第十一話:鈴華園


 崇爛城の北門・玄武門げんぶもん正面に、崇爛城最大の花園はなぞの鈴華園すずかえんはある。標高50メートル未満の山に楼閣ろうかくや正殿も建っており、皇帝が后妃こうひ達と遊楽をする場も設けられていた。


 「鈴華園にないお花ってあるのかしら」


 空が茜色に染まるとりこく初刻しょこく、麗優淑は昌映に許可を受け鈴華園で花を摘んでいる。籠に入った花の名は童氏老鸛草どうしろうかんそうだ。

 童氏老鸛草どうしろうかんそうは古来より有名な薬草で、根・茎・葉・花を干し煎じて下痢止めや胃腸薬とし、お茶としても飲用する。又、冷ました煎じ液を湿疹、かぶれに用いたり、食あたりや便秘、神経痛の効果効能もあった。即効性がある利点も忘れてはならない。


 「えっと、こっちは……」


 紅紫こうし色と白色に淡紫たんしの筋が入っている花を選び、手際よく葉と芽も籠に放り込んでいく。集中し無心で花を摘む優淑は、後方で動く三つの影に気づいていない。


 「ひゃ!? な、ななに!?」


 ――刹那、優淑の体が容易く宙に浮いた。籠は転げ、黒の三枚歯下駄も脱げ、花が無残に散る。


 「早くしろ!! 運べ!!」


 「ぐずぐずするな! いまは殺すなよ!!」


 「気絶させろ!!」


薄鼠色の長衣ちょうい、彼らは宦官だ。男達の発した言葉の端々に身の危険を感じた優淑は、手足を懸命に暴れさせて足掻いた。


 「やめて!! ……ッ、誰か!! 誰か!!!」


 平民育ちの優淑の反抗は手強い。一人の宦官が優淑を黙らせようと拳を締め上げ肩を引く。


 「静かにしろ!!」


 怒号が飛び優淑はぎゅっと瞼を閉じた。されど何の痛みも襲ってこない。


 「…………ッ」


 恐る恐る目を開ければ、深緋こきあけ色の軍服が風ではためいていた。軍将官・軍将若人進ぐんしょうわこうどしん、夜条風華煌侃だ。


 煌侃は優淑に当たる寸前で宦官の腕を掴み、躊躇なく渾身の力で蹴り飛ばす。


 「―――ァガッ!」


 腹に一撃をくらった男は石畳に打ち付けられ、他の二人が煌侃に反撃するが日頃の鍛錬を怠らない侍衛に勝てる術もなく、数秒足らずで呆気なく敗れた。


 「煌侃様……、助かりました」


 「――っと」


 安堵で足元がふらつく優淑の体を支える煌侃が叫んだ。


 「宦官かんがん! 宦官は何処にいる!!」


 「はあ……ッ、はあ……ッ、夜条風華侍衛! 申し訳ございません! 純舞門じゅんぶもんに不審な者がいると一報がありましたが……! 誰もおらず……ッ!」


 純舞門は鈴華園の南門、現在地は北の清舞門せいぶもんに近い。慌ただしく駆け付けた宦官達は道理で息が上がっている。


 宦官がいなかった理由に煌侃は引っかかっていた。純舞門を通った自分が不審な者を見落とすはずがない。


 だがいまは――、煌侃は意識なく寝転がる男三人を見下ろした。


 「警防総官けいぼうそうかんを直ちに呼べ。皇后様の外戚、昌映様に仕える女官を襲った不届き者だ。皇后様が裁かれる、連れて行け」


 宮中の賞罰しょうばつを行う警防総官は、崇爛城の秩序を重んじる殿方だ。女官や宦官の不祥事は通常、敲刑たたきけいか追放で解決する。けれど今回は後宮の主・皇后の采配次第だろう。


 「――ハッ!」


 宦官達が男達を連行した。煌侃が優淑の脱げた黒の三枚歯下駄を拾い、足袋たびに付いた砂を祓って履かせる。動作に無駄がない。


 「え、あ、煌侃様、申し訳ありません!」


 「いや、大事がなく良かった」


 息を吐く煌侃は緊張が解けた様子だ。


 「ありがとうございます。何がなにやら……」


 束の間の出来事だった。優淑は未だ混乱している。


 「大丈夫だ。不届き者の黒幕は私が詮索し炙り出す。任せろ、二度目はない」


 根拠のない発言だけど、煌侃は正義感と忠誠心が揺らがない信頼できる男だ。優淑も襲撃の一連を怪訝に思うが、自分を襲った三人の正体、目的、それらは手腕ある煌侃や警防総監、皇后が把捉はそくし判断し裁きを下す事柄だ。疑心暗鬼になってはいけない。


 「……はい。煌侃様は命の恩人、信用致しております」


 「命の恩人で、君の縁談を承諾した男だ」


 「―――ッ」


 予想だにしない返しに優淑が上瞼を最大に開いた。


 「君も承諾した。訂正があるか?」


 「……いえ、はい、ありません」


 瞳をうろうろさせる優淑は、微笑する煌侃に気づいていない。


 「今日、父上に会った。それで陽敬宮を訪ね、大母おおはは様に優淑は鈴華園にいると聞き、天が君を助けるよう導いた。君の父いわく、困ったとき一番に助ける男が運命の相手だろう」


 口元に弧を描く仕草が様になる。煌侃は片方の眉尻を上げ、得意げに自分が鈴華園を訪れた経緯を説明した。


 「左様でございましたか。天はいつも煌侃様を遣わせて下さいます。私に勿体なき殿方とご縁を結んで下さり有難く存じます」


 運命の歯車は回り出している。定められた道を選ぶか否かは自分次第だ。


 慎ましやかで善良な優淑の細い手先を掬い、煌侃は壊さぬ力加減でそっと握った。花々の甘い香りが二人を優しく包んでいる。


 「正式な婚儀は下準備がかかる。君が心変わりしないか、横取りされないか、婚儀を挙げるまでは心配だ」


 「……ふふ、煌侃様も不安になられるのですね」


 「形容し難い。何故か痛みがある。一つ一つの感情が君と出逢い変わった」


 万華鏡の如く幾何学と織り成す恋は楽しく切なく苦しい。愛し愛されることを知った人間の欲は無限大だ。


 「私は自分の意思を簡単に曲げません。万一に煌侃様の抱く危惧が生じても、煌侃様が必ず守って下さるのでしょう?」


 優淑は指先を丸め、煌侃の手を握り返した。会うたび、話すたび、心は惹かれ好きになる。感情が変わったのは優淑も同じだった。


 首を傾げる見目麗しい優淑に、煌侃は至極驚駭きょうがいする。明らかな子芝居だ。

 

 「驚いたな、私をよく理解している」


 「はい」


 くすくす笑う優淑は可憐で胸を打たれない者はいない。煌侃は心の赴くまま、優淑の目元に口付けをする。


 「――――ッ」


 肌に触れた唇が離れる感触に優淑は身を縮めた。耳が真っ赤だ。


 煌侃は一歩下がり、恥ずかし気な優淑に破顔する。


 「大母おおはは様が帰りが遅い君を案じているだろう、送ろう」


 そう言って煌侃は手際よく籠を持ち、歩き始めた。優淑は初めての体験に呆けている。都合の良い夢か幻か現実か思考が定まらない。


 「優淑、置いていくぞ」


 煌侃の促しに優淑は見事な直立を披露する。侍衛といい勝負の美姿勢だ。


 「え、あ、はい!! も、申し訳ございません只今!」


 足を止めて待つ煌侃に謝り、駆け寄る。並んだ二人の鼓動の高鳴りは互いに伝わらないが、早鐘を打つ胸のときめきは確かに一緒だった。

 

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