第10話 誰かさん――白の魔女シュネー

「あら。あらあらあらあらあらぁ」

 ハナが家の玄関扉を開けると、見知った姿が食卓の椅子(散らかっていないほう)に座って、卓上に置いた分厚い本をつまらなさそうにめくっていた。白地に赤の裏打ちをしたとんがり帽子に、白いドレスと白いマント。黒いとんがり帽子に黒いローブのハナとまるで対比を成すような姿のその魔女が、視線をゆっくりと上げてハナを見る。淡い薔薇色をした髪の下から見上げる赤色の目が、室内に差し込む朝日を受けて輝いた。

「シュネー」

 ハナは喜々として彼女の名を呼んだ。

 シュネーはハナの同期の魔女で、都市に住んでいる。住んでいる場所は離れているが、なにかと会う機会は多く付き合いも長いので、魔女仲間のなかでは一番気心が知れた相手だった。

 シュネーは食卓から立ち上がり、ブーツのヒールをこつこつと鳴らしてハナのほうへやって来る。見た目の年齢はハナと同じく十六歳くらいで止まっているはずなのだが、つり目がちな目元や薄い唇、それらに施したさり気ないメイクが、彼女の顔をずっと大人っぽく見せている。ドレスも襟ぐりの大きく開いた大胆なデザインで、さらにシュネーは、それがちぐはぐにならずしっくりくるプロポーションをしている。都会的でクールな雰囲気。シュネーはそういう魔女だった。

 ハナは、彼女から漂う薔薇の香りを胸に吸い、ハグをしようと両腕を差し出す。しかし、シュネーはその腕の間合いの外ぎりぎりでぴたりと立ち止まった。

「ちょっと、去年の秋に通信機取り付けるって約束、守ってないのはどういう了見かしら?」

 ハナはそこで、シュネーが険悪な表情をしていることに気が付いた。会えた嬉しさのあまり、全然気が付いていなかった。

「通信機?」

 ハナは去年の出来事を思い出す。北辺の森という僻地に住むハナのために、シュネーがくれた便利装置。しかし、普段は機械とはまるで無縁の暮らしを送るハナに、それはかなり難易度の高いアイテムだった。

「あー……わたしやっぱりああいうメカいの苦手で……」

「それで、その放りっぱなしの通信機はどこにやったの?」

「あー……えっとぉ……わたしなりに頑張ったんだけどね、なんか、突然火を吹いて燃えかすになっちゃったぁ……」

 シュネーは「あぁ……」と小さく呻いて、白い手袋をした手で顔を覆った。

「あたしが馬鹿だったわ。この子に機械なんて扱えるわけがないじゃない……天性の機械オンチなのよ。昔からそれでどれだけ苦労させられたか……」

 悲嘆に暮れるシュネーの前で、ハナは「えへへへぇー」と曖昧な笑みを漏らすことしかできない。

 シュネーは才媛で、頭の回転がとても早い。昔気質むかしかたぎな人物の多い魔女のなかでは珍しく、新しい文化や文明の利器をいち早く取り入れ、常に最先端の生活を送ることをポリシーにしている。見た目だけでなく、生活様式までもがハナとはまるで正反対だ。

 しかし、シュネーはすぐに立ち直り、手の平の下から決然とした表情を現した。

「そんなことだろうと思ってたのよ。だから今日はわたしが直々に来たんだから。ちゃんと新しい通信機を持って、ね」

「さぁすがー、魔女界きってのメカオタク!」

 ハナは適当に相槌を打つ。

「メカオタク呼ばわりはやめて。わたしの専門分野はメカだけじゃないのよ。今はジェンダー史の研究もやってるの」

「ジェンダー?」

「そう。魔女の研究をね、するつもりなの」

「それは……」

 ハナは思わず顔を曇らせた。それまでの気安い空気が一気に重さを増す。

 魔女の歴史を紐解こうと言うのか、魔女そのものであるシュネーが。

「他の魔女にも随分怒られたわ。せっかく長い時間のなかで消え去ってきている魔女という存在を、再び掘り起こすことになんの意味があるのかって。もっとも、わたしも魔女の研究をしようなんて、昔だったら絶対に思わなかったでしょうけど」

 「でもね」とシュネーは目を輝かせる。

「歴史は時間が経てば経つほど正しい姿を失っていくわ。人間の一生は短くて、だから忘れ去った過去の過ちを何度でも繰り返してしまう。でも、今は記録媒体も優秀になって、記録さえすれば、人々の記憶を長く保存できるようになった。だったら、魔女の歴史も……その過ちも……、今ここで失わせてしまうわけにはいかないと思うのよ。未来の人々のためにも」

 シュネーは力強い目でハナを見る。彼女の見せる自信が、ハナには時々わからない。

 苦しみにまみれた歴史なら、そんなもの残らないほうが良いのではないかと思う。憶え続けるということは、後世の人々にもその苦しみを背負わせることになるのではないか。その当事者ではない人々に、ハナたちの責任を押し付けているようで、ハナはシュネーの考えがあまり良いことだとは思えない。

「……シュネーはやっぱりすごいね」

 だから、ハナはそれ以外に彼女に言えることがなかった。「すごい」は、良いことにも悪いことにもそれ以外の曖昧なことにも使える、便利な言葉だ。

 シュネーはどこか誇らしげな表情をさっと消して、その美貌に苦笑を浮かべた。

「ハナってば、そんな微妙な顔で言われてもすぐにわかるよ」

 苦笑は、ハナの好きなシュネーの笑顔の一つだ。それが今日初めて見られた。彼女はいつも満面の笑みではなくて、少し困ったように眉根を寄せて笑う。

「そうかなぁ?」

「別に、無理に同意をして欲しいわけじゃないの。わたしも随分迷って決めたんだから、反対する彼女たちの気持ちだってわかる。でも、わたしはそれが必要だと思うからやるの」

「そっかぁ。シュネーは強いね」

 魔女とはおかしな存在だ。長生きをして、今となっては悠々自適に世に蔓延っているくせに、魔女という自分の存在を嫌悪し、否定しようとしている。自らの存在を「過ち」だと思っている。それでも、その過ちごと歴史に名を刻まなければいけないと、シュネーは言っているのだ。

「まあ、わたしにとってこの手の研究は、有り余った余生の道楽だからね」

 「そんなことよりも」と、シュネーは話題を切り替えた。腰に手を当てて、子供を叱る大人のような顔をする。つまり、怒っているけれど手加減のある怒り方。

「こんな僻地に引き籠もる機械オンチの誰かさんに、今日こそ文明の利器の素晴らしさを理解して貰いますからね。覚悟はよろしいかしら?」

「はーい、せんせー」

 ハナは右手を高く掲げて、元気よく返事をした。

 通信機のことは、正直あまり使いこなせる気がしていない。でも、それがシュネーからの贈り物なら、ハナは喜んで受け取りたいと思う。

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