23話:戦いへ
あれから夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が過ぎ…彼女との関係が始まってから一年が経った。だけど未だにわたし達の関係は恋人とは呼べない。
わたしが変わらなければ一生彼女を恋人とは呼べない。だけど…きっと、恋人と呼べない関係でも彼女はわたしが突き放すまではそばに居てくれるのだろう。
だから思ってしまうのだ。このままでいいのではないかと。母にバレさえしなければいいのではないかと。例え望まぬ相手と結婚させられたとしても、女性同士なら不貞行為にならないのではないかと。
実際そうだ。法律上は、同性との行為は不貞行為と呼べないのだ。
婚姻、婚約、内縁関係にある人が、パートナー以外の異性と肉体関係を持つこと—これが不貞行為の定義。同性との行為なんてそもそも想定されていない。
"女同士はノーカン"なんてよくいうがその通りなのだ。
「ねぇ…満…休憩しませんか?」
熱心にペンを走らせる彼女に囁く。わたしは普段学校では彼女を"月島さん"と苗字にさん付けで呼んでいる。下の名前を呼び捨てにする時は誘う時だ。いつしかそうなってしまっていた。
彼女がわたしの誘いを断ったことはほとんどなかった。
わたしが彼女の誘いを断ることもほとんど無い。彼女の方からしたいと言ってくれると嬉しくなってしまうのだ。彼女がわたしを求めることが嬉しく感じてしまうのだ。
だけど、ポジションはほとんど変わらない。どっちから誘っても、わたしが受け身にされてしまう。今日も当たり前のように私がベッドに押し倒されて、彼女が上。
「…満…今日はわたしがしたい」
と、わたしが言うと彼女は決まって
「…実さん下手くそだもん。やだよ」
と小馬鹿にするように笑いながら返す。実際にわたしは攻めに転じて彼女を満足させられたことはないのだがら、言い返せない。
「なら練習させなさい。上達してみせるから」
「…しょうがないなぁ」
わたしとポジションを入れ替わると「お好きにどうぞ」と彼女は挑発的に笑う。そんな顔が憎たらしいと思うと同時に、愛おしく感じてしまう。
だけど、"好き"だとか"愛してる"とか、お互いにその言葉を使うことはない。わたし達は恋人ではないのだ。勘違いしてはいけない。
「…やっぱりいいです。貴女がして」
「あぁ?なんすかそれ。強気なこと言ったくせに」
触れたい。だけど今日はなんだか、わたしから触れてしまったら抑えている"愛してる"の言葉が飛び出てしまいそうで怖い。
「あっ…ん…満…」
彼女はいつものように、優しく触れてくれる。私を壊さないように丁寧に扱ってくれる。可愛いと囁きながら優しく。
「満…もっと…激しくして…わたしを壊すくらい激しく…」
「…やだよ」
ふっと笑って、嫌味のようにどこまでも優しく触れる。
「…お願い満…頭の中真っ白になるくらい…してください…」
今は何も考えず、快楽の海に沈んでしまいたい。何もかも忘れて。
「…はぁ…分かったよ」
ため息をつくと彼女はリボンでわたしの腕を拘束し、視覚と聴覚を奪い、激しく攻め立てた。
「…弟も親も居るから、これ咥えて声抑えてて」
口の中に詰め込まれたタオルを噛み締めながら、襲いくる激しい快楽の波に身を委ねた。
「…実さん、最近休憩多くない?私、勉強教えてほしいんすけど」
わたしの制服を直しながら彼女はぶーぶーと愚痴をこぼす。言葉を発しずに会話を途切れさせると手を止め、ハグします?と両手を広げて首を傾げた。
素直に身体を彼女に預ける。
「…知ってますか、月島さん。同性とのこういう行為は、法律上の不貞行為の定義からは外れるんですよ」
「…例え望まない結婚をしても関係を続けてって?」
「…バレたら面倒だから嫌だと言うのでしょう」
「分かってんじゃん。…あんた、仮に旦那さんにバレたら私に脅されたことにして被害者面すんだろ?」
彼女の言う通りだ。今のわたしならきっとそうやってずるい逃げ方をする。あの時のように、彼女を庇うことも出来ずに、心の中で泣きながら彼女を捨てる選択をするだろう。そしてまた自分は可哀想だとか、世間が悪いだとか…そうやって責任を世間に転嫁する。
…わたしはクズだから、きっとそうする。わたしはクズだから。最低だから。
「…バレません。同性とこんなことしてるなんて…言わなかったらバレませんよ」
「そうかなぁ…例えばさ、ラブホ入るところ見られたらどう言い訳する?」
「…ラブホ女子会してたと言います」
「あー…最近流行りだよね。…じゃあ、キスしてるところ見られたら?」
「道端でキスなんてしませんよ」
「家でだよ。いちゃついてる時に旦那さん帰ってきちゃったとかあるじゃん」
「家に呼ばなければいいだけのことです」
「…でもそんなに頻繁に遊びに行ってたらきっと疑われるよ」
「相手が女性だと証明出来れば疑いは晴れます。…きっと。…簡単に」
「…クズだね。あんた」
耳元で、優しい声で囁かれた言葉が胸に突き刺さる。
「…そうです。わたしはクズです。でも貴女だって…わたしに捨てられたって…代わりを探すんでしょう…どうせ…わたしじゃなくてもいいんでしょう…わたしじゃなくても…」
「…そうやってすぐ泣くところがクソなんだよ」
ため息混じりの厳しい言葉とは裏腹に、彼女は優しくわたしを抱きしめてくれる。
その優しい毒がわたしの心を蝕む。
「…殺して…」
呟くと、彼女はわたしをとんとっと押した。倒れたわたしの首に手を伸ばす。咄嗟に振り払おうとすると抑えられ、頭の上で縛られた。抵抗出来ない状態で彼女はわたしの首をぐっと締める。
「あっ…ぐ…っ…」
足をジタバタさせて抵抗すると、彼女はすぐに手を離し、腕の拘束を解いて私を抱きしめた。「無理です」とわたしの肩で小さく呟いた声は震えていた。そしてふーと深い息を吐くと、一変して冷静な声でこう言い放った。
「もう、この関係終わりにしよっか」
彼女の口から呟かれたその一言で、心がサーッと冷えていくのを感じた。
「…捨てるんですか…わたしを…」
「うん。そしたらあんた、心置きなく死ねるでしょ?私ももうあんたに付き合うの疲れたし。あんたの代わりなんて探せば良いだけだし」
わたしを突き放す冷たい言葉が心に刺さる。
「捨てないで…お願い…わたしを捨てないで…満…なんでも…なんでもするから…」
「…なら、私を恋人にしてください。この人はわたしの恋人だって、親に、世間に宣言してください」
それが簡単に出来たらそうしている。一年もこんな関係を続けてなどいない。
「…出来ません…」
「…そういうところがクソなんだよあんたは」
イラついた声で呟くと、彼女はわたしを突き放した。そしてペチンと頬を叩く。
「…死にたいなら勝手に死ねばいいじゃん。殺してほしいとか、重いんだよ。あんたの命を私に握らせんじゃねぇよ」
「っ…」
「そうやってまたすぐ泣く。…泣けば私を繋ぎ止められるって思ってんでしょ」
「ごめん…なさい…ごめんなさい…」
「…はぁ…実さん、私の目見て」
顔を上げさせられ、両手で掴まれて固定される。真っ直ぐな瞳がわたしを見据え、耐えられなくなり逸らすと「目見ろつってんだよ」と強い口調で命じられる。
「いい?あんたの選択肢は三つ。死ぬか、自分の心を殺して人形として親のために生きるか、親や世間に抗って自分の心のままに生きるかだよ。…私を繋ぎ止めたいなら三つ目以外の選択肢はない。…分かるだろ?」
「…分かります」
「…分かるならなんでそうしない。そんなにも親が怖いか」
「…」
あの日のことを思い出す。
『今はもう同性同士の恋はおかしいって時代じゃないでしょ』
ならどうしてそれを母に主張してくれなかったのか。私を見捨てて、逃げ出したのか。
「…実さん、あんたが戦うって言うなら私も一緒に戦うよ」
目の前に居る彼女はわたしの手を握って真っ直ぐにわたしを見据えてそう言った。「私はあんたを置いて逃げたりしない」と。
「…なんで…そこまで…」
「…分かりませんか?」
「…分かりません…だって…あなたは…恋はしないんでしょう…わたしじゃなくてもいいんでしょう…」
「…うん。あんたが誰かと結ばれても、それがあんたが望んだ人なら私は素直に祝福できるよ。幸せになってねって言える。悔しさなんて、一切感じないと思う。…でも…」
ふぅ…と彼女は息を深く吐いて、そして苦笑いしてこう言った。
「こんなめんどくせぇ女愛してくれる人、私以外にいるんすかね」
「愛…って…」
「私ね、あんたに幸せになってほしいんですよ。幸せになってくれるなら、隣を歩けなくたって別に構わないんです。…でも多分、私以外にあんたを幸せにしてやれる人、居ない気がするんだよね。…だからほら」
すっと彼女は私に手を差し伸べてこう言った。
「私は誰でも良いんだ。あんたじゃなくてもいい。けど、あんたは私じゃなきゃ駄目なんだろ?だったら繋ぎ止めなよ。私は別に寂しさ埋めてくれる人がほしいだけなんだ。あんたが私の寂しさを埋めてくれるなら、あんたが望む限りは側にいてあげる。ただし『彼女はわたしの恋人だ』ってあんたが堂々と言えるならだけどね」
差し伸べられた手に、恐る恐る手を伸ばす。取るのを躊躇ってしまうと、彼女はふっと笑って「私がほしいんだろ?」と煽った。息を深く吐き、覚悟を決めて彼女の手を取る。
「…満」
「…はい」
「…わたしの恋人になりなさい。…わたしと一緒に戦いなさい」
「…言われなくたってそのつもりだよ。…今すぐ行く?」
今日はやめておく。そう言ったらきっと、わたしはまた先延ばしにするだろう。
「…ついて来なさい。案内してあげるわ。敵の根城に」
「敵の根城って。あんたの家だけどな」
「うるさいわね。黙ってついて来なさい。…逃げたら殺すから。貴女を殺してわたしも死ぬ」
「はいはい。心配しなくたって私は逃げませんよ。…不安なら繋いでおきな。ほら」
するりと、指を絡めてきた。離さないようにしっかりと繋いで部屋を出る。
階段を降りて家を出たところで、足が止まってしまった。俯いてしまうとすっと手を離される。慌てて握りなおすと、彼女はふっと鼻で笑った。
「…手…離さないで」
「…ごめんごめん。ちゃんと握ってるよ」
大きく息を吸い、吐く。
『今はもう同性同士の恋はおかしいって時代じゃないでしょ』
そうだ。わたしは何もおかしくない。間違ってない。間違ってないのだ。堂々としていれば良い。
鉛のように重くなった足を持ち上げ、一歩踏み出した。わたしに呪いをかけた魔女を倒すために。最強の戦士を味方につけて。
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