第9話 一つ星――外世界からの来訪者

 明け方、大量の水が爆ぜて巻き上がる音で目が覚めた。壮絶な爆発音だった。

 ハナが一瞬で眠りから覚醒し、がばりと体を起こした。いきなりの爆音に、心臓がうるさいくらい早鐘を打っている。ムニンがいつも通り音も立てず止まり木を離れ、すぅっとハナの元まで飛んできた。

「なんだろうね」

 暴れる心臓をなだめつつ掛け布団を跳ね上げてベッドから降りて、食卓の椅子の背もたれに雑にかけていたローブを掴んで羽織る。玄関扉の脇に立てかけた長杖を持つと、ハナは家を飛び出した。大きな水しぶきの音がしたから、異常が起こったのは湖のほうだろう。

 湖の畔まで駆けていくと、桟橋近くの小さな浜辺に人魚が打ち上がっていた。大切な竪琴を胸に抱きしめて、恐ろしいものを見るように湖を凝視している。

「大丈夫!?」

 人魚に駆け寄り訊ねるハナを振り返り、人魚は蒼白な表情でこくりと頷いた。それから、湖の真ん中を震える指で指し示す。水面に、なにか青白く光るものがぷかぷかと浮いていた。

「あれは……」

 ハナは目を見開いた。その存在には覚えがあるが、実際に見るのはとても久しぶりのことだ。

「あれが空から落ちてきたのね。直撃しなくて良かったわ。当たっていたら死んでいたかもしれない」

 「でも」とハナは言葉を続けた。

「信じて。あれは悪い物ではないの」

 人魚は首を横に振った。湖全体を揺るがす爆発を起こすものがいきなり空から降ってきたのだ。しかも、まだ微睡んでいたであろうこんな夜明け前の時間に。

 人魚は湖に背を向け、竪琴を抱えて蹲ってしまった。半水棲の人魚が長い時間、水の外の空気に触れ続けるのは危険だ。急いで湖に戻れる算段をつけてやらなければ。

 それに、肝心の落下物のことも。

 ハナは人魚の元を離れ、桟橋へ向かって急ぐ。舫いであった小舟は波に揉まれつつも幸い転覆しておらず、ハナは飛び乗って舫い綱を解き、沖合へ漕ぎ出した。ムニンが舳先にとまる。

 湖の表面にはまだ墜落の余韻がさざ波となって残っていて、小舟を翻弄しようとするが、ハナも慣れたもので、波に逆らわず抗わず、タイミングを読みながら櫂を漕いでいく。

「やっぱり」

 青白い光のすぐ傍まで辿り着いて、ハナは息をついた。

「星の子だ」

 青白い光は、「光」としか形容しようがない。内側から発光する球形の塊で、光が眩しすぎてその中心にあるものを見ることはできない。それが、水面からほんの少し浮き上がった位置に静止している。

「星間移動の途中で落ちて来ちゃったのね」

 その光の塊が生命体なのかどうか、ハナにはよくわからない。けれど、ハナは稀に訪れるこの光を生き物として扱い、「星の子」と呼ぶ。小さな星の欠片が、世界の外側に広がる無辺の空間を旅するとき、その長い距離を飛びきれず地上に落ちて来てしまうものがいるのだと、「星の子」を研究する学者から聞き、ハナもその説を信じていた。

 以前も、星の子がこの森へ落下してきたことがあった。それから今まで、ざっと四十年ぶりだろうか。

「それだけ輝いていれば、元気そうね。しばらく休息する場所が必要なんだけど……」

 世界各地に稀に現れる星の子は、多くが短期間のあいだに再び空へ飛び立つか、或いは、弱っている個体は光を失って死んでしまう。だから実態を研究できず、不明なことがあまりに多い。ただ、広大な外の世界を旅するその体が、膨大な量のエネルギーを内包していることはわかっている。そのエネルギーに由来する光に長期的に触れ続けた場合、この世界の生命になんらかの影響を及ぼすだろうという仮説も立てられていた。

 ハナも、貴重な星の子をサンプルにして研究をしてみたいという好奇心が働くが、その知的好奇心と未知のものに手をかける危険性を天秤にかけたとき、いつも後者に対する危機感がハナのなかで勝る。星の子の研究は、世界のどこかにいるマッドサイエンティストにおまかせすべき分野だろう。

「行くべき場所は、浮き島しかないわね」

 湖の真ん中にはぽつりと小さな島があって、ハナはそれを『浮き島』と呼んでいる。湖の畔で枯れた樹木が倒れ、押し固められて泥になって堆積し、それがやがて陸地から切り離されぷかぷかと湖のなかに浮くようになった。そこに鳥や虫が種を落とし、今ではこんもりとした森になっている。

「ねぇ、星の子さん。近くに島があるから、そこまで行けるかしら?」

 ハナが森のほうを指差しながら星の子へ語りかける。星の子はしばらく静止していたが、そのまましばらく待つと、ハナの指差すほうへ水面を滑るように動き出した。

 ハナが星の子を生き物だと思うのは、どうやら星の子がこちらの言葉を理解し、その理解に従って動くことができるらしいからだ。その理解がどの程度まで及ぶのかはわからないが、少なくとも「あっちへ行って」「こちらへ来て」と呼びかけるくらいなら、躾けたペットのように従順に聞いてくれる。

 ハナは手を下ろし、櫂を掴んで星の子と併走して進む。

「島が見える? そこのに上がって」

 星の子は速度をそのままに浮き島のに岸に上がり、そこでまたぴたりと静止した。

 浮き島に住むのは飛行性の鳥や虫ばかりで、地上を走る動物はいない。踏み倒されることもなく高く茂った水草のなかを、ハナも小舟から降り立って進んだ。

 高い草の生い茂る場所から、すぐに若い木々の育つあたりに入り、そこまで来ると地上の草は樹木に太陽光を遮られて短いものばかりになってくる。

 若く細い木々ばかりが立ち並ぶなかに、ハナは一本の太い古木を見つけた。しかし、その幹には痛々しいほどの大穴がぽっかりと空いている。

「おはようございます、長老」

 ハナは古木に挨拶した。

『おお、魔女の子よ。今日も良い朝だな。そちらにいるのは宇宙の子かな』

 古木は世界の外側を『宇宙』と呼ぶ。以前、それがどんな意味なのかをハナが訊ねると『とにかく広くて果てしがないものだ』と言われたので、ハナは世界の外側をそう認識している。

「ええ。長老、この子をしばらくここで見ていていただけないかしら? しばらく前から湖に来ている人魚が、この子がいると湖を怖がってしまうの……」

『容易いことだ』

 古木の翁はあっさりと請け負った。

『どれどれ、宇宙の子、こちらへ来て顔を見せておくれ。もっとも、わしらと同じでおぬしには顔がないか』

 ほほほぉ、と古木の翁が笑声を上げると、大した風もないのに森全体がざわざわと音を立てた。

 星の子は古木の声を理解しているようで、短い草のあいだを翁の前へ進み出る。

『宇宙を飛ぶおぬしもわしらも似たようなものだ。いずれ居場所を定めたとき、おぬしは誰かにとって意味のある存在になるだろう。そのための旅だ。だから今はゆっくり休んでいかれい』

 古木の翁の言うことは、ハナにもよくわからないことが多い。長生きをしているハナのさらに何倍も長生きだし、植物は人とはものの考え方、言葉の使い方が違う。

 ハナは古木の翁に丁寧に頭を下げ、「また来ます」と告げて島を離れた。

 古木の翁とは、ハナがこの森へやって来てから付き合いで、ハナがまだ森での生活に不慣れな頃、彼からはたくさんのアドバイスを貰った。ハナにとって親代わりのような存在だった。最近はあまり顔を出していなかったが(樹木は時の流れが遅い生き物なので、頻繁に会うことにはあまり意味がない)、ハナはかつて古木の翁のすぐ傍で生活していたこともあった。

 せっかく久しぶりに浮き島へ来たのだし、古木の翁とも久しぶりに膝を交えて話をしたかったが、そうもいかない事情があった。

 ハナは肩に載るムニンを横目に見る。先ほどからなにかの存在を感じ取っているようで、そわそわと羽を震わせていた。今朝は星の子以外にも、この森に来客があるらしい。

 そして、わざわざ「自分がここにいるぞ」と気配を主張しながらやって来る客はそうそういない。さらに、ムニンがここまで浮き立った様子を見せるとなれば、誰が来たのはおおよそ想像が付いた。

 ハナは小舟を進めて桟橋へ戻り、人魚に事の顛末を説明して安全だと告げると(それを信じるかは彼女次第だ)、家路を急いだ。

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