プレケリウス~勇者パーティーを追放された最強ガンマン、始末屋稼業に精を出す~ 始動編

海雀撃鳥

始動編

「――『戦士』カーク! 君のような人間は我ら『勇者パーティー』には不要である。いや害悪であると言うべきだろうな。勇者の昔馴染みだからと大目に見てきたが、もはや我慢ならん! 今すぐ辞めてもらう!」


 『賢者』――やんごとなき公爵家の長男であり、王都最高のハバド大学を主席で卒業した若き秀才は、目前の冴えない黒髪の男へそう告げた。


「人類が魔王国との戦いに勝利したのが200年前! そのとき邪悪なる魔王を仕留めたのが『勇者』と4人の仲間たち! その故事に倣い、世界に平和が訪れてからも――『勇者パーティー』の伝統は受け継がれている。つまり我々は人類の結束の象徴といってもいいのだ! 君にはその一員としての自覚がまるでない!」

「はぁ」

「何だね、その腑抜けた表情は!」

「あんた別れ話にも時と場があるでしょうが。これから朝飯よ? なぁ皆」


 カークと呼ばれた黒髪の男が半ば呆れた表情を浮かべ、食卓に座る仲間たちを見渡した。


 『騎士』たる公爵家長男は敵対的な無表情のまま目を逸らし。

 『聖女』たる大司教の姪は可憐に瞑目したまま食卓に祈るフリを続け。

 『勇者』たるユウキ――彼だけは平民で、カークの幼馴染である――は所在なさげに俯いたまま、視線だけカークと賢者の間を往復させていた。


「あんただと? 平民が無礼な――ともかく、今から理由を伝えてやる」


 賢者が身を乗り出し、人差し指をカークの鼻先に向けた。


「第一に、君は平民だ。200年前より守られてきたパーティーの品格を穢す。『勇者』は平民から神託で選ぶと決まっているが、だからこそ周囲のメンバーは由緒ある家から選ばれねばならん。君のような一兵卒が選ばれるなど何かの間違いだ!」

「……それで?」


 不愉快げな咳払いと共に、賢者の指がカークの腰に下がる。


「第二に……君が持つべき武器は何だ、言ってみろ」

「そりゃこれ・・よ。ドワーフ工房謹製、今年出たばかりの最新モデル」


 カークが腰に下げていた二丁の鉄塊をごとりと机に置いた。

 拳銃――百年ほど前に発明された、魔導機械で動く射撃武器の中でも最も小型の物だ。賢者は机に置かれたそれに軽蔑の視線を向けると、その視線をそのままカークへと移した。


「勇者パーティーの『戦士』は宝石を散りばめた斧を持つのが正しい伝統である! それがこのような野蛮な人殺しの武器を持つなど嘆かわしい!」

「パレードの時ならともかく、実戦になったら役に立たないでしょ。今じゃ路地裏のチンピラにだって拳銃持ってる奴がいるんだぜ」

「くだらん! 実戦など下々のやることだ! ――第三にその態度!」 


 賢者が怒鳴り声をあげ、拳を机に叩きつけた。


「この半年間、君の立ち居振る舞いは最悪だった。乞食だの下品な吟遊詩人だのに金をやるわ、平民に無用な愛想を振りまくわ。言葉遣いにテーブルマナー、社交界での作法や上流階級への態度も全く駄目だ!」

「そうかい? 村の集まりじゃユウの次に行儀がいいって褒められてたんだがね」


 カークは銃をホルスターにしまうと、籠の中から上等な白パンを取ってそのまま齧った。ユウキ以外の3人が一斉に顔をしかめる。


「パンを丸かじりするんじゃない! ――こんな基本的な作法も知らないで勇者パーティーの一員を名乗るなど、恥ずかしいとは思わないのかね!」

「別にいいじゃないの、今は会食の場でもないんだし。ハバド大学じゃ『大昔の勇者はテーブルマナーで魔王を倒しました』って教えてんのかよ?」

「時代が違うのだ!」


 興奮しきった様子で賢者が両手を振るわせた。


「もはや我慢ならんぞ! 君には勇者の仲間たるに相応しい覚悟、責任感、品性、全てが無い! 全てにおいて不適ッ! これは我々全員、そして『勇者』様の意思であるッ! ――そうでしょう、『勇者』様!」


 そう高らかに吟じると、賢者は隣に座るユウキをねめつけた。残る二人、アルマと『聖女』もそれに続く。3人に囲まれたユウキが冷汗を垂らしながら周囲を見回し――やがてがっくりと項垂れて、か細い声を絞り出した。


「カーク……ごめんよ……ぼ、僕は……」

「『勇者』殿! ご自分の義務をお分かりでしょうな!」


 ユウキが何かを言いかけたが、賢者がまたも怒鳴って彼を震え上がらせた。口調こそ敬語だったが、その目には余計な真似をすればタダではおかないという敵意があった。『勇者』の顔がますます青くなる。


「ゆ……勇者ユウキの名において、カークの『戦士』の任を解き、軍からの追放処分とする! この言葉を法と心得よ……っ!」

「聞いたか! 皆の者よ、聞いたか!」 


 我が意を得たりとばかりに賢者がユウキの前に立ち、両腕を広げて高らかに言った。


「人類王国連合軍において、『勇者』に選ばれた者こそが唯一絶対の力を持ち、その頂点に立つ! 『勇者』の言葉はあらゆる王国連合法より優先されるのだ! 解ったなら即刻荷物をまとめて出ていきたまえッ!」

「……臭い芝居もその辺にしとけよ」


 一連の流れをぽかんと口を開けて聞いていたカークが、すっと表情を消した。 

 おそらくこの流れは全て予定調和だ。賢者を初めとする3人は共謀して自分を追い出す算段をつけ、ユウキを唆すか脅すかして自分たちに従わせているのだ。

 

「そうかい、よーく解ったよ。俺はどうにかあんたらと仲良くしようって思ってたけど、あんたらは違うわけね」

 

 カークは溜息をついた。失望の溜め息であった。

 『勇者パーティー』の一員。この魔王なき世界において――あるいは、魔王なき世界だからこそ――王国連合に生まれた人間であれば誰もが一度は憧れる花形である。カークもまたそのうちの一人であった。


 だが――200年前の始まりの勇者とその仲間たちは本来、もっと気の置けない関係だったはずだ。勇者として選ばれただけの平民を、貴族の息子娘で囲い込んで思い通りに動かそうとするなど、パーティーとは名ばかりの伏魔殿に過ぎまい。


 無論、カークとて自分たちに価値観の相違があることは理解していたが――それでもパーティーとしてやっていく以上はお互い肩肘を張らずに済む関係を目指そうと思っていたし、少なくとも自分の意思を通すのと同じだけ相手を尊重しようとしてきたつもりだ。


 だが彼らの頭にはカークを傅かせて自分たちのしきたり・・・・に従わせるか、放逐するかの二択しかない。カークは彼らとの和解が不可能であると理解した。自分はとんだ間抜けだったという訳だ。


「解ったよ」


 彼はそれだけ言うと、足元に置いた魔物革の古鞄を担ぎ上げた。

 百年の恋も冷めるという言葉の通りだった。カークは己の中で、勇者パーティーの一員という立場に対する幻想――憧れ、歓び、誇り――が急速に熱を失っていくのを感じていた。


「どこに行く気だ」

「お望み通り出ていくんだよ。俺は卑しい平民だからして、使いもしない荷物を馬車一台分も持ち歩いちゃいないの」

「……ふん、殊勝なことだな」


 もっとゴネるかユウキに泣きつくとでも思っていたのか、賢者が拍子抜けしたように鼻を鳴らして腕を組んだ。


「カーク……!」

「あばよ、ユウ。そしてクソッタレ諸君。最後に一つ忠告しとくが、銃を持ってる相手に丸腰で凄むような真似はこれっきりにしとくんだな――じゃあな」


 それだけ言い残し、カークは扉を閉めて宿を出て行った。遠ざかっていく足音を聞いたユウキがますます顔を青くし、テーブルに残った面々を見渡す。


「け、賢者さん……」

「呼び戻せとは言いますまいな? 一度出した命令を撤回するなど、勇者として以ての外ですぞ」


 間髪入れずに騎士が口を挟んだ。


「その通り、勇者様は正しい選択をなされた。明日から始まる視察旅行では諸国の上層部とも会食を行うのですから、あのまま奴を仲間にしていれば我々の品格まで疑われます。――いるべきでない者が去っただけです。あの男がかつて何と呼ばれていたかご存知ですか? 粗野な人殺しの『猟犬』です」

「そんな……」

「勇者様。賢者様の言い方はやや過激ですが、私たちは彼が邪悪であったと言いたいわけではありませんわ」


 聖女が柔らかな声でそう言うと、その白く華奢な腕でユウキの頭を抱き、自らの豊満な胸を押し当てて口づけをした。王国連合の伝統に則り、彼女は2年後にユウキの妻となることが既に決まっている。


「ただ――そう。偉大なる至高神は彼に別の使命をお与えになったのです。伝統と品格を守る勇者の仲間ではない、何かを……ね」

「あ……う、うん……」


 それが『勇者』を宥めるための出任せであることはユウキも解っていたが、頷く以外になかった。否定しても無駄だと解っていたからだ。抵抗しても絶望を突きつけられるだけなら、最初から何もしない方がいい。


「……カーク……」


 彼が親友にかけようとした言葉は、正確には「行かないでくれ」ではなく――

 ――だが、全てはもう遅い。



 ◇



 憎々しいことがあったにも関わらず、空は長閑に晴れていた。見上げると鯨のような姿の魔導飛行船が数隻、小さな浮雲に混じってぷかぷかと青空を泳いでいる。


「『戦士』改め『猟犬』カーク、一夜で職無し根無し草、か。……おっと」


 通りを二つ過ぎたところで、カークは魔導自動車を改造した屋台が炉端に止まっているのを見つけた。魔物から採れる魔石を動力とする炉の中では、串に連なって刺さった肉が香ばしい匂いを立てている。


「おっちゃん、串焼き一つくれ」

「100ゴールド」

「ほいよ。銅貨だけどゴールドってね」


 カークは屋台で銅貨一枚を払って肉の串焼きを買った。


「ロクでもないことがあった後でも腹は減るもんだ。……美味ぇ、角豚肉だ」


 脂の滴る肉串を歩き食いしつつ、先程までとは打って変わった上機嫌な顔でカークが歩く。昨日まではこんな真似をすれば賢者が眦を吊り上げて咎めていただろうが、それももうない。自由の味だった。


(昔は用事で街に来るとユウと買い食いをしたもんだったが……勇者に選ばれるってのも間近で見てみりゃロクなもんじゃないな。あいつ苛められなきゃいいが)


 肉のなくなった串をぺろりと舐めて、カークは別れた幼馴染のことを思った。

 かつてのユウキは自分と同じ無鉄砲な若者だったが――5年前、13で勇者に選ばれて以来ずっとあの調子だ。平民の若者が担ぎ上げられ、貴族たちに四六時中囲まれていればああもなろう。そう考えると、ここで追い出されたのはむしろ幸運だったように思えた。


「勇者パーティーも軍もクビになっちまったし、何処ぞの商人の用心棒でもやってみるかね……冒険者ギルドを当たってみるか」

「――ヘイ、そこの職無し根無し草ちゃん」


 カークがぽつりと呟くと、すぐ近くを歩いていた若い男が横から呼びかけた。

 木賊色の長髪、やや猫背気味の痩身、美形だが黒い遮光眼鏡をかけており、どことなく胡散臭い印象を受ける。――200年前の戦争で人類王国側について戦った種族、エルフだ。


「腕に覚えがおありなら、冒険者ギルドはお勧めしないぜ。どこもかしこも未経験お断りだの身元証明必須だの堅苦しいし、仕事内容も同じ魔道具の組み立て作業とかそういうのばっか。冒険どころか職業安定所だよもう」

「そうなのか。教えてくれてありがとよ、どこかの誰かさん」

「『早耳』バリー・ビー」


 エルフの男はそう名乗った。


「若きエルフの新聞記者さ。……元連合軍のエリート兵士にして勇者パーティーの『戦士』、掟破りのカーク・ドレイク」

「なーる、早耳。……そういえばバリー・ビーって名前、俺も聞いたことあるな。確か王都一番の古株報道員……」

「おいおい、俺はまだまだ青春真っ盛りだぜ。気付いたら先輩がみーんな定年退職してたってだけよ。――ま、それも今朝までの話さ。今は兄ちゃんと同じ職無しの根無し草」

「そちらさんもテーブルマナーでクビになった?」

「そんなとこ。お貴族様の不興を買いまして、哀れ退職金無しの首チョンパ」


 バリーがニヒルに笑って肩を竦めると、カークも複雑な愛想笑いでそれに頷いた。


「戦争終わって世は泰平ってっけど、どうもあちこち世知辛くなってんなぁ」

「その泰平ってのも上っ面さ。200年経ってもそこかしこに魔王国の残党が潜伏してるし、共通の敵がなくなった人類王国連合もぼちぼち倦怠期になってやがる」

「あーやだやだ。大人になると汚ぇモンばっかり見えちまいますなぁバリーさん」

「それが人生さ。せいぜい世渡り下手同士、仲良くやりましょうぜカークさん」

「わっはっはっは!」

「ハハハハハハハハ!」

「――仲良くなるのが早いこと、まるで公園のチビッ子じゃな」


 5分も経たずにに意気投合して笑っていた二人だったが、次の瞬間同時に怪訝な顔を浮かべた。彼らの前にまた新たな人影が立ちはだかったからだ。


「おっと。ご歓談中すまんの。じゃが妾もお主らに用事があってな」


 現れたのは幼い――少なくとも体格を見る限りはそう見える――少女だった。目深に被ったフードの隙間から覗く肌は青白く、布越しにも頭部から突き出た二本の角が見て取れる。


(魔族のお嬢ちゃん……いや、実際いくつだか解ったもんじゃねぇな)


 魔族。今では滅びた魔王国から流れてきた闇の種族である。

 特徴は青白い肌と角。寿命は数百年から千年と長く、知恵と魔力に長けており、古代の魔道具の製法や使い方を解する者も多いが――彼らはエルフやドワーフ、獣人といった種族とは異なり、現在の人類王国連合では「人類」としてカウントされていない。200年前の戦争以前は魔族のほぼ全てが魔王国に住んでいたためだ。


 こうした事情故、戦争から200年が過ぎてもなお魔族を嫌う人類は多く、人類を嫌う魔族もまた多い。信用と差別感情の問題で家を借りられない者も少なくないため、彼らの多くは行商人や踊り子といった住所不定の商売――もしくはならず者や魔王国復活を求める反体制勢力へと流れている。200年前の戦争終結からずっと続く社会問題だった。


「なんでぇ、チビッ子はそっちだろ。俺ちゃんたち飴も駄賃も持ってねぇぞ」

「さっき食った串焼きの串ならあるけど舐める?」

「いらんわアホ。――自由とお金がお望みなら、ちょうど西旧市街に儲け話があるんじゃがの。どうじゃ、そこの路地裏で話でも。くへへへ、へっ」


 指を組んで妖しく笑う少女を前にして、カークとバリーは顔を見合わせた。





 同じ頃。王都西旧市街、またの名を『王都の掃き溜め』。

 古い家ばかりの寂れた区画に行きどころのない魔族が集住して形成された魔族街であり、闇市じみた商店や無認可の賭博場、娼館などが数多く立ち並ぶ。魔族のならず者たちが仕切るこの区画には王都自警団も迂闊に手が出せず、半ば無法地帯のようになっていた。


 その掃き溜めに、光る粒子が混じった排気を吐いて走る二輪車が一つ。古代魔法文明の時代から人類が受け継いできた魔導工学技術の結晶、魔導バイクと呼ばれる魔石エンジンの鉄の馬である。


「お仕事終われば美味しいお酒、豚カツ、腸詰め、ビアホールぅーっと」


 上機嫌に歌を口ずさみながら跨っているのは、明るい金髪をショートカットにした年若い娘だった。頭にはキャスケット棒、活動的なジャケットとホットパンツ。腰のポーチとバイクのカーゴに入った大型鞄には機械や工具の類がごちゃごちゃと詰め込まれている。


「西旧市街、2区の12番地。ここよね」


 娘が目的地である赤い屋根の古いレンガ造りの建物――『掃き溜め』の街としては珍しく、何やら難しい文字が刻まれた看板を掲げている――の傍でバイクを停めた。


「寂れた場末の喫茶店にしか見えないけど、何て書いてあるんだが」

「――『プレケリウス212』」

「ほわっ!?」


 呼び鈴の音とともにドアが開き、制服――ありがちな給仕服とは違う、大貴族の屋敷にいるようなメイドの衣装を着た女性が顔を出した。

 同性から見ても類い稀な美貌とプロポーション、上品に結い上げられた長い銀髪。優美なカーブを描く二本の角は艶やかに磨き上げられ、あたかも豪奢な冠を被いているようだった。冷めたような素っ気ない無表情も一種のミステリアスな魅力にすら感じられる。


「アハハ……ごめんしてね別嬪さん、この店が寂れてるって言ったんじゃないの」

「別にいいわ。あなたがキャンディ?」

「その通り。修理分解なんでもござれ、通称『グレムリン』キャンディ・カー」


 キャンディは歯を見せて笑い、立てた親指で自らを指した。


「面倒な挨拶は抜きにして、さっそく仕事の話に入りましょ。魔導機械の修理点検と試運転の依頼ってことだったけど、当のマシンはどこにあんの? えー……」

「私はニムバス。顧客は私ではなく、私の主。ご案内します」


 二ムバスと名乗った銀髪の魔族が優雅に一礼し、店内へと取って返した。

 キャンディが物珍しげに店内を見渡しながらそれに続く。掃除が行き届いた店内には蓄音機から穏やかな音楽が流れ続けており、煎られたコーヒー豆の匂いが漂っていた。


「んー、お洒落なお店。コーヒーはともかくサイフォンなんて高級品まで」

「イヴァンは新しい物が好きですから」


 事も無げに言って、ニムバスが店の奥に通じる扉を開けて呼びかけた。


「キャンディ・カー氏をお連れしました」

「――ああ、ご苦労」


 こつこつという杖と革靴の音――程なくして、一人の魔族の紳士が奥から現れた。

 見た目は壮年に見えるが、その一挙手一投足には年季からくる重々しさが感じされる。紫色の頭髪はオールバックに撫でつけられており、よく手入れされたグレーの紳士服と黒塗りのステッキを身につけていた。


「ようこそ、キャンディ・カーさん。私が依頼したイヴァン・アシモフだ」

「お招きどうも、素敵なおじ様。アタシが直す機械ちゃんはどこ?」

「ここには無い。今から案内しよう……ニムバス、店を頼む」


 静かに頷くニムバスを一瞥した後、イヴァンは手にしていたステッキの先で床を叩いた。

 次の瞬間――いかなる魔術によるものか、彼とキャンディの足元に光る魔力の線が蔓草めいて広がり、床に円形の魔法陣を形成する。


「きゃあ! ちょっとちょっと何よこれぇ!」

「ただの転移魔法だ。人族には珍しかろうが、恐れることはない」


 超常的な光景に思わず声を上げたキャンディに対して、イヴァンが涼しい顔で言った。

 直後、展開を完了した魔法陣が極彩色の光に縁取られた穴へと変わり、二人が重力に引かれるままに真下へと落ち――固く冷たいどこかへ着地した。


「着いたぞ。ここにある」

「わぁお……ここは?」

「前の戦争の時に放棄された魔王軍の秘匿基地だ。出入り口はない。座標を知る者だけが転移魔法で入ることができる」


 暗く涼しい、通り一つ分ほどの広さがある地下空間。床材は剥き出しの地面とも王都の石畳とも違う、魔力を練り込んだ特殊な結合剤を締め固めて作った魔導コンクリートだ。暗くてよくは見えないが、大まかな構造から察するに空中船のドックらしかった。


「日曜大工で直していたんだが、どうも私に魔導工学の才能はないようでね、本来の機能の半分近くが止まったままだ」


 暗い中を壁に向かって歩きながらイヴァンが答えた。


「キャンディ・カー。魔導工学と機械工学の双方に通じる優秀な技師でありながら、並みいる誘いを蹴り続けているフリーランス……王都広しといえどここを直せるのは君だけだ。君には我々の仲間、大仰に言えば同志になってもらいたい」 

「ヘイヘイヘイ冗談、冗談! 勘弁してちょうだいよ」


 キャンディがキャスケット帽を目深に被りなおし、芝居がかった仕草で肩を竦める。


「要はアタシを専属メカニックとして雇おうってワケでしょ。技師としても女としてもアタシはそんなに安っぽかないわ。その気になれば王室お抱えだってやれる腕なんだから」

「雇う、というのは正確ではないな。ともあれ今日の仕事内容を見てもらおうか」


 イヴァンが壁に埋め込まれた操作盤に手を触れた。壁と天井に張り巡らされた後付けの照明機械に魔力が供給され、たちまちドック内が煌々と照らされる。


「……ひゅう」

 

 目の前に鎮座していた銀色の巨体を前にして、キャンディが口笛を吹いた。


 そこに鎮座していたのは一隻の空を飛ぶ魔法の船――魔導飛行船であった。ただし民間用の船とは違い無駄を省いた船体は細身で、艦首は槍のごとく尖っている。いかなる技術によるものか、銀色の船体装甲の表面には攻撃魔法に対する防御処理が入念に施されていた。


「古代文明技術も導入して建造された、特注の空中コルベット艦だ。この施設と一緒に見つけた物だが……ガタが来ているのか機関が始動しない」

「200年も整備無しでほったらかしじゃねぇ。使われずじまいのオーダーメイド品、兵どもが夢の跡か――さっきの話はともかく、面白そうだわ。図面はある?」

「これだ」


 イヴァンが古い羊皮紙の束を差し出した。白い植物パルプの紙を予想していたキャンディが「へぇ」と短く感嘆し、それを受け取る。


「この辺はレトロなのね。……早速取り掛かるけど、今日の事にはならないよ」

「できるだけ急いでくれ。修理には私も同行しよう、ここは出るのも転移魔法頼りなのでね」

「あーら、アタシったら迂闊にもまんまと連れ込まれちゃったってわけだ」


 キャンディが冗談めかしてしなを作ると、イヴァンはそれを背伸びをして口紅を塗る女児を見るような微笑を返した。

 ――だが直後、キャンディの背後に魔力の光。


「何?」

「……転移魔法のようだ」


 二人が同時に振り向き、最初に転移してきた地点に視線を遣った。そこで光の紋様が蔓草めいて広がり、先程イヴァンが使ったのと同じ転移魔法の魔法陣を形成する。


「よくあるの、こういうこと」

「いや、ここを知るものはそう多くない。鬼が出るか蛇が出るか」


 イヴァンが背筋を伸ばしたまま、両手で握ったステッキを斜めに構えた。穏やかだった表情が一瞬にして剣呑に引き締まり、上品な紳士服を纏った長躯から殺気が稲妻めいて迸る。



 ――次の瞬間、どどどっと騒がしい落下音がして、空間の穴から三人が団子になって転がり落ちた。


「――っだー、こらえ性のない若造共めが! まとめて入ってくるアホがおるか!」

「……ナージャ・モージャ、店に来るように言ったはずだが」

「まったく……いやいや、一旦は喫茶店に顔を出したんじゃがの。店にイヴァンがいないと聞いたからこうして直接来たのじゃよ」


 拍子抜けしたような表情で殺気を霧散させたイヴァンの前で、落ちてきたうちの一人――ナージャと呼ばれた、ローブを被った魔族の少女が猫撫で声で言った。その顔を見たキャンディが「あら」と呟いて彼女を指さす。


「あなた、アタシにこの仕事持ってきた……」

「闇商人ナージャ・モージャ。若作りをした金の亡者だが働きはいい」

「さてもさても、相変わらずきつい言い方をする男じゃ。それでイヴァン、約束のゴールドじゃが……」


 そう言ってナージャがフードを取ると、小柄な体躯相応の人形のような童顔と真っ直ぐな黒髪が露わになった。黙って座っていれば精巧な磁器人形のような美しさだが、その表情には欲にまみれた笑みが浮かんでいる。


「約束の30万ゴールドは後で支払おう、店に戻って待っていてくれ。――さて、ひとまずここに跳ねっ返りが4人揃ったわけだが」


 落ちてきたもう二人――状況が呑み込めていない様子のカークとバリーを前にして、イヴァンは満足げに頷いた。



「――それじゃあ、アンタが勇者パーティーにいたカークなの?」

「元ね。こっちが王都報道機関のご意見番こと、エルフのバリーさん」

「元ね。そんでお姉ちゃんが噂の魔導技師のキャンディちゃん」

「そ、アタシは元じゃなくってよ。それでこちらのおじ様が――」

「イヴァン・アシモフ。……人呼んで『雷霆』イヴァン」

「うひゃあ、雷霆。物々しい呼び名だこと」


 バリーが茶化すように言った。彼はカークにも話を振ろうとして隣を向き――その名を聞いた彼が表情を凍らせていることに気付いた。


「どしたのよカークさん、蛇に睨まれたカエルみたいなツラして」

「――前に座学で聞いたことがあるぜ。200年前の魔王軍の大幹部、魔王軍四天王の第一席。初代勇者も倒し切れなかった無敗の忠臣『雷霆』イヴァン……」

「元は、な」 


 カークの絞り出すような声がイヴァン本人によって肯定されると、他の二人も驚愕の表情を浮かべた。


「はえー、言われてみれば覚えがあるぜ。200年前は転写魔法もねぇから解んなかったけど、魔王軍の幹部ってこんな顔だったのか」

「本当ね。なんでそんな大物が喫茶店のマスターなんかやってるの?」

「しがない敗残兵の第二の人生というやつさ。……だが最近になって、のうのうと隠居していられない事情ができた。カーク、これは君にも無関係ではない話だ」

「俺にも?」

「さっきのナージャから、各地で魔王軍の残党が動き始めたという情報を掴んだ。――彼らが立てた計画の中には『勇者』ユウキの暗殺が含まれている」

「!」


 友の名前を聞いて血相を変えたカークの前で、イヴァンが更に続ける。


「決行は次の新月の夜。私にも誘いの声が掛かったから、これは確かな情報と見ていい。それまでにこの船を完成させ、彼らのところに向かわねばならん……」

「ヘイ、待ちな」


 カークが低い声でイヴァンの話を遮った。その口元には捉えどころのない笑みが浮かんでこそいるが、目は猛禽のごとく鋭かった。一見すると腰に当てているだけに見える両手はしかし、いつでも腰の拳銃を取れる位置にある。


「勇者パーティーをクビになった俺に、復讐がてら反王国連合テロの片棒を担げってのか? 悪いが俺は根無し草の身なんでね――喧嘩別れしたからって古巣に賊をけしかけるような腐った性根・・は持ち合わせちゃいないぜ」

「私も、そうだ」


 イヴァンが即答した。


「向かうのは合流のためではない。――彼らを……始末するため」

「あらら、じゃあ内部粛清ってわけ!」「たまげたぁ」

 

 他二人がそれぞれの反応を返す中、カークは眉を顰めて腕を組んだ。


「解せねぇな。元魔王軍のお偉いさんが魔王軍の生き残りを殺すのか? 魔王の右腕だったお方なら、なおさら人類憎しで一暴れいってみようって気になんのが自然じゃねぇのか」

「魔王国は滅びた。今さら人族の都を滅ぼしても蘇りはしない。魔王様は過去への忠誠のために死ぬことではなく、未来を見据えて生き抜くことをこそ美徳とする方だった。……だが今回動き始めた者たちは皆、過去に憑りつかれた亡霊だ」


 イヴァンが顔を上げ、遠き過去を思い出すように宙を見つめた。


「再び魔族が暴れれば、大陸各地で今を生きる同胞らへの風当たりは更に強くなるだろう。しかし過去しか見ていない彼らはそのようなことは気にも留めまい。――同じ亡霊として、私は彼らに引導を渡してやらねばならん。たとえ裏切り者と呼ばれようとも」

「200年前の過去にケリをつけようってわけか」

「そうだ。いかに美しかろうとも、過去は終わらせねばならん」


 ――200年前より守られてきたパーティーの品格を穢す。

 今朝に言われた賢者の言葉が、カークの脳裏に蘇った。200年前の伝統と品格に固執していた彼らと違って、この男は未来のために過去を切り捨てようとしている。――何と心地のいいことだろう。


 カークは黙ったまま右手で拳を握ってゆっくりとイヴァンの眼前に差し出し――そのまま口元を笑みに歪めてピッと親指を立てた。


「気に入ったぜ、イヴァン。どうも俺は勇者パーティーの奴らより、あんたとの方が気が合うらしいや。乗ろうじゃないの!」

「手の平くるくるさせるわねぇ。そうやって感情で決めちゃうの、男の子の良くないとこだと思うな。アタシ」

「いいじゃねぇの、今回だけでも付き合ってみようぜ。俺ちゃんも乗った!」


 慎重論を唱えるキャンディを窘めると、バリーがへらへらと笑いながら右手を上げた。最後の一人となったキャンディがそれを見て溜め息をつき、金髪の上に乗ったキャスケット帽を脱いでくるくると回した。

 

「ま、船の修理はもう引き受けちゃったし、乗りかかった船か。もちろん追加で報酬はいただけますわよね?」

「もちろんだ」

「オーケー。やりましょやりましょ」

「イェーイ!」


 キャンディが肩を竦め、バリーとハイタッチを交わした。それを見たカークとイヴァンが表情を綻ばす。


「さて、そうと決まりゃあ名前がいるな」

「名前?」

「このパーティーのさ。『雷霆イヴァンとその一味』じゃ、俺ら3人張り合いないでしょ」

「ふむ。……そうだな」


 イヴァンが得心したように頷き、少し考えてから続けた。


「我々4人は皆、それぞれの事情があって居場所をなくした者同士だ。死して屍、拾う者なし。……そんな我々を現して『プレケリウス』というのはどうだろうか」

「あなたのお店の名前よね、それ。どういう意味なの?」

「『不安定』『事情次第の』『危険な』――『根無し草』」

「ぴったりだな!」


 ぱちん、とカークが指を鳴らした。


「――改めて、俺は『猟犬』カーク。切った張ったなら任せときな」

「『早耳』バリーだ。武器はちょっとした魔法とダガー、あと大人の悪知恵たーくさん」

「『グレムリン』キャンディ。薬品調合に機械修理、まぁ大体何でもできるわよ」

「『雷霆』イヴァン、剣術を少々。……ではパーティー『プレケリウス』、結成といこう」


 イヴァンが宣言して青白い手を差し出すと、間髪入れずに3つの手がそこに重なった。

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