第二話:陛下の褒美


 崇爛城すうらんじょうの南正門――朱雀門しゅじゃくもんくぐり皇帝が宮廷で国政を担う外朝の正門――永玲門えいれいもんを抜けると、四玲殿しれいでんと呼ばれる四つの中心的建物がある。

 そのひとつ重玲殿じゅうれいでんは、第五代皇帝・獅龍帝しりゅうていのために作られた書房だ。殿内の中央には格式が高い魅力的な机が置かれていて、長年の歴史を感じさせる風合いがあった。崇爛城お抱えの熟練の職人もいるのだろう、皇帝の威厳を象徴する美術品や陶磁器が数多く並ぶ光景は華々しい。


 そんな豪華絢爛な重玲殿に、優淑うしゅくはいた。あれから有無を言わさず侍衛の夜条風華やじょうふうか煌侃こうかんに連れられ、崇爛城で丁寧且つ迅速な治療を受けたのち、瞬く間にここに通されたのだ。


 「夜条風華やじょうふうか煌侃こうかん、ご苦労であった」


 ふちに芸の細かい彫刻が施されている椅子にする、崇天厳すうてんごん帝国の皇帝・獅龍帝――。

 短く刈られた綺麗な頭の形、スッと通った鼻筋、主張し過ぎない頬骨、薄い唇に三日月型の眉毛、一重で切れ長の目元は力強い印象を与える、バランスが取れた顔だ。堂々と胸を張っていて姿勢も良い。

 獅龍帝は黒い軍服の礼服の上に、濃藍地こいあいじのベルベットに金糸や銀糸で刺繍が施された豪華なマントを両肩を隠すように羽織っており、飾緒しょくしょ、クロスベルト、剣のスリングが付いた金色の腰ベルトを巻いている。硬くて丈夫な皮が使用されている軍靴が机の下から垣間見えた。


 「――


 煌侃が右手を胸に当て敬意を示す。左手には脱いだ官帽を持っていた。煌侃は長い黒髪を前髪も含め後頭部でひとつに束ねている。腰まで垂れた髪は優淑より長い。


 「詩晃うたあき――第一皇太子は時折、子侍官しじかんいて崇爛城から抜け出すのだけど、連れ戻された後、自ら経緯を語るのは極めて稀なのよ」


 獅龍帝に寄り添い立つ皇后こうごう――獅龍帝の寵愛を一身に受ける夜条風華やじょうふうか愛馨あいしんが春風のような優しい声で言った。


 皇后はランの花が上品にあしらわれた濃藍のファシネーターを身に着けいる。足をすっぽり覆う錆浅葱さびあさぎのドレスはマント型になっていて、開放的な両腕には美しいシルクレースの手袋をしていた。髪型はトップから後頭部にかけ、緩やかな曲線を描きながら高さを出した留袖だ。

 肌理きめ細やかな色白の肌、ふっくらした頬、涼しい目元、一本筋の通った鼻筋に厚い唇、上がっている口角と少し垂れた眉尻が彼女の穏やかな性格を表している。


 皇后の美貌と技芸は後宮こうきゅう随一であり、彼女は煌侃の父の姉、つまりは伯母はくぼだ。


 「心から身を案じ叱咤してくれたと喜んでいたわ」


 穏和な眼差しと丸みある皇后の語り口に、緊張で体が硬直していた優淑はようやく息が吸えた感覚になった。そして肩の力を抜くと、左手を右手の上に組み、下腹部で軽く交差させ、伸ばした背筋をゆっくり傾けた。


 「身に余るお言葉でございます」


 麗家は平民で上位階級に比べれば当然の如く格は低い。けれど優淑にも女性としてそれなりのたしなみはある。


 皇后は優淑の立ち居振る舞いに感心した様子で微笑み、その斜め後ろに控える煌侃に目配せした。彼は皇后に同意を示す相槌を打ち、獅龍帝に頭を下げ言葉を述べた。


 「――陛下。内地は我々武官の関するところではないので、崇泰内地を見回る警備兵に聞きましたが、近頃内地で不穏な動きをみせる者達とこの女子おなごは無関係であると思われます。あの場に居合わせた者達にも侍衛が聞き込み事実を確認しております。荷馬車に乗っていた男は間もなく警備兵が崇爛城へ引き渡しにくるかと」


 「承知した」


 「幸いに皇太子に怪我はなく、危険を顧みず身を挺して皇太子を守ったこの女子おなごに何卒、寛大なるご処断をお願い申し上げます」


 継いで要望する煌侃に皇后も続いた。


 「陛下、私からもお願い致します」


 獅龍帝は二人を交互に見やり、優淑に視線を向けて問う。


 「そちの名を聞いていなかったな」


 「麗優淑と申します」


 優淑は素早く両膝を突き答えた。肩を後ろに引き姿勢を正す優淑は清らかで儚い。


 獅龍帝は一呼吸置き、口を開いた。低く重圧ある声に優淑は耳を傾ける。


 「麗優淑、此度の一件、褒めて遣わす。そちの勇気ある行動は誉れだ。第一皇太子の命の恩人となった麗優淑に敬意を表し、このていから麗家に褒美を与えるとする。父母かぞいろはも麗優淑を誇りに思おう」


 獅龍帝から発せられる一言一句、それは優淑の想像の域を遥かに超えたものだった。あの時あの場所に自分がいたことは偶然か必然かそれとも天の導きだったのか、突然に皇太子の命の恩人となってしまった優淑は、一刻も満たない内の目まぐるしい変化に自分の意識を合わせていくだけで精一杯である。


 しかし獅龍帝を御前に眩暈を覚えてる暇はない。気持ちを奮い立たせ、優淑は今を乗り切ろうとした。


 「過分な賛辞、至極恐縮にございます。父と母はすでに冥土に旅立っており、きょうだい、親戚もいない麗家は私ひとりとなるのですが、陛下より頂いたお言葉は必ず二人に届いており、生前、充分な親孝行ができなかったため、このような形で叶えられたこと大変光栄に存じます」


 「女子おなご独りとならば苦労が多かろう、そちの成した大儀に同等な位階いかいはどうだ」


 「有難く存じますが、生前の父はよく私に『子は皆平等に帝国の宝』だと教え諭しておりました。あのとき荷馬車に轢かれそうだった者が皇太子であろうと奴隷であろうと私の選択はひとつしかなかったのです。陛下、私は父の教えに従ったまで、褒美は陛下に謁見できただけで充分適っております」


 穏便にやんわり断る優淑に皇后が感嘆のため息を吐いた。


 「優淑、あなたは何歳になるの?」


 「十八になります」


 「――陛下」


 優淑の返事に皇后が獅龍帝に提案する。


 「申してみよ」


 「優淑を崇爛城に置いては如何でしょう? 私のみる限り優淑は思慮深く、慎ましい女子おなごです。私の母上が療養する陽敬宮ようけいきゅうに侍女として仕えさせとうございます」


 「女官にょかん試験を受けず、か」


 誰もが出入りできない尊い崇爛城の宮仕みやづかえとなるには試験があった。貴族などの上級女官試験とは異なり下級女官試験は難関だ。


 「この上ない褒美となりましょう。陛下の富んだ雅量がりょうに世間も一層、畏敬の念を深めるはずです」


 皇后はそれらを受けずして優淑を後宮女官に迎える算段らしい。獅龍帝は暫く考える素振りをし、首肯した。


 「……うむ、皇后に任せよう」


 「ありがとうございます。優淑、よろしいですね」


 問答無用の笑顔だ。獅龍帝と皇后の結論に、優淑の異論は許されない。


 「拝承致しました」


 潔く受け入れた優淑の藤の花の耳飾りが揺れる。煌侃は心情を察し、慎重に切り出した。


 「皇后様、麗優淑に三日ほど身支度の期間を与えては」


 「そうしましょう。三日後のたつの刻――煌侃、貴方あなた朱雀門しゅざくもんから母上のいる陽敬官ようけいかんまで、優淑の案内を命じます。宮中きゅうちゅうは広いですからね、彼女も迷い兼ねません」


 「――


 「優淑、よいですね。こちらで諸々用意しますからは最小限に」


 辰の刻、つまり午前八時前に崇爛城の正門に着けば問題ない。


 「はい。心遣い感謝致します。夜条風華侍衛、よろしくお願いします」


 煌侃のお陰で即刻の流れが消え去った。優淑は煌侃に頭を下げ、硬い表情を解いた。


 「…………」


 不意打ちの無防備な笑みに煌侃は片方の眉尻を上げ、さっと視線を逸らし無言で返答する。同時に口角に浮かんでいた満更でもない様子は皇后のみ知るところだ。


 「――二人共下がってよい」


 獅龍帝が指先で合図した。皇后も首を縦に振り退出を促す。


 「


 「失礼致します」


 煌侃と優淑は挨拶し一礼した。正面を向いたまま後退し重玲殿を後にする。


 ――空は束の間に茜色に染まっていた。澱みなく循環する風が心地良い。


 「……人生なにが起きるかわからないな」


 優淑は余分な熱を攫う冷たい空気を肺に取り込み独り言ちる。昨日降った雨の水溜まりには、身長186㎝の煌侃と162㎝の優淑二人の影が、でこぼこに反射していた。


 煌侃が優淑の憂いを帯びた瞳を見下ろす。魅力的面貌の煌侃、文句のない容姿端麗な優淑、傍から見れば釣り合った二人だ。

 

 「朱雀門しゅじゃくもんまで送ろう」


 「ありがとうございます」


 並んで歩く二人の背中を、こっそり他の侍衛や宦官かんがんらが羨ましげに見送る。次の日の崇爛城の話題は「あの夜条風華煌侃が見目麗しい女子おなごを送っていた」であった。

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