降ろし、息のある者には銃弾で止めを差した。

 これが戦場における奇襲の恐ろしさだった。

「HQ、ブツを見つけた」

 ルシファー2は輸送車からバイオハザードマークが描かれた保管容器を見つけ出し、その中から筒状の容器を一つ取り出した。不気味なほど鈍い光を放つ容器に印字された文字を確認する。


 HAZE Serial No.F5C3455


「《ヘイズ》だ。どうやらすでに量産されているようだ。他にも出回っている可能性がある」


 バンッ!パンッ!


「何だ!」

 響き渡る銃声。ルシファー2の部下であるルシファー2‐デルタが倒れ、腹部を右手で押さえていた。

「ウェインが撃たれた! エルダ、カバーしろ」

「隠れろ! 敵だ!」

 ルシファー隊員は車両の背後へ回り、狙撃地点と思われる方角を重点的に警戒する。



「仕留め損ねたか。連中は何者?」

 サーマルスコープの倍率を下げ、アーニャは他のルシファー隊員をけんせい射撃する。

「いいわよマリナ、カバーは任せて」

「突撃する」

 敵がアーニャの狙撃に気を取られている隙にマリナが距離を詰め、ルシファーを強襲。銃を撃ちながらルシファーとの距離を詰めていく。当然、ルシファーの狙撃手らがマリナを狙うがアーニャのカウンタースナイプ、マリナ自身の反撃もあって、マリナへの正確な狙撃はできなかった。

「甘い」

 至近距離でマリナを狙うルシファー隊員だったが、マリナはVA4カービンを腰撃ちで返り討ちにし、さらにその死体を盾に別のルシファー隊員も撃ち抜いた。

「何だ?」

 相手が瞬く間に二人も部下を倒したことでルシファー2は敵がただ者ではないことを悟った。

「エルダ、マレンコ、お前達はウェインを連れて下がれ」

 ルシファー2は〝部隊全滅〟と〝ヘイズ回収失敗〟という最悪の結果を避けるため、部下に撤退を命じた。これは《ヘイズ》の存在確認ができたというだけでも、十分な成果であると彼が判断したのだった。

「ほう……」

 マリナの背後からのナイフ攻撃を受け流し、さらに右腕をねじ伏せることで右手からナイフを離させた。しかし、マリナもそのままやられっぱなしというわけではなく、柔らかい身体を生かして相手の重心を崩し、強烈なひじちでルシファー2を突き放した。

「やるな」

「そっちこそ」

 慎重に距離を計りつつ、二人とも隙を見逃すまいと極限の集中状態であった。

 1秒にも満たない隙が命を落とす。

 戦いとはそういうもので、命は実に容易たやすく散りゆく。

「ASSではないな。どこの国の回し者だ?」

「お前こそ、民兵ではないだろう」

 にじみ出る死のオーラ。それはお互いが感じ取っていた。数多あなたの戦場を駆け抜け、生死の狭間はざま住処すみかとする者。一般人にはない、鋭くてついた息だ。

「お前、そいつの正体を知っているようだが?」

 マリナはルシファー2へ問うた。

「なるほど。どうやら君はこちら側の人間のようだな。ならいいだろう、教えてやる。あれは《ヘイズ》だ。ブラックレインボーが開発したウイルス兵器……正確には兵器とはまた違うのかもしれないが。人工的に開発されたウイルスということには変わりない」

「ブラックレインボーだと?」

 ルシファー2が重く、速い上段蹴りをしたが、それをマリナは上体をらすことでかわし、さらにカウンターで右パンチを繰り出した。だが、それをルシファー2は手を使ってらし、再び、二人はこう着状態になってしまった。

「おめでたい奴だな。連中の恐ろしさがまるで分かっていない。我々は慈善事業をしているわけではないし、お前達のような邪魔者に構っている暇もない。我々の邪魔をするな」

 するとどこからともなく、多数の特殊せんこうだんが飛んできて強烈なせんこうと爆音がマリナ、アーニャの二人を襲った。反射的に二人は手で目を覆ったが、耳鳴りが酷く、目も見えない。

 十秒後、視力を回復したマリナは銃を構え、周囲を見渡したが、彼らの姿は無く、見えているのは《ヘイズ》と呼ばれていたウイルスの保管容器だけ。

「ちっ、やられた」

 とにかくマリナは保管容器から一つを回収。物は確保した。

「ジラント、目は?」

「大丈夫。回復した」

「シュカーヴィク、サンプルを回収した。これより回収地点へ向かう」

『了解。気を付けろ、ASSともに正体不明の勢力がそちらに向かっている』

「お楽しみはこれからよ」

 マリナはVA4カービンのコッキングレバーを引き、初弾の装填を行った。



〈時刻1855時。イズニティ、レグデンス〉

 イズニティ北西部レグデンス、国境から約4キロメートル。

「こちらスペード8‐3、現場に到着した」

 彼らは目出し帽バラクラバで顔を覆い隠し、夕闇にその姿を溶け込ませていた。ここで問題なのは彼らが国連軍章もASS社章も付けておらず、所属組織を表す装備は何一つ身に付けていなかった。それでも彼らはASSの無人兵器や戦闘員に攻撃されることはない。

『こちら地上戦略指揮官ブルズアイ、スペード8‐3各員へ。敵に《ヘイズ》を奪われた。敵を始末し、《ヘイズ》を回収せよ。これはボス直々の命令である』

「了解。まさかシュヴァルツェが任務をしくじるとはな」

 明るい場所を基本避け、スペード8‐3はスミルノフ二人の追跡を行う。

「十時の方向、標的を確認した」

 3.4倍ズームで調整されているスコープをのぞき込み、スペード8‐3兵は小道を歩くマリナとアーニャの姿を捉えた。

「ダメだ。狙えない。角を右に曲がった」

「了解だ。挟撃する」



 アーニャは背後から迫ってくる黒い気配に気が付いていた。

「マリナ、後方から敵。少なくとも三人以上」

「前からも来ている。挟み撃ちにするようね」

 しゃがみ姿勢でVA4カービンを構える。

「コンタクト」

 正面から四人一組の敵が姿を現した。


 ‐いたぞ。


 互いが銃を撃ち合い、有利な場所を求めて移動する。

「正面は四人」

「待って。背後からも四人。こっちはこっちで何とかする」

 限られた弾数で大勢を相手にするのは圧倒的に不利だ。長期戦は避けねばならない。しかし、うかつに動けば数的有利なスペード8‐3の戦術に敵わないだろう。あせりもなく、慢心もなく、油断もない彼らはまだ一人も負傷していなかった。

「リロードする」

 マリナは敵の動きに細心の注意を払いながら弾を再装填。

「最後のマガジン、サイドアームはハンドガンだけ」


 ヒュン!


 マリナの横を一発の銃弾がかすめていった。

「これはやばい」

 相手は完璧にこっちを見ている。このまま顔を出せば間違いなく、頭を射抜かれるだろう。かといってこのまま動かなければ相手に詰め寄られ、グレネードのたぐいで吹き飛ばされる可能性がある。

 アーニャはアーニャで交戦を続けており、苦戦のようそう

 救いの手が欲しい状況だが友軍の航空支援や後方火力支援はない。

「どうするよ私」

 状況を好転させる考えが浮かばない。一秒一秒が惜しい。

 アーニャもどうやら相手に手が出せないようだ。スペード8‐3の連携は並外れている。彼らはマリナとアーニャを個々に分断し、動きを封じることで確実に二人へ迫っていた。


 ‐標的に動きなし。

 ‐そのままけんせいを続けろ。距離を詰める。


 じわりじわりとスペード8‐3は交戦距離を縮め、攻撃はより正確に、より激しく。


 ‐仕上げだ。《ヘイズ》は返してもらう。


 スペード8‐3の突撃部隊がマリナとアーニャ、それぞれに迫ろうとした。


 ダンッ!

 ダンッ!


 ダンッ、ダンッ、ダンッ


 大きな二発の銃声が鳴り響いたかと思うと、さらに銃声が連続で聞こえた。


(新手か!)


 そう思ったのはマリナだけではないはずだ。

 だが、それは思い違いのようだ。

 スペード8‐3兵の前衛が倒れ、後衛は先ほどよりも後退している。

 撃たれたのは彼らだ。

 倒れたのは彼らの方だった。


 ‐どこからだ。

 ‐三時の方向! 敵は一人!

 ‐一人? そんな馬鹿な。

 ‐こちらスペード8‐3、緊急事態が発生!増援を要請。


 濃紺色のフードにフェイスベールで顔を覆った謎の人物。

 一般的なMK‐24Aカービンを使っているようだが面白いくらいにスペード8‐3兵のひたいを簡単に射抜き、隠れていた偵察要員や狙撃手も壁を貫通した弾丸で外さず仕留めた。

「味方のはずがない……」

 近くに倒れていたスペード8‐3兵から銃を拾い、謎の人物との交戦に備えた。

 アーニャも位置を変え、新たな訪問者に警戒している。

 明らかに相手の動きが普通ではない。あまりにもびんで、未来予知をしているかのようだ。


 ‐スペード8‐3、応答せよ。聞こえるか?


「…………」

 謎の人物は敵の無線機を踏みつぶし、マリナの方へ向いた。相手は銃を構えていないが、マリナはためらわず銃を構える。

「助けてもらったことに礼を言うべきかもしれない。でも、この銃は下ろせない。何者だ」

 網目状のフェイスベールで顔は見えない。

「そのサンプルを渡してもらおう」

 女の声だ。

「MIか?」

「それはどうでもいい。サンプルは私が預かる。お前達ではそれを守り切れない」

 女の言うことはごもっともだが、このまま《ヘイズ》を渡してしまうのも計り知れないリスクがあった。その心中を察するかのようにアーニャは狙撃姿勢を取り、いつでも引き金を引ける準備をしていた。

「……分かった」

「物分かりが良い子は好きよ」

 マリナは《ヘイズ》の容器を目の前にいる女へ投げ渡した。

 しかし、ただで渡すわけがない。

 アーニャは待っていましたとばかりに銃の引き金を引いた。

 放たれた弾丸は重力や湿気、風、気圧、コリオリの力といった外部影響を受けつつも謎の女へ向かっていく。その速さは秒速約820メートル。女への距離はざっと30メートルほどだから弾着までは約0.0366秒。それはほんの一瞬だ。

 女はこの狙撃で死んだはずだった。

「そんな……当たっていない。あり得ない」

 女は平然とその場にたたずみ、マリナへ視線を向けた。

「止めておきなさい」

 その一言でマリナは引き金を引くことができなかった。

《ヘイズ》を手に入れた女はスミルノフの二人に背を向け、夜の世界へ消えていった。


「……こちらカサートカ」

『こちらシュカーヴィク。どうした?』

「サンプルを奪取された。相手の正体は不明。少なくともASSとは関係ない人物と思われる」

『しょうがない。とにかくそこから撤退しろ。イズニティは危険な状態に移りつつある。無理はするな』

「了解」

 あの女を今は追うことができない。追う必要はない。

 この場を離れる事が先決だ。

 しかし、またどこかで出会うことになる予感がする。

 これはマリナの直感であった。

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