第48話 兆、さては聞いてないのだろう

「……ん、あれは……?」

 病院の面会者出入口に回ると、ひどく不釣り合いな影が視界に映った。思わず足を止め、佳代は遠目に人影の様子をうかがう。

 その人は日陰の壁に寄りかかり、携帯ゲーム機を両手で操作していた。大きな黒い瞳が細かく走り、両手の指がコンマ数秒単位でボタンを操作してゆく。紙飛行機のような図形が描かれたTシャツと、腰に巻かれたカーキ色のパーカー。そして、黒髪の中で一際目を引く赤メッシュ。間違いない――佳代たちのクラスメイトの、国近勇翔はやとだ。佳代は腕を組み、しばらくゲームに興じる彼を眺めていたが……一度大きく頷き、大股で彼に歩み寄った。


「……よっしゃ、全機撃墜!」

「病院にゲームを持ち込むんじゃないのだ!」

 真横からぶっ放された声に、国近は反射的に顔を上げた。大きな瞳がぱちぱちと瞬き、自身を指さしてくる小柄な影を眺める。彼はしばらく佳代を眺めたのち、漫画のように盛大に溜め息を吐いた。

「誰かと思えば佳代ちゃんかよ……学校の外でまでそんなこと言い出さなくてもよくない?」

「ふん、学校の中だろうが外だろうが、ルールは守るべきなのだ! 病院でゲーム機なんて使って、ペースメーカーユーザーの方とかに遭遇したらどうするつもりだったのだ! 命にかかわることなのだぞ!」

「いや、このゲーム機、オフラインなんだけど。電波出してないんだけど」

「……は?」

 アーモンド形の瞳を軽く見開き、間抜けに口を半開きにする佳代。国近は大きな瞳を呆れたように細め、ゲーム機の画面を佳代に突きつけた。ホーム画面が呼び出された液晶の片隅には、確かに「無線OFF」の文字。それを穴が開くほど見つめ、佳代は呆気にとられたように口を開いた。

「……今のゲーム機って、こんな機能もついているのだな」

「佳代ちゃん、いつの時代のゲーム機のユーザーなのさ……」

 呆れたように溜め息を吐き、国近はゲーム機を軽くいじってソフトを終了させた。電源を切り、皿回しの要領で指先でくるくると回してみせる。

「というか国近は何をしているのだ? 人でも待ってるのだ?」

「や、変な奴が入ってこないか見張ってるだけ。……圭史さんの指示でさ」

「勝浦先輩の……?」

 首を傾げる佳代に、国近はふっと目を細めた。ゲーム機での皿回しをやめ、片手でキャッチする。不思議そうに瞬きをする彼から視線を逸らし、興味なさそうに口を開いた。

「病み上がりのキザッシーが襲われたらマズいから見張ってるだけ。キザッシーにはなぁんにも迷惑はかけないからよ。疑わないでほしいな」

「……見張るも何も、思いっきりゲームしてる時点で見張る気ゼロなのだ」

「シャラップ」

 それだけ言って、国近は彼を追い払うように片手を振った。大きな瞳を細めたまま、面倒そうに言い放つ。

「どーせ佳代ちゃんのことだし、キザッシーのお見舞いっしょ? さっさと顔見せに行きなって。キザッシーも喜ぶだろうしさ」

「……それもそうなのだ。では、行ってくるのだ!」

 あっさりと満面の笑みを浮かべ、面会者出入口へと消えていく佳代。そんな彼を見送り、国近は軽く肩をすくめるのだった。



きざしー。今日も来たのだぁ」

「……佳代」

 いつものように病室に入ると、兆のつっけんどんな視線に出迎えられた。ベッド脇の丸椅子に腰を下ろすと、佳代は彼の手元に目を向ける。

「……兆、こういう時にまで参考書見るなといつも言ってるのだ。何のための入院生活なのだ」

「暇なんだから仕方ねえだろ。他にやることもねえし」

「……」

「わかったから、そんな目で見るなって」

 佳代のジト目に、兆は観念したように参考書を閉じた。満足げに頷き、佳代は改めて病室を見回す。

「しかし、やることがないのは由々しい問題なのだ……ゆっくり休むべきなのだが、あんまりにも暇すぎるのも苦痛だと思うのだ」

「……まあな」

「知恵の輪でもするのだ?」

「なんでそうなるんだよ」

 今度は兆の方がジト目になる番だった。だが、正直それくらいしかすることはない。テレビはないし、漫画のような紙媒体も兆はさほど興味がないようだし……腕を組んで考えるそぶりを見せる佳代に、兆はふと声をかけた。

「つか、佳代。お前、こんな毎日面会来て、飽きねえのか?」

「飽きるわけがないのだ。兆と喋るのは楽しいのだ」

「どこがだよ……」

 呆れたように呟き、兆は佳代からふっと目を逸らした。子供のように純粋な瞳があまりにも眩しくて、それに比べて自分は……そんな方向に思考が傾きかけた瞬間、頬に軽い痛覚信号が走った。はっと三白眼を見開くと、佳代の小さな手が彼の頬をつねっていて。

「……何すんだよ、急に」

「兆、まーた嫌なこと考えてたのだろう。目がちょっと怖かったぞ」

「いや、そんなつもりは……」

「ふんっ」

 兆の顔から軽く手を離し、佳代は再び腕を組んだ。不機嫌そうにひそめられた眉を眺めながら、兆はつねられた頬をさする。そんな彼に、佳代はカップ麺の蓋を開けるように言い放った。


「兆、僕は好きで毎日遊びに来ているのだぞ」

「……は? ちょ、え……は?」

 冷水を被ったかのように目を見開き、兆はうろたえるような声を漏らす。何を言っているのか理解が追いつかない。ただ、脳裏で閃光が弾けるような衝撃だけがあった。彼の言葉を何度も脳裏で反芻し、兆は呼吸すら忘れそうな勢いで思考を巡らす。そんな彼の様子に気付いているのかいないのか、佳代はくどくどと言葉を続けた。

「僕が来たいから来ているだけなのに、兆がそんなんだとなんか嫌なのだ。僕にとっては大事な幼馴染なのだぞ? 折角僕といることが許されたというのに、そんなにウジウジする必要がどこにあるのだ。本当にお前は自己肯定感が低すぎて困る。せめて僕といる時くらい、もうちょっと胸を張ってもいいと思うのだ。わかったのだ?」

「……」

「……兆?」

 ようやく気付いたのか、佳代は未だ目を見開いたままの兆を見つめる。彼は焦点の合わない瞳で佳代を見つめたまま、細かく震えていて。顔の前で片手を振ってみても反応がない。まるで雷の直撃にでも遭ったかのようだ。

「……兆、さては聞いてないのだろう」

 ぽつりと呟き、佳代は先程とは反対側の頬に手を伸ばす。ちょっと強めにつねろうとして、兆の全身がびくりと震える。ようやく佳代に焦点を結び、無意識のまま目を逸らす。

「……悪ぃ、聞いてなかった」

「全く、仕方がない奴なのだ……」

 肩をすくめ、佳代は伸ばした手を引っ込める。未だに細かく震えている兆を半目で眺め、佳代はおもむろに腕を組む。

「とにかく、お前はもっと胸を張るのだ。いつまでもウジウジしていても仕方がないのだぞ」

「……お、おう」

 上の空のまま、小声でそう応える兆。しかし彼の脳裏では、佳代の言葉が繰り返し繰り返し響いていた。まるで、未だに煙が立ち込める焼け跡のように。

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